「ちょっとマコちゃん! あんた、ちょっとこっち来なさいよ」
新校舎の一階には、部活勧誘のチラシを貼る大きな掲示板がある。事故研のチラシを貼りにいったおれは、その帰りに事務室の職員に呼び止められた。
「安藤さん、どうしたんですか?」
安藤さんは、ここの事務室に20年以上前から務めているベテラン職員だ。おれが事故研を立ち上げたとき、申請書の書き方をあれこれ教えてくれたのも彼女だった。以来、彼女はおれのことを「マコちゃん」と呼んでくる。
アクリル板で遮られている窓口へ駆け寄ると、安藤さんが小声で話しかけてきた。
「さっき、変な電話がきて大変だったんだから。うちの生徒が、その人の家に勝手に出入りしてるって怒鳴ってたみたい」
「ええ?」
突拍子もない話に、おれはへんな声を上げてしまった。
「そんなことする人、うちの学校にいますかね。だいたい、本当に家に侵入してるんなら警察に言えばいのに……」
安藤さんはやけに真剣な顔で、おれのことをじっと見つめた。
「マコちゃん、あんた部活で変なとこに行ってないわよね。事故物件? だかなんだかの調査してるんでしょ」
どうやら安藤さんは、事故研メンバーが空き家に侵入したんじゃないかと疑っているようだった。
まさかの質問に、慌てて首を横に振る。
「は、入ってませんよ。うちは事故物件の中に入らないルールなんです。おれ以外の部員も、勝手に人の家に侵入するなんてこと絶対にしません」
安藤さんは「まぁ、そうよね」と言って腕組みする。
「いちおう先生たちにも伝えておくけど、あんたたちも気を付けなさいよ。家の周りをウロウロしてたら、通報されるかもしれないんだから」
「は、はい……」
担任や生活指導の先生にも呼び出されたりするのだろうか。なにもしてないはずなのに、とばっちりだ。
「私も録音聞いんだけど、暴言がすごかったんだから。殺すぞとか、ふざけるなとか。そもそも本当にうちの生徒かも分からないし、本当の話じゃないかもしれないけどね。変な人ってどこにでもいるしさ」
いったい、どういう経緯でそんな電話をしてきたんだろう。安藤さんの予想した通り、空き家に侵入された誰かが抗議してきたのだろうか。だとしても、ものすごい怒り方だ。
「安藤さん。その録音した音源ってもらうことできませんか」
おれの申し出に、安藤さんはメガネの奥の瞳をするどく釣り上げた。
「アンタ、そんな事できるわけないじゃない」
「そ、そうですよね。じゃあ、ここで録音を聞くこともダメですか。うちの部に関係があったら、怖いので……」
「関係があるようだったら、顧問の先生が動くでしょ」
「うちの顧問、園田先生です」
普段からあまりやる気を見せない顧問の名前を告げると、安藤さんは眉をぐっとしかめた。
「……あの先生、ぜんぜんやることやらないからね」
ちょっと考えたあと、安藤さんはおれを手招きして事務室に入れてくれた。職員の人は他にもたくさんいたけれど、みんな忙しそうでおれの事は見ていない。
一番隅にあるデスクで、安藤さんはパソコンを起動させてとある音源フォルダを開いた。
「このファイルが音源データだから、クリックすると始まるわよ。音漏れしないように、ヘッドセット使って」
「あ、ありがとうございます……! 録音の内容って、文字起こしして良いですか」
「いいけど、私が聞かせたことは内緒だからね」
寛容な安藤さんに感謝して、おれはマウスをクリックする。
そして突然ヘッドホンから流れてきた怒鳴り声に、おれは驚きのあまり肩をビクッと震わせてしまった。
――あさひ町の! 2丁目の家だよ! 勝手してるんじゃねぇぞクソども! ぶち殺すぞ全員、おい、ころ、殺すぞ、ふざけやがって、おい、クソガキども
