友達はサイコパス



「二階堂と松田、あいつらは何年も前から赴任先を転々として、生徒を殺すゲームに興じてる」

 そ、そんなことって……。

「狙われるのは、目立たない生徒。学校を休みがちな生徒。私生活に問題を抱えている生徒。……友人がいない生徒」

 ごくりと息を呑んだ。

 だから、僕なんだ……。

「ある日、急に生徒がひとり忽然と姿を消す。普段からあまり印象がよろしくない生徒。家庭に問題があったから、家出かもね……と、警察も真剣に取り合わない」

 華道くんは無表情のまま続けた。

「その生徒がどのタイミングで消えたのかは不明。学校側は言う。登校は確認している。下校もしている。変わった様子はなかったと答えるだけ」

 そうだよね。まさか、学校の中で(・・)何かが起こったなんて誰も思わない。下校したと言われたらそれまでだ。

「せいちゃんは確かに学校は休みがちだった。一度体調を崩すと、なかなか治らないからこじらせるのは良くない。だから、ちょっとした風邪でも大事を取って休んでいた」

 そうなんだ……。体が弱くて。それなのに、酷すぎる。

「でも僕は知ってる。せいちゃんが僕を可愛がってくれていたこと。僕を残して家出するなんて有り得ないこと。……すごく仲良しだったんだ」

 見たことのない表情だった。華道くんの瞳から光が消え、一筋の涙が頬を伝った。

「両親は事故と事件の両面で探してほしいと警察へ何度も訴えた。もちろん当初は警察も動いてくれた。でも……ずっとは難しいよね? 遺体が発見されて初めて、警察は事件だと判断するだろ?」

 じゃあ、お兄さんは行方不明のまま……。

 華道くんの言い分が胸を締め付ける。
 考えたくなかった。でも遺体が見つかってないんだから、今もどこかで……。そんなの甘過ぎる考えなのはわかっているけど、そうであって欲しいって思っちゃうんだ。だって、つら過ぎるよ。

「せいちゃんが消えて、ある意味、僕も死んだんだ。なんの感情もなくなった。両親はだんだん不仲になり、結局、離婚に至った。それもどうでもよかった」

 大切な人がいなくなる失望感は知ってる。もう僕もこの世界に居なくてもいいかなって思うんだ……。わかるよ。わかる。感じられなくったって、わかるから。

 涙の筋を頬に残したまま、華道くんはポツリと言った。

「ずっと部屋に引きこもっていたけど、ある日思ったんだ。警察をあてにしても無駄だ。僕がせいちゃんを探そうってね」
「うん」
「十年以内に、国内で似たような事件がないか調べたんだ。関東だけでも、すぐに何件かヒットしたよ。だから当てはまるケースについて調べつくした。そこで四件のケースから、ある共通点を見つけたんだ」
「それがあのふたり……」

 手に握ったスタンガンから顔を上げ、華道くんは僕を見つめて静かに頷いた。

「うん。二階堂と松田。四人の男子生徒……せいちゃんを合わせれば五人。行方不明になった高校には、必ずふたりが教師として在籍していた」

 僕はゴクリと息を呑んだ。

「同じタイミングの時もあれば、一年ずらしたタイミングで赴任してきた時もある。でも、共通していたのは、ふたりが揃っている時に、起こっていたってことだ」

 華道くん、たったひとりでそこまで調べて……。いったいどれだけの時間を費やしたんだろう。僕に、同じ事ができるだろうか。
 ううん。僕には無理だ。華道くんだからこそ、できたことだって思う。大好きなお兄さんを奪われた……恐ろしいほどの執念。

「でも、それだけ。それだけしかなかった。他に調べてもなにも出ない。証拠などない。……だから僕は、その可能性に賭けたんだ」

 僕は華道くんの言葉に耳を傾けて、頷いた。僕にはできないけど、だからこそ華道くんを手伝いたい。

「二階堂がこの高校に赴任した事実を掴み、僕はこの高校を選んだ。松田は僕たちと同じタイミングで赴任してきた」

 そうだったんだ。じゃあ、入学式で赴任の挨拶とかあったのかも。僕は自分の事でいっぱいいっぱいだったから覚えてないけど。

「二階堂と松田がそろった。だから僕はみんなの注目を集める優等生を演じた。そういう生徒はターゲットから外れる。明朗快活な優等生を演じつつ、ターゲットに選ばれそうな生徒がいないかずっと探していたんだ」

