事故物件研究会は怪異を信じない


 目を覚ましたら、おれは事故研の部室にいた。
 三つ並べた椅子の上で、だらんと横になっている。
 橙色のきれいな夕陽が、ホワイトボードに反射して眩しい。
「あ……あれ……ッ?」
 慌てて身体を起こすと、上に掛けられていたブレザーが床にはらりと落ちる。拾い上げたそれは、おれのものじゃなかった。
「おはようございます。マコ先輩」
 テーブルの向こう側に腰かけていた夏目くんが、そう言って笑った。
「夏目くん……? あれ、おれ、さっきまで保健室に……」
「保健室を閉めるから、帰るよう先生に言われたんです。起こすのも可哀そうだったので、部室に運んじゃいました」
「はこ……ッ!? あ、ありがとう……」
 どうやって運んだのか分からないけれど、ぜんぜん気付かなかった。そのくらい、熟睡してしまったらしい。
「なんか、すごく長い夢を見てた気がするよ」
 かけてくれていたブレザーを返すと、夏目くんは袖に腕を通した。
「そうだったんですね。怖い夢?」
「ううん。すごく懐かしくて、優しい夢」
 胸がまだ温かくて、すこしだけ痛かった。
「もし本当に幽霊とか心霊現象があるんなら、逆にものすごい奇跡が世界中で起きてても良いのにね。死んだ人が生き返ったり、失われた場所が復活したりさ。だったらおれも、オカルト研に喜んで入るんだけどな」
 おれの父さんも、田辺先生も、みんな生きていたらどんなに良かっただろう。そばに戻ってきてくれたら、どれだけ救われただろう。
 だけど、そんな奇跡は決して起きない。
 起きたことは変えられない。
 自分の過去を引き受けて、未来を生きていくしかない。
「マコ先輩がオカルト研に移籍するのなら、おれも付いていこうかな」
「そういえば、さっきの夢に夏目くんもいた気がする」
 おれがちょっと笑うと、夏目くんも歯を見せて笑った。
「言ったじゃないですか。マコ先輩が呼んでくれたら、夢の中でも駆けつけますって」

 傾いた夕陽が、静かにゆっくりと沈んでいく。
 眩しい光が藍色の夜に呑み込まれていくのを、おれは夏目くんと並んで眺めた。
 あの日、学校のトイレで泣いて動けなかった日みたいだ。
 だけど、今は一人じゃない。
 ここが、おれの見つけた今の居場所だ。

 泣きたいわけじゃないのに涙がこみ上げてきて、慌ててシャツの袖で拭った。それでも込み上げてくる熱は止まらず、それを見られたくなくて丸めた身体に顔を隠す。
 丸まったおれの隣で、夏目くんは黙ったままじっと外を見つめていた。
 暗くて、おれの泣き顔なんか見えなかったみたいに。

◇◆◇
 
 5月1日、大安。
 晴れ渡った空の下、東校舎は緊張に包まれていた。
「この一カ月、我々は新入生勧誘に日夜励み、尽力してきました。そしてその結果、ついに……」
 おれの発表に、葛西くんと志度くんが身を乗り出す。
「入部希望届は、ゼロ件です」
 堂々と発表したとたん、二人はガクリと机に突っ伏した。
「マジかよ~。あんなに動画の反応良かったのに」
「仮入部希望者は、何人かいたっすよね。あいつら、今日が入部締め切りだって分かってんだろうな」
「それが、やっぱりオカルト研のほうが面白そうってなったみたいで……ちょ、志度くん、どこ行くの?」
「焼きそばパン買ってきます」
「もう購買終わってるよね。てか、オカルト研に乗り込むつもりじゃないよね?!」
 チラシ配りとプロモ動画の甲斐あって、事故研に興味を持ってくれる生徒はけっこう増えた。謎の底辺弱小文化部という地位から、ほんのちょっとだけ浮上したのは間違いない。
 けれど、結果として新入部員の獲得には至らなかった。
 入部希望の締め切りは今日。部室には、すでに絶望的な空気が漂っていた。

「ごめんね、ふたりとも……おれ、切腹してお詫びします」
「だから切腹すんなし。おい志度、いいから戻ってマコトのこと止めろ」
 バタバタと騒いでいると、部室のドアがそっと開いた。音もなく静かにこのドアが開くときは、いつも決まって同じ人物が入ってくる。
「お疲れ様です。マコ先輩、切腹はいけませんよ」
「あっ、夏目おい! お前は早く入部届出せって」
 葛西くんに詰め寄られ、大きな目がぱちくりと開く。
「入部届?」
「お前、まだ仮入部のままだろ。今日中に入部届出さねぇと、正式な部員って認められねぇんだぞ」
 そう言うと、葛西くんが机の上に用意した申請書を指さした。
「……おい夏目、さっさと判押せ。テメェここで正式入部しないとか、ナメたこと言うんじゃねぇだろうな」
 夏目くんの背後から、志度くんがものすごい圧力をかけている。
「志度くん、それじゃ圧が強すぎだよ……って言いたいところだけど」
 おれは入部届を手に取ると、夏目くんの目の前へ駆け寄った。ぐっと顔を近づければ、夏目くんはちょっと驚いたように身を引く。
「あんなことまでしておいて、入部しないなんてありえないよね」
 真正面からおれが言い切ると、夏目くんはきれいな顔をちょっとだけ崩して笑った。
「マコ先輩、それもう脅しじゃないですか」
 窓から入り込む5月の風が、部室のカーテンを優しく揺らした。
 若葉の匂いと明るい陽射し。
 世界は、これから新しくなっていく。

 期待で握りしめてしまったクシャクシャの入部届を、おれは夏目くんへ差し出した。

「事故物件研究会に、入りませんか?」