週に一度、恋をする

月曜日の外来は、いつも慌ただしい。

 採血の呼び出し音。
 電子カルテを叩くキーボードの音。
 待合で咳をする患者の声。
 ナースコール。
 処置の確認。

 休む暇もなく動き続けているのに、不思議と日菜の意識は別の場所に向いていた。

 今日は火曜日だった。

 遠野が来る日だ。

「月島さん、次の患者さん入ります」

「あ、はい」

 返事が少し遅れた自分に気づき、日菜は慌てて表情を戻す。

 何をしているんだろう。

 たった週に一度顔を合わせるだけの相手なのに。
 連絡先も知らない。
 約束もない。

 それなのに、一週間が長い。

 九時を少し過ぎた頃、診察室の扉が開いた。

「おはようございます」

 遠野の声だった。

 その瞬間、自分でも分かるくらい胸が跳ねた。

「……おはようございます」

 平静を装ったつもりだったが、声が少しだけ柔らかくなる。

 遠野は白衣の袖を整えながら、いつものように穏やかに笑った。

「今日は混んでますね」

「月曜日明けですから」

「なるほど」

 それだけの会話。

 本当に、それだけ。

 けれど日菜は、その短い時間だけで朝から張り詰めていたものが少し緩むのを感じていた。

 診察が始まると、遠野は驚くほど丁寧に患者の話を聞く。

 急かさない。
 否定しない。
 高齢の患者が同じ話を繰り返しても、途中で遮らない。

 忙しい外来では珍しいくらいだった。

「先生って、優しいですよね」

 昼前、カルテを確認しながら日菜が言うと、遠野は苦笑した。

「そう見えますか?」

「見えます」

「月島さんは?」

「え?」

「優しい人だと思いますよ」

 不意だった。

 日菜は思わず動きを止める。

「……そんなことないです」

「そうですか?」

 遠野はそれ以上言わなかった。

 けれど、その何気ない一言が、昼休憩のあとも、帰宅してからも、頭から離れなかった。

 優しい。

 最近、誰かにそんなふうに言われたことがあっただろうか。

 家では、母親として動くのが当たり前で。
 職場では、看護師として働くのが当たり前で。

 “自分自身”を見られることなんて、ほとんどなかった。

 夜。

 子どもを寝かせたあと、リビングで洗濯物を畳んでいると、夫がスマホを見たまま言った。

「明日、帰り遅いから」

「……うん」

 会話は、それで終わった。

 昔は違った気がする。
 もっと、色々な話をしていた。

 いつから、必要なことしか言わなくなったんだろう。

 静かな部屋の中で、日菜は洗濯物を畳む手を止める。

 今日、遠野に言われた言葉を思い出した。

『優しい人だと思いますよ』

 たったそれだけなのに。

 そんな一言だけで救われてしまう自分が、少し怖かった。