 華道くんはふっと苦笑いした。

「他のクラスだったけど、直生のことも、一年生の時から知っていたよ。同級生がターゲットになる可能性は単純に三分の一。どうしたって上級生までは把握できない。でも僕には確信めいたものがあった。松田が赴任してきたタイミングと同じ学年から選ばれるんじゃないかって」

 ふと、松田先生の言葉を思い出しゾッとした。

『二階堂先生にお願いしたのよ。早く影野君と遊びたいって……』

 異常だ。二階堂先生と同じくらい……ううん、松田先生はもっと危険だ。

「……六月、直生は学校を二日だけ休んだ。おばあさんの葬式があったよね。直生はもともと静かで、クラスメイトとの交流を避けていた。無視されているとか、いじめられてるというより、わざと存在を消すように振舞っている。……僕にはずっとそう見えていたよ」
「うん……」

 バレてたんだ……。でも、どうして僕が人を避けているかは知らないよね? 誰にも知られたくない。華道くんにも言えない。
 嫌な思い出が蘇る。気持ち悪いものを見るようなあのおぞましい目。
 華道くんにだけは、嫌われたくない。

 竦む僕の肩にトンと手が乗った。そろりと目を開けると華道くんは僕をジッと見つめていた。
 フッと少しだけ微笑んでくれる。

「もうひとりの僕だと思った」
「え!?」

 唐突な言葉に僕は呆気に取られた。

 僕が……、華道くんと同じ?

「誰のことも心に入れない。まるで透明な殻で覆われているみたいで近寄れない。僕とは形が違うだけで、直生と僕は同じだと思った」

 初めて華道くんと話をしたのはビルの屋上。
 あの時、華道くんは飛び降りしようとした僕を止めた。
 公園で見たから「気になって」あとをつけたと言っていた。でもそうじゃないんだ。たまたまじゃなくて、ずっと僕のことを気にかけてくれていた。

「だから……危ないなと思った。二階堂と松田の、次のターゲットに選ばれるんじゃないかって。周期的にも……」
「しゅう……き?」
「四人の生徒の行方不明の事件は、二年に一回起きていたんだ」

 華道くんが手のひらを広げ、指折り数えだした。

「あいつらが同じタイミングで学校に在籍していて、前の事件から二年目、ふたりの授業を受け、普段から目立たない、家庭環境が複雑、さらに直近にメンタルが弱るような何かが起こった」

 華道くんは一呼吸置き、ダメ押しのように言った。

「そして今日の、生徒指導室への呼び出し」

 華道くんはずっと僕を守ってくれていたんだ━━。
 いろんな格闘技を習っていたのも、二階堂先生と戦うことを想定して。学校のあちこちに武器を隠していたのも……。僕を守りつつ、お兄さんの敵を討つつもりで。なにも知らなかったとはいえ、怪しんで悪いことしちゃった……。

「これは……証拠もなにもないし、僕の考えすぎかもしれないけど……」

 華道くんは少し迷った表情になった。さっきまでと違う。

「……他にも何か?」
「保健の吉野先生」

 僕はハッと息を飲んだ。

「あの人も、あいつらに殺されたのだと思う」
「まさか、そんな……」

 信じられない。ううん。華道くんを疑っているわけじゃない。実際に二階堂先生たちに襲われていたって、その可能性を脳が遮断した。

「直生は吉野先生を信頼していただろ? 一年生の時から保健室によく行ってたよね?」

 その通りだった。多い時は週に一、二回は通っていた。保健室を避難場所にして、吉野先生とお昼ごはんまでして……。

「亡くなったことを知り、すぐに吉野先生の住んでいたアパート周辺を調べた。自殺だったらしい。首吊りだ。アパートの住人が近所の人間と話しているのを盗み聞きしただけだから、噂レベルだけど。七月で暑かったし、異臭がして気付いたとかなんとか……」

 保健室へ入ろうとして、中から松田先生の声がしたから諦めたことを思い出した。そのあとにも、吉野先生が松田先生の落とし物だとピンク色の定期を持ってた。あの時、吉野先生は妙に焦っていた。まるでなにかを隠すかのように。松田先生は吉野先生を狙って近づいていた……ってこと?

