友達はサイコパス



 華道くんの持っていた鍵は屋上のものだった。

 終わったんだ━━

 ドアを開けた途端、涼しい風が僕たちに吹き付ける。学校の周りは真っ暗で、見上げると星がチカチカと瞬いていた。
 外に出られた。
 解放感を感じながら足を踏み出す。
 華道くんは手すりにもたれ、ぼんやりした声でつぶやいた。

「巻き込んで、ごめんね」

 僕は大きく首を振った。

「何言ってんだよ。助けてくれたんでしょ?」

 遠い目をしていた華道くんは、僕を見てフッと笑った。

「友達だもん。当たり前。直生だって、僕を助けてくれたでしょ?」
「うん。友達だからね」

 なんの後ろめたさも感じない。心の底から素直に出た気持ちだった。
 僕らは見つめ合って、ふたりで笑い合った。
 心が読めなくたって、関係ない。僕たちの気持ちはひとつだった。
 空虚だった華道くんの横顔に笑顔が浮かんでる。それで十分。

 次の瞬間、黒い影が華道くんに覆いかぶさった。

「うわっ!」

 あっという間だった。黒い影はスカートをひらめかせ、華道くんを引っ張りながら手すりを蹴った。

「あああっ!」

 華道くんの上半身がグルンと柵を超える。僕は咄嗟に華道くんの足を掴もうとしたけど、間に合わなかった。黒い影と一緒に華道くんの全身が柵を超える。

「創くんっ!」

 ガシッと華道くんが柵を掴む。その下半身にしがみついていたのは松田先生だった。両足も使って、虫みたいに華道くんの腰に巻き付いてニヤニヤ顔で僕を見ている。信じられない。先生の右手はバールでやられているはずなのに、なんで笑ってられるんだよ。

 意地でも僕から華道くんを取り上げる気なんだ。させるもんか!

 僕は華道くんの腕を両手で掴み引っ張った。

「頑張って! 登って!」
「……無理っ、重いっ」

 華道くんひとりなら登れても、松田先生がガッシリくっついている。

 どうしようっ! どうしたらいいの!

 焦る僕へ、華道くんがふわりと微笑んだ。

「直生と会えて良かった。一緒にすごせて本当に楽しかった」

 柵を掴む指がズル、ズルと伸びていく。

「ダメッ! 創くん!!」

 必死に叫んでるのに、華道くんがフッと表情を緩める。

 死ぬつもりだ……。嫌だ、せっかく仲良くなれたのに。創くんを失ってしまうなんてっ……。

「ふざけんなっ! 許さない! 僕を残して死ぬなんて絶対許さないからな!!」

 僕は柵を乗り越えた。下から吹き付ける風。松田先生がニタニタ笑いながら目を見開く。その下に揺らぐ地面。

 連れて行かせるものか!

 ポケットのナイフを取り出し、親指でロックを外してボタンを押した。勢いよく飛び出す刃。僕はそれで、躊躇なく華道くんの腰に巻き付いた松田先生の左手を切りつけた。

「ぎゃっ!」

 叫ぶと同時に剥がれる手。そこからはまるで、スローモーションのようだった。
 華道くんの腰から離れた白い腕が落ちていく。目を見開いたまま落下していく松田先生。スカートと長い髪だけが先生を包み込むように浮き上がる。すぐに、重い何かが落ちた鈍い音がした。

「直生……」

 呆然としている華道くんの服を掴む。

「殺させない!」

 ブルブル震える全身。ナイフを後ろに放り投げ、自分まで落ちないように片方の腕を柵にからめた。
 歯を食いしばり、渾身の力で華道くんを引っ張りあげる。

 生きて、生きてよ! 僕と一緒に!!

