事故物件シークレット研究会

翌日、事故研では『部室に人が溢れる』という創立以来初めての異常事態が発生していた。

「ねぇ、狭いからそっち詰めてよ」
「こっちだってもう空きないんだけど」
「うちってこんな古い校舎あったんだ。ホコリっぽくてやだ~」
 その大半は一年生の女子で、皆いそいそと手鏡をのぞきながら前髪をチェックしている。古ぼけた部室は彼女らの訪問でとつぜん華やぎ、昨日までとは別空間と化していた。
 この子たちは全員、事故物件研究会への入部希望者だ。放課後に突然「入部したいんです」と大勢で押しかけられ、急きょ入部説明会を開くことになってしまった。
 こんなに入部希望者が来てくれるなんて、本来ならめちゃくちゃ嬉しい、はずなんだけれど。
「ていうか、夏目くんってまだ来ないんですか? 入部説明会ってこれからなんですよね?」
 彼女たちの目的はもちろん、昨日ここへ仮入部した夏目くんである。
 まぁ、分かってはいたけど。

 夏目くんの勧誘に命をかけていたテニス部が「もう事故物件研究会に仮入部しました」とあっけなく振られたニュースは、一瞬で校内を駆け巡った。
 学園のアイドル夏目玲央が、マイナーな弱小同好会へ仮入部したという大事件。彼に憧れる女子生徒は、当然ながらその部を探しまわった。
 事故物件研究会ってなに? そんな部あったっけ? などと徹底的に捜索した結果、この部室へたどり着いたらしい。

「あの、夏目くんは委員会があるので遅れてくるそうです。だから、説明会は先に始めちゃいますね」
 狭い部室へぎゅうぎゅうに入っている女子に圧迫されながら、おれはホワイトボード前になんとか移動して声を張り上げる。
 とたん、部室の温度は氷点下までギュンと下がった。
「……夏目くんが来ないんなら、帰ろうかな」
 誰かの声に、数人が反応して席を立とうとする。
「えッ、あの、ちょっとだけでも説明を……」
 慌てて引き留めようとするおれの姿は、残念ながら誰にも見えてない。
 けれど、彼女らは部室の後ろに立っている葛西くんを見るなり、嬉しそうにヒソヒソ話を始めた。
「あのひと三年生? カッコよくない?」
「夏目くんも、あの先輩も、みんなここの部員ってことでしょ。やば、ビジュ強い」
 女子の視線に気が付いたのか、葛西くんはニッと笑ってそちらに手を振る。
「狭くてごめんな。もう始まるからさ」
 優しくて親し気なその声に、彼女らは小声でキャアと叫びながらすぐさま席に戻ってくれた。
 さすが葛西くん、ありがとう……。モテる男子の吸引力はすごい。
 
「で、では、入部説明をはじめますね。プリントが足りなかったので、活動の概要をこっちのホワイトボードに書きました」
 上擦った声でおれがそう言うと、女子生徒たちの期待に満ちた視線がこちらに集まった。こんなに大勢の前で話すことに慣れていないので、緊張で息が上がってしまう。
「えっと……事故物件研究会はその名の通り、事故物件を調査しています。その活動をする上で、ルールが3つあります」
 そう言いながら、おれはホワイトボードの文字へ下線を引いた。
「その1、物件の中に立ち入らないこと。当たり前ですけど、事故物件は管理されている他人の所有物です。肝試し感覚で、中に入って写真や動画を撮るのは禁止です」
 とたん、部室からザワザワと声が上がった。女子の一人が、眉を寄せながら手を挙げる。
「じゃあ、夏目くんと一緒に肝試しできないってことですか」
「……まぁ、そういうことになりますね……」
 そもそも、肝試しする部じゃないんだけど。
「ええ、なにそれ。つまんない、意味ないよね」
 これは一昨年も去年も言われてきたことだ。
――事故物件に入れないなんて、つまらない。
――せっかく葛西くんたちと肝試しで仲良くなれると思ったのに。
 不満げなあちこちから声が上がり、雲行きが怪しくなってくる。
 空気を変えるため、おれはルールその②へ線を引いた。
「その2、調査はあくまで資料を元に行うこと。実地調査ができない代わりに、図書館で過去の新聞を探したり、家の間取りを賃貸サイトで調べたりしてます。おすすめの方法は……」
 と言いかけて、おれは口をつぐんだ。
 椅子に座っていた女子たちは、すでに誰一人としてホワイトボードを見ていなかった。8割はスマホを退屈そうにいじり、残り2割はおしゃべりに集中している。
 この話、そんなにつまらないだろうか。焦りと不安で、ペンを持つ手に汗が滲む。
「あの、これが最後です。ルール3、活動の強制は禁止。うちは同好会なので、いつ集まって何をするかは基本的に自由です。だから、放課後に必ず部員が揃うわけじゃありません。好きなときに来てもらって大丈夫です」
 そう説明するなり、つまらなそうにしていた全員がいっせいにガバッと顔を上げた。
「つまり、ここに来ても夏目くんと話す機会はないかもしれないってこと?」
「まぁ、その可能性も、ありますね……」

