「ねえ、なんで部屋で待たずに浴場の前で待つんだ?執事の心得ってやつ?」
撫子と浴場の前で別れてそばに置いてあった長椅子に腰を下ろすと、琥珀は暇そうに空中回転しながら聞いてきた。
「何かあった時のためですよ」
フッと笑って答えるが、内心花見の時の突風が気になっていた。
あれは自然の風ではない。
妖かそれとも……。
じっと空を見据えて考えていたら、回転するのに飽きたのか琥珀が長椅子にゴロンと寝そべった。
「あ〜、姉ちゃんと一緒にお風呂入りたかったな」
本当に子供なら許してやったかもしれないが、五百歳近い妖との入浴は認められない。
「後で私と入ればいいでしょう?」
相手をするのが面倒で懐中時計を見ながら適当にあしらうが、琥珀は諦めが悪かった。
「尊と入るより、姉ちゃんと入る方が楽しそうだし、姉ちゃんの裸見てみたい」
無邪気に笑って言うが、こっちは笑えない。
「琥珀の中身はスケベじいさんですね。変な想像をしないように」
厳しく注意したが、琥珀は構わず続けた。
「だってさあ、姉ちゃん美人だもん。絶対綺麗な身体してるって」
「だから、想像するなと言っている!」
聞くだけで不愉快になりペシッとその頭を叩けば、彼は呻いた。
「いって〜。尊、本気でやったなあ。でも、尊だって想像くらいするだろ?」
「くだらない」
無表情でそう返すも、そのことは自分でも考えないようにしていた。
兄妹のように育ってきたのだ。
異性としては見ない。
だが、最近彼女の着替えをすることが増え、嫌でも彼女の身体が目に入る。
少女から大人の女性へと変わっていく撫子をどう扱っていいのか戸惑いを感じていた。
「ふーん、尊にしてはムキになってない?普段、姉ちゃんには『こんなんじゃお嫁に行けませんよ』なんて言ってるくせに、姉ちゃんに近づく男をことごとく排除してるのをおいら知ってるんだよね」
急にパッと起き上がって俺をじっと見据える彼に表情を変えずに言い返した。
「それは変な男ばっかり寄ってくるからですよ」
「尊ほどではないにしても、なかなかいい男もいたのになあ。恩人とか言ってるけど、ずっとそばにいるのは姉ちゃんを誰にも渡したくないからじゃないの?」
「……お前、撫子のことずっと前から知ってたのか?」
琥珀の発言に驚き、懐中時計をしまって彼をまじまじと見た。
「妖退治で有名な水瀬家のお嬢さんだし、姉ちゃんはその姿も魂もキラキラ輝いているからね。おいらの話はいいんだよ。尊は姉ちゃん嫁にやる気はないよねって聞いてんの」
「何が言いたいのかわからない」
「おいらも尊がわからないなあ。キスで治療なんて好きじゃないとやらないだろ?好きなら自分のものにしちゃえばいいのに……あっ、尊ひょっとして自分の気持ちに気づいていない?」
矢継ぎ早に話す彼をいつもなら一喝するところだが、今回はある言葉に衝撃を受け固まった。
「俺が……撫子を好き?」
第三者に言われて初めて気づく。
確かに兄なら妹にキスなんかしない。
事実、秋は絶対にしないし、撫子に気安く触れない。
治癒だ……お仕置きだと何かと理由をつけて俺が彼女に触れるのはそうせずにはいられないから。
愛おしいから触れたくなる。
そうだ。俺は……撫子が好きなんだ。
「うっわ〜、尊って意外に鈍感だったんだ」
俺の反応が面白かったのかケラケラ笑う琥珀。
「煩い。このスケベ猫!」
ギロッと琥珀を睨みつけたら、彼はニヤリとした。
「尊、完全に素になってるよ。誰よりも好きなんだよね、姉ちゃんのこと。そんな尊に、おいらからひとつ忠告」
彼の勿体ぶった言い回しが気になり先を促す。
「忠告?」
