事故物件シークレット研究会

本館校舎を出て裏側へ回ると、レンガ造りの古めかしい東校舎が見えてくる。築五十年の歴史ある校舎は、今ではもっぱら特別授業にしか使われていない。
 その二階奥にひっそりと佇む歴史資料室が、我が『事故物件研究会』の部室だった。椅子や机などの備品はすべて古いけれど、木と紙の匂いがする静かなこの場所が、おれの一番のお気にいりだった。
 だけれど今日の部室は、いつもと様子がいつもと違った。ドアを開けようとしたとたん、中からギャハハハという盛大な笑い声が漏れてきたのだ。
 事故物件研究会に、こんなふうに笑う部員はいない。いったい誰だろう。
 恐る恐る部室の扉を開ける。
 すると、中から複数の視線がいっせいにこちらへ飛んできた。
「あれ、オカルト研のミナミくんじゃん。なんか用?」
 行儀悪く机に座っていたのは、ラグビー部の三年生たちだった。彼らとは、過去に何度か部室を巡って揉めたことがある。けど、勝手に部室へ入られるのは初めてだ。
「な、なんでうちの部室に……」
「鍵はちゃんと開いてたぜ。まともに使ってないんなら、早くここ空けてくんねぇかな。うちは新入部員が多くて困ってんだよ」
 大柄な部員にゾロゾロと囲まれ、つい身体が萎縮してしまう。
「う、うちだって定期的に会報を発行してるし、資料も大量に保存するから部室が必要で……。そもそも、事故研はオカルト研じゃないよ」
「事故研はオカルト研じゃないよ、だとさ」
 一人がおれの口調を真似すると、ほかの部員がいっせいに笑い出した。悪意のある笑い声に、膝が震えてふらついてしまう。 
 しっかりしろ、おれ。部長として、先輩として、おれにはこの場所と部員を守る義務があるんだ。
「か、帰ってください。何を言われようと、この部室は渡しません。部室の割り当てに意見があるなら、ちゃんと生徒会を通してください」
 肺にいっぱい空気を溜めて、震える声で叫ぶ。
 すると、胸倉をとつぜん掴まれ、乱暴に持ち上げられた。
「おいチビ、陰キャがいつまでも調子に乗ってんじゃねーぞ。泣かされたくなかったら黙って出てけや」
 身体が宙に浮きかけて、息ができなくなる。叫ぼうにも声がでず、喉からヒュッと細い息が漏れた。
「ッ……」
 ――殴られる。
 そう思って反射的に両目を閉じた時ると、部室の扉がバタンと開く音がした。

「おっつかれ~。ゴメン、やっぱ勧誘ダメだったわ」
 張り詰めていた部室に、明るい声が響き渡る。
 中へ入ってきたのは、ここの副部長であり、おれの同級生でもある葛西くん――葛西拓海(かさい たくみ)だった。
 長い足で椅子をひょいと飛び越えながら、彼は真っすぐこちらへやってくる。あまりに堂々と近づいてくる姿に焦ったのか、おれの胸倉を掴んでいたラグビー部員の手が緩む。
「わ……ッ」
 そのまま落下したおれは、うまく着地できず板張りの床へ尻餅をついてしまった。
「いてて…」
「マコト、だいじょぶか? ケガしてね?」
 すぐ立ち上がれずにいると、葛西くんがそばへ駆け寄って手を差し伸べてくれた。
「だ、大丈夫……ごめん、葛西くん」
 ホコリまみれになった手で葛西くんの手に触るわけにもいかず、なんとか自力で立ち上がる。制服についたゴミを払っていると、葛西くんは部室にいるラグビー部員たちをぐるりと見回した。
「……あれ、なんだっけ? うちに何か用?」
 どこかおどけたような、明るい話し方はいつもの葛西くんだ。だけど、どこか棘のあるその声に、部屋の空気が張り詰めた。
「そろそろミーティング始めたいんだけど。お前らも、部活はじまるんじゃねーの」
 長い指が、窓の外に見える校庭を指し示す。
 それを合図のようにして、部室に居座っていた彼らはブツブツと何か言いながら外へ出ていった。さっきまでの威圧的な態度が嘘のようだ。
 最後の一人が出ていくと、ようやく部室はいつもの落ち着きを取り戻した。
「やれやれだよな」
 開けっ放しのドアを閉めると、葛西くんは前髪を掻き上げた。軽くウェーブのかかった前髪に、金のメッシュが散っている。つい昨日まで赤いメッシュだった気がするけれど、いつの間にか色を入れ直したらしい。
「どうせアイツら、部室のことで揉めにきたんだろ。嫌な予感がしたから戻ってきたけど、正解だったわ」
「う、うん、まぁ……。葛西くんが来てくれて助かったよ。かっこ悪いとこ見せちゃって、ごめん」
 毅然と追い返せなかった自分が情けなくて、誤魔化すように笑う。すると、大きな手で背中をぽんと押された。
「あの人数相手に、はっきり言い返せるヤツはなかなかいねぇよ。さすが我らが部長、ナイスファイト」
「そういうのいいって」
「なぁんだよ、本心で言ってんのに」
 朗らかな満面の笑みが眩しい。
 誰にでも分け隔てなく優しくて明るい葛西くんは、いつもたくさんの友達に囲まれていて、女子からの人気も高い。ラグビー部員たちがあっさり帰っていったのも、みんな葛西くんには遠慮しているからだ。弱小文化部の事故研が、なんとか体裁を保っているのは彼のお陰でもある。
「そういえば、噂の主席合格クンはどうだった? 勧誘行ってたんだろ、話せたか?」
 夏目くんの話を振られ、あの綺麗な顔が脳裏に浮かぶ。
「うん。チラシは渡せたけど、ほかの部からもいっぱい勧誘されてたっぽい。あの子ってテニスのジュニアチャンピオンなんだよね、やっぱり最終的にはテニス部に行くんじゃないかな」
「そっかぁ。まだ声かけてないフリーの新入生って何人いるっけ」
「その夏目くんで最後。とりあえず、リストに載ってた子には全員に声かけたはずだけど……」
「いまんとこ成果なしか。去年もかなり苦戦したけど、やっぱ新入生獲得って難しいよな」
 四月中は仮入部期間なので、まだ望みはある。気が変わって、うちに入部したい一年生が現れるかもしれない。
「大丈夫。校門のビラ配りは毎日してるし、そっちの成果もいつか出るはずだよ」

