フォーン、と電車の警笛が鳴り響いた。
「お、電車動くんじゃね?」
葛西くんが言った通り、停まっていた電車はようやくゆっくりと動き出した。
真っ暗だった窓の外が、トンネルの出口に近づくにつれてどんどん明るくなっていく。晴天の下に出た途端、車内は別世界へ脱出したようにパッと明るくなった。
「よかった……。このまま降ろされるのかと思ったよ」
三十分ほど閉じこめられていたらしい。スケジュールは少し変わってしまったけれど、大幅なロスでもない。
車内アナウンスが流れて、停止の原因は車両の不具合だったと告げた。整備は無事に終わったようだ。
電車は何事もなかったかのように進み、おれたちを目的の終点まで連れていってくれた。電車を降りると駅のロータリーへ向かい、あさひ町行きのバスに乗り返る。
「たぶん到着するの三時くらいになるから、あんまり長居はできないね」
「夕方に出れば大丈夫だろ。写真撮ったりするだけなんだし、そんなに時間はかけないって」
にぎやかだった駅前から離れるにつれ、外の景色はどんどん寂しくなっていく。終点のバス停で下車すると、おれたちは荷物を足元へ置いて辺りを見渡した。
下調べしていた通り、こじんまりとした静かな住宅街だ。目の前には小さな集会場と公園、そして民家がずらりと立ち並んでいる。どの家も築年数が経過していて、庭に出ている洗濯ものや雑多な鉢植えが生活感を漂わせていた。
「よそ者すぎて、俺ら浮いてそうだな」
葛西くんの言う通り、顔見知り同士のコミュニケーションが出来上がっている地域では、自分たちのような学生は目立つかもしれない。少なくとも地元の高校生でないことは、すぐにバレるだろう。
「あ、場所こっちだよ」
スマホの地図を頼りに、おれが先陣を切って歩く。重い荷物を抱えてくれた志度くんがその後に続き、最後尾の葛西くんはそんなおれたちをスマホで撮影する。
どこまでも似たような風景が続くので、迷ってしまいそうだ。せっかく動画を撮ってもらっているんだから、目的地を通り過ぎないようにしなくては。
そう思いながら歩いていると、辺りの空気が急にカビ臭い湿ったものに変わった。日当たりが悪いせいか、少し肌寒い。
「こっちで道、あってるはずなんだけど」
どこかとんでもない僻地へ向かっているような気がして、不安になる。
そして、沿うように歩いてきたコンクリートの塀を曲がったとたん、おれはギョッとして立ち止まった。背後の二人も、同じように息を呑んだのが分かる。
「なにこれ……」
目の前に現れたのは、大量の貼り紙だった。
『いちにちを はじめるさわやか あいさつで』
『どうしたの こえをかけあい た―けあう』
『きゅうしょノで きょつもげんきに いたたきます』
赤、青、黒、緑、色とりどりの拙い文字が重なりあい、風に揺れている。
そこには、子どもが書いたと思しき貼り紙で全体を覆われた一軒家が建っていた。
レンガの塀も、家の壁も、窓も、屋根でさえ、外から見える部分はほとんど貼り紙で覆い隠されている。
静かな住宅街にとつぜん現れた異様な光景に、背筋がぞっと痺れた。
「え……ッ? こ、ここだよね……?」
何度も地図を確認してみたけれど、モザイクのかかっていた場所で間違いない。すっかり褪色して判読不能になった貼り紙が、おれたちを笑うようにカサカサと音を立てて揺れている。
「おいおい……マジで洒落になってねぇって」
おどけようとした葛西くんの乾いた笑い声さえ、貼り紙の音にかき消されてしまった。
貼り紙の文字はクレヨンやマジックで直接書き込んだものもあれば、パソコンで印字されたもの、書道用の筆で書かれたものもある。
用紙の種類もコピー用紙、画用紙、わら半紙と多種多様で、色あせた紙の上にどんどん新しく紙が貼り付けられているようだった。
「この貼り紙、ぜんぶ標語かなんかですよね。小学校の校門とかに貼られてるやつ」
塀に貼られている紙を間近で眺め、志度くんが呟く。
「そ、そうだね……小学校の授業で、こういうの書かされた記憶ある」
「俺も。コンクールとかに出して、優秀作品が貼り出されたりしてな」
なつかしいよね……と、三人でぎこちなく笑う。
なぜそんなものが民家へ大量に貼られているのか、目の前の異常な光景には誰も触れられなかった。