「妖から見ても姉ちゃんはイケてる。おまけに優しくて心も綺麗だ。姉ちゃんの血は特別って話だけど、血ではなく、姉ちゃん自身を欲しがる妖がそのうち現れるかもね」
人間だけではなく妖にとっても撫子は魅力的な存在とは厄介だ。
赤鬼も現れたし、今後も上級の妖が人間界に来る可能性がある。
「ただでさえ気苦労が多いのに、不吉なことを言うな」
琥珀の話に深い溜め息をつくと、彼は俺の肩をポンと叩いた。
「おいらも気をつけるけどさあ。姉ちゃんにちゃんと好きだって伝えて、しっかり捕まえておけよ。姉ちゃんも尊が好きみたいだけど、尊よりも鈍感なんだからさあ」
撫子も俺が好き……。
彼女が俺に好意を持っているのはなんとなく気付いていた。
最近俺と接する時、彼女は赤面して視線を逸らすことが増えてきたから。
だが、年上に憧れる時期だし、恋愛感情ではないと思っていたのだが、傍から見ていると違うらしい。
それを妖に教えられるとはな。
「なんだろう。お前に言われると無性に腹が立つ」
特に上から目線の言い方が気に食わない。
スーッと目を細めて琥珀を見れば、彼は二パッと笑った。
「事実だからだよ」
その目はとても澄んでいて綺麗だった。
『目はそのものの心を表す』と子供の頃、父が教えてくれた。
だから、彼は心の綺麗な妖。
心から俺と撫子のことを思ってくれているのだろう。
妖すべてが悪ではない。
人間にだって悪いやつはいっぱいいる。
いや、人間の方がより危険なのかもしれない。
昔のことが頭を過ぎったその時、撫子の声が聞こえた。
「尊〜!」
その声にハッとして椅子から立ち上がれば、琥珀が怪訝な顔をする。
「尊、どうかしたのか?」
彼の質問には答えず、浴場に入り、撫子を探す。
琥珀が何も感じていないなら妖ではない。
だが、露天風呂の方から閃光が見えた。
彼女に張った結界が反応している。
撫子に何があった?
「うわあ!」いう男の叫び声がして急いで露天風呂に向かえば、彼女は手拭いを身体に当て風呂の中央に呆然とした様子で突っ立っていた。
そのそばで若い男が仰向けの状態で痙攣を起こし、風呂に沈んでいる。
男の顔には見覚えがあった。
是清さんについて宗家会議に出席した時に見た顔だ。
確か風磨家の当主の息子。
恐らく撫子の結界に弾かれて吹き飛んだのだろう。
「撫子お嬢さま、大丈夫ですか?」
駆け寄ってその華奢な身体を抱きしめると、彼女は気が動転した様子で俺の胸に手を当てた。
「大丈夫。でも、侵入者がいて……私の身体が光って……何なの?」
撫子には結界のことは秘密にしていた。
言えば、「そんなの必要ない」とか文句を言うに決まっているから。
しかし、もうこの状況では隠せない。
「この男は風磨家当主の次男の風磨隼人です。あなたの身体が光ったのは結界のせいですよ。あなたが襲われそうになったら発動するようになってます」
正直に打ち明けると、彼女は顔を上げて俺を見た。
「……いつの間に結界なんて」
「撫子お嬢さまが雀を助けた時からですよ。それから面倒な輩を呼び寄せるようになったので」
是清さんの話では彼女が治癒の術を使えるようになったのは五歳の頃だったらしい。
元気なのに突然原因不明の病で寝込むことがあって、彼が調べたら治癒の術が原因だった。
おまけに蘇りの術まで使えることがわかり、撫子に術を使うのを禁止にしたのだが、彼女は言うことを聞かなかった。
『かわいそうだから助けたい』
自分の命が削られると知っていても、彼女はそう言って使用をやめなかった。
おまけに雀を蘇らせた時から彼女の術を知って妖も寄ってきて……。
「ち、ちょっと、面倒な輩って失礼なこと言わないでくれる?」
お風呂に沈んでいた風磨家の若造が起き上がって、俺に突っかかる。
