友達はサイコパス



「失礼します」

 小さな声で挨拶すると、二階堂先生が顔を上げた。

「お、きたな」

 ニカッと笑うと先生は立ち上がり、壁に立てかけてあったパイプ椅子を掴むとグイッと広げた。長テーブルの前に、その椅子をヒョイと置く。今から説教だというのに、二階堂先生は機嫌が良いらしく、頭の中に二階堂先生の鼻歌が聞こえてきた。
 いつもはイライラした重苦しさしか感じられないのに……。

「遅くなって悪かったな」
「いえ……あの、今日は、……体育の時間。すみませんでした」

 先に謝ってしまおうと、深く頭を下げた。
 重いゴツゴツした大きな手が僕の肩を掴んだ。その重さがズシンと肩にのしかかる。

「遅くなりついでに、もう少し待っててくれないか」

 二階堂先生はカバンからペットボトルを取り出した。
 よく見る清涼飲料水。それを紙コップになみなみと注ぎ、僕の前へ置く。

「今日、当直で、戸締りを確認してこなきゃいけなくてな」
「……わかりました」
「反省しているのなら、戻ってくるまでにここに気持ちを書き出しておけ」

 二階堂先生はそう言って原稿用紙を一枚机に乗せて部屋から出ていった。

 てっきりお説教だと思い込んでいたのに、反省文なんだ……。
 
 意外だった。二階堂先生は運動部の男子からはウケがいいけど、熱血漢で厳しい面も横暴な面もあるから、それなりに覚悟をしていた。なのに、飲み物まで用意して、反省文だけで済みそうな雰囲気。

 ……拍子抜けって感じ。

 他人の感情を感じ取れるから、今までも先に起こるだろうことも、ある程度予測するのが癖になっていた。そしてたいてい予測は当たる。こんな風に肩透かしをくらうことは、今まで一度もなかったと思う。

 もしかして……。華道くんと過ごしているうちに、僕も普通の人に近づいていってるのかな? そうだったらいいな。知る必要のないものを、知らない普通の人に……。

 そんなことを思いながら、紙コップの飲み物を眺める。
 生徒指導室のドアを開けた時よりもずっと気が楽になって、僕は反省文に取り掛かった。

 反省文に本当のことは書けない。書いたところで信じてもらえず、おかしなヤツと思われるか、言い訳だと思われるだけ。反省してないとみなされるだろう。
 僕は自分の奇妙な力には触れず、昔から人がたくさん集まっている状況が苦手で気持ち悪くなってしまうことと、そのために自分の世界に入ってしまう癖があることを書き、今後は授業の妨げにならないようにしっかり授業に集中します。という内容を書き綴った。

 ……これでいいかな。

 書き上がって顔を上げると、すでに窓の外は真っ暗だった。
 窓ガラスには自分の姿がくっきり映り込んでいる。
 僕は二階堂先生が入れてくれた飲み物をコクコクと飲み一息ついた。途端にガラッと大きな音を立てドアが開き、二階堂先生が入ってくる。

「書けたか」
「はい……」

 コップから手を放し、反省文を両手に持った僕が振り向こうとした時だった。二階堂先生が突然、喉仏を掴むように僕の首を片手で押さえた。

「ウッ」

 声帯が潰され、激しい痛みが走って息が詰まる。

 くっ、苦しい……。

 そのまま机に頭をガツンと押し付けられる。
 頭が真っ白になった。

 なっ、なにが起こってるの!?

 震える手を伸ばし、なんとか二階堂先生のぶっとい腕を掴もうとした。掴んだ腕はまるで岩のように固くてビクともしない。

 さっきまで、あんなに機嫌がよかったのに……なんでっ!

 二階堂先生は僕を抑えつけたまま、床に落ちた原稿用紙を拾い、何食わぬ顔で読み上げた。

「なになに? 人が大勢いると気持ち悪くなる?」

 机に頬が押し付けられて、顔がつぶれそうだ。苦しくて瞼がかぶさってくる狭い視界から二階堂先生を見上げた。もちろん声など出るはずもない。突然すぎる出来事に僕の意識は恐怖で染まり、なにも考えられなかった。気道を抑えつけられ、呼吸ができない。苦しい。眼球が熱くなって、縁から涙が溢れる。
 僕は水揚げされた魚だった。ただ必死に口をパクパクと動かしてる。そんなことをしても、空気なんか入ってこない。
 もがく手も足もだんだんしびれてくる。
 どんどんどんどん地面に引っ張られ、重くなってく。

