「あざした!」
灼熱の太陽が容赦なく照りつけるグラウンドに、やる気があるんだかないんだか分からない声が響き渡った。
喉の奥を震わせるだけの、実体の伴わない挨拶。
それは、厳しい練習をようやく耐え抜いたという解放感と、明日もまた同じ地獄が待っているという絶望が入り混じった、僕たちの「終わりの合図」だ。
西日に照らされた黒いワゴン車が、乾いた砂埃を龍のように巻き上げながら校門を抜けていく。
その赤いテールランプが、曲がり角の先で完全に視界から消えるまで、僕たちは微動だにせず、背筋を伸ばして直立不動を貫いていた。
それが、この弱小野球部における唯一の「正解」だからだ。
「……よし、行ったぞ」
誰からともなく漏れた声を合図に、張り詰めていた空気が一気に弛緩した。
「マジで、あのハゲ監督。弱小のくせに練習メニューだけは名門校並みなのおかしいだろ」
「本当。あの無意味な十本ダッシュ、マジで膝ぶっ壊すためだけにやってるでしょ。非効率極まりないわ」
僕が吐き捨てると、周りの同級生たちも「それな」「コスパ悪すぎ」と口々に同意した。
僕たちは、部室へと続くコンクリートの道を、重い足取りで進んでいく。
カビ臭さと、何年も染み付いた汗の匂いが混じり合う、狭苦しい部室。そこは、僕たちが唯一、監督という絶対権力から解放される「聖域」だった。
「お前もそう思うだろ?」
僕は、隣でユニフォームを脱ぎ捨てていた後輩に話を振った。
一学年下ながらスタメンの座を勝ち取っている彼は、僕たち先輩にも臆することなく、ニヤリと生意気な笑みを浮かべた。
「いや、マジでそれっすよ。あいつ、自分が現役だった頃の根性論をそのまま押し付けてきてるだけじゃないっすか。今の練習、科学的に見たらマイナスでしかないっすよ」
「だろ? 後輩のお前がそう言うなら間違いないわ。あんな練習続けてたら、勝てるもんも勝てなくなるよな」
部室の中は、監督への悪口という共通の敵を持つことで、奇妙な一体感に包まれていた。
「意味分かんねーわ、あんな必死こいて。どうせ一回戦負け確定なのにさ」
「本当、なんでこんな弱小校で必死こいてんだろ。意味分かんねーわ」
着替えながら、自分たちの滑稽さに苦笑いが出る。
僕は知っている。
中学の時に、自分が「最強」どころか「平均以下」だと思い知らされたあの瞬間から、野球はもう、ただの苦行でしかない。
でも、こうやって部室で馬鹿話をしながら、同じ不満を共有している時間だけは、自分がまだ「野球部員」という居場所を持っているのだと実感できた。
「帰りどっか寄っていこうぜ」
誰かがそう言って、部室の鍵を閉める。
僕たちは駅へと向かう道すがらも、最新のスマホゲームの話や、クラスの女子の話を織り交ぜながら、野球の話題を巧妙に避けて歩いた。
夕方のラッシュで混み合う電車に乗り込む。
僕たちの周りには、泥汚れを隠しきれないエナメルバッグが壁を作り、一般の乗客からは少しだけ煙たがられているような気がした。
ふざけ合いながら、つり革に捕まる。
さっきまで部室で僕たちに混ざって監督の悪口を叩き、僕たちと一緒に冷めた笑いを浮かべていた後輩が、ふいに静かになった。
賑やかな車内の喧騒の中で、彼だけが異質な静寂を纏っている。
隣を見ると、彼はスマホの画面を食い入るように見つめていた。
てっきり、さっき話していたゲームでもしているのかと思った。
覗き込んだ画面の中では、ゲームの派手なエフェクトではなく、土煙の舞うグラウンドで守備をするプロ野球選手の動画が、何度も、何度もスローモーションで再生されていた。
(……こいつ、本気なんだ)
画面が切り替わるたびに、彼の瞳が青白い光に照らされる。
さっきまで部室で僕と一緒に「無駄だ」「意味がない」と笑っていた彼の目は、今、この瞬間、誰よりも鋭く「野球」を捕らえていた。
つり革を握る彼の手首には、今日一日の練習でついた泥の跡がまだ残っている。
ふざけ合っていても、毒を吐いていても、根っこにある熱量が僕とは決定的に違う。
彼にとって、監督への悪口はただのストレス発散に過ぎず、その視線の先には常に「勝利」や「向上」という、僕がとっくに捨て去ったはずの輝きが居座っていた。
「……先輩、今のステップ、見ました?」
彼が不意に顔を上げ、スマホをこちらに向けてきた。
その瞳には、さっきまでの「冷めた後輩」の影は微塵もなかった。
「……あ? いや、見てねーよ。お前、電車の中でまでそんなの見んなよ」
僕は突き放すように言って、窓の外へと目を向けた。
流れていく夜の景色。窓ガラスに映る自分の顔は、どこまでも空っぽで、情けなかった。
同じ電車に乗り、同じ泥を浴びているはずなのに、僕たちの立っている場所は、もう交わることのないほど遠く離れている。
たまらなく、居心地が悪かった。
