「いいかい?なにがあっても祈りをやめてはいけないよ」
それがおばあちゃんと話した最後の会話だった。
八月のお盆の日。
私”幸村 真琴”は家族達と一緒に里帰りし、おばあちゃんの墓参りに来ていた。
おばあちゃんの住んでいるこの田舎町は山の麓近くで、田んぼや畑が多く見渡す限りどこかしこもそれらばかりだった。
私は夕飯の買い物を母から頼まれおばあちゃん家にある自転車を使い、少し離れた町の商店街に向かっていた。
猛暑となる日中は誰も歩くことなく、ただ空気に揺らめく陽炎が遠くの景色を歪ませて見せる。
「あつーい……」
田んぼ通りを自転車で駆け抜けていくと時々吹く風が冷たく、肌に当たるたびとても気持ちが良い。
私はとなり街に向かいながら、おばあちゃんのことを思い出していた。
それは私がまだ小学生だった頃のこと。
時期は丁度この日と同じで、おばあちゃん家に一家揃って里帰りをしていた。
私はおばあちゃんっ子で、どこに行ってもずっとおばあちゃんに付きっきりだった。
おばあちゃんは優しくて小さかった頃の私とよく遊んでくれていた。
おままごとしたり、お手玉したり、あや取りやったり……。
思い出すのがとても懐かしくて、帰ればおばあちゃんが居るとそう思ってしまう。
でも、おばあちゃんはこの世にはいない。
おばあちゃん……。
自転車で道なり進んで行くと、となり町にある川を渡る中間の橋が目に映った。
私は自転車でその橋の真ん中まで来て自転車を止めた。
「そうだここ……おばあちゃんが言ってたとこだ」
昔おばあちゃんと一緒にとなり町まで買い物をしに行っている時に、必ずこの橋を渡る。
そしてこの橋を渡る時、おばあちゃんは小さかった頃の私に約束するようにこう話した。
「いいかいまことちゃん、雨が降った日にこの橋を渡る時――」
おばあちゃんはそう言って、橋の真ん中を指差した。
「着物を着た女性がそこに立っていたら、目を瞑って、祈りを捧げて頂戴ね」
「どうして目をつむって祈るの?」
私は分からず首を傾げてそう聞き返すと、おばあちゃんは私の目線にまでしゃがんで私の肩を掴んでお願いするように言った。
「いいかい?なにがあっても祈りをやめてはいけないよ」
そう言ったおばあちゃんの目はどこか悲しんでいるような何とも言えない複雑そうな表情をしていた。
私は怖くって、何も言えなくて、ただおばあちゃんの言ったことに頷くことしか出来なかった。
それから私とおばあちゃんは黙って帰り、喋ることはなかった。
その日がおばあちゃんと会話した最後の日になってしまった。
空からゴロゴロと鳴りだす。
雨が近いのだろう、空は曇天で覆われて山近くでチカチカと雷光が遠くから見える。
「ヤバ、早く行かなきゃ」
私は自転車を走らせ、急いでとなり町に向かっていった。
――――――――
土砂降りの雨が全身を打ち付けてくる。
間に合わなかった……急いでとなり町に着き、頼まれた夕飯の買い物を終わらせておばあちゃん家に帰ろうと自転車をこき続ける。
無我夢中で自転車をこき続けて行くと、渡ってきたあの橋が目に映った。
――だけど、私は自転車のブレーキをかけて止めてしまった。
急いで帰らなきゃいけないのに、でも進むわけにはいかなかった。
だって、橋の真ん中に着物を着た女性が立っていたから。
女性は雨に打たれながらただ下を向いて川の方に向いている。
動くこともなく、ただずっとそこで棒立ちしている。
表情が読めず、何をしているのか分からない。
あまりにも不気味な感じに私は怖くなり、そこを通ってはいけないと身体が拒絶する。
じっとその女性を見つめ続けていると、ゆっくりとだがこちらに向こうと身体が動いているのがわかった。
これはまずいんじゃないかと焦り始めた時、おばあちゃんの言っていたことを思い出した。
私は自転車を急いで止めてから両手を合わせて目を瞑り、その女性に対して祈った。
視界は暗くなり私の耳から聞こえてくるのは空から降り続ける雨粒の音と乱れている自分の呼吸、そして忙しく鳴り続ける心音だけ。
どうして祈るのか?
その理由も分からないまま、ただその女性に対して祈りを捧げる。
――はやく、はやくどっかに行って!