 ──ああ、死んじゃうんだ。

 頭の奥でそう思った。
 揺れていた視界が、いよいよ赤黒く濁っていく。

 ……僕も……

 視界も感覚も、光も、全てがゆっくりと遠ざかっていく。次の瞬間、急に気道が大きく開き、酸素が戻ってきた。大きく吸い込んだのと一緒に視界がパッと開く。
 ぐわんぐわんと回る頭。耳鳴りの向こうで、ガタッと物音が聞こえた。ゴホッ! と咳き込みながら頭を上げる。
 涙で滲んだ視界に飛び込んできたのは、二階堂先生の背後に覆いかぶさる華道くんの姿だった。
 ありえない光景に呆気にとられる。
 いつも爽やかでクールで、落ち着いた雰囲気の華道くんが大きな二階堂先生の体を長い両脚で挟み込んでいる。二階堂先生の太い喉元には、華道くんの腕ががっちり食い込んでた。
 あの華道くんが、いつもの無表情で二階堂先生の首を締め上げてる。

「ぐおっ」

 二階堂先生が熊のようなうめき声を上げた。

「先生、やり過ぎでしょ」

 二階堂先生の耳元で華道くんが囁くと、先生は大きく体を左右に揺らした。まるで本物の熊かゴリラのようだった。目は見開き、赤く染まった顔にドス黒い血管が浮かび上がっている。

「ぐおおおっ!」

 華道くんを引き剥がそうともがく二階堂先生。
 僕は目の前の光景に呆気にとられ、口をパックリ開けたまま動くこともできない。
 振り回しても離れない華道くんに先生が後ずさる。壁に激突して、華道くんを落とすつもりだ。でも、華道くんはその勢いを感じ取ってかパッと先生の首から腕を離した。床に着地した華道くんが怒鳴る。

「逃げろっ!」

 初めて聞く華道くんの怒号にビクンッと体が跳ねた。条件反射のように立ち上がり、何も考えられないまま全力でダッシュした。生徒指導室を出てすぐの、体育館に繋がる観音扉のドアに体当たりしたけどドアはビクともしなかった。

クソッ!

 僕は跳ね返るように、東側の職員専用玄関へ走ろうとしたけど、ガシッと腕を掴まれた。

「上だ」

 腕を掴んだのは華道くんだった。そのままグイッと引っ張られ、二人で階段を駆け上がった。
 踊り場をターンして持ち上げる足が、まるで泥に突っ込んだみたいに重い。もつれる足を必死に動かす。華道くんは僕をグイグイ引っ張り上げ、階段を登りきって三階へ上がると、躊躇なく右へ曲がり教室へ飛び込んだ。僕も転がるように飛び込む。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「直生、携帯は?」

 息の上がった僕に華道くんが鋭く言った。
 ヒュッと息を飲む。

「……カ、カバン、……せい、しどうしつっ、おいて、きたっ」
「チッ。僕もさっきので落とした」

 アドレナリンで吹っ飛んでいた感覚がいっぺんに体に戻ってきた感じがした。
 やっとまともに思考が回り始め、思っていた言葉が口から零れる。

「ああ、なんで……、あ……助けて、くれて、ありがと」
「うん」

 華道くんは冷静な表情で頷いた。こんなことになってるのにちっとも驚いてない。
 まるで二階堂先生が、僕を襲うことがわかっていたみたい。

「華道くん、なんで? なんで二階堂先生は……」
「しっ」

 華道くんが人さし指を立て、僕の言葉を止めた。ハッとして気付く。
 全力で走った。必死で逃げた。でも、校舎から脱出できたわけじゃない。警察へ電話もできない。まだ危機的な状況にいるんだ。静かにしなくちゃいけないってことは……二階堂先生が僕たちを探しにくるってこと……。

 すっかり日が落ちた校舎。机の影に身を隠した僕らは数秒、無言で視線を交わした。

 ……さがしに……。

 僕は声を潜め、華道くんに訴えた。

「ね、ねえ、どうしよう。教室なんてすぐに見つかるよね?」

 華道くんはニヤリと笑い、机の中へ手を突っ込んだ。それを見てやっと気付く。

 あ……ここ、僕らの教室か。

 手のひらにすっぽり収まるサイズのスプレーのようなものを取り出す。なんだろうと思っていると華道くんが言った。

「これ催涙スプレー」
「な、なんでそんなの持ってるの!?」

 いざという時のお助けグッズみたいに取り出された便利アイテムに、僕は混乱してしまった。みんなの人気者で優等生な華道くん。なのにハトを捕って料理したり、いろいろ理解しがたい行動をする人だなって思っていた。だけどまさか、自分の机の中に催涙スプレーを潜ませているなんて、誰が想像できるだろう。

