事故物件研究会は怪異を信じない


「マコト、おま……ッ、ブハハハッ、やべ、ちょー似合ってんじゃん! いや、マジで可愛い……ブフッ」
 週明けの部室に、葛西くんの大きい笑い声が響いている。
「いや、笑いすぎだよね。志度くん、これどうにかしてよ」
「ウス、あの、笑いすぎ良くないと思います……ヴッ」
「肩すごい震えてるけど?! 笑ってるよね?」
 部室の机に、大きな折りたたみミラーが置かれている。葛西くんがクラスの女子から借りてきたものだ。
 そしてその鏡には、犬耳のカチューシャを付けたうつろな目のおれが映っていた。

 名誉のために言わせてもらうけれど、べつに個人的な趣味で付けてるわけじゃない。今日は新入生獲得最後のイベント、『部活動体験入部』があるからだ。
 今日は授業も午前で終わり、一年生は気になる部活動の体験入部ができる。入部届を出している場合でも、もちろん参加可能。
「事故研としては、今日ぜったいに新入生を部室に連れてきてプロモ動画を見せないと」
 そう強く誓った結果、呼び込みのためにこんな格好をすることになってしまった。
「ほかの部はもっとすげぇもんな、着ぐるみとか特殊メイクとか。サッカー部なんて、女マネがメイド服着て勧誘してんだぜ。うちも本気ださねぇと、誰もひっかかってくんねーよ」
「……だったら葛西くんはメイド服着るべきだよね」
「怒んなって! いやマジ可愛いよ、さすが部長、世界いち!」
 どうしよう、始まる前から戦意喪失しそうになる。
 とりあえずカチューシャを取ろうとしたら、部室のドアがそっと開いた。相変わらずドアの(かんぬき)は緩んだままなので、開き方で誰が来たのか分かってしまう。
「な……夏目くん……?」
 仮入部中の美しい後輩が、ドアから顔をのぞかせた。
 犬耳カチューシャ(トイプードル風)装着という痴態をさらしているおれを見るなり、夏目くんは目をきょとんと丸めた。そして、すぐさま優しく微笑んだ。
「可愛いですね、トイプードル飼いたいと思ってたんです。お疲れ様です、なにかお手伝いしましょうか」
「心の声と建前どっちも口に出すヤツ初めて見た」
 葛西くんのツッコミを華麗にかわして、夏目くんがこちらに近付いてくる。
 今日は一年生全員参加のイベントだから、部室には来ないと思ったのに。
「なななつめくん、今日は部室こなくって大丈夫だよ。体験入部なんだから、いろいろ見て回ったほうが」
「テニス部に見つかるとやっかいなので、大丈夫です」
 おれはぜんぜん大丈夫じゃないんですが……。
「それで、なにかお手伝いできることはありますか?」
「おっ、ありがたい。実はついにプロモ動画ができたから、チラシにQRコード載せたんだよ。新校舎の掲示板に、これ貼ってきてくんねぇかな」
「もちろんです」
 夏目くんに勧誘チラシを渡すと、葛西くんはどこからか二本のカチューシャをスチャッと取り出した。
「もちろん、マコトだけを犠牲にはしねぇよ。俺と志度も付けるから安心しな」
「え……う、うん……」
 そういう問題ではないんだけど、とりあえず葛西くんはウサギ耳を装着して、志度くんに猫耳をスポッと取り付けた。大きい身体の二人に、可愛いふわふわの耳という取り合わせが意外と似合っている。
「あ……ほんとに可愛い」
「だろ~?! どうよ夏目、萌え萌えキュンじゃね?」
「そうですね」
「ぜんぜん見てねーし!」
 部室が、和気あいあいとした活気に包まれる。

 あさひ町の出来事から三日経った。
 家の天井が崩れる音を聞いた人が通報したようで、おれたちが立ち去ったあとには警察や消防車が来て大きな騒ぎになったようだった。ローカルニュースでその報道を見たおれは、新聞記事を探してスクラップした。
 この記事で、貼り紙の家の調査はおしまいだ。