そう心の中で言い続けていると、カランと軽い音が雨の音に混じって聞こえてきた。
そしてその音は、カラン、コロン、と軽い音を鳴らしてだんだんと雨音に紛れて少しずつだがはっきりと聞こえてはじめてきた。
私は気づいた。
――この軽い音は”下駄”だ。
カラン、コロンとなる下駄の音がこっち向かってくるかのようにだんだんと大きくなってくる。
私の心音はそれがはっきり聞こえてくるたびに、はやくなっていく。
――あの女性が私に近づいてきているんだ!どうして!?
私はぎゅっと目を瞑り、ただ女性が去るのを待ち続けた。
だが、下駄の音は止まることなく近づいてきて……そして。
私の 目の前で 止まった。
しばらくして雨音しか聞こえなくなった私は、あの女性が帰ったのかと思い少しだけ瞑っていた目を開いた。
「……え?」
私はいつの間にか橋の真ん中に立っていた。
通路ではない。
コンクリートで覆われた手すりに私は立っていた。
目の前には雨のせいで大荒れている川が目に入る。
飛び込んだら危ないと私は手すりから降りようと身体を反転させようとした。
が、その瞬間後ろから誰かに突き飛ばされて――。
私はそのまま、大荒れた川に落ちてしまった。
――――――
じりじりと焼く様な日差しで目を覚ますと、私はいつの間にか川辺の土手に倒れこんでいた。
砂利に手をつけながら立ち上がり、朦朧とする意識を保ちながら周りを把握しようと見渡してみると目の前に綺麗な大きな川があった。
川を見ていると、急な喉の渇きに気づいて咳き込む。
身体が水を欲しているのがわかる。
熱く照らす日差しとその熱気に耐えられなかった私はフラフラと歩き、涼しそうな川に吸い寄せられるように近づいた。
だんだんと近づいて行くと、陽炎の靄が晴れていき川の真ん中で何人かの女性達が水遊びをしていた。
その光景はとても楽しそうにお互いに水を掛け合ったりして、涼しそうに見えた。
足下にはキラキラと日差しに反射して輝く川の水が綺麗で、入れば冷たそうだと思った。
じっと水を見続けていると、遠くから女性達が声を掛けてきた。
「こっちにおいでー、こっちにおいでー」
私にそう微笑みながら手招きをして、誘ってくれる女性達に気が緩んでしまい川に入ろうと片足を入れようとした。
その瞬間後ろから強く引っ張られてしまい川には入れなかったが、どこか懐かしい知った声が耳に入り注意をされた。
「ダメよまことちゃん、入っちゃダメ」
「……え、おばあちゃん?」
引っ張られた方を振り返ると着物を着た若い女性がそこにいた。
でも、その面影には見覚えがあった。
間違いない……この女性はおばあちゃんにそっくりだ!
私はその女性がおばあちゃんなのかよくわかった、だってまことちゃんと呼ぶのはおばあちゃん以外いなかったから……。
でも、どうしておばあちゃんがここにいるのだろうか?
そう疑念を抱いてると背後から先程の明るい女性達の声が段々と禍々しい声と変わっていった。
私は背筋が寒さを感じ、後ろを振り返ると――。
「ひっ!?」
私は小さな悲鳴をあげた。
なぜなら今まで綺麗だったあの川がいつの間にか汚いどぶ川にへと変わり、川で遊んでいたあの女性達も泥のように溶けて人としての形はそこにはない。
泥人間に変わって、こちらに向かって近づいてきている。
「コッチニオイデー……、コッチニオイデー……」
私に向かって伸ばしてくる手に恐怖を感じる。
怖さで足が震えて動けないでいると、おばあちゃんが私の手を引っ張ってくれた。
「行くわよ、まことちゃん!」
おばちゃんに叱りを受けてようやっと動けるようになった私は、おばちゃんに誘導されて川の土手を這い上がっていった。
土手を這い上がると同時に普通であった川が突然あふれ出していき、私を誘い込もうとしていた女性達を容赦なく飲み込んでいった。
「キャアアアア……」
飲み込まれていった女性達は悲鳴も虚しく、汚い川底へと沈んでいった。
あまりの光景に私は足がすくんでしまい、地面に座り込んでしまった。
そんな私を慰めるようにおばあちゃんが隣でしゃがみ込んで、私の頭を撫でてくれた。
私は安心したのか、または恐怖でなのか分からないがいつの間にか泣いていた。
しばらくの間泣き続けて、おばあちゃんが隣で慰めてくれる。
おばあちゃんはただ私の頭を撫でながら、申し訳なさそうに言っていた。
――どうか、許してあげてね。
それがどういう事なのか、わからないまま私は泣き疲れてしまいおばあちゃんに抱かれながら眠りについた。
――――――。
「……と、……こと」
「真琴!」
母親の呼ぶ声で私は目を覚ました。
どうやら私は病院のベットで寝ていたらしく、目を覚ました私を心配した母親が安堵して泣いていた。
母親の話によると私はあの橋に自転車ごと飛び込んでしまったらしく、偶々通りかがった人が見つけてくれたおかげで私は助かったとのことらしい。
その後雨の降りが激しく続き、川が大きく増して流れも激しくなっていたらしく、もし見つかるのが遅かった場合私は川の中で溺死していたとのこと……。
私はあの時助けてくれたおばあちゃんのことを思い出していた。
おばあちゃんのおかげで私はここにいる。
おばあちゃんには感謝をしなくてはいけないが、おばあちゃんの言っていた事が気になっていた。
許してあげてって……どういう事なのだろうか?
