大会当日。
カーテンの隙間から差し込む朝の光は、驚くほど真っ白で、鋭い。
昨夜の、あの電話。
「誰よりも、応援してるから」
耳の奥で、彼女の震えるような声が何度も何度もリフレインする。
布団を被ってのたうち回ったあの熱が、まだ頬に残っている気がして、僕は慌てて洗面所に駆け込み、冷水で顔を洗った。
鏡の中の自分は、寝不足のくせに、これまでの三年間で一度も見たことがないほどギラついた目をしていた。
(……クソ。よりによって、このタイミングかよ)
この三年間、僕は彼女の前で「かっこ悪い自分」を隠すために逃げ続けてきた。
けれど、あんな風にまっすぐに、剥き出しの応援をぶつけられてしまったら、もう逃げ道なんてどこにもない。かっこ悪いところなんて、死んでも見せられない。
いや、見せたくない。「センスがない」と自覚しているからこそ、せめて彼女の真っ直ぐな言葉に釣り合うだけの、泥臭い執念だけはバッターボックスに持っていきたい。
そんな青臭い決意が、胃の奥で熱い塊となって渦巻いていた。
球場へ向かうバスの車内。
仲間たちが緊張を紛らわせようと冗談を言い合う声も、遠くの波音のようにしか聞こえない。
僕はただ、窓の外を流れる景色を見つめながら、昨夜受話器越しに聞いた彼女の呼吸音を思い出していた。
球場に着き、埃っぽいロッカールームでユニフォームに袖を通す。
背番号「16」。
スタメンではない、控えの数字。
けれど、今の僕にはこの「16」が、かつて夢見た1桁の背番号よりも誇らしく、重い。
ベンチの隅で、スパイクの紐を一箇所ずつ、指先が白くなるほどきつく締め直していると、影が差した。
「……あーあ。見てくださいよ、この顔」
静寂を切り裂いたのは、あの生意気な後輩の声だった。
ショートのスタメンである彼は、相変わらず汚れ一つないユニフォームを涼しげに着こなし、新品同様に磨き上げたグラブを指先で器用に回している。彼は僕の目の前にしゃがみ込むと、これ見よがしにニヤニヤしながら僕の顔を覗き込んできた。
「なんすか先輩。昨日のお通夜みたいな顔が、今日は『一世一代の勝負に出る新郎』みたいになってますね。……あー、さては昨日、いいことあったな?」
「……な、何のことだよ。お前には関係ねーだろ」
僕は慌てて視線を逸らしたが、顔が急激に熱くなるのを止められなかった。
かっこいいところを見せたいと意気込んでいる矢先に、このクソ生意気な後輩に心を読み透かされるのは、あまりにもタイミングが悪すぎる。
「隠したって無駄っすよ。鼻の下、五センチくらい伸びてますもん。幼なじみさん、そんなに情熱的なこと言ってくれたんすか? 『打ったらチューしてあげる』とか?」
「……お前、マジで一回殴らせろ! 違うって言ってんだろ!」
「ははっ! 否定が激しすぎて答え合わせ完了っす。……でも、まあ」
後輩は不意にトーンを落とし、僕の隣に腰を下ろした。
彼は自分のグラブのウェブをグイッと引っ張って調子を確かめながら、僕には顔を向けないまま、ボソリと呟いた。
「……いいんじゃないっすか。今の先輩、ここ三年間で一番マシな顔してますよ。……いいっすよ、そのギラつき。僕が三遊間の打球全部捌いてやるんで、先輩はバット振ることだけ考えててください」
「……お前に言われなくても、そのつもりだよ」
「期待してますよ。昨日の電話で、先輩の『センスのなさ』を上書きするくらいの『執念』、フルチャージしてきたんでしょ? 先輩がもし今日、情けない三振なんてしたら、僕、幼なじみさんにチクりますからね。『あいつ、全然本気じゃなかったっすよ』って」
煽りの中に混じった、絶対的な信頼。
中学で挫折し、自分の限界を勝手に決めて野球を嫌いになろうとしていた僕に、この生意気な後輩は最後まで「逃げ道」を作らせてくれなかった。
「……おう。お前こそ、エラーすんなよ。お前の後ろには俺がいねーんだからな」
「僕を誰だと思ってるんすか。 エラーなんて都市伝説っす。……さあ、行きましょうか、先輩」
後輩はそう言い残すと、眩しい光が溢れるグラウンドへと弾けるように駆けていった。
ベンチの外からは、吹奏楽の応援歌と、地鳴りのような歓声が聞こえてくる。
(……見てろよ。お前の応援、絶対に無駄にはさせないからな)
僕は、彼女の言葉でパンパンに膨らんだ胸を落ち着かせるように一つ深く呼吸し、彼女がいるはずのスタンドを一度だけ見上げてから、戦場へ
