私の執事には謎が多すぎる ー 其の一 妖の獲物になりました

午後四時きっかりに校門の前で撫子を待つ。
学校の様子は朝もいつもと変わりはなかったし、今も穏やかで女子学生の笑い声が聞こえてきてホッとする。
「おいらの気のせいだったのかも」
少し気落ちした様子で呟く琥珀の頭にポンと手を置いて慰めた。
「まあ、平和なのはいいことだ。それに、今日ではなくてもそのうち何かが起こるかもしれない。嵐の前の静けさという言葉もあるからな」
「なあ、いつも真っ直ぐ帰るけどさあ、たまには寄り道しない?近くに団子屋出来たみたいですごい行列なんだよねえ」
いつの間にか隼人が現れて俺の肩に気安く手をかける。
どこかに消えたと思ったらまた現れて、本当に風のような奴だ。
「勝手にひとりで行けばいいじゃないか」
隼人の手を振り払って拒否すると、彼は拗ねた。
「え〜、尊のいけず〜。ひとりで行っても楽しくないじゃん」
「そんなの知るか。隼人、邪魔だ。どっかへ行け」
手でシッシッとこいつを追い払おうとするが、彼は聞かない。
「あ〜、お嬢ちゃん出てきたよ。彼女と一緒にいる春乃ちゃんっていう子も可愛いよね」
女を見れば節操のない彼に、釘を刺す。
「春乃さまは秋さまの婚約者だ。手を出したらどうなるかわかるな?」
「残念。可愛い子にはみんな彼氏がいるんだよなあ。撫子お嬢ちゃんは特にタイプなんだけど」
隼人がめげずに撫子のことに触れたので、冷ややかに彼を見て警告した。
「死にたいか?」
「わー、もう襲わないから。その目で殺そうとしないで。尊に本気で睨まれると、俺消滅しそう……って、お嬢ちゃん出てきた。でも……なんか様子が変じゃない?」
彼の言葉を聞いて生徒の出入り口に目を向ければ、撫子が春乃さんと歩いてきた。だが、その顔に生気がなく足元もふらふらしている。
撫子が俺に気づいたかと思ったら、その身体が前のめりになって慌てて駆け寄った。
「撫子!」
しっかりと抱きかかえる俺に彼女は力なく笑う。
「尊……今日は習い事……無理……かも」
その血の気のない顔を見てゾクッと寒気がした。
一体何が起こっている?
妖の気配なんて全くしないのに……。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!何があった?」
我を忘れて撫子に問うが、彼女は俺の腕の中で意識を失った。
「やだ……撫子……」
気を失った撫子を見て春乃さんが激しく動揺する。
「春乃さん、教室で何かありませんでしたか?」
感情を抑えて春乃さんに尋ねると、彼女は彼女の手に巻いてあるハンカチに目を向けながら答えた。
「カラスが教室のガラスを割って入ってきたんです。私は彼女が守ってくれて怪我はしませんでしたけど、撫子は手にガラスの破片が刺さって……。でも、それだけです。こんなひどい状態になるような怪我はしてません」
「あっ、カラスが教室に突進するところ俺も見た。でも、ただそれだけで妖は現れなかったけどなあ。今雑魚の妖も一匹もいないだろ?」
隼人が会話に割って入って来て俺に意見を求める。
そう、俺の感知能力が落ちていなければ、今、学校の敷地内には妖は全くいない。
ネックレスの石だって何の反応もなかった。
だが、この静けさは何だか不気味だ。
強い妖が気配を消して、学校に潜伏しているのではないだろうか?