「失礼なのはあなたでしょう?入浴中の女の子を襲うなんて最低な男ですね」
スーッと目を細めて冷ややかにかえすと、彼はヘラヘラ笑いながら言い訳した。
「だって、君がいつも彼女にくっついてるんだもん。水瀬家の執事って聞いてるけど、何者?結界張るなんて只者じゃないよね」
チャラい男に見えるが、その目は鋭い。
そう言えば、風磨家の息子は長男ではなく、次男のこの男が家督を継ぐらしい。
それだけ有能ということなのだろうが、撫子に近づいた時点で気に食わない。
琥珀の言ったことを認める。
彼女は俺の大事な女だ。
手を出す奴は許さない。
「あなたに答える義理はありません。それに私は撫子お嬢さまだけの執事です。琥珀〜!」
刺々しい口調で告げて琥珀を呼ぶと、「へーい」と元気のいい声が聞こえた。
瞬間移動で俺のそばに現れた琥珀に命じる。
「この不埒な男を表の松の木にでも縛りつけておいてくれますか?」
とりあえず撫子の前からこの男を遠ざけたかった。
カラスの餌にでもなればいいんだがな。
「がってん承知」
瞬時にこの状況を理解したのか、琥珀は悪戯っぽく目を光らせ、大きな猫に変身した。
「え?ちょっと妖飼ってんの〜!」
琥珀を見て風磨家の若造が激しく動揺するのを見て少し溜飲が下がった。
「大丈夫です。彼は妖ですが、殺しはしません」
ニヤリとしてそう伝えると同時に琥珀が奴を口にガブッと咥えた。
「妖飼うなんて反則〜!」
風磨の若造が顔面蒼白になりながら叫ぶが、琥珀は構わず囲いを飛び越えてこの場から消えた。
まあ妖を飼っているなんて宗家でも水瀬家くらいだろう。
風磨家の若造が驚くのも無理はない。
「次に撫子お嬢さまに触れたら、八つ裂きにしてやりますよ」
フッと笑みを浮かべこの場にいない風磨隼人に告げた。
これで不届き者はいなくなった。
次は撫子にお灸を据えなければ。
露天風呂には入るなと注意していたのに、守らないからこういう事態になる。
「さあて、邪魔者はいなくなりました。お仕置きタイムといきますか?」
撫子に目を向け、にっこりと微笑む。
今、彼女は手拭いで前を隠してはいるが、ほとんど裸だ。
その姿を風磨家の若造に見られらのだ。
ドス黒い感情が腹の底から沸き上がってくる。
しかも、結界が発動したということは、あいつが撫子に触れたということ。
……許せない。
風磨隼人のお仕置きは後でやるが、まずは撫子に言い聞かせなくてはいけない。
自分の無鉄砲な行動であいつに襲われそうになっていたことを。
「み、み、尊……お仕置きって何?私は被害者だよ」
俺の怒りが伝わったのか、彼女は強張った顔で反論した。
「私はちゃん注意しましたよね。露天風呂には入らないでくださいと」
怒りからかついついキツい言い方になる。
だが、俺の忠告を破った彼女がいけない。
「でも……それは風が強いからって……あっ、風⁉︎」
俺に言い返そうとして彼女は声を上げた。
「その顔、やっと自分が間抜けだと気がついたようですね」
彼女の辞書には恐らく【用心】という文字はない。
俺もそばで守っていても、それで充分ではない。
彼女にも危険を認識してもらわなければ困る。
冷ややかに言えば、彼女は狼狽えながら謝った。
「あの……その……ごめん……」
いつもならそのくらいで許しただろうが、赤鬼の事件があったすぐ後でまたこれだ。
全然懲りていない。
「赤鬼の件で反省したかと思えば。どうしたらあなたは言うことを聞くのでしょうね」
何度言っても俺の忠告は無視。
優しくしてもこの無鉄砲なお嬢さんは余計自由に動き回るだけ。
いつもどれだけ俺がハラハラしているか彼女は知らない。
どうすれば大人しくしてくれる?
