週に一度、恋をする

 その夜、日菜は何度もスマホを見ていた。

 連絡なんて来ない。

 分かっている。

 遠野はそんな人じゃない。

 ちゃんと距離を守ろうとする人だ。

 だから余計に苦しい。

 リビングでは夫がテレビを見ている。

 娘は隣で宿題をしていた。

 いつもの夜。

 何も変わらない。

 なのに、自分の心だけがどこか別の場所にある気がした。

「ママ、これ分かんない」

「あ、ごめん」

 慌てて娘のノートを見る。

 ちゃんとしなきゃ。

 母親なんだから。

 そう思うほど、遠野の顔が浮かぶ。

 ――会いたい。

 その感情を認めた瞬間、日菜は小さく息を呑んだ。

 駄目だ。

 こんなの。

 スマホが震えたのは、その時だった。

 胸が大きく鳴る。

 でも表示されたのは、病院からの業務連絡だった。

 日菜は自分で思っていた以上に落胆していることに気づいて、苦笑する。

 重症だ。

 こんなの、完全に。

 深夜。

 家族が寝静まったあと、日菜は一人でキッチンに立っていた。

 冷蔵庫のモーター音だけが静かに響く。

 手にはスマホ。

 通話履歴を開く。

 遠野。

 その名前を見るだけで苦しい。

 消した方がいい。

 本当に。

 見られたら困る。
 自分でも危ないと思っている。

 なのに。

 指が動かない。

 その時、不意に着信画面が表示された。

 心臓が止まりそうになる。

 遠野。

 表示された名前を見た瞬間、日菜は息を止めた。

 数秒迷ってから、震える指で通話を押す。

「……はい」

『起きてました?』

 低い声。

 それだけで胸が熱くなる。

「先生こそ」

『すみません。迷惑ですよね』

「……そんなことないです」

 言ってしまってから、日菜は目を閉じる。

 “そんなことない”

 それはつまり、電話が嬉しいということだ。

 遠野は少し黙ったあと、小さく笑った。

『安心しました』

 沈黙。

 でも不思議と苦しくない。

 ただ声を聞いているだけなのに、近く感じる。

『月島さん』

「はい」

『番号、消せますか?』

 胸が強く鳴る。

「……え?」

『このままだと、たぶん僕また電話してしまう』

 苦しそうな声だった。

 日菜は何も言えない。

 消さなきゃいけない。

 本当は。

 でも。

『月島さんが困るなら、消した方がいい』

 優しい言い方。

 最後まで、自分より日菜を優先する。

 その優しさに、胸が締めつけられる。

「……先生は?」

『え?』

「先生は、消せますか」

 聞いた瞬間、自分で驚く。

 遠野は少しだけ黙った。

 それから、掠れた声で言った。

『無理です』

 その一言で。

 日菜の心は、完全に戻れなくなってしまった。