 十分後。
 我が事故物件研究会の部室は、いつも通りの静けさを取り戻していた。
「……ごめん二人とも。おれ、切腹してお詫びします」
 まさか、誰一人として残らないなんて。
 もっとうまく説明できていたら、そもそもおれが説明しなければ、数人は入部してくれたかもしれないのに。
 机に突っ伏して撃沈するおれの背中を、葛西くんがポンポンと撫でて慰めてくれた。
「いや、切腹すんなし。つーか、こうなることは読めてたしな。俺らとあの子たちじゃ、目的が違いすぎるんだよ」
「そうっすよ。地道に勧誘しましょう」
 部室の外からずっと見守っていた志度くんも、同じようにフォローしてくれる。
「ありがとう。でも、一人くらい入ってくれるんじゃないかって期待しちゃったんだよね」
 夏目くんは仮入部で、5月以降も在籍してくれるという保証はない。このまま一年生の入部希望者がいなければ、事故研はいずれ同好会ですらなくなってしまう。
「まぁ、来年俺たちが卒業したら、残りは志度だけになっちまうもんな」
「別にオレは構いませんけど。引き継げるヤツが入るまで、ここはオレが何年でも守ります」
「いや留年する気か?」

 この青葉学園へ入学して、おれが最初にしたことは事故物件研究会の立ち上げだった。
 できるだけ部活動に興味のなさそうな先生を探して顧問をお願いし、事務室に何度も通って同好会設立を申請し、資料を集めて、SNSのアカウントも開設した。おれが卒業した後も、この部がずっとずっと続いてくれることを願って。
 だけど、やっぱり今のままじゃ人は集められないのだろうか。
 冷たくなった手をぎゅっと握りしめたとき、部室のドアがコンコンと控えめにノックされた。
「あ……ッ、はい、どうぞ」
 ドアノブがゆっくりと回る。いつもなら大げさにバタンと開くドアが、今日はめずらしく音を立てずに動く。
「失礼します、一年の夏目です。遅くなってすみません」
 ドアの隙間から顔を覗かせたのは、夏目くんだった。
「あ……お疲れ様、夏目くん。委員会で忙しいのに、来てくれてありがとう」
 彼が部室に入ったとたん、部室の空気がガラリと変わった気がした。古い机や椅子も、色あせた壁紙も、ギシギシ音を立てる木の床も、すべてが雨上がりみたいに輝いて見える。
 あの女の子たちの熱気に、おれも影響されてしまったのだろうか。
「入部説明会は終わっちゃいましたか?」
 おれをじっと見た後、葛西くん、志度くんの顔を順番に見まわして夏目くんはそう言った。
「いやいや、何度でも説明するって。夏目玲央くんだよな、歓迎するぜ。この通り、うちは閑古鳥クラブだからさ」
 葛西くんが、さっそく親し気に話しかける。
「よろしくな夏目くん、おれは三年で副部長の葛西拓海。学食のおすすめメニューとか、授業中に寝てても大目に見てくれる先生とか、テストの過去問とか、なんでも教えるぜ。って、ぜんぜん部活には関係ねーか!」
 朗らかに笑う葛西くんに、夏目くんは微笑み返した。「よろしくお願いします、葛西さん」
「んで、こっちが二年の志度高児。雰囲気はイカついけど、いいやつだからバンバン頼りな。好きなものは蕎麦と焼きそばパン」
「よろしくお願いします、志度さん」
 葛西くんへ向けていた笑顔を、そのまま志度くんへスライドする。そんな夏目くんに、志度くんは「……ん」と軽く頭を下げた。
「そんでもって、そこにおわすのが事故研創設者であり部長の、南マコト。なんもないところでコケるのが得意だから、よろしくな」
「ちょ、その紹介はどうなの」
 おれが慌てると、夏目くんは笑顔のまま小さくうなずいた。なにもないところでコケるのは知っていますと言いたげだ。昨日、彼の目の前でまさに転びかけているので、なにも言い返せない。
「あらためて、よろしくね。夏目くん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。昨日はありがとうございました。南さんのお陰で、勧誘も落ち着いたみたいです」
「そ、それなら良かった……」
 ついさっきまで、うちは逆にその恩恵にあずかり、逃がしたばかりなのだけれど。

