週に一度、恋をする

「最後って言わないでください」

 言った瞬間、日菜は息を呑んだ。

 自分でも信じられなかった。

 そんなことを言うつもりじゃなかった。

 でも。

 終わるのが嫌だった。

 その気持ちだけは本当だった。

 階段踊り場に沈黙が落ちる。

 遠野は何も言わない。

 ただ、少し驚いた顔で日菜を見ていた。

「……すみません」

 先に視線を逸らしたのは日菜だった。

「今の忘れてください」

「無理です」

 即答だった。

 遠野は苦しそうに笑う。

「最近、そればっかりですね」

 日菜も少しだけ笑った。

 笑った瞬間、泣きそうになる。

 こんな時間が続けばいいと思ってしまうから。

「月島さん」

「はい」

「一つだけ聞いていいですか」

 遠野の声が少し低くなる。

 日菜の胸がざわつく。

「……はい」

「僕と同じですか」

 呼吸が止まる。

 聞かれた意味は分かっていた。

 分かってしまった。

 だから答えられない。

 遠野も、それ以上は言わない。

 ただ静かに待っている。

 窓の外では風が揺れていた。

 病院のざわめきが遠く聞こえる。

 現実はすぐそこにあるのに。

 二人だけ別の場所にいるみたいだった。

「先生」

 声が震える。

「聞かないでください」

 それが精一杯だった。

 遠野は目を閉じる。

 そして小さく頷いた。

「ごめんなさい」

 優しい声。

 でも。

 日菜はもう分かっていた。

 聞かないでほしいのは、答えがあるからだ。

 答えられないだけで。

 否定できないだけで。

「私」

 言葉が漏れる。

 遠野が顔を上げる。

 日菜は唇を噛んだ。

 本当は言いたい。

 全部。

 会いたかったこと。

 火曜日を待っていたこと。

 名前を呼ばれて嬉しかったこと。

 全部。

 でも。

 娘の顔が浮かぶ。

 夫の「ただいま」が聞こえる。

 だから言えない。

「……帰ります」

 逃げるようにそう言った。

 遠野は引き止めなかった。

 ただ。

「月島さん」

 呼び止める。

 日菜は振り返らない。

「僕は」

 遠野の声が少しだけ震えていた。

「言わないでおきます」

 胸が痛い。

 その続きを聞かなくても分かる。

 言わない。

 でも。

 伝わっている。

 二人とも。

 だから苦しい。

 だから離れられない。

 日菜はそのまま歩き出した。

 一度も振り返らなかった。

 振り返ったら。

 本当に戻れなくなる気がしたから。