「創っ!!」

 華道くんが壁に足を掛け、僕の腕を掴んだ。グッと引っ張られる。長い脚がコンクリートの縁に届く。

「もっ! もうすこしっ!」

 無我夢中だった。華道くんの上半身が現れ、僕も体を支えながら上体を起こした。
 ふたりで柵の内側へ転がるようになだれ込む。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 ふたりの乱れた息が重なって、夜風に溶けていく。
 吹き出す汗。アドレナリンが出まくってるせいか、自分が無敵に感じられた。
 ううん。
 横に寝転ぶ友達を見る。
 彼と一緒だからだ。

「……また、助けられた」

 華道くんが夜空を眺めながら言った。
 僕も夜空へ目を向けた。キラキラと瞬く星を眺めながら返す。

「これでおあいこだね」

 投げ出した手に、ふわりと華道くんの手が重なった。
 僕は手のひらを広げ、華道くんの手をギュッと握った。
 しばらくふたりとも黙っていたけど、どちらからともなくくうぅとお腹の鳴る音がした。

「お腹空いちゃったね……」

 華道くんの言葉に、あぁ、生きているんだなって思った。

「うん。空いた。今、何時なんだろう?」

 スマホも無いし、探すのももう億劫だ。とにかく──疲れた。

 目を閉じると急激に眠気が襲ってきた。緊張が解け、体が睡眠モードに入ってるのかもしれない。僕はつながった手の温もりを感じたまま、その眠気に体を預けた。星空がゆっくり幕を閉じていく。





「……お、直生、起きて」
「ん……」

 華道くんの声で目が覚めた。すっかり眠ってしまったらしい。華道くんは僕の横であぐらをかいていた。僕の体には多目的ルームの分厚い遮光カーテンが掛けてあった。華道くんも同じものを羽織ってる。

「あれ? これ、ありがとう」
「うん。さすがに涼しくなってきたから」

 空を見ると、うっすら藍色だった。東の空がほんのりとピンク色に染まっている。どこからか、ひぐらしの音も聞こえてきた。

「もうすぐ夜が明けるよ」

 華道くんの穏やかな声。じんわりと陽に照らされていく綺麗な横顔。
 僕もよいしょと体を起こし、華道くんと同じ体勢になった。

「……本当は、警察に逮捕させて、自供させたかったのに。ふたりとも死んじゃったね」

 お兄さんの居場所を、知る手がかりだったのに。
 華道くんは僕をじっと見て、口元だけで微笑んだ。

「うん。でも、一番大切なのは直生だから。ふたりで生還できたことを喜びたい」

 言葉と同じ気持ちが、華道くんの心から聞こえた。これは、本心。
 華道くんはサイコパスなんかじゃなかった。大好きだったお兄さんが消えてしまって、悲し過ぎて、感情に蓋をしていただけ。自分を守るための、一種の防衛本能だったんだろう。

「……うん。僕も、創くんと朝を迎えられるのが一番嬉しい」

 ふたりで静かに笑い合う。
 朝焼けの空はおどろくほど綺麗だった。
 僕はこの空の色を一生忘れないと思う。
 初めてできた親友と眺めた空を。

 すっかり朝の色になった空をぼんやり眺めていると、ワンワンとかすかに犬の鳴き声が聞こえた。華道くんと顔を見合わせ、ガバッと立ち上がる。犬の声を頼りに、柵まで走って探す。学校の塀の向こうを散歩している人が見えた。
 華道くんが手を振りながら大きな声で叫ぶ。

「すみませーん! おはようございます! 警察を呼んでくださーい!」

 楽し気な高い声。僕も一緒に必死で手を振って呼びかけた。

「お願いしまーす!」

 女の人は立ち止まり、ポケットから携帯を出した。ちゃんと通じたようだ。

「ありがとうございまーす!!」

 ふたりでお礼を叫ぶ。女の人はその場を立ち去ることもできず、ウロウロしながら僕らを見ていた。しばらくすると、遠くからサイレンの音が近づいてきた。別の犬を連れてきた人が何事かと立ち止まる。

「……ああ、大騒ぎになっちゃうね」

 いまさらだけど僕がぼやくと、華道くんがクスッと笑った。

「直生もこれで、一躍有名人だね」
「勘弁してよ。創くんは注目されるのに慣れてるだろうけどさ……」
「ププッ。この学校に留まる理由はもうないからね。直生が嫌なら転校したらいいよ」
「僕だけ?」
「もちろんふたりでだよ」

 ……それはナイスアイデアだ。

 僕はうんうんと頷き、赤灯を光らせながら停まったパトカーを見下ろした。

「爺さんに言っとくよ」








 了