カーテンの隙間から差し込む朝の光は、驚くほど真っ白で、鋭い。
昨夜の、あの電話。
「誰よりも、応援してるから」
耳の奥で、彼女の震えるような声が何度も何度もリフレインする。
布団を被ってのたうち回ったあの熱が、まだ頬に残っている気がして、僕は慌てて洗面所に駆け込み、冷水で顔を洗った。
鏡の中の自分は、寝不足のくせに、これまでの三年間で一度も見たことがないほどギラついた目をしていた。
(……クソ。よりによって、このタイミングかよ)
この三年間、僕は彼女の前で「かっこ悪い自分」を隠すために逃げ続けてきた。
けれど、あんな風にまっすぐに、剥き出しの応援をぶつけられてしまったら、もう逃げ道なんてどこにもない。かっこ悪いところなんて、死んでも見せられない。
いや、見せたくない。「センスがない」と自覚しているからこそ、せめて彼女の真っ直ぐな言葉に釣り合うだけの、泥臭い執念だけはバッターボックスに持っていきたい。
そんな青臭い決意が、胃の奥で熱い塊となって渦巻いていた。
球場へ向かうバスの車内。
仲間たちが緊張を紛らわせようと冗談を言い合う声も、遠くの波音のようにしか聞こえない。
僕はただ、窓の外を流れる景色を見つめながら、昨夜受話器越しに聞いた彼女の呼吸音を思い出していた。
球場に着き、埃っぽいロッカールームでユニフォームに袖を通す。
背番号「16」。
スタメンではない、控えの数字。
けれど、今の僕にはこの「16」が、かつて夢見た1桁の背番号よりも誇らしく、重い。
ベンチの隅で、スパイクの紐を一箇所ずつ、指先が白くなるほどきつく締め直していると、影が差した。
「……あーあ。見てくださいよ、この顔」
静寂を切り裂いたのは、あの生意気な後輩の声だった。
ショートのスタメンである彼は、相変わらず汚れ一つないユニフォームを涼しげに着こなし、新品同様に磨き上げたグラブを指先で器用に回している。彼は僕の目の前にしゃがみ込むと、これ見よがしにニヤニヤしながら僕の顔を覗き込んできた。
「なんすか先輩。昨日のお通夜みたいな顔が、今日は『一世一代の勝負に出る新郎』みたいになってますね。……あー、さては昨日、いいことあったな?」
「……な、何のことだよ。お前には関係ねーだろ」
僕は慌てて視線を逸らしたが、顔が急激に熱くなるのを止められなかった。
かっこいいところを見せたいと意気込んでいる矢先に、このクソ生意気な後輩に心を読み透かされるのは、あまりにもタイミングが悪すぎる。
「隠したって無駄っすよ。鼻の下、五センチくらい伸びてますもん。幼なじみさん、そんなに情熱的なこと言ってくれたんすか? 『打ったらチューしてあげる』とか?」
「……お前、マジで一回殴らせろ! 違うって言ってんだろ!」
「ははっ! 否定が激しすぎて答え合わせ完了っす。……でも、まあ」
後輩は不意にトーンを落とし、僕の隣に腰を下ろした。
彼は自分のグラブのウェブをグイッと引っ張って調子を確かめながら、僕には顔を向けないまま、ボソリと呟いた。
「……いいんじゃないっすか。今の先輩、ここ三年間で一番マシな顔してますよ。……いいっすよ、そのギラつき。僕が三遊間の打球全部捌いてやるんで、先輩はバット振ることだけ考えててください」
「……お前に言われなくても、そのつもりだよ」
「期待してますよ。昨日の電話で、先輩の『センスのなさ』を上書きするくらいの『執念』、フルチャージしてきたんでしょ? 先輩がもし今日、情けない三振なんてしたら、僕、幼なじみさんにチクりますからね。『あいつ、全然本気じゃなかったっすよ』って」
煽りの中に混じった、絶対的な信頼。
中学で挫折し、自分の限界を勝手に決めて野球を嫌いになろうとしていた僕に、この生意気な後輩は最後まで「逃げ道」を作らせてくれなかった。
「……おう。お前こそ、エラーすんなよ。お前の後ろには俺がいねーんだからな」
「僕を誰だと思ってるんすか。 エラーなんて都市伝説っす。……さあ、行きましょうか、先輩」
後輩はそう言い残すと、眩しい光が溢れるグラウンドへと弾けるように駆けていった。
ベンチの外からは、吹奏楽の応援歌と、地鳴りのような歓声が聞こえてくる。
(……見てろよ。お前の応援、絶対に無駄にはさせないからな)
僕は、彼女の言葉でパンパンに膨らんだ胸を落ち着かせるように一つ深く呼吸し、彼女がいるはずのスタンドを一度だけ見上げてから、戦場へ