 そう言ったとき、部室のドアがダイナミックに押し開けられた。この部室のドアは(かんぬき)が緩んでいるので、力のある人間が押すと思いきり開いてしまうのだ。
 またラグビー部の面々かと思い、つい身体が硬直する。けれど、その姿を見ておれはほっと息をついた。
「噂をすれば校門ビラ配り担当じゃん」
「お帰り志度くん、どうだった?」
 身長180センチをゆうに超える大柄な男子生徒が、古いドアを窮屈そうにくぐって入ってくる。事故研で唯一の二年生、志度高児(しど こうじ)くんだ。
「……ウス。ぜんぜんダメでした。一年、ビラ渡してもぜんぜん反応ないっす」
 大股でこちらへ歩いてくると、志度くんはぺこりと頭を下げた。肩まで付きそうなほど伸びた髪の毛が、サラリと流れ落ちて顔を隠す。
「ビラ配りは明日もするんで、このチラシ教室まで持ってっていいすか。正門も回ります」
「もちろん。ありがとう」
「志度の圧が強すぎて、みんなビビって逃げてったんじゃね? 勧誘はスマイルだよスマイル」
 葛西くんが茶化すように笑うと、顔を上げた志度くんは鋭い眼光をギロリと向けた。
「……ウス」
 傍から見れば睨みつけているようだけれど、彼は決して怒っているわけではない。口数が多くないから誤解されやすいだけで、温和で心優しい後輩だ。テンションの高い葛西くんと引っ込み思案なおれ、正反対な三年生ふたりをいつも穏やかに見守ってくれている。
「それより、さっきラグビー部のやつらがここ出てくの見ましたけど。なんかあったんすか」
「え……ッ? そ、そうだっけ。おれは見なかったけどな……」
 まさか胸倉をつかまれて脅されたなんて物騒な話、後輩にできるわけない。おれが適当にごかますと、志度くんは小さくうなずいた。
「もし、アイツらに何かされたら言ってください、窓から校庭に送り返します」
「窓から?!」
「それいいじゃん、階段から帰るよりずっと早いしな」
 葛西くんが、椅子ごと飛び跳ねて笑う。
「そういや、前に柔道部とも同じような事があったけど、あいつら顔が絆創膏まみれだったんだよな。朝はなんともなかったのに。志度お前、実際になんかやっちゃったんじゃねーの」
「何かってなんすか」
いつも反応がのんびりな志度くんが、かぶせ気味に応える。
「おいおいその反応、確実にやっただろお前。ダメじゃないの志度くん、うちの運動部は毎年全国出場の強豪が多いんだから」
とがめるような言葉とは裏腹に、葛西くんはニヤニヤとやけに楽しそうだ。
「し、志度くん……何かやったって、どういう」
「いやマジで何もしてないっす。練習でぶつけたとかじゃないすか」
「なるほどな。部活の練習なら仕方ねぇか。なっ、マコト!」
「え……? う、うん……?」
 鋭いツッコミ役がいないので、うちの部は終始こんな掛け合いばかりしている。

 人気者の葛西くんと迫力のある志度くん、そして絵にかいた凡人のようなおれ。傍から見ても内輪から見ても、共通点なんて全く無い、不思議な組み合わせ。
 この以上三名が、いまの事故物件研究会メンバーだ。
 新入部員、絶賛募集中。