事故物件研究会は怪異を信じない

 おれたちは店を出ると、しばし無言のまま顔を見合わせた。
 いつの間にか太陽はだいぶ傾いていて、コンクリートの道路に三人の影が長く伸びている。毒々しいほど真っ赤に染まった雲が、得体のしれない生き物のように空を流れていくのが見えた。
「……どうする、マコト」
 静寂を最初に破ったのは葛西くんだった。
「どうするって?」
「取材、このまま続行するか? あの親父さんの感じからすると、あの家ちょっとマズくねぇか。理由は分かんねーけど、これ以上調べても良いことにはならない気がする」
「なんで? 幽霊が出る呪いの家だから? 近所の人も、家に近づいた人も、みんな幽霊に憑り殺されちゃうから?」
「マコト、落ち着けって」
 憑りつかれた事故物件だと言われたような気がして、つい口調が強くなってしまう。そんなおれの肩へ、葛西くんがなだめるように手を置いた。
「そうじゃねぇけど、近所の人が近付くなって言うくらいなんだぜ。危ない人が住み着いてるのかもしれねぇし」
「……そうだね。ごめん」
 誰かがあの家に住み着いているかもしれない。葛西くんの言ったことは、おかみさんの話を聞きながらおれも考えていた。

 父親である『田辺先生』の死。
 遺された家族たち。
 家に入るなと激怒する電話。
 一つ一つの出来事が、パズルのピースみたいにつながって形になっていく。
 家じゅうに紙を貼り付けたのも、学校に電話をかけてきたのも、すべては田辺家の息子の『昭一くん』じゃないだろうか。火事が起きたのが五年前なら、彼はとっくに成人しているはずだ。あの電話の声の主だとしても違和感はない。
 生まれ育った家を、他人にオカルトコンテンツとしてもてあそばれる怒りと悲しみ。それを想像しただけで、胸の内側から黒いものがこみ上げてくるのを感じた。
 
「……おれ、もう一度だけあの家を見てくる。葛西くんと志度くんは、先に帰ってて」
 おれはそう言うと、貼り紙の家へ向かって走った。
「おいマコト!」
「部長!」
 二人が叫んで追いかけてくる。勝手な行動をしているのは分かっているのに、おれは立ち止まることができなかった。
 黒い幽霊が出る事故物件。貼り紙だらけの呪いの家。
 そんな噂を立てるのは、いつだって生きている人間だ。
 あの家は幽霊屋敷なんかじゃない。どうしても、そう証明したかった。

 コンクリートの塀を曲がった先に、あの家がある。
 強烈な西日を反射し、家屋は輪郭がぼやけてしまうほど照り輝いていた。大量の貼り紙が風にあおられ、バラバラと不穏な音をまき散らしている。
 まるで、家そのものが燃えているようだった。
 弾んだ息のまま家へ近づくと、どこからか甘い香りがした。懐かしくて優しくて、どこか寂しい匂い。何の香りだろう。
 そう思いながら門扉を押したおれは、足元を見て慌てて立ち止まった。
「ユキヤナギだ……」
 真っ白なユキヤナギの花が、まるで行く手を阻むように大量に群生していた。手入れされていないせいか、花はまるでウェディングドレスのように長く長く地面に垂れ下がっている。甘い香りは、この花から漂ってきていたらしい。
 玄関のドアはチェーンで施錠されていたが、花はそこまで続いていた。
 ぼうぜんと立ち尽くしていると、奥の方から音がした。

 ギイイイイ
 ドアが開く音だ。勝手口の方だろうか。
 ユキヤナギをかきわけて家の裏側へ進むと、勝手口のドアがちょうど閉まろうとしていた。
 ドアの向こうに、誰かがいる。
 くすんだブルーの服が、一瞬だけちらりと見えた。青葉学園の制服と、同じ色。
 その姿は見えなかったはずなのに、異様に整った横顔がユキヤナギの向こう側を通り過ぎた気がした。
「夏目くん……?」
 まさか。
 こんな遠い町の、しかもこんな場所に、彼がいるはずない。
 見間違いだと思えば思うほど、ユキヤナギの匂いが肺の中に充満していく。そうだ、これは夏目くんから感じた、あの甘い香りだ。
 彼の制服に、この花の匂いがついていたのか。