「この元々あったチラシは外しても良いんですか?」
 夏目くんに声をかけられ、ボンヤリしていたおれは慌てて顔を上げた。
 新校舎の掲示板まで、一緒にチラシを貼りに来ていたんだった。
「え……? あ、ああ、うん。ありがとう」
 人とすれ違うたびに、視線が突き刺さってる気がする。犬耳を付けたまま出てきたせいだろうか。
 いや、たぶんこの視線はおれではなく、夏目くんに寄せられているんだろう。そう思いたい。
「それにしても、今日は賑やかですね。先輩たちの衣装もすごい」
 おれのカチューシャなんか霞んでしまうほど、あたりは派手な仮装であふれかえっていた。特殊メイクで妖怪になっている映画部、着物で華やかに装ったかるた部、着ぐるみで人を集めているボードゲーム部、メイド服の女子マネが「サッカー部募集中です」と呼び掛けているのには人だかりができている。
「今日が最後のチャンスだからね。うちの部にも興味持ってくれる人がいると良いんだけど」
 そんな話をしていると、とつぜん肩にポンと手を置かれた。
「あれぇ、南じゃん。お前、なにその耳」
 ワタワタと振り返れば、クラスメイトの男子数人がおれの頭を見て笑っていた。
「それって体験入部のコスプレ? ってか、お前って何部だっけ?」
「あ……これは、事故物件研究会の」
「そんな部あったっけ。なぁ、写真撮っていい? インスタに上げるから」
「えッ、あの……ちょ……っ」
 唐突にスマホを向けられて、おれは慌てて顔を手で隠そうとした。だけど、シャッターを切られるよりも先に、夏目くんがおれの前に立った。
「すみません、勝手に撮らないでもらえますか」
 とつぜん割って入った綺麗な一年生に驚いたのか、クラスメイトたちがギクリと固まる。
「え……っ」
「許可も得ずに撮影するのはマナー違反ですよ。それと、うちのチェキは一回8千円です」
「か、金取んの?!」
「しかも高けぇ!」
「い、いや、冗談だから……」
 多分、冗談のはず。というか、夏目くんってこんなジョークを言う人だったんだ。
 クラスメイトたちがたじろぎながら去っていくと、夏目くんがこちらを振り返った。
「南さん大丈夫ですか。でも、嫌なことは嫌だって言わないと」
「そ、そうだよね……ごめん」
 一年生に、小学生レベルの指摘をされてしまった。なんか、前にもこういうのあったな。
 面目なくてうつむくと、犬耳カチューシャをそっと外されてしまった。
「え……ッ、あれ」
「これは部室だけで付けたほうが良いですね」
「夏目くん、なんか怒ってる?」
「ぜんぜん怒ってませんけど」
「お、怒ってるよね……? てか、ちょと待って」
 さっさと先を歩いて行ってしまう背中を、おれは慌てて追いかけた。
 あれ以来、なんだか夏目くんは少し変わった気がする。
 いつもニコニコして礼儀正しいところは変わらないけれど、ほんの少し、距離感が近くなった。事故研に、少し心を開いてくれたのだろうか。
 そう思うと、なんだかフワフワした雲の上を歩いているような温かい気持ちになれた。


「ちょっと、マコちゃん!」
 昇降口へ向かおうとすると、目の前にある事務室の受付から声が飛んできた。安藤さんだ。
「……マコちゃん?」
 首をかしげる夏目くんに、ちょっと照れくさくなる。
「あの人、うちの事務員さん。事故研のいろんな申請手続きで、一年生の頃からずっとお世話になってて……」
「それで『マコちゃん』なんですね」
 とても納得するものがあったのか、夏目くんは深くうなずく。
「こんにちは、安藤さん」
 二人で受付窓口まで行くと、安藤さんは夏目くんを見て「あらっ」と目を大きくした。
「部員、増えたんじゃない。良かったわね」
「あ、まだ彼は仮入部なんですけど」
「初めまして。一年の夏目玲央です」
 アイドルもびっくりの甘いスマイルを見せる夏目くんに、安藤さんは「あんた、どこの国の王子様なの」と口元を覆った。彼の前では、女子はみんな夢見る乙女になってしまうらしい。
「そうだマコちゃん、今年の部員名簿、更新あったら提出してよ。分かってると思うけど、同好会でも提出必須だから」
「あ……、わかりました」
「いま用紙持ってくるから、ちょっと待てて」
 安藤さんがあわただしくデスクへ戻っていく。
 事故研は現在3名だけの同好会だ。このまま部員が増えなければ名簿の更新は必要ない。だけど。
 隣に立つ一年生の横顔を、おれはチラリとのぞきき見た。
 夏目くんはこの後、どうするつもりなんだろう。もともと彼は、カモフラージュのために仮入部しただけだ。そして、夏目くんが知りたがっていた田辺家の呪いは解かれた。
 夏目くんが事故研にこだわる理由は、もうない。

「あの、南さん」
 ふいに名前を呼ばれ、慌てて顔を上げる。
「なに? 夏目くん」
「僕も、安藤さんと同じように呼んでもいいですか」
 安藤さん?
 一瞬、意味がよく分からなくてフリーズしてしまった。そして、彼女の『マコちゃん』呼びのことだと理解したとたん、顔が発火してるのかと思うほど熱くなった。
「えぇ……ッ?」
「あ……。だけど、さすがに上級生に対してちゃん付けは失礼ですね。間をとって、マコ先輩、はどうでしょう」
 こちらの回答を聞く前に、夏目くんはどんどん話を進めていってしまう。
「ま、マコ先輩……?」
「だめですか?」
 わざわざ腰を屈めて、夏目くんがおれを見つめてくる。トイプードルみたいな潤んだ両目で訴えられて、おれはウグ、と息を呑んだ。そんな顔で見つめられて、ダメだと言える人類なんかいるはずない。
「い、良いよ……好きに呼んでもらって」
「本当ですか。ありがとうございます、マコ先輩」
 本当に嬉しそうな笑顔に、周りの空気がぱっと明るくなった気がした。飾り気のない校舎に、一瞬にしてお花畑が広がっていく。
 照れくさいやら恥ずかしいやらで、おれは両手をもじもじとすり合わせた。こんな風に人からニックネームなんてつけられるの、初めてだ。

