事故物件シークレット研究会

「事故物件研究会に、入りませんか……?」

 緊張のあまり、声が思い切り裏返ってしまった。勧誘チラシを握る手が震え、今にも落としそうになる。まさか、こんな有名人に声をかけることになるなんて。
 こちらを振り返った男子生徒は、一瞬きょとんとした顔で周囲を見渡した。そしてスッと視線を下げ、おれの存在に気付くと首をわずかに傾げて微笑む。
「……はい?」
 その穏やかな仕草と表情に、準備していた言葉がいっきに吹き飛んでしまった。

 いま校内で最も話題の新入生、夏目玲央(なつめ れお)くん。
 入学式で新入生挨拶を務めた彼は、主席合格という成績もさることながら、その華やかなルックスでさっそく学校中の噂の的になっていた。
すらりと高い背丈に艶やかな黒髪、目鼻立ちの整った顔はまるでアンティークドールのよう。アイドルやモデルは骨格からして一般人と異なるとよく聞くけれど、きっとこんな容姿を指すんだろう。腰の位置が恐ろしいほど高く、そして顔のサイズは驚くほど小さい。
 これで中学時代はテニスのジュニアチャンピオンという輝かしい功績を持っているのだから、注目されない方が難しい。
「えっと……あの」
 そんなキラキラした夏目くんを前にして、おれは自分から声を掛けたにも関わらず、呆然と立ち尽くしてしまった。
 どうしよう、勧誘しておいてなんだけれど、取り合ってもらえると思ってなかった。
 昼休みの廊下は、真新しい制服を着た一年生で混み合っている。そのうちの何名かは、通り過ぎざまに氷のような視線をおれに突き立てていった。
「なんだアレ。どこの部?」
「事故ブッケン部? なんてあったっけ。名前ヤバすぎじゃね」
「夏目くんに変な部活の勧誘とか、マジでやめてよ~」
 遠慮のないヒソヒソ話が、嫌でも耳に入ってくる。
 昼休みの部活勧誘は禁止されていないはずだけれど、学園のアイドルに声をかけたのが悪かったのかもしれない。しかも勧誘しているのが、おれみたいな挙動不審な男子生徒ではなおさらだ。赤茶けた癖毛に低い身長、彼と似てるところなんて何一つない。
 自分が場違いな存在だという事に気付き、おれは持っていたチラシをぎゅっと握りしめてしまった。
「あ、あの、急にごめんね。おれ、三年の南マコトっていいます。事故物件研究会っていうところで部長をやってるんだ。いま、部員募集中で……夏目くん、まだ部活に入ってなかったよね。よかったら、チラシだけでも見てもらえないかな」
 一息でそこまで言うと、握りしめていたチラシを夏目くんへ差し出す。けど、そのチラシが無惨なほどクシャクシャに折れて曲がっていることに気付き、慌てて引っ込めた。
 別の新しいチラシと交換しようとするも、予備を入れていたはずのビニール袋は空だ。チラシを補充したと思い込んで、今までずっと空の袋を持ち歩いていたらしい。
 我ながら、どうしてこうなるのか分からない。
「あれ……ッ、ど、どうしよう」
 あたふたしていると、ずっと黙り込んでいた夏目くんがふいに白い手を伸ばした。そして、おれの手からチラシをスッと抜き取る。
「ありがとうございます、南さん。検討してみますね」
 春の青空を思わせる、爽やかで優しい声。
 折れ曲がったチラシをまっすぐに伸ばしながら、噂の新入生はにっこりとほほ笑んだ。
「ほ、ほんとうに……?!」
 思ってもみなかった反応に、つい声が弾む。この一週間で30人以上声をかけたけれど、その全員から断られ続けたのに。
 もしかしたら、このチラシに彼の興味を引くものがあったのだろうか。みるみる胸が熱くなり、おれは背伸びして夏目くんの顔を覗き込んだ。
「夏目くん、事故物件って知ってるかな。家の中で事故が起きたせいで、良くないイメージがついちゃった物件のことなんだけど……。変な噂が広まってる家を調べて、その本当の原因を追究してるんだよ。あ、どうせなら活動報告の資料とか持ってこれば良かった」
 部の活動報告はSNSにも載せている。それを思い出してスマホを取り出したものの、興奮しすぎたせいでロック解除のパスコードがうまく打てない。モタモタした挙句、おれはスマホを諦めてポケットにしまい込んだ。
「と、とにかく、事故物件はオカルトじゃない。それが、うちのモットーなんだ」
 胸を張ってそう言い切った次の瞬間、おれはハッと我に返った。
 またやってしまった。
 夢中になってつい熱弁してしまい、相手を置き去りにして引かれるパターン。部活の話になると、いつもこうだ。
 絶対に引かれてる……。そう思って恐る恐る顔を上げると、夏目くんはおれを見下ろしたまま微笑んでいた。というか、さっきからずっと同じ表情を貼り付けている、と言ったほうが正しい。
 おれに引いてはいないし、呆れてもいない。だけど、瞳の奥が笑ってない。
――なんだか、仮面みたいな笑顔だ。

 そう思ったとき、夏目くんの表情が動いた。きれいなアーチ型の眉を寄せ、申し訳なさそうに苦笑する。
「お誘いありがとうございます。実は先輩たちから色々お話を聞いて、入部をどこにするかまだ迷っているんです」
 よく見ると、彼の左手にはすでに複数枚の勧誘チラシが握られていた。どうやら昇降口から教室までの数メートルの間で、すでに他部から大量の勧誘を受けていたらしい。いちいち断るのが面倒で、とりあえず全てのチラシを笑顔で受け取っているんだろう。
「あ……そっか、そうだよね……」
 そうとも気付かず、求められてもいない説明を延々と続けてバカみたいだ。恥ずかしさのあまり、目元から耳までかっと熱くなる。
「ごめんね、一方的にまくし立てちゃって」
「とんでもない。もし心が決まったら、部室に伺いますね」
 律義にお辞儀をしてくれる夏目くんに何度もぺこぺこ頭を下げ、おれは逃げるように新校舎を引き揚げた。
 早とちりな自分がみじめで、もはや泣きたい。その辺に穴でもあったらスライディングして飛び込んでるところだった。スライディングなんかできないけど。
「夏目くん、やっぱりテニス部が本命なのかなぁ……」
 ここ青葉学園は『生徒の社会性と協調性』というものをやたら重んじていて、全生徒が必ず何かしらの部活へ入ることが義務付けられている。
 入学式から一週間経った今でも入部先が決まっていない一年生は貴重な存在だ。おれの所属する事故物件研究会――略して事故研――は、そんなフリーの新入生を引き入れようと必死だった。
 今のところ、新しい入部希望者はゼロ。だけど、やれることはやった。
 この熱意は、きっと誰かに届いている……と思いたい。