週末の金曜日。
撮影した動画の編集も終わり、完成は間近というところまで来ていた。だけど、それを喜べる気持ちにはなれなかった。
「マ~コト! ほれ、差し入れ」
パソコンの前でぼんやりしていると、目の前にカフェオレの缶が差し出される。
「あ……葛西くん、ありがと……」
「あと少しでプロモ動画完成だな。それ見た一年が、大勢押し寄せてきたらどうするよ」
「はは……そんなに反応あるかなぁ」
受け取った缶は温かくて、ずっと動いていなかった指のこわばりをほぐしてくれる。俺の向かいに座ると、葛西くんはちょっと困ったように笑った。
「夏目が気になる?」
「え……」
「今週に入ってから、ぜんぜん顔出してねぇもんな。アイツ」
「まぁ、うちの活動は任意だしね。毎日部室にこなきゃいけないルールじゃないし」
そう言いつつも、おれはずっと彼のことが気になっていた。
民宿での夜、夏目くんとの間に不思議なつながりを感じた。あんなふうに詰め寄られて怖かったはずなのに、必死にすがるようなあの目がずっと脳裏に焼き付いている。
部室で会ったら、もっといろいろ話せると思ったのに。
入学したばかりの一年生なのだから、クラスの親睦会やオリエンテーションだってあるだろう。その時間を割いてまで、部室へ来るよう強要する権利なんておれにはない。
「一年の教室に行ってみるか?」
葛西くんの提案に、慌てて首を横に振った。
「だめだよ。まだ仮入部なのに、部室に来いなんて言われたら迷惑だろうし」
「なんだよ、俺と志度を勧誘したときはめちゃくちゃ強引だったくせに」
頬杖をついて、葛西くんはにやりとイタズラっぽく笑う。
「へ……ッ? そ、そうだったっけ?」
「いやぁ、あれは熱烈だったね。俺、部活なんか楽しければどこでも良かったから、テキトーにサッカー部とボードゲーム部かけもちしてたのに。お前があんまり強引に誘うもんだから、つい騙されて事故研に転部しちゃったんだよな」
「だっ、騙してなんかないよね?!」
たぶん、きっと、騙してなんかない、はず……。必死に記憶をさかのぼり、二年前のことを思い出す。
葛西くんとおれは、一年生の頃同じクラスだった。
入学式が終わった直後だというのに葛西くんはすでにクラスで仲のいい友達を作っていて、女子からもキラキラした視線を送られていた。いつも笑っていておしゃれで目立っていて、なんというかおれは、彼がちょっと苦手だった。
こういうタイプの子は、居場所を自分で見つけなくていい。周りに求められて、受け入れられて、いつだって自分が世界の中心になる。
そう思っていたから。
ある日、放課後に忘れ物をとりに教室へ行くと、葛西くんがひとりで机に座っていた。こそこそと自分の机に向かうと、葛西くんは気さくに「南くんじゃん。忘れ物?」と声をかけてくれた。
「う、うん。あの、葛西くんは、誰か待ってるの……」
「そう、丹野と佐藤が委員会の会議でさ。今日、あいつらとカラオケ行くんだけど南くんも来る?」
行くわけがない。本気なのか、からかっているのか分からないから、こういう子は苦手だ。
「いや、おれは、遠慮しとく……。丹野くんたちだって、葛西くんに来てほしいんだろうし」
当然のことを言ってしまった。だけど、葛西くんはビックリしたように目を見開いて、そしてちょっと笑った。
「別に、行くのは俺じゃなくたっていいんだよ。どうせノリだけのメンツなんだからさ。俺じゃなきゃダメな理由なんか、ないんだわ」
ちょっと困ったような笑顔に、おれは雷が落ちたような衝撃を受けた。人気者の彼から、そんな陰のある言葉が出てくると思わなかったから。
そして、このとき初めて分かったことがあった。
この世には、陽キャとか陰キャとか、そんなワードだけで選別できる人間なんか存在しない。みんな一人で、孤独で、悲しい目にあったり恥ずかしい思いをしながら生きている。
皆そうやって、自分の居場所を求めてるんだ。
だったら、一緒にその場所を作ればいい。
「葛西くん、事故物件研究会に入らない?」
「……へ?」
それが、おれの初めての勧誘だった。
「あれから毎日毎日勧誘されて、根負けしたんだよね、俺」
「う、うん……そうだったような……」
「でもさ、俺はお前に声かけてもらったこと、感謝してるんだよ。志度も同じだと思う」
「志度くん?」
「志度、もともとはバスケの特待生でうちに入学しただろ。でもその後、膝だっけ? 肩か? ケガで退部して、一時期すげぇ荒れてたじゃん」
「うん」
志度くんは、元は事故研の部員ではなかった。うちに入部したのは一年の秋。試合の途中で大ケガをして、退部を余儀なくされた後だった。
「うちの学校はどこかしらの部活に籍をおくのが必須だからって、お前が志度に突撃したのはビビったね。他校のやつとケンカして補導されたこともあったし、誰もアイツに声かけられなかったから」