――それから三日して私は病院から退院し、おばあちゃん家に住むのがこの日で最後の日になった。
おばあちゃんの墓でお参りをしてから、帰宅途中で神社の和尚さんに出会った。
軽く挨拶された時、その和尚さんに呼び止められた。
「待ちなさい、お嬢さん」
「何でしょうか……」
しばらくして和尚さんは私を見るや否や、妙な事を話した。
「……もし良かったら、彼女達に挨拶していくかい?」
――彼女達。
その言葉に思い浮かんだのは、あの時に見た川で遊ぶ彼女達の事だった。
この和尚さんがわかっていて言ってるかは分からないが、おばあちゃんの言った事も気になる為、私はそのことに頷き和尚さんは例の彼女達がいる場所へ案内されたのだった。
和尚さんに案内され、例の場所に着くとそこには大きくも古い碑石と祠があった。
古い碑石にはミミズのような字で書かれている為、何を書いてあるかは読めない。
でもそれは、あの彼女達の名前が書かれているのではないかと何故だかそう思えた。
私がその碑石を眺めていると、和尚さんが隣で祈るように拝み始めた。
――目を瞑って、祈りを捧げて頂戴ね。
おばあちゃんの言っていた言葉を思い出して私も和尚さんの様に目を瞑り、彼女達に祈りを捧げた。
暫くして祈りを捧げるのを終えると、和尚さんは私に昔この村で起きた悲しき風習を話してくれた。
――昔、水という物は江戸時代の時からとても貴重なものだった。
畑や田んぼ、生活や運搬には欠かせない必要不可欠なものだった為、あちらこちらにへと昔のお偉いさまは川に通路を作っては水を運ぶ水路を沢山作っていた。
その為、別の村では川の水が減ったと嘆く所も存在した。
川なんてものは誰の物でもないというのに、人々は川の水を巡って村同士で争いが起きた。
争いに巻き込まれた人々達は血を流し、多くの者達が亡くなっていった。
その行いが神の遺憾に触れたのだろうか、大雨が降った影響により多く作り過ぎた水路が壊れ、川の水が村を飲み込まんとばかりに大きく増していった。
このままでは川の水が溢れ、村が流されてしまうと恐れた村人達に通りかがった僧侶から助言を得た。
「神の怒りを鎮めたくば、贄を捧げよ」
人々は僧侶の言った事に従い、まだ十五歳にもならない娘を縛り上げ、生きたまま流れが激しい川の中にへと放り込んだ。
僧侶の助言のおかげか、贄を川の中に入れてから激しかった川が次第に落ち着いていき、そしていつもの川にへと戻っていった。
それ以来、この村では川が氾濫する度に「水柱」と呼ばれた娘を贄として捧げていったという――。
なんとも残酷で悲惨な話だろうか……彼女達は人々の勝手な行いで亡くなったのだ。
私とまだ同じ年でありながら、想像しただけで胸が締め付けられて痛くなる。
和尚さんは私が橋から飛び込んだ子であると知っていたらしく、もしかしたら同じ年であったからこそ仲間が欲しかったのかもしれないとそう話していた。
私は碑石を見て、もう一度手を合わせ、目を瞑って水柱の彼女達に祈りを捧げた。
もう一度里帰りした時は、この場所に必ず土産と一緒に持って来ることを……。
その後和尚さんと別れの挨拶をし、田んぼだらけの一本道を歩きながら帰る。
キラキラと日差しに照らされて輝く田んぼを眺めていると、冷たい風が頬を撫でた。
気のせいだったのか、今となってじゃ分からないけど……。
風が過ぎ去った時、女性達の笑い声が聞こえた様な、そんな気がした。