 華道くんがズボンのポケットからなにかを取り出す。

「はい。直生はこれね」
「えっ」

 手渡されたのは手のひらサイズの折り畳みナイフだった。

「柄の下にあるロックを解除して、上部の埋まってるボタンを押せば刃が飛び出す。片手でも操作可能の優れものだよ」

 見れば柄には華道くんの言う通り、下側にスライド式ロックと上部にもボタンっぽいものがあった。おそるおそるロックを外し、ボタンを押してみる。

「わっ」

 シャキンと勢いよく飛び出す鋭い刃。
 銀色の刃が月明かりで白くぽうっと反射した。神秘的な光に魅せられそうになったけど、僕は慌ててナイフを閉じた。

「ぼっ……僕はスプレーの方でいいよっ」
「念の為だよ。直生が持ってて」
「……でも」

 ナイフを返そうとする手を強く握られた。華道くんの顔がだんだん近づいてくる。

「ヤらなきゃ、ヤられるよ」

 華道くんは僕の耳元に唇を寄せ、まるで歌うように妖艶な声で囁いた。
 ゾクッとして華道くんを見る。

「あいつはさっき直生の首を絞めた。だろ?」

 華道くんの瞳はうっすら濡れ、月を映し輝いて見えた。
 一緒に逃げてきたのに、恐怖など微塵も感じていない。

 ──楽しい。

 ほんのりと浮かんできた華道くんの感情を、この時僕は初めて捉えることができた。
 その発見と興奮に、僕は華道くんの瞳を見つめたまま、催眠術にでもかかったようにゆっくりと頷いた。

「二階堂はかならず上がってくる。これで目潰しして時間を稼ぐ。一階へ降りて奇跡的に脱出できたら警察へ通報すればいい」

 奇跡的に? それは外への脱出が無理だと想定している言葉のように思えた。
 わずかに感じた華道くんの楽しいって感情も引っかかる。僕が疑問を口にしようとすると、華道くんが人さし指を唇へそっと近づけた。二人で耳を澄ます。

 息を飲み、二階堂先生を待ち構えていると、隣にいる華道くんのワクワクが伝わってくる。
 やっぱり華道くんは楽しいんだ。僕を襲ってくる獣と、僕を守る獣。一瞬、二人が重なって見えた。
 華道くんが僕を見て微笑んだ。

「直生にはオトリになってもらおう」
「えっ!」

 まさかの展開に思わず声が飛び出したけど、元々、二階堂先生のターゲットは僕だ。
 僕はお世辞にも運動神経がいいとは言えない。オトリどころか火中に飛び込みに行くようなものだと思うけど……。

「とりあえずナイフはポケットにしまって」
「う、うん」

 どうすればいいかわからない。でも、獣は確実に迫ってきている。僕は華道くんに従うしかないんだ。
 ナイフをポケットにしまって耳を澄ませた。
 かすかに隣の教室のドアが開く音がする。

「来るぞ。窓を開けようとしてるフリしてて」

 机の影で屈んでいた僕は不安に押しつぶされそうな気持ちで頷いた。
 そろりと這って窓に近づく。
 華道くんは廊下側のドアへ近寄り、壁に張り付いた。移動した僕へ「立て」と手のひらを仰向けチョイチョイと上下に揺らす。
 僕は頭から血液が下がり、冷たくなっていく感覚を味わった。

 さっき殺されかけた相手に向かって背を向けなければいけない。こんな怖いことってある?

 窓を開けるフリじゃなく、開けてそのまま逃げ出してしまいたいくらいだ。
 そう思いながら僕は窓に手をかけ、鍵を外した。
 あ、あれ?
 窓を開けようとしても、びくともしない。

『当直で、戸締り確認してこなきゃいけない』

 生徒指導室で聞いた、二階堂先生の言葉を思い出す。
 暗くてよく見えないけど、二階堂先生が中から逃さないよう細工をしているのだと悟った。
 窓が開いてベランダへ出られたとしても逃げ場なんてない。せいぜいグランドへ向かって大声を出せるだけ。だって三階から飛び降りたら骨折では済まないだろうし、運よく骨折で済んだところで、助けが来る前に間違いなく二階堂先生に捕まってしまう。万事休すだ。
 なにより校舎の窓、おそらく全てに細工をした二階堂先生の綿密さに、背筋に冷たいものが走った。

