孤島・オブ・ザ・デッド

 ここ陽那島(ひなじま)には、比丘尼(びくに)様と呼ばれる巨石が存在する。
 岬の突端にそびえる巨石は、人魚石とも呼ばれている。とはいえ、名前から想像するような、人魚姫が横座りしている形ではない。どちらかといえば、浜に打ち上げられた人面魚だ。
 彼女の前に(こしら)えられた祭壇には、すでにたくさんのお供え物が並んでいた。清酒、米、尾頭付きの鯛、野菜。周囲の石灯籠には火が入れられ、放つ橙色の明かりが傾きかけた陽光に溶けている。
 数年前に見た地鎮祭を思い出した。今はもう自分たちのものではない家を建てたとき。少し違うのは、米がもち米であることと、水と塩が供えられていないことだ。
 もち米なのは、あとで島民が赤飯にして食べるから。水と塩がないのは――比丘尼様は海に囲まれているのだ。わざわざ人間が供える必要はない。
「千代ちゃん!」
 先にお供えを終えて、岬から戻ってくる一団とすれ違った。母の名を呼んだのは、同級生である藪内の母親だ。
「ゆかりさん! 会えて良かったぁ、さっき連絡したんだけど既読つかなくて」
「ごめん、通知こなかったわ」
「ここ電波悪いもんねぇ」
 後ろから、痩せぎすの少年が姿を見せる。藪内燈(やぶうちあかり)
 俺のクラスメイトではあるが、学年はひとつ下だ。この小さな島には、高校生は俺たちふたりしかいない。
 俺と同じく学ラン姿の藪内は、目が合うと黙って目礼をした。短く切り揃えたまっすぐな髪に、遠視用の眼鏡。大きな瞳が凸レンズのせいで、さらに大きく見える。
 ――母親の前だからか、妙に大人しい。
 俺は母から清酒の瓶を預かり、比丘尼様の祭壇に供えた。岬の突端が指す方向に、島影が見える。陽那島から約5キロメートルの距離にある大島(おおじま)だ。
 潮風の冷たさをこらえながら祭壇に手を合わせていると、背後の島民たちの会話が耳に入る。
「――どうしても船を出せと、うるさくてかなわん。結局、新垣(あらがき)のじいさんが話をつけたみたいだが、どうなったかねぇ」
「さっきもお仲間が港ら辺をウロウロして、『大島に渡りたい』って、漁師連中に片っ端から声かけてたよ。結局、渡さなかったんじゃねえか? 断ったら、今度は祭りを撮らせてくれって、ずいぶんしつこかった。動画配信者だかなんだか知らんが、最近はよそ者が騒がしくて困る」
 少女のようにはしゃいで話し込む母たちをちらちら見ながらの、最後の言葉は聞こえよがしだった。しかし通り過ぎていく島の男たちに、藪内の母親は明るく言い放った。
「やだなぁ、よそもんの前でそんな言い方しないでくださいよ!」
 男たちは虚を衝かれたように黙ると、やがて声をあげて笑いだした。
「そうだな、あんたらは違う。こうして比丘尼様にお供えもしてるしな」
 いつのまに隣に立っていたのか、藪内が小さな声で「行きましょ」と促した。来た道を戻る。このまま二人で連れ立って学校へ行くことになるのだろう。
 岬から出て一般道へ戻り、大人たちの姿が見えなくなったところで、藪内はぐんと伸びをする。
「ふぁ~あ」
 気の抜けたあくびをこぼしながら、ズボンの尻ポケットから四六時中持ち歩いているエアガンを取り出した。俺にはよくわからないが、「10禁のおもちゃみたいなもん」らしい。
「ブサイクな像すよね」
「おい」
 この島の出身でない俺やこいつが、土着の信仰を悪く言うのを聞かれたらまずい。たしなめても、藪内は気にしていないようだ。
「名前も変。八百比丘尼って、人魚を食べて不老不死になった尼さんですよ。人魚の像がそう呼ばれてるのは変じゃないすか?」
 手すさびにおもちゃのハンドガンをくるくると弄びながら、藪内は話し続けた。苛立ちが募る。
「知らねえよ。自分の母親に訊けよ」
 藪内の母親は民俗学者だ。フィールドワークのために、ただひとりの家族である息子を伴って、この島に来たらしい。
「あはは、本性出ちゃってる」
 話し声に反応して、ガードレールに留まったカモメがバサバサと羽ばたく。藪内はそちらに拳銃のマズルを向ける。
「……撃つなよ」
「撃ちませんよ。ほんと、あんたオレをなんだと思ってるわけ? 傷つくわぁ」
 ――俺はこいつが嫌いだ。
 初めて会った日から、こいつのことが嫌いだった。
「N県から転校してきました。高遠諒(たかとおりょう)です。……高校二年生で、みんなのなかでは一番年上なのかな。よろしく」
 新年度の初日、教室に集まった全校生徒を前に自己紹介した。
 離島にある公立学校だ。全校生徒は小学生から高校生まで、俺を含めて七人。小学生の三人は瞳をキラキラさせ、中学生の二人はいたずらっぽくニヤニヤしながら、こちらを見ている。
 そして、高校生の一人は表情の読めない顔をしていた。警戒しているけれど、興味があるというような……人に慣れていない子猫のような目。
 それが藪内だった。俺よりも数か月だけ先にこの島へやってきた、高校一年生。