「アパートの中で殺し、そのあと首吊りに見せる工作をする。松田ひとりでは難しいかもしれない。でも共犯者がいれば可能だ。二階堂なら朝飯前だろ」
「……なんで、吉野先生まで」

 あんなに優しくて、良い先生を……。

「わからないけど……、直生が失踪する理由付けにしたかったのか。反対に、直生が失踪したことを疑問に持つ人間がいるとしたら吉野先生くらいしかいない。だから、先に消したかったのかもしれないね」
「ひどい……」

 華道くんは考え過ぎかもと言ったけど、その通りなんだろうと思った。僕と吉野先生には信頼関係ができていて、日頃からなんでも相談していると誤解(・・)していたのなら……。

「直生の家庭環境を、教師なら簡単に把握できる。祖父母との生活。母親代わりのおばあさんが亡くなった。翌月には学校でよりどころにしていた吉野先生まで……。そういう背景を警察が知れば、事件性はないと判断されるだろうと計算したんだろう」

 華道くんは一瞬黙り込み、淡々と続けた。

「どっちみち、証拠は隠蔽される。遺体がなければ、警察は動かない。動けない」

 呆然としている僕に、華道くんは強い口調で言った。

「僕らが相手にするのは、そういう狂人なんだ。──だから、ためらうな」

 全部、つじつまが合う。職員会議で部活がない日。残ってる生徒は僕ひとり。他の教師が帰宅後、施錠を確認する名目で校舎に細工をして、松田先生とふたりで僕をなぶり殺しにするつもりだったんだ。
 華道くんが持っていた鍵を使わず、体育館へ続くドアの前でバールを振り上げていた意味もようやく理解できた。
 
 ……待っていたんだ。もうひとりの狂人が現れるのを。華道くんがいなかったら……。

 絶望的な想像しかできない僕の肩を華道くんが掴んだ。

「僕が教室に入ってきた二階堂の背後からスタンガンを使うから、倒れた二階堂の顔めがけてスプレーするんだよ」
「……う、うん」
「外したら、今度こそ絞め殺されるかも」

 華道くんの言葉に喉がクッと絞まる。
 一瞬で蘇る記憶。嫌な冷気が僕の背中をゆっくりと舐め下ろす。
 殺菌スプレーのロックを外し、ノブを握り直した。

 華道くんが入口の壁に張り付き身を隠した。
 その姿は廊下のぼんやりとした緑色の非常灯を受け、完全に影になっていてシルエットしか見えない。

 人気(ひとけ)のない夜の実験室は妙に薬臭く感じられる。
 おばあちゃんが入院していた病院みたいだ。
 廊下から射し込む非常灯が、室内をぼんやり緑色に浮かび上がらせている。暗さに目が慣れてしまえば、そのぼんやりとした灯りだけで十分室内が見渡せるのではないかって不安に襲われた。でも、あの灯りがなければ僕らだって反撃できないんだ。

 恐怖に駆られ狼狽えて音を立てれば、二階堂先生の思うツボ。
 絶対に音を立てちゃいけない。
 僕は自分に言い聞かせた。

 静寂に包まれる空間。あんなに煩かった蝉の鳴き声も聞こえない。
 僕はほんのわずかな音も聞き逃さないよう息を詰め、耳を澄ませた。でも聞き耳を立てれば立てるほど耳鳴りが強くなっていく。
 不安が膨らむ。

 来るな。頼む、来ないで! もう僕のことは諦めて、どこかに逃げてくれたらいいのに!