「お待たせ、ごめんね」
 そうしているうちに、名簿用紙を持った安藤さんが受付へ戻ってきた。
「あ……ありがとうございます」
「本当はもっと早く渡したかったんだけど、この前ちょっと……学校に警察の人が来てて、バタバタしてたのよ」
「警察?」
 学校でなにか事件があったのだろうか。驚いて身を乗り出すと、安藤さんが内緒話するように口元へ手を添えた。
「ほら、このあいだマコちゃんにも聞かせたでしょ。あの例の、へんな電話」
「あ……」
 昭一さんからの苦情電話だ。建物を倒壊させたことで、彼はすでに逮捕されている。
 苦情電話がこの学校にかかってきたことで、警察が調べに来たのだろう。
「ほんと、サスペンス劇場みたいで驚いちゃったわよ」
「……まぁ、電話でタナベってはっきり名乗ってましたしね。本人は元々、隠すつもりなかったのかも」
 おれが言うと、安藤さんは「えぇ?」とメガネの奥の瞳を細めた。
「名前なんて、あの電話で言ってないじゃない。聞いたけど答えないし、同じことばっかり繰り返して会話にならないし。あの人、いろんなところに電話かけては怒鳴り散らしてたみたい。それで言いたいこと言ってガチャン、だから」
 名前を名乗ってない?
 おれは、あの音源を聞きながら会話内容を文字起こししたはずだ。そして、はっきりと名乗ったはずなのに。
 タナベです、と。
 再生速度をわざと遅らせたような、間延びした低い声。
 そして同じ声で、彼は言った。
――むかえにぃぃいくの
 そういえば、あれはどういう意味だったんだろう。
 家に入るな、ふざけるなと怒っていたはずなのに。なぜ侵入者を迎えにいくんだ?
「最後、迎えに行くって言ってたのは、確かですよね」
 食いつくようにおれが聞くと、安藤さんは半歩ほど引いた。
「ちょっと、なんだか怖いこと言わないでよ」
 安藤さんの顔がひきつる。
「私の記憶では、そんなこと言ってなかったと思うけど」

 やっぱり、なんだかおかしい。
 あの間延びしたような声は、おれにだけ聞こえていたのだろうか?
「安藤さん、あの録音もう一回聞かせてもらえませんか」
「ちょっと、マコちゃん急にどうしたの」
「一回だけでいいんです。どうしても、確かめたいことがあって」
「……マコ先輩」
 すると、背後からぽんと肩を掴まれた。夏目くんの手だ。
「安藤さんもお忙しいでしょうし、そろそろ部室に戻りましょう。誰かに絡まれてるんじゃないかって、葛西さんと志度さんも心配しますよ」
「でも」
 胸がざわざわして、指先が冷たく痺れていく。
 変な電話だとは思っていた。怒鳴りつけるだけの、やっかいな苦情電話だからじゃない。
 怒鳴っている昭一さんの声と、あの間延びした声が、まるで別人みたいだったからだ。関係のない第三者が、会話に勝手に入り込んでいるような違和感。それが、あの電話の不気味さの正体だった。
 おれの動揺が伝わったのか、安藤さんは困ったように眉をしかめて考え込んだ。そして、「入って」とだけ言って事務室内へ入れてくれる。
「別に、また聞くのは良いんだけど……」
 先日と同じ音源フォルダを開き、安藤さんの操作するカーソルが日付をさかのぼっていく。
 だけど、入電のあった4月7日のファイルをクリックしたとたん、デスクトップにエラー表示が出た。

『このファイルは再生できません』

 安藤さんが何度繰り返しても、まるで立ちはだかるようにエラーメッセージだけが表示される。
「あらやだ、どうして? このまえ警察の人が来たときは、ちゃんと聞けたのに」
 何度も立て続けにクリックすると、ついに画面はフリーズしてしまった。
「警察の捜査員が変な操作をして、ファイルが壊れてしまったのでは?」
 夏目くんが言うと、安藤さんが頬に手を当てた。
「いやだ、そうなのかしら。ほかのファイルまで壊れてたらどうしよう」
 そう言って安藤さんは、デスクトップの電源を落とした。
 パソコン画面が暗転し、真っ黒になる。
 一瞬だけ、そこに誰かが映った気がした。けれど、それを確認する前にパソコンは起動を開始した。