上級の妖ならば、気配を消すぐらい訳もないだろう。
「裏を返せば、雑魚の妖がいなくなるほどの怖い妖がいるということではないですか?」
俺の考えに近くにいる琥珀が深く頷いた。
「言われてみれば。なんとなく違和感を覚えたのはそれだったのかも」
「そう言えば、お嬢ちゃんに結界張ってたんだろう?俺の身体を弾くくらい強い結界だ。ガラスの破片くらい弾くんじゃないのか?」
「そうですね。いつの間にか彼女の結界も破られている。私にそのことを気づかせないなんて相当強い妖です」
撫子をギュッと抱きしめながら苦く呟く。
「ここでは撫子の治療が出来ません。早く屋敷に帰りますよ。春乃さまは私の式神に送らせますから」
自分の髪を一本抜いて念じると、俺の式神に変化した。
「うわ〜、尊そっくり。力も結構凄いの?」
俺の式神を見て、隼人は目を大きく見開く。
「あなたの相手が出来る程度には。では、春乃さま参りましょう」
式神が俺の代わりに答えて春乃さまに声をかけた。
「はい。尊さん、撫子のことよろしくお願いします」
俺の方を振り返る彼女の目を見て返事をする。
「ええ。お任せください」
春乃さんが俺の式神と共にこの場から消えると、撫子を車に乗せた。
「隼人、少し学校のことを調べてくれ」
「了解」
俺が頼むと彼は少し真剣な面持ちで返事をして俺の前から消えた。
帰りは水瀬家の運転手が運転し、琥珀は助手席の後ろに座る。
車の中では隼人も軽口を叩かず、みんな無言。
屋敷に着くと、すぐに撫子の部屋に彼女を運ぶが、その時初めて彼女が背中にも怪我していたことに気づいた。
俺のシャツに血痕がついていたのだ。
「姉ちゃん、背中も怪我してたんだ。倒れたのはこの怪我が原因かな?」
不安そうに撫子を見つめる琥珀の言葉に、彼女をベッドに寝かせながら答えた。
「どうかな。見てみないとなんとも。琥珀は手桶にぬるま湯を入れて持って来てくれ。あと手拭いも」
「うん、わかった」
そう返事をして消えたと思ったら、琥珀はすぐに手桶と手拭いを手に戻って来た。
「はい、尊」
「悪い。そこのテーブルに置いておいてくれ。琥珀はもう下がっていい」
ベッドのそばのテーブルを指差すと、琥珀は「うん」と神妙な面持ちで返事をして手桶と手拭いを置いてこの場からいなくなる。
琥珀の気配が消えるのを確認して、撫子の袴の腰紐を緩めたら彼女が目を開けた。
「……み……こと?私……」
「気を失ったので、屋敷まで運びました。背中にも怪我をしているようなのでこれから私が見ます」
撫子にそう話したら、彼女は身体を見られるのが恥ずかしいのか起き上がろうとした。
「いい!たいしたこと……ない」
「ダメです。放ってはおけません」
撫子を止めようとするが、彼女はなかなか言うことを聞かない。
「平気よ。それにお医者さまじゃない尊に肌を見られたくない」
年頃の女の子なら当然の反応だが、ここで引くわけにはいかない。
「そんなくだらないことを気にして痕が残ったらどうするんですか?」
優しく諭すように言うが、彼女は声を荒らげた。
「だから、平気って言ってるでしょう!」
呼吸するのが辛いのかゼーハー大きく息を吐く彼女。
「私が気にします。それに、あなたには元気でいてもらわなければ」
根気強く説得すると、彼女は渋々折れた。
「……もう好きにしなさいよ」
「許可を頂いたので、ゆっくり治療させてもらいます。大丈夫。全部私が責任を取りますから」
「そ、それってどういう……」
「黙って。静かに横になっていてください」
彼女の着物と襦袢を脱がして、怪我を確認する。
「尊……そんな見ないで」
撫子は頬を赤らめて手で裸の胸を隠そうとするが、俺はその手を掴んで止めた。
「ちゃんと見ないと治療出来ないでしょう?私に全て委ねてください」
胸や腹部に傷はなかったが、背中には無数の傷があって思わず顔を歪めた。
ひとつひとつの傷は深くないが、ガラスの欠片がまだ残っていて痛々しい。
出血もかなりしていて襦袢は血だらけだった。
「この傷……かなり痛かったのでは?」
撫子の背中にそっと触れると、彼女はビクッとする。
きっと俺に肌を見られて緊張しているんだな。
だが、見なければ治療出来ないのだから仕方がない。
「……ちょっとだけ」
彼女は俺に怒られると思ったのか、気まずそうにボソッと答える。
「お願いですから、痩せ我慢しないでください。あなたが倒れそうになった時、寿命が縮みました」
これは注意ではなくお願いだ。
俺にとっての一番の恐怖は撫子がこの世からいなくなること。
彼女を守るためならなんだってする。
手拭いで背中の血を拭い、彼女の背中に手をかざす。
しばらくすると傷は綺麗に治った。
「どうですか?これで楽になりましたか?」
「……うん。ありがとう」
「まだ、手の治療が残っていますよ」
撫子の手を掴んで巻いてあったハンカチを取ると、手の甲の傷が腫れていて周囲は赤黒い痣になっていた。
「背中よりもこちらの怪我の方が酷いですね」
しばらく手をかざして、傷はなくなったものの痣は全部消えない」
どうしてだ?
