事故物件研究会は怪異を信じない

 ミネラルウォーターのペットボトルが、手の中でパキンと音を立てる。
 おれの話を黙って聞いていた夏目くんは、その音を合図にしたように立ち上がった。
 そして洗面所で濡らしたタオルを持って、おれの足元にひざまずく。
「ズボンの裾、上げてもいいですか。捻ったところ冷やします」
「え……あ……ありがとう……」
 遠慮するタイミングを逃してしまい、おれはおとなしく夏目くんに右足を任せた。少し赤く腫れている足首に、冷たいタオルがそっと巻かれる。
 痛みが和らいで、気持ちいい。
 熱をもっていた患部と一緒に、腫れ上がっていた心の内側まで落ち着いていくような気がした。

「……二年前、事故物件関連の記事を検索していたら、とあるSNSアカウントを見つけたんです」
 おれの足首に優しく手を添えて、夏目くんが口を開いた。
「そのアカウントは、事故物件になっている家を調べまわって怪奇現象の真相を暴くという活動をしていました。ホラーマニアからすれば水を差すような行為ですよね。しかも調査報告には信憑性がない。記事のプレビュー数は当然低いし誰からも相手にされない、そんなアカウントだったんです」
 そんな活動をしている人がいるんだ。
 そう思ってうなずいてから、おれはふと首をかしげた。なんだか、どこかで聞いたことのあるアカウントだ。
「ネットリテラシーが低いのか、そのアカウントは堂々と写真もアップしていました。窓やホワイトボードに、自分の姿が反射していることに気が付きもしないで」
「ちょ、ちょっと待って夏目くん、それって……」
「だめですよ南さん、写真をアップするときは映り込みに注意しないと」
 夏目くんは笑顔でそう言うと、ポケットから出したスマホをおれに向けた。
『事故物件研究会 部員募集中』と手書きされたポスターを撮影しただけの、なんの変哲もない写真。ただ、ポスターを貼った窓に撮影者の姿が映り込んでいた。
 一年生の頃のおれだ。
「な、なんでこの写真……これ、あとで投稿削除したのに」
 3学期に入ってから葛西くんが加わり、この同好会はめでたく二人になった。早速このアカウントを見せたところ、「窓にお前が映ってんじゃん。特定されるから早く消せ」と叱られてすぐ削除した投稿だ。
「すみません、スクショして保存しました」
「ス、スクショ……?」
 わけがわからず、おれはそのまま固まってしまった。
 一年の頃に削除したはずの画像を保存している。ということは、彼は二年前からこの事故研を知っていたのだ。
 もちろん、おれのことも。
「なんで……」
「二年間ずっと、南さんを探していたんです。このアカウントで南さんの活動を知ってから、ずっと、ずっと」 
 足元にひざまずいたまま、夏目くんがおれを見上げる。
「田辺先生の家を、あなたに見てほしかったから」
 彼の口から飛び出てきたその名前に、不思議と驚きやショックはなかった。
 夏目くんは、あの家に住んでいた田辺さんと関係があるのかもしれない。昭一さんの名前を彼が知っていた時点で、そう気付いたから。
「やっぱり知ってたんだね、田辺さんのこと」
「知ってるに決まってます。あの先生は、小学校のころの僕の担任だったので」
「え……ッ?!」
 さすがにそこまでは思い至らなかった。
 夏目くんは、少しだけ距離を空けておれの隣へ座った。

「ちょっと大げさに言うと、恩師です。僕の家系は、代々から変わった仕事をしていて……いわゆる祈祷師というか、霊媒師というか、そういう霊的な職業を生業としてきたんです。うさんくさいでしょう」
 あっけらかんとしていう夏目くんに、おれはどう返事していいのか分からなかった。
「地元でも有名だったので、とうぜん学校では『サギ師』だっていじめられてました。一年以上ずっと学校に行けなくて、それを心配して家まで訪問しに来てくれたのが田辺先生だったんです。あなたたち家族がこどもを守らないから、学校に行けなくなったんだって何時間も抗議して。警察が呼ばれるくらいの騒ぎになって、本当にすごかったんですよ」
「す、すごい先生だったんだね……」
 あの家族写真の姿からは、想像ができない。温和でおとなしそうな人に見えたから。
「先生は、不登校の生徒を自宅に集めて勉強を教えてくれてました。コンクールへの応募にもすごく熱心で、学校生活とか交通ルールとかの標語作成にもよく参加させてくれたんです。失敗作とかボツになったものも、ぜんぶ保管してくれたんですよ」
 ラーメン屋のおかみさんも、そう言っていたのを思い出す。あの貼り紙は、本当に先生の保管品だったのだ。
「家に貼ってあった標語の紙は、それだったんだね」
「学校の授業で生徒が作った分もあったので、相当な数だったと思います。あの家に貼られていたのはほんの一部ですね。一度だけ、僕の書いた標語が市長賞に選ばれて、先生にすごく褒められました。あの作品、もうなくなっちゃったかな」
 最後のほうは、おれに話しているというより、自分に語りかけているような口調だった。
「選ばれた作品って、返却はされないの?」
「田辺先生が賞状ごと預かってくれてたんです。僕の家族は、あんまりそういうことで褒めてくれなかったので」
 そこまで言って、夏目くんはこちらを向いた。
 大きな瞳が、どこか苦しそうに揺れている。
「先生はその後、僕の両親に訴えられて失職したそうです。稼業のことに口出しするのは常軌を逸しているって。先生が亡くなったのは、そのせいなんです」
「待って、夏目くん」
 おれは慌てて彼の話を遮った。
「あの家の火事は、先生が自分で起こしたの? 警察がそう言ってたとか?」
「身内じゃないので、詳しいことは聞けません。事故だった可能性は高いそうです。けど、僕には分かる。先生は、自らその決断をしたんです」
 じっとおれを見つめて、夏目くんが言った。その顔にいつもの微笑みはなく、なにかを耐えるような痛みが滲んでいた。
 警察がきちんと調べたのなら、自殺なのか事故なのかは判別できるんじゃないだろうか。
 だけど、きっとそういう問題じゃない。誰がどう説明しても、彼は先生が自殺したと思い込むんだろう。
 夏目くんは、ずっと自分を責める理由を探している。
 だけどその一方で、自分のせいじゃないと言ってほしかったのかもしれない。
 田辺先生が夏目くんを憎んで、呪って、その結果あの幽霊屋敷になった。そんな思い込みを、ぜんぶ間違いだったとおれたちに証明してほしかったんじゃないだろうか。
 おれは、少しだけ震えている手を夏目くんの背中に添えた。
「あの家は火事が起きたけど、ただの普通の家だよ。黒い幽霊の噂も、呪いみたいな貼り紙も、ぜんぶあの家に住んでた昭一さんに繋がってる。夏目くんとはなにも関係ない」
 シャツ越しに伝わってくる、彼の体温は少しだけ高かった。指先は冷たいけれど、心臓の近くはこんなに温かい。
 夏目くんはおれの顔を見ると、少しだけ唇の端を上げて笑った。
「でも、家族が先生を追い込んだことには変わらない。先生に、謝らないと」
「謝るって……」
 先生は怒ってないんだから、そんな必要ない。