部活必須なんていうルールは、もちろん建前だった。
学校に来たり来なかったり、来てもぼんやり窓の外を眺めている志度くんに、おれは当時どうしようもない痛みを感じた。居たい場所に拒まれる悲しさも、自分に価値がないように思える虚しさも、手にとるように分かったから。
「だからさ、なんつーか、夏目も一緒なんじゃねぇかな。お前に強引にでも勧誘されて、嬉しかったはずなんだよ。お前じゃなきゃだめだって、そんなふうに求められること、あんまりないから」
葛西くんの言葉に、おれはじっとうつむいてしまった。
おれの強引な勧誘を、相手はそんな風に受け取ってくれたのだろうか。
おれは、自分がしてほしかったことを、人に同じようにすることで救われた気持ちになっていただけなのに。
「……おれ、夏目くんに会ってくる」
このまま仮入部で四月が終わったら、もう夏目くんがここに来ることはない。こっちから、会いに行くしかない。
そう決心したとき、部室のドアが大きく開いた。
「部長」
「あ、志度くん! ちょうどよかった、今から夏目くんの教室に行こうと思ってて」
「その夏目なんすけど、今週から学校来てないみたいです」
「え……?」
予想外の情報に、ぽかんと立ち尽くす。
「アイツぜんぜん部室こないんで、教室までシメに……様子見に行ったんすけど。風邪で土日から寝込んでるって連絡あったらしくて」
「風邪?」
もちろん彼だって風邪をひくだろうし、寝込むこともあるだろう。だけど、土日に寝込んでいるのは明らかにウソだ。
だって、日曜日はおれたちといっしょに、あさひ町にいたのだから。
「なんでそんなウソつく必要が……」
そう言いかけて、ふと、ひとつの光景がよみがえる。
無数の貼り紙と、焦げ臭い部屋。這いずり回るような足音が聞こえる、2丁目の家。先生に謝らないと、という切羽詰まった声。
まだ夏目くんの心は、あの家に囚われている。
まだ、終わっていないんだ。
「ごめん。おれ、今日は用事あったの思い出した」
おれはカバンを持つと、そのままドアへ向かう。
「ここの施錠、お願いしていいかな」
「いいけど、マコトお前……」
「じゃあ、また明日ね」
そう言っておれは部室を出ると、すぐさま階段を駆け下りた。
風邪だと嘘をついてまで夏目くんがいるのは、きっとあの場所に違いない。
学校を出ると、どんよりと重い雲に覆われた空が広がっていた。溢れるほど咲いていた桜の花は、いつのまにか全て散っていた。
撮影した動画の編集も終わり、完成は間近というところまで来ていた。だけど、それを喜べる気持ちにはなれなかった。
「マ~コト! ほれ、差し入れ」
パソコンの前でぼんやりしていると、目の前にカフェオレの缶が差し出される。
「あ……葛西くん、ありがと……」
「あと少しでプロモ動画完成だな。それ見た一年が、大勢押し寄せてきたらどうするよ」
「はは……そんなに反応あるかなぁ」
受け取った缶は温かくて、ずっと動いていなかった指のこわばりをほぐしてくれる。俺の向かいに座ると、葛西くんはちょっと困ったように笑った。
「夏目が気になる?」
「え……」
「今週に入ってから、ぜんぜん顔出してねぇもんな。アイツ」
「まぁ、うちの活動は任意だしね。毎日部室にこなきゃいけないルールじゃないし」
そう言いつつも、おれはずっと彼のことが気になっていた。
民宿での夜、夏目くんとの間に不思議なつながりを感じた。あんなふうに詰め寄られて怖かったはずなのに、必死にすがるようなあの目がずっと脳裏に焼き付いている。
部室で会ったら、もっといろいろ話せると思ったのに。
入学したばかりの一年生なのだから、クラスの親睦会やオリエンテーションだってあるだろう。その時間を割いてまで、部室へ来るよう強要する権利なんておれにはない。
「一年の教室に行ってみるか?」
葛西くんの提案に、慌てて首を横に振った。
「だめだよ。まだ仮入部なのに、部室に来いなんて言われたら迷惑だろうし」
「なんだよ、俺と志度を勧誘したときはめちゃくちゃ強引だったくせに」
頬杖をついて、葛西くんはにやりとイタズラっぽく笑う。
「へ……ッ? そ、そうだったっけ?」
「いやぁ、あれは熱烈だったね。俺、部活なんか楽しければどこでも良かったから、テキトーにサッカー部とボードゲーム部かけもちしてたのに。お前があんまり強引に誘うもんだから、つい騙されて事故研に転部しちゃったんだよな」
「だっ、騙してなんかないよね?!」
たぶん、きっと、騙してなんかない、はず……。必死に記憶をさかのぼり、二年前のことを思い出す。
葛西くんとおれは、一年生の頃同じクラスだった。
入学式が終わった直後だというのに葛西くんはすでにクラスで仲のいい友達を作っていて、女子からもキラキラした視線を送られていた。いつも笑っていておしゃれで目立っていて、なんというかおれは、彼がちょっと苦手だった。