 無理だとわかっていても願う。もう、常識などどこにもない。
 僕の祈りも虚しく、遠くでガラリと引き戸が開く音がした。

「──っ!」

 心臓がギュッと縮み上がり背筋が強張る。

 極限まで張り詰めていく緊張に、僕は自分の口を慌てて塞いだ。
 音はまだ遠い。でも確実に近づいてる。しばらくして、また引き戸が開く音。
 さっきよりも近い。
 一瞬止まった鼓動が、また忙しなく動き始める。
 次にキュッと音がした。足音だ。廊下を掴むゴム底の音。

 その音はまるで、もったいぶるかのようにゆったりと近づいてくる。
 僕は見開いていた両眼を固く瞑った。
 逃げ出せず、隠れるしかない状況が憎らしい。
 どうしようもなく震える体。背中を実験台に張り付かせ、誰に向けてかわからない救いを求めた。

 た、助けて!!

 絶望と混乱の中、楽し気な音が聞こえた。

 ……これは? ……鼻歌?

 軽やかなハミングに、僕は自分の耳を疑った。
 華道くんじゃない。二階堂先生でもない。
 見開いた目はチリチリと痛み、ジワリと滲む冷たい汗が頬を伝って、ポトッと床へ落ちた。
 恐怖と緊張に身を固くする僕の心に浮かぶ、僕じゃない感情。

 愉しい──

 それは暗がりに射した光のように温かく、柔らかな感覚。

 信じられないけど、今、僕はこの状況を楽しんでる。

 華道くんとホラーゲームをした。ふたりの協力プレイでゾンビをやっつけた。
 そうだよ。楽しい。これは狩りなんだ。哀れなまでに愛おしく震える獲物を前に、あいつが諦めるわけがないじゃないか。
 震え縮みあがる皮膚と心臓。血液は降下し僕の体を冷やす。体は完全に拒絶しているのに、なぜかウキウキ弾む気持ち。ちぐはぐな僕の心。でも止まらない。
 浅い呼吸は肺にまで到達しないで、体が次を求めて急かす。
 クラクラと目眩がするような感覚。
 僕の頭に浮かんだのは、歌うように囁やく妖艶な華道くんの声だった。

『ヤらなきゃ、ヤられるよ』

 ──きた。

 実験室のドアが開き、目が見開く。
 次の瞬間、バチバチと青い火花が散った。スタンガンだ。

 やった!

「ウガッ」

 二階堂先生の膝が落ちる。でも振り向きながら、華道くんへ殴りかかった。
 華道くんが壁に叩きつけられる。

「創くんっ!」

 二階堂先生はすぐさま太い腕を伸ばし、華道くんの首を絞めた。落ちていた膝がまっすぐになり、華道くんの足が床から離れる。

「ーーーーーーッ!」

 宙を掻くように足をばたつかせてもがいていた華道くんの動きがどんどん弱くなる。スタンガンを持っていた腕の力が抜け、ブランと腕が下がった。その手からボトッとスタンガンが落ちる。

『殺す殺す殺す』

 叫び声を上げ引き裂かれる僕の心に、二階堂先生の感情が入ってくる。

『殺す殺す殺す殺す殺す』

 二階堂先生の感情と共に、僕の血液が濁流のごとく体内を駆け回り始めた。辛いのに、嫌なのに、怖いのに、得体の知れない興奮が奥底から湧きだしてくる。まるで二階堂先生の心に侵食されていくみたいだ。僕はそれを振り払うよう、両眼をギュッとつぶり大きく頭を振った。目を開けると、先生に首を絞められた華道くんがぐったり頭を垂らし、ぶら下がっている。

 ……創くんっ!

「うわあああああああっ!」

 絶叫を上げ二階堂先生めがけ突進した。
 松田先生の時のように全身でタックルをぶちかましたけど、二階堂先生はビクともしない。それどころか、先生は左手で華道くんの首を締め上げながら、右手で僕の制服の襟首を掴み上げた。

「うげえ」

 僕の口から奇妙な音がした。襟首部分だけで僕を持ち上げ、体から引き剥がして勢いよく床へ叩きつける。

「ぐはっ!」

 打ち付けられ、跳ねた体が床を滑る。全身に痛みが走った。目がチカチカして前が見えない。狭くぼやけた視界の中に、黒い物体が見えた。華道くんのスタンガンだ。

「お前は次だ。待っとけ」

 先生の右手が華道くんの首に回った。両手で締めあげられ、華道くんが音にならない叫びを上げる。

 待ってられるか!