「おいマコト! 待てって」
 勝手口へ近付こうとすると、腕をぐいっと引っ張られた。
 背後を振り返ると、葛西くんと志度くんが息を切らしながら立っていた。二人ともユキヤナギの中を通ってきたのか、髪や服に白い花びらがついている。
「危ねぇだろ、中に入るな」
「だけど、夏目くんが」
「え?」
「夏目くんが、この中に入っていくのが見えた」
 勝手口のドアを指さすと、二人は不審げに眉をしかめた。
「まさか。なんでアイツがこんなところにいるんだよ」
「顔が見えたわけじゃないけど、夏目くんだった。早く連れ戻さないと」
 どうして夏目くんがいるのかは分からない。だけど、一人でこんな場所に入るなんて危険すぎる。
 勝手口のドアを勢いよく開けると、後ろの二人が慌てて付いて来た。

「うわ……」
 狭い土間へ一歩踏み入れたとたん、めまいがしそうなほどの異臭に襲われた。カビや腐敗臭とも違う、なにかが焦げたような煙の臭い。
「家ん中でバーベキューでもやったのか?」
 おどけたように葛西くんが呟いたけれど、むしろそうとしか思えないほどの焦げ臭さだった。
 家の中はじっとりと湿っていて、どこも暗い。
 目を凝らしていると、背後から急に明るい光が差し込んだ。志度くんが持ってきた、撮影用の小型照明だ。
「ひっでぇな……」
 ライトで室内をぐるりと一周し、志度くんが呟く。
 彼の言う通り、家の中はぐちゃぐちゃに荒れていた。
 賃貸サイトに掲載されているのだから、中はきれいなものだと思っていたのに、室内は家財道具がそのまま放置されている。汚れた大きなテーブルと、扉が開けっ放しになった空の食器棚。お皿やカップ、グラスなどの食器類は、すべて粉々に割れた状態で床に転がっていた。
 ラーメン屋のおかみさんは、肝試しで中に入る人が多いと言っていた。そういう人たちに、イタズラで割られてしまったのだろうか。
「……夏目くん?」
 真っ暗な部屋に向かって、名前を呼んでみる。
 返事はない。
 声を張り上げてもう一度呼ぶと、奥のほうから何か物音がした。やっぱり、誰かがいるんだ。
 中へ上がるため靴を脱ごうとしたのを、葛西くんに止められた。
「ガラスだらけで危ねぇよ。申し訳ないけど、靴で上がらせてもらおう」
「う、うん……」
 土間から中へ入ると、靴の裏でガラスと砂利を踏んだ感覚があった。
 足の踏み場もないほど床は散乱していたけれど、かろうじてここがキッチンだったことは分かった。扉が半開きになった冷蔵庫、コンロに置かれたフライパン。水のない乾いたシンクには、お菓子や空の弁当箱が放置されている。
「こっちの方から、さっき物音がした気がする」
 キッチンを出ようとすると、志度くんが先に立って廊下を照らした。
「……誰もいないっすね」
 ゴミはあちこちに捨てられているものの、狭い廊下に人影はない。左手には和室の(ふすま)、突き当りに玄関が見える。
――和室に黒い男性の幽霊。
 事故物件サイトの文を思い出し、心臓がドクドクと嫌な音を立てた。
「どうします、いったん外に出ますか」
 振り返ってそう聞く志度くんに、おれは首を振った。
「ううん。早く夏目くんを見つけよう」
 ギシギシと低い音を立てる廊下を、慎重に進む。
 和室の襖が開いて何かが飛び出てくるような妄想をしたけれど、おれたちが前を通っても襖は開かなかった。
 突き当りは玄関で、右手には洗面所がある。曇った鏡は無惨に割れ、赤いペンキがまるで血のように飛び散っていた。
「うわ、ビビった。血かと思った」
 洗面所をのぞいた葛西くんがそう言ったとき、照明の光が不規則にチカチカと点滅した。
「どした、故障か?」
「いや、これ電池式なんで。すぐ入れ替えます」
「ちょい待ち、単一のデカい電池だよな。こっちのバッグだわ」
 しゃがみこんで照明器具をひっくり返す志度くんに、葛西くんが駆け寄る。洗面所に三人いるとさすがに狭いので、おれは外へ出ることにした。