こういうタイプの子は、居場所を自分で見つけなくていい。周りに求められて、受け入れられて、いつだって自分が世界の中心になる。
そう思っていたから。
ある日、放課後に忘れ物をとりに教室へ行くと、葛西くんがひとりで机に座っていた。こそこそと自分の机に向かうと、葛西くんは気さくに「南くんじゃん。忘れ物?」と声をかけてくれた。
「う、うん。あの、葛西くんは、誰か待ってるの……」
「そう、丹野と佐藤が委員会の会議でさ。今日、あいつらとカラオケ行くんだけど南くんも来る?」
行くわけがない。本気なのか、からかっているのか分からないから、こういう子は苦手だ。
「いや、おれは、遠慮しとく……。丹野くんたちだって、葛西くんに来てほしいんだろうし」
当然のことを言ってしまった。だけど、葛西くんはビックリしたように目を見開いて、そしてちょっと笑った。
「別に、行くのは俺じゃなくたっていいんだよ。どうせノリだけのメンツなんだからさ。俺じゃなきゃダメな理由なんか、ないんだわ」
ちょっと困ったような笑顔に、おれは雷が落ちたような衝撃を受けた。人気者の彼から、そんな陰のある言葉が出てくると思わなかったから。
そして、このとき初めて分かったことがあった。
この世には、陽キャとか陰キャとか、そんなワードだけで選別できる人間なんか存在しない。みんな一人で、孤独で、悲しい目にあったり恥ずかしい思いをしながら生きている。
皆そうやって、自分の居場所を求めてるんだ。
だったら、一緒にその場所を作ればいい。
「葛西くん、事故物件研究会に入らない?」
「……へ?」
それが、おれの初めての勧誘だった。
「あれから毎日毎日勧誘されて、根負けしたんだよね、俺」
「う、うん……そうだったような……」
「でもさ、俺はお前に声かけてもらったこと、感謝してるんだよ。志度も同じだと思う」
「志度くん?」
「志度、もともとはバスケの特待生でうちに入学しただろ。でもその後、膝だっけ? 肩か? ケガで退部して、一時期すげぇ荒れてたじゃん」
「うん」
志度くんは、元は事故研の部員ではなかった。うちに入部したのは一年の秋。試合の途中で大ケガをして、退部を余儀なくされた後だった。
「うちの学校はどこかしらの部活に籍をおくのが必須だからって、お前が志度に突撃したのはビビったね。他校のやつとケンカして補導されたこともあったし、誰もアイツに声かけられなかったから」
部活必須なんていうルールは、もちろん建前だった。
学校に来たり来なかったり、来てもぼんやり窓の外を眺めている志度くんに、おれは当時どうしようもない痛みを感じた。居たい場所に拒まれる悲しさも、自分に価値がないように思える虚しさも、手にとるように分かったから。
「だからさ、なんつーか、夏目も一緒なんじゃねぇかな。お前に強引にでも勧誘されて、嬉しかったはずなんだよ。お前じゃなきゃだめだって、そんなふうに求められること、あんまりないから」
葛西くんの言葉に、おれはじっとうつむいてしまった。
おれの強引な勧誘を、相手はそんな風に受け取ってくれたのだろうか。
おれは、自分がしてほしかったことを、人に同じようにすることで救われた気持ちになっていただけなのに。
「……おれ、夏目くんに会ってくる」
このまま仮入部で四月が終わったら、もう夏目くんがここに来ることはない。こっちから、会いに行くしかない。
そう決心したとき、部室のドアが大きく開いた。
「部長」
「あ、志度くん! ちょうどよかった、今から夏目くんの教室に行こうと思ってて」
「その夏目なんすけど、今週から学校来てないみたいです」
「え……?」
予想外の情報に、ぽかんと立ち尽くす。
「アイツぜんぜん部室こないんで、教室までシメに……様子見に行ったんすけど。風邪で土日から寝込んでるって連絡あったらしくて」
「風邪?」
もちろん彼だって風邪をひくだろうし、寝込むこともあるだろう。だけど、土日に寝込んでいるのは明らかにウソだ。
だって、日曜日はおれたちといっしょに、あさひ町にいたのだから。
「なんでそんなウソつく必要が……」
そう言いかけて、ふと、ひとつの光景がよみがえる。
無数の貼り紙と、焦げ臭い部屋。這いずり回るような足音が聞こえる、2丁目の家。先生に謝らないと、という切羽詰まった声。
まだ夏目くんの心は、あの家に囚われている。
まだ、終わっていないんだ。
「ごめん。おれ、今日は用事あったの思い出した」
おれはカバンを持つと、そのままドアへ向かう。
「ここの施錠、お願いしていいかな」
「いいけど、マコトお前……」
「じゃあ、また明日ね」
そう言っておれは部室を出ると、すぐさま階段を駆け下りた。
風邪だと嘘をついてまで夏目くんがいるのは、きっとあの場所に違いない。
学校を出ると、どんよりと重い雲に覆われた空が広がっていた。溢れるほど咲いていた桜の花は、いつのまにか全て散っていた。
