火曜日が終わったあとの病院は、少しだけ空虚だった。
昼間の喧騒が嘘みたいに静かで、処置室には消毒液の匂いだけが残っている。
日菜は記録を入力しながら、小さく息を吐いた。
疲れている。
身体も。
たぶん心も。
「まだ残ってたんですね」
その声だけで、胸が揺れる。
振り返ると、遠野が白衣を脱ぎながら立っていた。
「先生こそ」
「カルテ終わらなくて」
少し疲れた笑顔。
その顔を見るだけで安心してしまう自分が嫌だった。
「月島さん」
「はい?」
「怒ってます?」
「え?」
「今日、ちょっと距離ある」
あまりにも真っ直ぐ言われて、日菜は言葉を失う。
気づかれていた。
隠せていると思っていたのに。
「……そんなことないです」
「あります」
遠野は穏やかな声のまま言った。
「僕、何かしました?」
その言い方がずるいと思った。
責めるわけでもなく、困らせるわけでもなく。
ただ、ちゃんと気づいてしまう。
日菜は視線を落とした。
「先生が優しいからです」
言った瞬間、自分で驚く。
何を言ってるんだろう。
遠野も少し目を見開いた。
処置室が静まり返る。
「……優しくされたら、困るんです」
声が震えそうになる。
「勘違いしそうになるから」
そこまで言って、日菜は後悔した。
言い過ぎた。
もう誤魔化せない。
遠野はしばらく何も言わなかった。
ただ静かに日菜を見ている。
その沈黙が苦しい。
「月島さん」
低い声。
名前を呼ばれるだけで、胸が痛い。
「勘違いじゃなかったら?」
息が止まる。
時間が止まったみたいだった。
何も言えない。
言葉にした瞬間、全部が壊れてしまう気がした。
「……先生」
「すみません」
遠野は先に視線を逸らした。
「困らせるつもりじゃなかった」
静かな声だった。
けれど、その声の方が苦しい。
日菜は唇を噛む。
本当は嬉しかった。
嬉しくて、どうしようもなかった。
でも。
嬉しいと思ってしまった時点で、もう駄目だと思った。
「帰ります」
逃げるみたいに鞄を掴む。
遠野は引き止めなかった。
ただ、小さく言う。
「気をつけて帰ってください」
最後まで優しい。
その優しさが、一番残酷だった。
車へ乗り込んだ瞬間、日菜は深く息を吐いた。
手が震えている。
勘違いじゃなかったら。
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
嬉しい。
怖い。
戻れない。
フロントガラスの向こうで、街の灯りがぼやけていた。
昼間の喧騒が嘘みたいに静かで、処置室には消毒液の匂いだけが残っている。
日菜は記録を入力しながら、小さく息を吐いた。
疲れている。
身体も。
たぶん心も。
「まだ残ってたんですね」
その声だけで、胸が揺れる。
振り返ると、遠野が白衣を脱ぎながら立っていた。
「先生こそ」
「カルテ終わらなくて」
少し疲れた笑顔。
その顔を見るだけで安心してしまう自分が嫌だった。
「月島さん」
「はい?」
「怒ってます?」
「え?」
「今日、ちょっと距離ある」
あまりにも真っ直ぐ言われて、日菜は言葉を失う。
気づかれていた。
隠せていると思っていたのに。
「……そんなことないです」
「あります」
遠野は穏やかな声のまま言った。
「僕、何かしました?」
その言い方がずるいと思った。
責めるわけでもなく、困らせるわけでもなく。
ただ、ちゃんと気づいてしまう。
日菜は視線を落とした。
「先生が優しいからです」
言った瞬間、自分で驚く。
何を言ってるんだろう。
遠野も少し目を見開いた。
処置室が静まり返る。
「……優しくされたら、困るんです」
声が震えそうになる。
「勘違いしそうになるから」
そこまで言って、日菜は後悔した。
言い過ぎた。
もう誤魔化せない。
遠野はしばらく何も言わなかった。
ただ静かに日菜を見ている。
その沈黙が苦しい。
「月島さん」
低い声。
名前を呼ばれるだけで、胸が痛い。
「勘違いじゃなかったら?」
息が止まる。
時間が止まったみたいだった。
何も言えない。
言葉にした瞬間、全部が壊れてしまう気がした。
「……先生」
「すみません」
遠野は先に視線を逸らした。
「困らせるつもりじゃなかった」
静かな声だった。
けれど、その声の方が苦しい。
日菜は唇を噛む。
本当は嬉しかった。
嬉しくて、どうしようもなかった。
でも。
嬉しいと思ってしまった時点で、もう駄目だと思った。
「帰ります」
逃げるみたいに鞄を掴む。
遠野は引き止めなかった。
ただ、小さく言う。
「気をつけて帰ってください」
最後まで優しい。
その優しさが、一番残酷だった。
車へ乗り込んだ瞬間、日菜は深く息を吐いた。
手が震えている。
勘違いじゃなかったら。
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
嬉しい。
怖い。
戻れない。
フロントガラスの向こうで、街の灯りがぼやけていた。