「はい、質問! あだ名はなんですか?」
 髪をふたつに結わえた、小学校中学年ぐらいの女の子が尋ねる。胸の名札には「平良美咲(たいらみさき)」とある。
「特になかったな。苗字で呼ばれてたよ」
「……諒ちゃんって呼んでもいい?」
 美咲ははにかんだ。俺は笑顔でうなずく。
「いいよ。美咲ちゃんのあだ名は?」
「……みさきち」
「じゃあ、俺もみさきちって呼ぶな」
 わあ、と美咲がそれこそ花の咲くように笑った。
「諒ちゃん、チャラ~」
 さっそく決まったあだ名で呼ばれる。おどけた口調の主を見ると、五分刈りの男子中学生だった。「照屋友介(てるやゆうすけ)」。
「なあ、その髪って天パ? それともセットしてる?」
 友介は、俺のウェーブのかかったアップバングの短髪を指さして訊いた。ふざけているようで、その瞳の奥は憧れにキラキラ輝いている――眩しい。
「……両方。はい、次の質問」
「あっ、ちょ、もっと詳しく! 参考にするんで~」
「おまえセットする髪ないだろ!」
 横から突っ込まれて、笑いが起きる。友介の隣にいるのは、美咲の姉のようだ。「平良凪咲(たいらなぎさ)」。
 笑いが収まると、沈黙が落ちる。
「ほかに質問はないか?」
 教師の呼びかけに、六人が顔を見合わせる。美咲の隣に座っている二人組の男子小学生のうち、一人がそろそろと手を挙げた。二人は姿かたちが瓜二つで、どうやら双子のようだ。「大城碧(おおしろあおい)」と「大城藍(おおしろあい)」。
「将来の夢はなんですか?」
「ちょっと、それ作文の宿題のやつじゃん」
「パクろうとすんな~」
 やいのやいのと中学生たちからヤジが飛ぶ。双子は「ちげえし!」「参考にするだけだし!」と元気よく否定する。
 俺は、どうかこれまでと同じ口調に聞こえますようにと願いながら答えた。
「警察官」
 それまで退屈そうな顔で聞いていた藪内が、目を見開いた。
「警察官になって、みんなの暮らしを守りたい」
「は、」
 藪内の口から漏れたのは、嘲笑だった。
 下瞼に皺を寄せ、藪内は「あはは」と笑った。ほかの五人はギョッとした顔でそちらを見て、けれど、なにも見なかったように目を逸らした。
 ――俺は唖然としていた。しばらく経って、ようやくなにをされたのか理解したように、むかむかと苛立ちが湧いてきた。
「へー、かっこいい!」
「なにか、そう思うきっかけとかあったんですか?」
 俺たちよりよっぽど大人らしい小学生たちが、空気を読んで尋ねてくれる。
 けれど、俺は怒りに任せて口を開いた。
 どうせ、俺の苗字と出身県で検索されればバレてしまうんだ。今、ここで暴露してなにが悪い?
「父親が殺された」
「……」
 しん、と教室が静まり返った。藪内も笑みを消して、こちらを見ている。
「N駅前で通り魔殺人事件があったの、覚えてる? 結構ニュースになったから、こっちでも知られてるんじゃないかと思うけど。うちの父親、その当時、駅前の交番で所長やっててさ。襲われる通行人を庇って死んだんだ」
 ぱちり、と藪内がまばたきをした。衝撃を受け流すためのまばたきのようだった。
「それまでは漠然と、父親みたいな仕事をするのもいいなって思ってただけだったけど。それで決まった。俺も父親みたいな警察官になって、誰かを守りたいって」
 教室は相変わらず静かなままだったけれど、生徒たちの表情はいろいろだった。美咲のように、瞳を潤ませていたり。友介のように、まっすぐな目でこちらを見つめていたり。
 藪内は、気まずそうに唇を噛んで下を向いた。
 気づけば、隣に教師が立っていた。
「話してくれて、ありがとうな。……そういうわけで、高遠はお母さんの地元であるこの島に帰ってきたそうだ。みんな、仲良くやっていこう」
 空いている机を示され、そこに着席する。一番後ろの、藪内の席の隣だった。なにか言いたそうに視線を向けてくるのを、俺は無視した。
 休み時間になって、藪内は「すみませんでした」と謝ってきた。俺が席を立つよりも先だった。
「オレ、事情を知らなくて……」
 舌打ちしたいような気持ちになる。
「事情を知らなかったら、人の夢を笑っていいのかよ」
「……すんません」
「質問に答えてない」
 別に答えてほしかったわけでもないけれど、俺は不機嫌に応えた。
 今思うと、藪内には妙に人を苛立たせるところがある。人を人とも思わない、挑発的な言動もそうだけれど、それだけではなく――そんな態度を取りながらも、心の底ではびくびく怯えているのが伝わってくるのだ。
「あの、諒ちゃん……」
 藪内が迷った末に、あだ名で俺を呼んだ。俺は怒りを逃がすために、細く長い溜息を吐いた。藪内が眼鏡の奥から窺うように、こちらを見上げる。
 俺は、気を取り直して笑顔を浮かべた。
「あのさ。小学生や中学生に、そう呼ばれるのはいいんだけど、なんか同じ高校生に名前で呼ばれんの恥ずいわ」
 それから藪内は、俺のことを「なあ」とか「あんた」とか言って呼ぶようになった。