おれは慌てて安藤さんのノートパソコンを引き寄せ、流れてくる音源をタイピングした。あまりに感情的になっているせいで事の経緯は分からないけれど、とにかくその人は「家に勝手に入られた」ことに激怒しているようだった。
どこからかけてきているのか、後ろで何かが燃えているような音が聞こえる。たき火のような、暖炉のような、パチパチと火の粉が上がる音。
それに耳を澄ませていると、相手の人は奇妙なタイミングで名前を名乗った。
「タナベです」
声も口調も、さっきまでと少し違う。まるで背後に誰かが立って、一緒に喋ってるみたいだ。
そして最後。
「むかえにぃいくの」
やけに間延びした声が聞こえたあと、ブツリと電話は切れた。
最初から最後まで、意味が分からない苦情だった。
「あさひ町、2丁目……」
会話の中で拾えた住所をスマホで検索してみると、県内にある住宅街が出てくる。やや古くてこじんまりした、いたって普通の街並みだ。
おれはいつも部活で検索用に使っている不動産サイトを思い出し、スマホからアクセスした。事故物件を中心に、訳ありのアパートや一軒家を紹介している賃貸サイトだ。
住所で希望条件を絞り込んでみると、一件だけヒットした。
「あった!」
サイトに物件の写真はない。代わりに、短い説明文だけが表示されていた。
№8532
更新日 令和4年8月10日
〇〇県〇〇市あさひ町2丁目1―12
木造二階建て
火災による死亡事故あり、室内リフォーム済
瑕疵物件として1750万円で売り出し中
【以下報告あり】
和室に真っ黒な男性の幽霊
「やっぱり、事故物件だったんだ……」
たまたま持っていたチラシを裏返し、おれはサイトに掲載された住所を書き写した。
――むかえにぃいくの
動画をわざとゆっくり再生したような、舌ったらずで奇妙な声。ヘッドホンを外したあとも、その声はずっと鼓膜にまとわりついているような気がした。
新校舎の一階には、部活勧誘のチラシを貼る大きな掲示板がある。事故研のチラシを貼りにいったおれは、その帰りに事務室の職員に呼び止められた。
「安藤さん、どうしたんですか?」
安藤さんは、ここの事務室に20年以上前から務めているベテラン職員だ。おれが事故研を立ち上げたとき、申請書の書き方をあれこれ教えてくれたのも彼女だった。以来、彼女はおれのことを「マコちゃん」と呼んでくる。
アクリル板で遮られている窓口へ駆け寄ると、安藤さんが小声で話しかけてきた。
「さっき、変な電話がきて大変だったんだから。うちの生徒が、その人の家に勝手に出入りしてるって怒鳴ってたみたい」
「ええ?」
突拍子もない話に、おれはへんな声を上げてしまった。
「そんなことする人、うちの学校にいますかね。だいたい、本当に家に侵入してるんなら警察に言えばいのに……」
安藤さんはやけに真剣な顔で、おれのことをじっと見つめた。
「マコちゃん、あんた部活で変なとこに行ってないわよね。事故物件? だかなんだかの調査してるんでしょ」
どうやら安藤さんは、事故研メンバーが空き家に侵入したんじゃないかと疑っているようだった。
まさかの質問に、慌てて首を横に振る。
「は、入ってませんよ。うちは事故物件の中に入らないルールなんです。おれ以外の部員も、勝手に人の家に侵入するなんてこと絶対にしません」
安藤さんは「まぁ、そうよね」と言って腕組みする。
「いちおう先生たちにも伝えておくけど、あんたたちも気を付けなさいよ。家の周りをウロウロしてたら、通報されるかもしれないんだから」
「は、はい……」
担任や生活指導の先生にも呼び出されたりするのだろうか。なにもしてないはずなのに、とばっちりだ。
