週に一度、恋をする

『あ、月島さん?』

 遠野の声だった。

 一瞬、息が止まる。

「……先生?」

『すみません、急に電話して』

 低くて落ち着いた声が、耳に近い。

 病院で聞くのとは違う響きに、日菜の心臓が速くなる。

「いえ……どうしたんですか?」

『今日、休んでしまったので』

「体調、大丈夫ですか?」

『熱は下がりました。たぶん疲れです』

 少し掠れた声だった。

 日菜はハンドルを握る手に力が入る。

 本当は会いたかった。

 そう思っていた相手が、今、自分に電話をしている。

 それだけで胸が苦しくなる。

『あの』

「はい」

『カルテの件、伝わってるかなと思って』

「あ……はい、大丈夫でした」

 本当に業務連絡だった。

 たぶん、電話をかけなくても困らない程度の。

 それでも。

 遠野が自分に連絡をくれたことが、嬉しかった。

『よかった』

 電話の向こうで、小さく息を吐く気配がする。

 一瞬、沈黙が落ちた。

 切ろうと思えば切れる時間。

 なのに、どちらも言葉を探している。

「先生」

『はい?』

「ちゃんと休んでくださいね」

 言った瞬間、少しだけ後悔した。

 優しすぎる言い方だった気がした。

 けれど遠野は静かに笑った。

『月島さんって、本当に優しいですね』

 また、その言葉。

 日菜は苦しくなる。

 優しくなんてない。

 ただ、自分がそう言われたいだけだ。

『今日、病院静かでした?』

「え?」

『僕いないと平和かなって』

 少し冗談っぽい声。

 日菜は思わず笑ってしまう。

「そんなことないです」

『じゃあ、少しは寂しかった?』

 心臓が止まりそうになる。

 冗談なのか、本気なのか分からない声だった。

 答えられない。

 答えてしまったら、何かが変わってしまう気がした。

「……先生、熱あります?」

 ようやく絞り出した言葉に、遠野が笑う。

『ありますね』

 二人で笑った。

 その空気が、あまりにも自然で。

 電話越しなのに、近い。

『すみません』

「え?」

『声、聞きたくなってしまって』

 静かな声だった。

 言った本人も驚いているみたいに、少しだけ掠れていた。

 日菜は何も言えなかった。

 胸の奥が熱い。

 嬉しい。
 怖い。
 戻れなくなる。

 色んな感情が一気に押し寄せる。

 車の窓を、細かな雨粒が叩いていた。

『……困らせました?』

「……少しだけ」

 本当は、かなり。

 でもそう言うと、遠野は優しく笑った。

『ですよね』

 その笑い方が、どうしようもなく好きだと思ってしまった。

 電話が終わったあとも、日菜はしばらく動けなかった。

 暗い車内で、スマホの画面だけが小さく光っている。

 ――声を聞きたくなってしまって。

 たったその一言で。

 もう戻れないところまで来ている気がした。