ストリートビューでモザイクがかかっていたのは、このせいだったんだ。
「とりあえず、これも動画に撮っておくか。どうせモザイクかかるけど」
スマホを構え、葛西くんが貼り紙の家を撮影する。
錆びたアルミ製の門扉に近づくと、『管理物件 ヒカリホーム』と書かれた看板が掲げてあった。ここを売っている不動産会社の名前だろうか。どう見ても、まともに管理されてるとは思えないけど。
おれはストリートビューの人影を思い出し、家と家の間にある狭い裏路地を確認した。だけど、そこには空のプランターがぽつんと置いてあるだけで、誰もいなかった。
当たり前だ。
「葛西くん、近所の家が入らないように気を付けてね」
熱心に撮影している葛西くんに声をかけると、彼はスマホをいったん降ろした。
「大丈夫だって。つか、両隣も空き家っぽくねーか?」
家の両隣には、似たような一軒家がそれぞれ建っている。どちらも庭に雑草が生い茂り、窓にカーテンはない。
この異様な家を嫌がって、近隣住民たちは引っ越してしまったのかもしれない。もしこれがホラー映画の舞台だったら、両隣の家も呪われて失踪したという設定になるんだろうか。
「火事の影響で、周りの家も住めなくなったのかもね。家が焼けなかったとしても、煙でススがついちゃって部屋が真っ黒になることもあるだろうし」
悪い想像をしても仕方ないので、頭に浮かんだ理由を適当に言ってみる。
すると、突然『グウウウ』と低い音が鳴った。おれの腹からだ。
「ご……ごめん……」
朝、バタバタしてちゃんと食べてこなかったせいだ。
虫の鳴っている個所を慌てて隠すと、二人はちょっと笑った。
「電車遅延で急いでたから、昼飯食う時間なかったもんな」
「いまの音、動画に入ってないよね?」
「入ってない、入ってない」
「さっき降りたバス停の近くに、ラーメン屋ありましたよね。俺も腹減りました」
「よっしゃ、飯食いにいくか。現地の動画はとりあえずとれたし、あとは図書館とか部室で調べものしてるシーンがあれば十分だろ」
スマホの時計は十六時を示している。ご飯を食べても、帰りのバスはなんとか間に合いそうだった。
「お、電車動くんじゃね?」
葛西くんが言った通り、停まっていた電車はようやくゆっくりと動き出した。
真っ暗だった窓の外が、トンネルの出口に近づくにつれてどんどん明るくなっていく。晴天の下に出た途端、車内は別世界へ脱出したようにパッと明るくなった。
「よかった……。このまま降ろされるのかと思ったよ」
三十分ほど閉じこめられていたらしい。スケジュールは少し変わってしまったけれど、大幅なロスでもない。
車内アナウンスが流れて、停止の原因は車両の不具合だったと告げた。整備は無事に終わったようだ。
電車は何事もなかったかのように進み、おれたちを目的の終点まで連れていってくれた。電車を降りると駅のロータリーへ向かい、あさひ町行きのバスに乗り返る。
「たぶん到着するの三時くらいになるから、あんまり長居はできないね」
「夕方に出れば大丈夫だろ。写真撮ったりするだけなんだし、そんなに時間はかけないって」
にぎやかだった駅前から離れるにつれ、外の景色はどんどん寂しくなっていく。終点のバス停で下車すると、おれたちは荷物を足元へ置いて辺りを見渡した。
下調べしていた通り、こじんまりとした静かな住宅街だ。目の前には小さな集会場と公園、そして民家がずらりと立ち並んでいる。どの家も築年数が経過していて、庭に出ている洗濯ものや雑多な鉢植えが生活感を漂わせていた。
「よそ者すぎて、俺ら浮いてそうだな」
葛西くんの言う通り、顔見知り同士のコミュニケーションが出来上がっている地域では、自分たちのような学生は目立つかもしれない。少なくとも地元の高校生でないことは、すぐにバレるだろう。
「あ、場所こっちだよ」
スマホの地図を頼りに、おれが先陣を切って歩く。重い荷物を抱えてくれた志度くんがその後に続き、最後尾の葛西くんはそんなおれたちをスマホで撮影する。
どこまでも似たような風景が続くので、迷ってしまいそうだ。せっかく動画を撮ってもらっているんだから、目的地を通り過ぎないようにしなくては。
そう思いながら歩いていると、辺りの空気が急にカビ臭い湿ったものに変わった。日当たりが悪いせいか、少し肌寒い。