「私も録音聞いんだけど、暴言がすごかったんだから。殺すぞとか、ふざけるなとか。そもそも本当にうちの生徒かも分からないし、本当の話じゃないかもしれないけどね。変な人ってどこにでもいるしさ」
いったい、どういう経緯でそんな電話をしてきたんだろう。安藤さんの予想した通り、空き家に侵入された誰かが抗議してきたのだろうか。だとしても、ものすごい怒り方だ。
「安藤さん。その録音した音源ってもらうことできませんか」
おれの申し出に、安藤さんはメガネの奥の瞳をするどく釣り上げた。
「アンタ、そんな事できるわけないじゃない」
「そ、そうですよね。じゃあ、ここで録音を聞くこともダメですか。うちの部に関係があったら、怖いので……」
「関係があるようだったら、顧問の先生が動くでしょ」
「うちの顧問、園田先生です」
普段からあまりやる気を見せない顧問の名前を告げると、安藤さんは眉をぐっとしかめた。
「……あの先生、ぜんぜんやることやらないからね」
ちょっと考えたあと、安藤さんはおれを手招きして事務室に入れてくれた。職員の人は他にもたくさんいたけれど、みんな忙しそうでおれの事は見ていない。
一番隅にあるデスクで、安藤さんはパソコンを起動させてとある音源フォルダを開いた。
「このファイルが音源データだから、クリックすると始まるわよ。音漏れしないように、ヘッドセット使って」
「あ、ありがとうございます……! 録音の内容って、文字起こしして良いですか」
「いいけど、私が聞かせたことは内緒だからね」
寛容な安藤さんに感謝して、おれはマウスをクリックする。
そして突然ヘッドホンから流れてきた怒鳴り声に、おれは驚きのあまり肩をビクッと震わせてしまった。
――あさひ町の! 2丁目の家だよ! 勝手してるんじゃねぇぞクソども! ぶち殺すぞ全員、おい、ころ、殺すぞ、ふざけやがって、おい、クソガキども
おれは慌てて安藤さんのノートパソコンを引き寄せ、流れてくる音源をタイピングした。あまりに感情的になっているせいで事の経緯は分からないけれど、とにかくその人は「家に勝手に入られた」ことに激怒しているようだった。
どこからかけてきているのか、後ろで何かが燃えているような音が聞こえる。たき火のような、暖炉のような、パチパチと火の粉が上がる音。
それに耳を澄ませていると、相手の人は奇妙なタイミングで名前を名乗った。
「タナベです」
声も口調も、さっきまでと少し違う。まるで背後に誰かが立って、一緒に喋ってるみたいだ。
そして最後。
「むかえにぃいくの」
やけに間延びした声が聞こえたあと、ブツリと電話は切れた。
最初から最後まで、意味が分からない苦情だった。
「あさひ町、2丁目……」
会話の中で拾えた住所をスマホで検索してみると、県内にある住宅街が出てくる。やや古くてこじんまりした、いたって普通の街並みだ。
おれはいつも部活で検索用に使っている不動産サイトを思い出し、スマホからアクセスした。事故物件を中心に、訳ありのアパートや一軒家を紹介している賃貸サイトだ。
住所で希望条件を絞り込んでみると、一件だけヒットした。
「あった!」
サイトに物件の写真はない。代わりに、短い説明文だけが表示されていた。
№8532
更新日 令和4年8月10日
〇〇県〇〇市あさひ町2丁目1―12
木造二階建て
火災による死亡事故あり、室内リフォーム済
瑕疵物件として1750万円で売り出し中
【以下報告あり】
和室に真っ黒な男性の幽霊
「やっぱり、事故物件だったんだ……」
たまたま持っていたチラシを裏返し、おれはサイトに掲載された住所を書き写した。
――むかえにぃいくの
動画をわざとゆっくり再生したような、舌ったらずで奇妙な声。ヘッドホンを外したあとも、その声はずっと鼓膜にまとわりついているような気がした。