 僕は床を掻くようにスタンガンを掴んだ。親指でスイッチを押して腕を伸ばすと、そのまま二階堂先生のふくらはぎに打ち付けるように思いっきり押し当てた。

「うおああああああっ……!」

 ジジジジジッと電流の音と火花が散り、二階堂先生の背がのけぞった。片手を華道くんから外して僕を殴ろうとしたけど、寝そべる僕には届かない。ブンッと拳が空を切る。僕はふくらはぎからスタンガンを離し、もう一度打ち付け電流を浴びせた。二階堂先生が喚き声を上げ、腰がガクッと下がる。

 効いてるっ!

 僕は膝立ちになり、近くに合った丸椅子を片手で掴んで、振り返った勢いのまま二階堂先生の膝裏をグイッと押した。さらに先生がバランスを崩す。

 チャンスだ!

 二階堂先生の腰へスタンガンを突き立てるように押し付けた。

「ぐあああああっ」

 苦しがる二階堂先生がついに華道くんを手放した。ガクッと両ひざが落ちる。
 僕は立ち上がり、スタンガンを下向きに持ち換え、岩に剣を突きさすように二階堂先生の首筋にスタンガンを直接押し付けた。

「ああああああああああ」

 もう叫びとは言えない感電した声を上げる二階堂先生。その声が尽き、大きな体が電流に震えるさまを見届けるまで僕は電流を流し続けた。夢中だった。どれくらい電流を流したのか、やっと二階堂先生は意識を失くし、床に崩れ落ちた。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 呼吸が追いつかない。僕は我に返り華道くんに駆け寄った。
 床に倒れ込んでいた華道くんを抱き起す。

「創くん!? 創っ!!」

 華道くんの目がうっすら開いた。ゴホッゴホッと激しく咳き込みながら、僕の体に腕を回す。

「創くん! よかった!」

 抱き起こした華道くんの体を力いっぱいギュッと抱きしめた。

「に、かいどっ……は?」
「スタンガンで倒したよ! もう、動かないけど……死んだのかな?」

 そろりと倒れ込んでいる二階堂先生へ目を向ける。

「改造はしてあるけど、死ぬほどじゃないよ。気絶してるだけ」
「改造?」
「市販のスタンガンじゃ気絶すらしない。電気ショックで動けなくなるだけなんだ」

 さっきまでなにも考えてなくて必死だったけど、華道くんの言葉にホッとした。

「でもいつ目を覚ますかわからないから早く降りよう」
「そうだね、早く脱出しよ」

 華道くんは首を振った。

「ちがうよ。気絶してる間に拘束する」
「放っておけばいいよ」
「警察が来る前に逃げたらどうすんだよ」
「ええ!? ……んもう……」

 僕は歯痒さに苛立った。
 まずは自分たちの安全が一番でしょ! でも華道くんはそうじゃない。
 僕はあれだけ読み取れなかった華道くんの気持ちがわかるようになっていた。華道くんは本気で、二階堂先生と松田先生を警察へ引き渡そうと考えているんだ。きっと、お兄さんを見つけたいから。犯人が自供しなきゃ居場所は永遠にわからない。華道くんは正しい。僕だって生徒殺しの犯人を逃がしてはいけないって思うし……。

 考えていると、華道くんが焦った様子であっちこっちのポケットを探っている。

「どうしたの?」
「……鍵が無い」
「えっ?」

 体育館倉庫で、松田先生から取り上げた職員玄関の鍵だ。
 僕も慌てて辺りを見回し探した。鍵がなければ校舎から出られない。二階堂先生を拘束しても、ここから出られないなら警察だって呼べない。