「こっちで道、あってるはずなんだけど」
どこかとんでもない僻地へ向かっているような気がして、不安になる。
そして、沿うように歩いてきたコンクリートの塀を曲がったとたん、おれはギョッとして立ち止まった。背後の二人も、同じように息を呑んだのが分かる。
「なにこれ……」
目の前に現れたのは、大量の貼り紙だった。
『いちにちを はじめるさわやか あいさつで』
『どうしたの こえをかけあい た―けあう』
『きゅうしょノで きょつもげんきに いたたきます』
赤、青、黒、緑、色とりどりの拙い文字が重なりあい、風に揺れている。
そこには、子どもが書いたと思しき貼り紙で全体を覆われた一軒家が建っていた。
レンガの塀も、家の壁も、窓も、屋根でさえ、外から見える部分はほとんど貼り紙で覆い隠されている。
静かな住宅街にとつぜん現れた異様な光景に、背筋がぞっと痺れた。
「え……ッ? こ、ここだよね……?」
何度も地図を確認してみたけれど、モザイクのかかっていた場所で間違いない。すっかり褪色して判読不能になった貼り紙が、おれたちを笑うようにカサカサと音を立てて揺れている。
「おいおい……マジで洒落になってねぇって」
おどけようとした葛西くんの乾いた笑い声さえ、貼り紙の音にかき消されてしまった。
貼り紙の文字はクレヨンやマジックで直接書き込んだものもあれば、パソコンで印字されたもの、書道用の筆で書かれたものもある。
用紙の種類もコピー用紙、画用紙、わら半紙と多種多様で、色あせた紙の上にどんどん新しく紙が貼り付けられているようだった。
「この貼り紙、ぜんぶ標語かなんかですよね。小学校の校門とかに貼られてるやつ」
塀に貼られている紙を間近で眺め、志度くんが呟く。
「そ、そうだね……小学校の授業で、こういうの書かされた記憶ある」
「俺も。コンクールとかに出して、優秀作品が貼り出されたりしてな」
なつかしいよね……と、三人でぎこちなく笑う。
なぜそんなものが民家へ大量に貼られているのか、目の前の異常な光景には誰も触れられなかった。
ストリートビューでモザイクがかかっていたのは、このせいだったんだ。
「とりあえず、これも動画に撮っておくか。どうせモザイクかかるけど」
スマホを構え、葛西くんが貼り紙の家を撮影する。
錆びたアルミ製の門扉に近づくと、『管理物件 ヒカリホーム』と書かれた看板が掲げてあった。ここを売っている不動産会社の名前だろうか。どう見ても、まともに管理されてるとは思えないけど。
おれはストリートビューの人影を思い出し、家と家の間にある狭い裏路地を確認した。だけど、そこには空のプランターがぽつんと置いてあるだけで、誰もいなかった。
当たり前だ。
「葛西くん、近所の家が入らないように気を付けてね」
熱心に撮影している葛西くんに声をかけると、彼はスマホをいったん降ろした。
「大丈夫だって。つか、両隣も空き家っぽくねーか?」
家の両隣には、似たような一軒家がそれぞれ建っている。どちらも庭に雑草が生い茂り、窓にカーテンはない。
この異様な家を嫌がって、近隣住民たちは引っ越してしまったのかもしれない。もしこれがホラー映画の舞台だったら、両隣の家も呪われて失踪したという設定になるんだろうか。
「火事の影響で、周りの家も住めなくなったのかもね。家が焼けなかったとしても、煙でススがついちゃって部屋が真っ黒になることもあるだろうし」
悪い想像をしても仕方ないので、頭に浮かんだ理由を適当に言ってみる。
すると、突然『グウウウ』と低い音が鳴った。おれの腹からだ。
「ご……ごめん……」
朝、バタバタしてちゃんと食べてこなかったせいだ。
虫の鳴っている個所を慌てて隠すと、二人はちょっと笑った。
「電車遅延で急いでたから、昼飯食う時間なかったもんな」
「いまの音、動画に入ってないよね?」
「入ってない、入ってない」
「さっき降りたバス停の近くに、ラーメン屋ありましたよね。俺も腹減りました」
「よっしゃ、飯食いにいくか。現地の動画はとりあえずとれたし、あとは図書館とか部室で調べものしてるシーンがあれば十分だろ」
スマホの時計は十六時を示している。ご飯を食べても、帰りのバスはなんとか間に合いそうだった。