「あれ……」
 洗面所を出たすぐ横に、二階へ繋がる階段がある。
 ついたり消えたりを繰り返すライトが何かに反射し、階段の壁がきらきら光っている。つい気になってしまい近づいてみると、光っていたのは額縁のガラスだと分かった。
 2枚飾られている額縁のうち、片方は写真、もう片方にはなにかの賞状が収められている。
 写真には、メガネをかけた痩せている中年の男性と、同じくらいの年齢の女性が映っていた。そして少し離れたところに、無表情の若い男の人が棒立ちしている。
 きっとこの三人が、田辺家の人たちだ。
 若い男性は黒いダウンジャケットにジーンズという格好で、赤いぼろぼろのブーツを履いている。
「この靴って……」
 どこかで見たブーツだ。そう思ってすぐに、おれはストリートビューに映り込んでいた謎の人影を思い出した。まさか、家の横に立っていたのは息子の『昭一くん』だったのだろうか。
 もう一度画像を確かめようとスマホを探ったとき、背後から強烈な煙の臭いがした。
「ッ……」
 かすかな衣擦れの音がして、背後の空気が揺れたのが分かる。
 すぐ後ろに、誰かがいる。
 心臓が、バクバクと激しく拍動する。
 振り返りたいのに、身体が動かない。
 そして次の瞬間――
 背中をドン! と強く押され、おれの身体は階段を勢いよく転がり落ちた。

 視界がめちゃくちゃに回り、手足があちこちに放り出される。
 照明の灯りが、星のまたたきみたいに脳内で点滅した。
「マコト?!」
 一番下まで落下すると、ひどく慌てた葛西くんの声が聞こえた。すぐに起き上がれずにいると、身体を抱き起される。
「おい、大丈夫か?」
「ご、ごめん……大丈夫」
 ゆっくり目を開けると、葛西くんと志度くんがこちらの顔をのぞき込んでいた。そしてワンテンポ遅れて、右足首に鈍痛が走る。
「いてて……」
 転んだはずみに、挫いてしまったらしい。
「部長、何があったんすか」
「階段で、誰かに押されて……」
 おれが階段の上を指さすと、志度くんがすぐさま照明を当てた。
 電池交換した照明は、さっきよりも強い光でそこを照らし出す。だけれど、階段には誰もいなかった。見えたのは、放置されている段ボール箱だけ。
「でも、さっきたしかに……」
 誰かが後ろにいたはずなのに。
 そう言おうとしたとき。

 ズジャ……ッ、ズジャ……ッ、ズズ……ッ
 家のどこかから、なにかを引きずるような物音がした。
 ズ……ッ、ズズ……ッ、スジャ……
 人の足音だ。誰かが、部屋の中を歩きまわっている。
 まさか、夏目くんだろうか。
「あっちから聞こえる」
「待ってください、部長」
 立ち上がろうとすると、志度くんに肩を思いきり掴まれた。その険しい瞳には、鋭い光が浮かんでいる。
「なんか、おかしくないすか」
「え……?」
「そもそもこの家を調べるようになったのは、夏目が候補に挙げたからですよね」
 数日前、仮入部したばかりの夏目くんを迎えたミーティングを思い出す。
 あさひ町はどうでしょうかと、この家を候補に挙げたのはたしかに夏目くんだ。
「そ、そうだけど」
「オレたちは夏目の言葉に同調して、この家の撮影も取材もした。それで今度は、こうして夏目を追って家の中にまで入ってる」
 ズジャッ、ズジャッ、ズズ……ッ
 足音が、どんどん近づいてきている。
「もしかしたらオレたち、最初からあいつに騙されてたんじゃないですか」
 ズジャ……ッ、ズジャ……ッ、ズズ……ッ
 すぐそこまで、足音が来ている。
 暗い廊下の奥で、なにかが動いたのが分かった。
「おい志度、照明!」
 葛西くんが叫び、はっとしたように志度くんが廊下の奥へ照明を当てる。
 楕円(だえん)形の光が激しく揺れ、眩しさで目がくらむ。

