僕が不老不死の君と旅する理由〜八百比丘尼

その尾鰭(おびれ)から、怪しい光を伴った何かが、幾度となく這い上がろうとしている。
「私…もう離れたくないよ」
「大丈夫だよ。これからはずっと一緒だから」
やがてその光は、二人の身体を包み込んだ。

それは永遠に許されない温もりの、最期の瞬間だった。

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「な、なぜ?なぜあの娘が人間なぞに・・・」

豊玉の表情が凍りついたようにこわばった。

永遠の愛を誓い合ったはずの彼女が、人間の肌の温もりを覚えた。
それは永遠にこの世界に戻れないことを意味していた。

海を司る海神族の長、豊玉(トヨタマ)姫は、初めて味わう感情に身を震わせた。
最も愛した者を奪われた絶望感。
何かが剥がされるような別れの痛み。

「どうして…私…どうすればいいの…?」
その声は小さく、震えている。

「たかが人間如きに・・・」
それまで感じたことのない嫉妬と復讐の炎が一気に芽生えた。衝動が抑えきれない。
そのとき、美しい女神の心に一瞬だけ邪鬼が宿った。

「呪ってやる…!!」

「あの人間の一族を呪いの炎で永遠に焼き尽くしてやる。末代まで続く不老不死、永遠に続く孤独、さあ、思う存分に味わうがよい!」

豊玉の叫びは、神々も身震いするほど強力な言霊となった。
そして、あの一族の身体の奥底に静かに根を下ろした。

-

そして時は過ぎる。

豊玉姫の妹、玉依(タマヨリ)。彼女は姉の苦悩を心から心配していた。
「姉さん、このまま心まで壊れてしまうんじゃ…もし、もしそうなったら永遠に呪いの応酬が続いてしまう…」

時とともに不安が増していく。
「恐ろしい呪いの連鎖だけは、どうにか止めなきゃ…」

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あるとき、玉依は豊玉に尋ねた。

「姉さん、あの呪い、そろそろ解いてみてはどうでしょうか?もういくつもの代に渡り続いているのですから」

「そう。もうそんなに経つのですね。人間の命って本当に儚いもの」
豊玉は虚な目をして答えた。

「彼らはもう充分に罪を償ってきたではありませんか。私は呪いが永遠に続くなんてことは絶対に嫌。そんなことになったら、姉さん、本当に邪鬼になってしまいますよ」
玉依の声は震えている。

初めて見る、妹の涙だった。
豊玉はしばらく黙ったまま、呪いの意味を考えた。
愛するたった一人の妹を、ここまで追い詰めてしまった、その呪いの意味を。

そのとき穏やかな波が、彼女の足元を洗った。
ふと美しい砂浜で、ある男の神と出会った時のことを思い出した。

「ホオリ、私、どうしたら…」

彼は人間たちと共に、新しい国を作っていた。彼女はその話を幾度となく聞かされてきた。その話をする彼の楽しげな姿が大好きだった。そして人間たちのことも・・・

「そういえば、私は…人間たちが好きだった。互いに助け合い、幸せにこの国を作ってきた」
涙声だった。
「姉さん…」
玉依は言葉に詰まった。

豊玉は顔を上げた。
「わかりました。次にあの一族に生まれる子で、この呪いを解きましょう」

しかし

その呪いは驚くほど強い力を持っていた。
それを解くには、その対象が女性でなければならない。
しかも呪いの力に見合うような強い心を持たない場合、解呪に失敗する。
そして人間の魂は永遠に苦しみの中で悶え続けることになる。

「許したい。でも…」
豊玉は後悔した。
「いや、もとはといえば人間が仕掛けてきたことなのだから」
そう自らを納得させようとしたのだが、このままでは恐ろしい結末となることは充分にわかっていた。
「もう後戻りは出来ぬ」

そして心を決めた。

「私たちの力で、この呪いを解いてみせよう。ただし失敗は許されない」

言霊が宙を舞う。
ただ、その先に言うべき言葉は、伏せられた。

次に豊玉姫は自分の一族の中で、特に信頼できるものを、まだ赤子を身籠っている母と父のもとに送り出した。

「必ずや、事を成し遂げよ」

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そして幼く、頼りなく、優しく、純朴な少女「沙穂(サホ)」が誕生した。

彼女の精一杯の泣き声が、永遠の時を予感させるように響く。
彼女の無垢な瞳の奥には、数百年にわたる神々と人間の軋轢が宿っている。

しかし彼女はまだ、自らの運命を知らない・・・