灼熱の太陽が容赦なく照りつけるグラウンドに、やる気があるんだかないんだか分からない声が響き渡った。
喉の奥を震わせるだけの、実体の伴わない挨拶。
それは、厳しい練習をようやく耐え抜いたという解放感と、明日もまた同じ地獄が待っているという絶望が入り混じった、僕たちの「終わりの合図」だ。
西日に照らされた黒いワゴン車が、乾いた砂埃を龍のように巻き上げながら校門を抜けていく。
その赤いテールランプが、曲がり角の先で完全に視界から消えるまで、僕たちは微動だにせず、背筋を伸ばして直立不動を貫いていた。
それが、この弱小野球部における唯一の「正解」だからだ。
「……よし、行ったぞ」
誰からともなく漏れた声を合図に、張り詰めていた空気が一気に弛緩した。
「マジで、あのハゲ監督。弱小のくせに練習メニューだけは名門校並みなのおかしいだろ」
「本当。あの無意味な十本ダッシュ、マジで膝ぶっ壊すためだけにやってるでしょ。非効率極まりないわ」
僕が吐き捨てると、周りの同級生たちも「それな」「コスパ悪すぎ」と口々に同意した。
僕たちは、部室へと続くコンクリートの道を、重い足取りで進んでいく。
カビ臭さと、何年も染み付いた汗の匂いが混じり合う、狭苦しい部室。そこは、僕たちが唯一、監督という絶対権力から解放される「聖域」だった。
「お前もそう思うだろ?」
僕は、隣でユニフォームを脱ぎ捨てていた後輩に話を振った。
一学年下ながらスタメンの座を勝ち取っている彼は、僕たち先輩にも臆することなく、ニヤリと生意気な笑みを浮かべた。
「いや、マジでそれっすよ。あいつ、自分が現役だった頃の根性論をそのまま押し付けてきてるだけじゃないっすか。今の練習、科学的に見たらマイナスでしかないっすよ」
「だろ? 後輩のお前がそう言うなら間違いないわ。あんな練習続けてたら、勝てるもんも勝てなくなるよな」
部室の中は、監督への悪口という共通の敵を持つことで、奇妙な一体感に包まれていた。
「意味分かんねーわ、あんな必死こいて。どうせ一回戦負け確定なのにさ」
「本当、なんでこんな弱小校で必死こいてんだろ。意味分かんねーわ」
着替えながら、自分たちの滑稽さに苦笑いが出る。
僕は知っている。
中学の時に、自分が「最強」どころか「平均以下」だと思い知らされたあの瞬間から、野球はもう、ただの苦行でしかない。
でも、こうやって部室で馬鹿話をしながら、同じ不満を共有している時間だけは、自分がまだ「野球部員」という居場所を持っているのだと実感できた。
「帰りどっか寄っていこうぜ」
誰かがそう言って、部室の鍵を閉める。
僕たちは駅へと向かう道すがらも、最新のスマホゲームの話や、クラスの女子の話を織り交ぜながら、野球の話題を巧妙に避けて歩いた。
夕方のラッシュで混み合う電車に乗り込む。
僕たちの周りには、泥汚れを隠しきれないエナメルバッグが壁を作り、一般の乗客からは少しだけ煙たがられているような気がした。
ふざけ合いながら、つり革に捕まる。
さっきまで部室で僕たちに混ざって監督の悪口を叩き、僕たちと一緒に冷めた笑いを浮かべていた後輩が、ふいに静かになった。
賑やかな車内の喧騒の中で、彼だけが異質な静寂を纏っている。
隣を見ると、彼はスマホの画面を食い入るように見つめていた。
てっきり、さっき話していたゲームでもしているのかと思った。
覗き込んだ画面の中では、ゲームの派手なエフェクトではなく、土煙の舞うグラウンドで守備をするプロ野球選手の動画が、何度も、何度もスローモーションで再生されていた。
(……こいつ、本気なんだ)
画面が切り替わるたびに、彼の瞳が青白い光に照らされる。
さっきまで部室で僕と一緒に「無駄だ」「意味がない」と笑っていた彼の目は、今、この瞬間、誰よりも鋭く「野球」を捕らえていた。
つり革を握る彼の手首には、今日一日の練習でついた泥の跡がまだ残っている。
ふざけ合っていても、毒を吐いていても、根っこにある熱量が僕とは決定的に違う。
彼にとって、監督への悪口はただのストレス発散に過ぎず、その視線の先には常に「勝利」や「向上」という、僕がとっくに捨て去ったはずの輝きが居座っていた。
「……先輩、今のステップ、見ました?」
彼が不意に顔を上げ、スマホをこちらに向けてきた。
その瞳には、さっきまでの「冷めた後輩」の影は微塵もなかった。
「……あ? いや、見てねーよ。お前、電車の中でまでそんなの見んなよ」
僕は突き放すように言って、窓の外へと目を向けた。
流れていく夜の景色。窓ガラスに映る自分の顔は、どこまでも空っぽで、情けなかった。
同じ電車に乗り、同じ泥を浴びているはずなのに、僕たちの立っている場所は、もう交わることのないほど遠く離れている。
たまらなく、居心地が悪かった。