今までどんな傷や痣も治してきたのに……。
今度は顔を近づけてその痣に口付けたが、やはり消えず、親指くらいの大きさの痣が残っている。
何か妖術でもかけられているのだろうか。
やはり強い妖の仕業としか思えない。
考えられるのは赤鬼の一角だ。
消えない痣をじっと見つめる俺に撫子がか細い声で言った。
「尊……無理しないで。あなたが倒れちゃう。もう痛みはないし」
「落ち着いたらもう一度やってみましょう」
ニコッと微笑んで返すが、自分でも消す自信がなかった。
治せないということはそれだけ相手の力が強いということ。
敵を倒さなければこの痣は消えないだろう。
そんなことを考えながら彼女に夜着を着せて寝かせる。
「休んでいてください。夕飯の時間になったら声をかけますから」
「……うん」
撫子は小さく頷いて目を閉じる。
彼女のそばにしばらくついていたら、控え目なノックの音がした。
「はい」と返事をすると、秋さんが入ってきた。
「隼人くんに聞きました。撫子が学校で怪我をしたって」
「ええ。私の結界が全く役に立ちませんでした。傷は治療しましたが、痣が少し残って……。それだけ強力な妖が現れたということでしょう。恐らく赤鬼の一角」
秋さんに鬼のことを話しながら、痣がまだ残っている彼女の手を取った。
「隼人くんの話だと湖の封印が破られたそうですね。一度確認しておいた方がいいかもしれないな」
顎に手を当てて考えながら言う秋さんの話に深く頷く。
赤鬼の一角のことを調べておいた方がいいだろう。
「私と隼人で見に行ってきます。鬼が自分で封印を解いたのか、それとも違う原因によるものか知っておきたい」
「僕たちの敵は妖だけじゃないですからね。父の話ではあちらもなにか不穏な動きをしているそうです。こちらに直接は仕掛けてはこないですが」
慎重になっているのだろう。
あいつらは俺の力を知っている。
「それが不気味ですけど。でも、風磨家が味方でよかったですよ」
「水瀬家だけで対抗するのは難しい。尊さまは……本当に戻らなくていいんですか?」
躊躇いがちに尋ねる彼の質問に笑って答えた。
「撫子に会わなければ、私は今生きていなかったでしょう。彼女のためだけに生きます」
自分の選択を後悔したことはない。
「そうですか。僕はあなたの意思を尊重します」
秋さんが俺の目を真っ直ぐに見る。
撫子と出会ったのも、他の水瀬家の人たちに出会ったのも、運命だったんだと思う。
「ありがとう」
感謝の気持ちを込めて礼を言うと、彼は優しく微笑んで部屋を出て行く。
紅羅が現れて今まで止まっていた歯車がまた動き出した。
彼女の手に自分の手を添えながら誓う。
「命にかけてもお前を守るよ」
しばらくじっと撫子を見つめると、琥珀を呼んだ。
「琥珀」
呟くようにその名を口にすると、彼が現れた。
「どうした、尊?」
「度々すまない。お前に頼みがある。俺と隼人は数日留守にするから、撫子のそばにいて守ってくれないか?」
俺の話を聞いて、彼は行き先を尋ねた。
「いいけど、どこに行くの?」
「赤鬼の一角が封印されていた湖だ」
包み隠さずに伝えると、琥珀はゆっくりと頷く。
「そうか。何か罠があるかもしれない。気をつけて」
彼の忠告に「ああ」と返事をすると、俺の式神が戻ってきた。
