『今、隣に行きたいって思ってます』
その言葉のあと、日菜は何も返せなかった。
苦しい。
嬉しい。
怖い。
全部が一緒に押し寄せて、息がうまくできない。
『……ごめんなさい』
遠野が静かに言う。
『困らせることしかできない』
「先生」
日菜は小さく息を吐いた。
「これ以上、優しくされたら……」
続きが言えない。
遠野は黙ったまま待っていた。
その沈黙が、余計に苦しい。
「私、本当に戻れなくなる」
ようやく出た声は震えていた。
電話の向こうで、遠野がゆっくり息を吐く。
『もう、半分くらい戻れてない気がします』
涙が出そうになる。
同じだった。
二人とも分かっている。
これは、越えてはいけない感情だ。
『月島さん』
「はい」
『一回、ちゃんと話しませんか』
胸が大きく鳴る。
「……話してます」
『病院じゃなくて』
呼吸が止まりそうになる。
病院の外。
つまり、“ただの同僚”じゃない場所。
「先生」
『会いたいです』
真っ直ぐな声だった。
誤魔化さない。
逃げない。
その言葉が、どうしようもなく胸へ刺さる。
会いたい。
本当は、自分も同じだった。
でも。
もし会ったら。
もう、“何もない関係”ではいられない気がした。
「……駄目です」
絞り出すように言う。
『どうしてですか』
「会ったら、たぶん好きになるから」
言った瞬間、静寂が落ちた。
しまったと思った。
もう隠せない。
遠野は何も言わない。
でも電話の向こうで、息を呑む気配だけが伝わる。
「ごめんなさい」
日菜は慌てて言葉を重ねる。
「今の忘れてください」
『無理です』
即答だった。
苦しいくらい優しい声。
『そんなこと言われて、忘れられるわけない』
胸が熱い。
もう駄目だ。
自分たちは、完全に境界線の外へ来てしまった。
しばらく沈黙が続く。
でも、不思議と切れなかった。
ただ相手の呼吸を聞いているだけで、離れたくなくなる。
その時だった。
玄関の開く音。
日菜の身体が強張る。
夫が帰ってきた。
「……っ」
『月島さん?』
遠野の声。
日菜は咄嗟に口を押さえる。
リビングから夫の足音が聞こえる。
「ただいまー」
日常の声。
現実の音。
その瞬間、日菜は急激に怖くなった。
何をしているんだろう。
自分は。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
『え?』
「切ります」
震える指で通話を終える。
スマホの画面が暗くなる。
その暗闇の中で、日菜はしばらく動けなかった。
“会わない”
そう決めていたはずなのに。
もう心だけは、完全に遠野へ向かってしまっていた。
その言葉のあと、日菜は何も返せなかった。
苦しい。
嬉しい。
怖い。
全部が一緒に押し寄せて、息がうまくできない。
『……ごめんなさい』
遠野が静かに言う。
『困らせることしかできない』
「先生」
日菜は小さく息を吐いた。
「これ以上、優しくされたら……」
続きが言えない。
遠野は黙ったまま待っていた。
その沈黙が、余計に苦しい。
「私、本当に戻れなくなる」
ようやく出た声は震えていた。
電話の向こうで、遠野がゆっくり息を吐く。
『もう、半分くらい戻れてない気がします』
涙が出そうになる。
同じだった。
二人とも分かっている。
これは、越えてはいけない感情だ。
『月島さん』
「はい」
『一回、ちゃんと話しませんか』
胸が大きく鳴る。
「……話してます」
『病院じゃなくて』
呼吸が止まりそうになる。
病院の外。
つまり、“ただの同僚”じゃない場所。
「先生」
『会いたいです』
真っ直ぐな声だった。
誤魔化さない。
逃げない。
その言葉が、どうしようもなく胸へ刺さる。
会いたい。
本当は、自分も同じだった。
でも。
もし会ったら。
もう、“何もない関係”ではいられない気がした。
「……駄目です」
絞り出すように言う。
『どうしてですか』
「会ったら、たぶん好きになるから」
言った瞬間、静寂が落ちた。
しまったと思った。
もう隠せない。
遠野は何も言わない。
でも電話の向こうで、息を呑む気配だけが伝わる。
「ごめんなさい」
日菜は慌てて言葉を重ねる。
「今の忘れてください」
『無理です』
即答だった。
苦しいくらい優しい声。
『そんなこと言われて、忘れられるわけない』
胸が熱い。
もう駄目だ。
自分たちは、完全に境界線の外へ来てしまった。
しばらく沈黙が続く。
でも、不思議と切れなかった。
ただ相手の呼吸を聞いているだけで、離れたくなくなる。
その時だった。
玄関の開く音。
日菜の身体が強張る。
夫が帰ってきた。
「……っ」
『月島さん?』
遠野の声。
日菜は咄嗟に口を押さえる。
リビングから夫の足音が聞こえる。
「ただいまー」
日常の声。
現実の音。
その瞬間、日菜は急激に怖くなった。
何をしているんだろう。
自分は。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
『え?』
「切ります」
震える指で通話を終える。
スマホの画面が暗くなる。
その暗闇の中で、日菜はしばらく動けなかった。
“会わない”
そう決めていたはずなのに。
もう心だけは、完全に遠野へ向かってしまっていた。