 そう言おうとした時、部屋の外から物音がした。
 誰かがこちらに走ってくる。しかも、ものすごい勢いで。
「おい、開けろ夏目!!」
 よく知っている怒鳴り声に、おれはベッドから飛び上がった。
「し……志度くん……?」
 夏目くんは迷いなく立ち上がり、部屋のドアを開けた。とたん、志度くんがズカズカと勢いよく押し入ってくる。そして、おれを見つけたとたん両目を見開いた。
「部長……!」
「し、志度くん、どうしたの」
 違う、「どうしたの」じゃない。勝手に部屋を閉め出され、勝手にここへきて心配させたのはおれだ。
「ごめんね志度くん、おれ、スマホ持たないで部屋を出ちゃって、あの」
 あたふた説明しようとするも、息を切らしてこちらに駆け寄ってくる志度くんの迫力に、どうすればいいのか分からなくなる。
「すみません、志度さん。南さんが部屋に戻れなくなってたので、お二人が戻ってくるまで僕がお預かりしてました。勝手に連れてきたのは僕なんです」
「はぁ? 預かるってなんだテメェ。部長はモノじゃねぇんだよ」
 いつも通りニコニコした笑みを浮かべる夏目くんに、志度くんが詰め寄ろうとする。
 こんな場所で、また揉め事になったら……と思った矢先、開きっぱなしになったドアから葛西くんが顔を覗かせた。
「おい志度、夜中なんだからやめろって」
 そして、ベッドに座っているおれを見てほっとしたように顔を緩ませた。
「やっぱここだったか。部屋にいないからビビったわ、スマホ置きっぱなしで外に出ちまったのか?」
「う、うん。うっかり……心配させてごめん」
「いや、俺らも寝てる間に買い物なんか行って悪かった。夏目も、そうならそうと連絡してくれれば……って、お前の連絡先知らねぇんだったわ。なぁ、ラインでもインスタでもいいから教えろよ」
「残念ですけど、SNSはやってないんです」
 夏目くんはそう言うと、首をかしげて笑った。
 ぜったいにウソだ……と思いつつも、いいから教えろとも言えず横で黙り込む。
「今度、SNSのアカウントを作ったらお伝えしますね」
「うわ、今度っていつだよ」
「それより、湿布とかは買えましたか? いちおう応急処置だけしましたけど、南さんのケガを手当しないと。早く部屋に戻してあげてください」
 そう言うと、夏目くんはおれの右足首に巻いていたタオルを外した。そして、おれの額にそっと手をあてる。ひんやりしてるけど、怖くない。優しくて、心地良い手だった。
「無理させてしまいましたね。熱ありませんか?」
「ぜ、ぜんぜん。部屋に置いてくれてありがとう」
 手を借りて立ち上がると、夏目くんが小さく頭を下げた。
「南さん。強引に話をさせて、すみませんでした。だけど、聞かせてくださってありがとうございます」
 そういえば、父さんの話をしたのは、彼が初めてだ。そもそも話すタイミングや事情がないというのもあるけれど。
 胸の内を開くのは、少し怖くてつらい。だけど、人に話すことでこんなに心が軽くなるのか。
「夏目くん。明日の朝は、一緒に帰ろうね。時間合わせて電車に乗ろう」
 おれが言うと、夏目くんは「はい」と言って微笑んだ。

 だけどその翌朝、夏目くんは朝早くに民宿を出てしまい、顔を合わせることはできなかった。
「まぁ、放課後にまた部室で会えるだろ」
 そう言って葛西くんはフォローしてくれた。
 だけど、週明けの月曜日も、次の火曜日も、その次の日も。
 夏目くんは、部室に現れなかった。