「さ、探そう!」

 ふたりで暗がりの教室を四つん這いになり鍵を探していると、小さな呻き声が聞こえた。

「……うぅ……」

 顔を上げ、華道くんを見る。華道くんも動きが止まった。ふたりでそろりと背後を見ると、フラフラと立ち上がろうとしている二階堂先生が見えた。

「ぎゃああああああっ!」

 ふたり同時に悲鳴を上げる。

「……おまえら……八つ裂きにしてやる……」

 もう鍵どころじゃない。飛び上がるように僕たちは実験室から飛び出した。後ろも見ずに廊下を爆走する。後方でガシッと引き戸が揺れる音がした。

「待たんかあああ!」

 二階堂先生の怒号が廊下に響き渡る。
 だから待てるわけないって!!
 僕は恐怖と焦りに掻き立てられながら、必死で階段を下った。

 四階から三階まで降りると、華道くんが足を止めた。すぐ頭上で「うおおお」と咆哮を上げながら二階堂先生が降りて来る足音が聞こえる。

「創くんっ、何してんの!」

 華道くんが手に持っていたのは殺菌スプレーだった。目に入れば確かに攻撃力は高いけど、催涙スプレーと違って噴射力は水鉄砲みたいなもんだ。距離を詰められないのなら意味がない。二階堂先生はさっきの僕たちの反撃で、狩りの遊びの域をとうに越え、めちゃめちゃ怒ってる。捕まれば今度こそ、ゴリラのような腕力で死ぬまでボコボコにやられる。

「スプレーなんかじゃ……」

 そう言いかけた時、華道くんは殺菌スプレーをシュパシュパと階段の一番上に高速で噴きつけだした。立ち止まっている僕を振り返る。

「走れ!」
「うん!」

 華道くんがトラップを仕掛けたのを知って、走りながら叫ぶ。

「創くんも早く!」

 ふたりで二階の踊り場までたどり着いた時、頭の上で「うおあっ!」と叫び声が上がった。
 次の瞬間、ドダダダダダダッと大きな物が転げ落ちた音が響く。
 僕たちはアイコンタクトを交わし息を止めた。
 足を取られた先生が階段を滑り落ちたんだ。まだ降りてくる元気があるようなら次の攻撃を考えないといけない。

 シンと静まり返る空気。
 僕は慎重に小声を出した。

「静かに、なったね」
「…………」

 華道くんは無表情だった。僕に「ここにいろ」とジェスチャーして、降りてきた階段を様子を伺いながらゆっくり昇って行く。
 華道くんを待つ時間はすごく長く感じられた。
 なかなか降りてこない。どんどん不安が膨らんでいく。

 ……まさか、捕まったとか?

「直生」

 小さな声で呼ばれ、僕はバッと顔を上げた。
 華道くんの姿は見えない。でも僕を呼んでいる。僕は少しだけ安心して、階段へ足をかけた。数段昇ると、暗闇にうっすらと華道くんの頭部が見えた。一段、一段、上がるにつれ、華道くんの姿が見えてくる。

「創く……」

 華道くんは何かを見下ろしているようだった。僕は階段を登り切り、華道くんの足元にある物体を見た。二階堂先生が転がっている。大きな塊はぐったりとしていてピクリとも動かなかった。首が不自然な方向にねじ曲がっている。僕は二階堂先生を避けながら、華道くんのそばへ歩みより、横にくっつくように立った。

「……し、死んでるの?」
「うん。死んでる」

 華道くんは気の抜けたような表情でポツンと言った。
 さっきまでの活気もワクワク感も、今はなにも感じられない。華道くんの心はポッカリ空いた空洞のようになっている。僕にはそう感じられた。

「創くん」

 クライマックスはあっけなく終わってしまった。
 物寂しそうな姿に、なんて励ましたらいいのかもわからない。

「……行こう」

 華道君は僕の手を取り、二階堂先生を避け、階段を上がって行った。

「どこへ行くの……?」

 華道くんは制服の下から銀色のチェーンを引っ張り出した。鍵がついている。

 また……。

 僕は目を細め、微笑んだ。華道くんもそっと口元だけで笑い、ゆっくり口を開いた。

「嘘ついてごめん。鍵はこれで全部だよ」