 こんなの普通の人間がすることじゃない……。
 ──異常者だ。

 真っ暗闇の中、遠くの方に見える住宅の灯り。
 それがやけに穏やかで尊いものに見えて、僕は喉元を手のひらで覆った。
 いつも居場所がないって感じていた日常の風景。それでも、暴力を振るわれたり、命を脅かす人間なんていなかった。
 知らなかった。僕はすごく安全な世界にいたんだ。

 もうあの家にばあちゃんはいないけど、ばあちゃんが亡くなってから初めて……あの家に帰りたいって思う。いつも逃げ回っていた祖父の家だけど……。
 
 ばあちゃん……。

 気付けば、僕は静寂の中にいた。なんの音もしない。聞こえるのは、耳の奥にある血管の音だけ。
 ゾワッとした気配を背後に感じた瞬間、キュッとゴムが鳴る小さな音が耳に届いた。心臓がドクンと大きく波打つ。

 ──きた。

「残念だな、そこは開かない」

 二階堂先生の声がガランとした教室に響く。おそるおそる振り返ると、教室の入口を塞ぐようなシルエットがあった。非常口の緑の光を受けていて表情はわからない。でも、先生の大きな影がニタリと笑っているように見えた。

 は、……華道くんっ!

「センセ」

 華道くんの声が二階堂先生へ呼びかけた瞬間、シューッ! と噴射音がした。
 二階堂先生の悲鳴が響く。

「うぎゃあっ!」

 大きな影が机や椅子をなぎ払いながら床を激しく転げまわる。

「直生っ!」

 華道くんの声に固まっていた足が動く。二階堂先生を避け、華道くんの元へ必死で向かった。出口で待つ華道くんが伸ばした僕の手をパッと掴む。ふたりで同時に床を蹴った。

「生徒指導室にある携帯で警察に連絡しよう」
「うん!」

 そうだ。三階からじゃ飛び降りられなくても、一階なら窓を割って脱出だってできる!
 階段を駆け下りながら、かすかな希望を感じた。
 生きてここから出るんだっ!
 生徒指導室の前にたどり着きドアを開こうとして華道くんが舌打ちした。

「クソッ、鍵がかかってる」
「いいよ、窓を割ろっ」

 苛立つ華道くんに、僕は体育館へ続くドアを指さした。ドアの上半分が窓ガラスになっている。
 丁度、廊下の隅にある消化器が目に入った。僕はそれを持ち上げ、勢いよくガラスへ投げつけた。
 ゴッ! 鈍い音がして、跳ね返った消化器が廊下へ落ちる。

「えっ!?」

 ガラス窓はビクともしなかった。消化器がぶつかったところに白い傷のようなものができているだけ。

 な、なにこれ……。

「防犯ガラスだよ」

 ポカンと口が開いた僕に華道くんが諭すように言った。

「時間をかければ破れないことはない。でも二階堂に追いつかれる。でも……」

 華道くんはクルリと背を向け歩いていく。

「どこ行くの?」
「上」

 意味が分からなかった。上に行くと言いながら、華道くんは降りてきた階段を通り過ぎていく。こんな状況なのにまったく焦る様子も見えなくて、それが僕を不安にさせた。階段を通り過ぎると生徒用の玄関口がある。華道くんは靴箱の真ん中あたりで足を止め天井を見上げると、靴箱へ足をかけグイと体を持ち上げた。

「……んねえっ! 何してるの?」

 華道くんの奇行にいても立ってもいられず、僕は大声を出したくなる衝動に、小声で叫んだ。
 靴箱の上へ腕を伸ばした華道くんが腕を左右に動かしている。何かを探しているらしい。

「あった」

 だらりと下ろした華道くんの手には、鉄の棒が握られていた。片方の先端が鳥の顔のように折れ曲がっていて、反対側は小さな二股になっている。釘抜きなんかに使う工具のバール?