 スクールバッグを机に置くと、夏目くんはおれがホワイトボードに書いた文字を見つけ、近寄っていく。
「これは?」
「うちの部の活動ルールだよ。さっき皆にも説明したんだけど、ちょっと取っつきにくかったみたいで……」
 夏目くんは、ホワイトボードの文字を黙って読みはじめた。まばたきをするたびに、長いまつ毛が肌に淡い影を落とす。
 本当にきれいな子だ。
 ぼんやり眺めていると、夏目くんはふっとこちらを振り返った。じっと見ていたのがバレた気がして、咄嗟に目を逸らす。
「物件へ高校生だけで入るのは危険ですしね。こういったルールは、自分たちを守るためにも必要だと思います」
 どうやら納得してもらえたようだ。
「そう、そうだよね。資料だけでも調査はできるし」
「ですけど、このルールをひっくり返すだけで入部希望者が増えるというのも事実ですね」
 ルール①の『物件へ立ち入らない』という文字を、夏目くんはそっと指でなぞった。
「どういう意味?」
「そのまんまですよ。事故物件へ入って写真を撮ったり、夜中ずっとカメラを置いて何かが映るのを待つんです。肝試しみたいなことができればみんな楽しいでしょうし、文化部として人気がでるんじゃないですか」
 あまりにあっさりと言われてしまい、一瞬すぐに反応できなかった。夏目くんの言葉を頭の中で繰り返し、慌てて首を横に振る。
「だめだよ、そんな迷惑行為。それに幽霊ネタで盛り上がりたいんならオカルト研でも良いはずだよね。うちは事故物件の噂をオカルトして扱うじゃなくて、その原因を追究するのが目的だから」
「面白いですね。怪奇現象の原因って、どんなものがあるんですか?」
「うめき声が聞こえるっていう事故物件は、古い配管に水が通り抜ける音が原因だったとか。誰もいない上の階で足音のする部屋は、野良猫とかハトが住み着いてるだけだったとか……そういうのがお化けの正体だったことなんて、ザラにあるよ」
 家の見取り図を確認して、周囲の環境を調べればだいたいの原因が分かったりするのだ。
 熱弁するおれに、夏目くんは不思議そうに首をかしげた。
「けど、その検証はどうやって行うんですか。実際に中に入れないのに、お化けの原因が配管や動物だったなんて言いきれますか?」
「それは、そうだけど……」
 痛い所を突かれて、おれは口ごもってしまった。
 正式に家の中へ入れる立場なら、検証だって可能かもしれない。だけど家を買ったり借りたりする経済力なんてないおれたちには、物件へ入るどころか、見に行くことすらできないことも多い。
 自分たちで出した結論を、活動報告書に記載するまでが精いっぱいだ。