「な……なつめ、くん……?」
 ライトが照らし出したそこには、制服姿の夏目くんが立っていた。
 血の通っていない人形みたいな、青白い肌が闇の中でぼんやり光っている。強いライトを反射する瞳は、じっとおれのことを睨みつけていた。
 その冷たい視線に、ぞっと悪寒が走る。
「おいテメェ!!」
 志度くんがとつぜん大声で怒鳴り、照明器具を床へ放り投げて夏目くんの胸ぐらを掴んだ。
 夏目くんの身体が壁に叩きつけられ、古い襖がガタンと揺れる。
「し……志度くん?!」
「テメェ、こんな事してどうするつもりだ」
「こんな事?」
 大柄な志度くんに詰め寄られているにも関わらず、夏目くんの表情は一切変わらなかった。冷たい瞳で、じっと志度くんの顔を見上げている。
「さっき部長を突き落としたのはテメェだろ。おれたちがこの家を選んでここまで来たのも、学校にあの変な電話が入ったのも、最初からお前が仕組んでたんじゃねぇのか?!」
 こんなに怒りをさらけ出している彼を見るのは初めてだ。その激しい剣幕に、こっちの指先まで震えそうだった。
「どうして僕が、そんなことをする必要があるんです。そもそも、いま僕はあっちの廊下から来たんですよ。階段にいた南さんを突き落とすなんて不可能でしょう」
 そう言うと、夏目くんが唇の端をそっと上げた。いつもの笑顔のはずなのに、まるで笑っているように見えない。
 放り投げられた照明が、古い天井を照らし出す。
 舞い上がったホコリが、黙り込んでいるおれたちへ静かに落ちてきた。
「……夏目くんでは、ないと思う。おれを階段で突き落としてから、廊下の向こうに行くことなんて確かにできないし」
 なにより、あの煙の臭いが彼からは感じられない。
「階段に置いてある段ボールにぶつかったのを、おれが押されたって勘違いしただけなのかも。混乱させてごめん」
 おれが言うと、志度くんは低く舌打ちして夏目くんを離した。
「夏目くん、どうしてこんなところにいるの。君には取材に来ないなんて言ってないし、そもそも中に入るのはルール違反だって前に説明したよね」
「人数は多いほうが良いかと思って、予定を変更して来てしまいました。勝手口が壊れてたので、一人で探索することにしたんです」
 おれの質問に、夏目くんは貼り付けたような笑顔のまま答える。
「一人で探索ってお前……ここの外観見て、よく中に入ろうと思えたな」
 呆れたような顔をする葛西くんに、夏目くんは「皆さんの役に立つことがしたくて」と笑った。
 ウソだ。カモフラージュで仮入部しただけの彼が、事故研に尽くす必要なんて全くない。だけど、夏目くんがこんなことをする理由がまったく分からない。
「皆さんの方こそ、どうしてここに? 家の中に入らないルールを破っているのはお互い様ですよね」
「お前がここに入ってくのをマコトが見て、追いかけてきたんだよ。一人で入るのはさすがに危ねぇだろ」
「そうだったんですか? すみませんでした、南さん」
 申し訳なさそうな顔を作る彼に、おれは言葉を詰まらせた。
 おれを突き落としたのは夏目くんじゃない。だけど、彼はなにかを隠している。
 彼は、いったい何者なんだろう。

「もう、外に出た方がよくないすか。部長の手当もしないと」
 放り投げた照明器具を拾い上げて、志度くんが言った。
「そうだな。マコト、足大丈夫か。立てそう?」
「うん、大丈夫」
 葛西くんに手を借りて、フラフラしながらもなんとか立ち上がる。右足はまだ少し痛いけれど、歩くぶんには問題なさそうだ。
「頭とかぶつけてないよな。ほかに痛いとこねーか?」
 腕や顔を検分するみたいに触られて、ちょっとくすぐったい。
「平気だって。そんな高い所から落ちたわけじゃないし」
 服についた埃とゴミを払っていると、夏目くんがこちらに歩み寄ってきた。
 そして、白い手がゆっくり伸びてくる。
「……ッ」
 驚きのあまり肩をすくませると、彼の指が前髪にそっと触れた。
「ガラスの破片が髪に絡まってました。急に触ってすみません、顔に傷がついたら大変なので」
「あ……ありがとう……」
「行きましょうか。そっちの床、腐って抜けそうな所があるので気を付けてください」
 照明も持っていないのに、夏目くんは暗闇が溜まっている廊下を迷いなく進んでいく。葛西くんに手を借りておれも後に続き、最後尾を志度くんが歩いた。
「夏目、大丈夫かよ。足元見えんのか?」
 葛西くんが呼びかけたが、声が聞こえなかったのか夏目くんは答えない。ローファーが立てる、コツコツという靴音だけが彼がきちんと歩けていることを示していた。
 あの引きずるような音と、夏目くんの足音はまったく違う。あれは夏目くんが近付いてくる足音じゃなかったんだ。
 だったら、誰の足音だ?

 ズジャ……ッ、ズジャ……ッ、ズズ……ッ
 どこか遠くで、引きずるような足音がした。
 慌てて耳を澄ましたけれど、それきり暗闇からの音は聞こえなくなった。