「えぇ……」

 学校の靴箱の上になんでそんな物? 
 僕は呆気にとられるしかない。誰かが工具を置き忘れたなんてあるわけもなく、間違いなく華道くんが置いておいたモノだ。
 催涙スプレー、折りたたみナイフ、バール……いったいいくつ武器を隠してるの?
 頼もしいというか、呆れるというか、もう驚きすぎて言葉が出ない。
 華道くんはバールを片手に、身軽に靴箱から飛び降りた。

「もう一本あればよかったね」

 涼しい表情で平然と言ってのける華道くんを見上げる。

「何のための備えなの? 創くん……今日のこと知ってたってこと?」

 華道くんは唇の端だけを上げてニヤリと笑った。

「まぁね」
「まあ、ね……って……それ、どういうことだよっ!」

 僕は思わず、華道くんの上着の襟を掴み問い詰めた。
 なのに、華道くんはケロッとしている。

「どうもこうも、備えあれば憂いなしってことわざ知らない?」

 確かに、サバイバルなこの状況下で華道くんの繰り出すアイテムは、まるでゲームみたいに有難い。でも……!

「そうじゃなくて! 危険があるんならまず逃げるもんでしょ?」

 華道くんは気分を害した様子もなく、襟首を掴む僕の腕をポンポンと叩いた。

「説明する余裕はないよ。もってあと十五分くらいかな?」

 その言葉に、怒ってる気持ちも腕の力も抜ける。

「……じゅう、ご、ふん?」
「さっきの催涙スプレーの効き目。常人なら三十分から一時間くらいは痛みで目が開けられないらしいけど、二階堂はゴリラだし、もっと早く復活しそうじゃん」
「ご、ゴリラ……」

 体育館へ通じるドアの前へ戻りながら、華道くんが楽しそうに言った。

「下手したら、もう復活してるかも?」
「そっか。急がなきゃ。……で、でもっ! さっきから、なんで創くんそんなに楽しそうなの?」
「そりゃ……」

 華道くんは言いながら、野球のバットを持つように両手でバールを握った。脇をしめて腕を引き、ガラスへ思い切り叩きつけた。
 ビシッ!
 折れ曲がった先端が突き刺さり、ガラスに小さな穴とヒビができる。
 華道くんが振り返りニコッと笑った。

「サバゲーって面白くね?」

 そう言った華道くんの目はキラキラと宝石みたいに輝いていた。こんなにもイキイキとした姿を見たのは初めてだった。
 気持ちが伝わってくる。すごく楽しんでる。
 華道くんは振りかぶり、またバールをヒビの入った部分へ突き立てた。でも、ガラスの粉がひび割れからパラパラと落ちるだけだ。

「割れない……」
「そう。合わせガラスの間に特殊フィルムがあるんだよ。だからヒビは入るけど、割るのにちょっと時間がかかるんだ。校舎の窓ガラスは全部これ」
「間に合うかな?」

 僕はハラハラしながら尋ねた。
 階段を降りて来る足音はまだ聞こえない。でも今にも二階堂先生の顔がヌッと現れそうで、僕は華道くんを見て、階段の登り口を見てを繰り返していた。
 華道くんは特に焦る様子もなく「どうかな」と言いつつ、繰り返し同じ箇所へバールを突き立てている。ハラハラしていた僕に突然ひらめきが降ってきた。

「あ、ねえ! もう一度催涙スプレーをかけるっていうのは? それで、縛ってどこかに閉じ込めちゃうとか!」

 物騒な思考。言った後に僕は改めて自分の考えにビックリした。
 今まで辛いことを沢山経験してきた僕だったけど、誰かに対してこんなに攻撃的な考えを持ったことなんかなかったのに。

 ……今のは本当に僕の考えなんだろうか。

 愕然としている僕の耳に、野球部の四番バッターのように清々しくバールを窓に打ち付けている華道くんの声が届いた。

「それもいいけど、視力がなくてもゴリラだよ? 捕獲できると思う?」
「う、うーん、そっかぁ。……ねぇ、僕もなにかできることない?」
「あるよ。ちょっと交代して」

 フーッと息を吐き、華道くんがバールをダラリと下げた。
 その時初めて、華道くんがかなり息を乱していることに気付いた。

「大丈夫?」

 受け取った、バールはかなり重かった。
 僕は息を吸い込み、大きく振りかぶっておもいっきりガラスへ叩きつけた。華道くんが穴を開けたところを狙ったつもりだったけど、全然ちがうところに当たり、ビビビッと手首に反動の負荷がかかった。よろけてしまうほどだ。
 バールを握り直しもう一度打ち付ける。
 再び重い衝撃が体に返ってくる。バットと違いグリップもない。これを何度も振り続けるのは、かなりきつい。

「創くんって、すごいね」

 フラフラしながら素直な感想を言った瞬間だった。僕たちの背後。ずっと遠くの方から聞こえる女性の声がした。

「誰かいるのー?」