「春乃さまは無事にお送りしました」
「ご苦労。早速で悪いが、次の任務だ。琥珀と一緒に撫子を守ってくれ。俺は数日出かける」
式神にも撫子のことを頼むと、「わかりました」と従順に返事をした。
その時、コンコンとノックの音がして、隼人が俺に訴えた。
「なあ、業務報告したいのに結界で入れないんだけど」
学校からもう戻って来たのか。
「ああ、悪い。今入れるようにしたが、撫子に一本でも指を触れたらお前をこの世の果てに飛ばす」
ドアを見据えて宣言すると、隼人は少し怯えながら部屋の中に入って来た。
「尊が言うと洒落にならないって」
「学校はどうだった?」
すぐに調査結果を聞くと、彼は少し真面目な表情になる。
「一通り見て回ったら、洋裁室の机や床、それに壁が血塗れでさあ、女性の着物の切れ端だけが床に落ちてて……多分あれは妖に誰か食われたね。でも、気配はなかった」
敵はなかなか姿を見せない。
だが、撫子に怪我を負わせ、人を食ったということは、俺を誘い出そうとしているのではないだろうか。
「多分、洋裁の先生だろうな。洋裁室の件は処理したのか?」
血塗れの現場を人に見られたら、学校は大騒ぎになるだろう。
「ああ。俺の式神に処理させた。今は洋裁室に一滴の血もないはずだ。まあ、洋裁の先生が犠牲者としても、ただの失踪ってことで国家警察は片付けるだろうね」
国家警察は神隠しの事件をあまり深追いしない。
四大宗家のひとつの不知火家の当主が政治家で、国家警察を手中に収めていて神隠し事件は捜査しないよう圧力をかけているからだ。
同じ四大宗家の者として、隼人は不知火家が国を支配しようと画策しているのをよく思っていないのだろう。
四大宗家を統率していた天月家が断絶して以来、不知火家は好き勝手やっている。
「だろうな。だが、今は国家警察を責める時じゃない。隼人、これから赤鬼が封印されてた魔最湖に行くぞ」
彼にそう告げると驚いた顔をされた。
「え?尊とふたりで?男だけってつまらないなあ。それに、俺なんかおやつ食いたいんだよね」
変な理由をつけて逃げようとする彼の首根っこを掴んだ。
「お前はごちゃごちゃ煩い。いいから来い。お前たちは撫子のことを頼む」
琥珀と俺の式神に目を向けてそう言葉をかけたら、隼人が眠っている撫子のベッドに近づこうとする。
「俺もお留守番して撫子ちゃんの護衛をしたい……!」
「お前のその口をミシンで縫ってやろうか?」
隼人の態度にカチンときて氷のように冷たい視線を向けると、彼は硬直した。
「わー、冗談ですってば。本気にしないでよ。さあさ、行こう」
部屋を出て行こうとする彼を止めた。
「ちょっと待て」
隼人にそう命じて、撫子のベッドに行く。
「すぐに戻る」
眠っている撫子の額にそっと口付けると、隼人と一緒に部屋を出た。
「ホント、尊はお嬢ちゃん命だね。なんか見てるこっちが恥ずかしくなる」
まじまじと俺を見て言う彼に平然と返した。
「誰よりも大事だからな。別に人にどう思われようが構わない」
「溺愛だね。俺もそんな相手に巡り逢いたいよ」
女たらしの隼人が羨ましいそうに言う。
撫子に出会えたことは俺にとって最高の幸せ。
過去に辛くて苦い経験をたくさんしてきたが、この出会いだけは神に感謝したい。