 黙り込んだおれに、夏目くんは困ったように眉を下げて笑った。
「生意気なことを言ってすみません。もちろん、活動方針を決めるのは部長の南さんです。僕が口出しすることではないですね」
 後輩に気遣われていることが分かり、逆に居たたまれなくなる。
「……ごめん。夏目くんの言ってることが正しいのは分かってるよ」
「まぁまぁ、別にどっちも間違ったことは言ってねぇよ」
 空気が変わったことを察したのか、葛西くんが間に入ってくれる。
「でも、いろいろ試行錯誤するのは悪いことじゃないよな。夏目の言うとおり、実際に現地取材するのも手だとは思う。どうよマコト、次は勧誘用のプロモ動画撮ってみるとか」
「プ、プロモ動画……?」
「俺らが調査してる姿を動画で撮って、一本のドキュメンタリー番組にするんだよ。新入生にも活動イメージが付きやすいし、興味持つヤツもいるんじゃねぇかな。もちろん家には入らないし、動画はモザイクかけて場所を特定できないようにする。そうすれば誰にも迷惑はかからないだろ」
 葛西くんの言う事は一理あった。
 ほかの部は、実際に活動している姿を新入生へ見せてアピールしている。事故研なんていう受賞歴も何もないマイナーな同好会、より具体的なイメージがないとまずは入部しようなんて思えないだろう。
 迷っているおれを見て、志度くんが口を開いた。
「勝手に侵入したり、窓から中を映したりしなければルール違反にはならないんじゃないすか。作った動画も、ネットに上げなければ学校も認知できないですし」
「た、たしかに、そうだよね」
 捨てられるだけのチラシをくばり、無視される声掛けを続けたって成果は見込めない。新しいことを始めないと、事故研の未来はない。
「勧誘用のプロモーションビデオ、作ろう。みんな手伝ってくれるかな」
 意を決してそう言うと、葛西くんと志度くんが深くうなずいてくれた。
「よっしゃ、さっそく取材用の場所探さないとな。どこか近くに良いところあったっけ」
 葛西くんがスマホを取り出して検索を始める。
 事故物件だけを扱っている不動産サイトや、オカルト情報を集めた掲示板。幽霊の目撃情報がある事故物件は、調べればたくさん出てくるのだ。
「あんまりここから近いと、学校に見つかって怒られるかも。できればこの周辺は避けたいな」
「でも、遠すぎると今度は行き帰りが難しいじゃん? 交通費もかさむしさ」
 すると、夏目くんがすっと手を挙げた。
「あさひ町はどうでしょうか? 電車なら一時間くらいで行ける距離ですし、交通費もそれほどかからないですよ」
「え……」
 なぜ彼の口から、その住所が。
 固まってしまったおれを見て、夏目くんは苦笑した。
「すみません。前に南さんからいただいたチラシの書き込み、あの住所を覚えてしまっていて。あれってここで調査しようとしていた物件の住所ですよね?」
「う……うん……よくわかったね」
 夏目くんの言う通りだ。チラシの裏におれが走り書きした住所は、とある事故物件のものだった。
 住所を覚えていた彼の記憶力がすごいのか、調査対象だろうと見抜いた推理力がすごいのか、もはや何を褒めればいいのか分からない。
「調査しようとは思ってたけど、この家を見に行くのはやめた方がいいと思う。実はちょっと前に、この家のことで学校にクレームが来てたんだ。その……不法侵入してる生徒が、うちにいるって」
「マジか。まさか俺らが疑われてたり?」
「いや、先生から何か言われたわけじゃないけど。でも制服着たまま撮影に行くにはマズいんじゃないかな」
 おれは資料の入っている棚を開けて、中からファイルを取り出した。過去に作った活動報告書や家の見取り図、古い新聞記事がパンパンに詰まっている。
 一番手前にファイリングしてあった資料を机に広げると、葛西くんと志度くんが同時に覗き込んだ。
「これが、その電話の内容。音源は勝手に持ち出せないから、事務室の人に頼んでおれが書き起こしたんだ」
 青葉学園への電話は、基本的に職員室ではなく一階の事務室に繋がるようになっている。
 入電があったのは、4月7日の夕方。その奇妙な苦情電話を、おれはやけにしっかりと覚えていた。