自分の感情が激しく乱れているのがわかる。
だが、怒りを抑えられない。
撫子も俺が本気で怒っているのがわかっているからか、何も言葉を返さない。
その綺麗な瞳は震えていた。
水に濡れて、裸の彼女。
その姿がどんなに男を欲情させるのか、彼女は気づいていない。
知らないというのも罪だ。
「私が結界を張っていなければ、あなたは襲われていましたよ」
手拭い越しに彼女の胸に触れる。
その鼓動が手に伝わって来て、ドキッとした。
直接素肌に触れていないが、その柔らかな感触にオスの本能が目覚める。
今、凄くこの女が欲しい。
「尊……冗談はやめ……んん⁉︎」
撫子が俺の目を見てそう訴えるが、「黙って」という代わりに、彼女の口を俺の唇で塞いだ。
柔らかくて温かくて……その唇の感触に身体が熱くなる。
過去に二回、彼女を治癒するために口付けたことがあったが、いずれの時もその唇は冷たかった。
だが、今彼女はしっかりと目覚め、俺のキスに反応している。
彼女は俺の腕をギュッと掴んで、キスに応えていたが急に息苦しくなったのか、俺の胸に手を当てて止めた。
「……なんで?」
酷く困惑した顔で撫子は俺を見つめる。その顔を見て我に返った。
しまった。
いつもは彼女に触れても、自分をコントロールできていたのに、今は完全に我を忘れていた。
キスの刺激が強すぎたのか、それとも風磨家の若造の件でかなりショックを受けたのか、彼女の身体から力が抜け俺の胸に倒れ込んだ。
「撫子?」
その名を呼ぶが、彼女は応えない。
「……やり過ぎた」
彼女を抱き抱えポツリと呟く。
しかも、この状態で気を失うなんて最悪だ。
頼むから裸で気を失わないでほしい。
撫子を抱いたまま脱衣所に行き、浴衣を着せる。
シミひとつない透き通るような白い肌。
白桃のように瑞々しい胸。
露天風呂ではそんなに視覚的な刺激はなかったが、脱衣所には灯りがついていて見ないようにしても彼女の裸が目に映るし、見なければ着替えさせることができない。
おまけに彼女への気持ちを自覚したばかり。
俺にとってこれは拷問だ。
必要以上に触れないようにして着替えを終えると、二階の寝所に彼女を運ぶ。
和室に敷かれている布団に撫子を寝かし、そっと布団をかける。
撫子へお仕置きするつもりが自分を苦しめることになろうとは。
裸の自分に俺が浴衣を着せたと知ったらまた彼女は失神しそうだ。
「ホント、俺を困らせないでくれ」
懇願するように言うと、彼女の額に口付けた。
唇にしなかったのは、撫子にもっと触れたくなるから。
まだ俺にはやることが残っている。
彼女から離れて寝所を出ると、表玄関に行って外へ出た。
目の前の松の大木に風磨家の若造が縛り付けられていて奴と目が合った。
「ねえ、俺を下ろすようそこの妖に頼んでくれよ」
彼はチラリと少年の姿で松の木の枝の上で寝そべって呑気に寝ている琥珀に目をやる。
「何故俺が頼む?お前に腹を立てているのに」
冷淡に言うと、彼は俺に向かって訴えるように言った。
「ごめんってば。なんかさっきとキャラが変わってない?余計に怖いんですけど。謝るから許して!」
その謝り方が気に入らない。
まだおちゃらけているような感じがする。
「全然反省しているように見えないな。二度と俺たちの前に現れないと誓うなら、この松の木のごと風磨家に戻してやってもいい。きっと一族の笑い者になるだろうな」
悪魔のように意地悪く微笑んだら、彼はハハッと苦笑いした。
「なかなかいい性格してるね。あんた……確か本多尊って言ったっけ?得体の知れないオーラを感じるんだけど、赤鬼倒したのは君なの?」
さすが次期当主。隠していても俺の力がわかるのだろう。
「さあ、俺は何も知らない。さっきの話に戻ろうか。二度と現れないと誓うか?」
こいつの質問を軽く聞き流して、話を戻した。
「それは無理」
今度は間髪おかずに答えた彼の言葉にイラッとする。
「へえ、そうか。では、どうしようか。お前の力を消して、あと今日の記憶を奪おうか。これでも凄く譲歩しているんだが」
悪意を込めて告げると、彼は少し青ざめた。
「……冗談?そんなことできるわけが……」
「やってみれば冗談かどうかわかる」
風磨家の若造を見据え、念を込めようとしたら奴は慌てた。
「ちょ……ちょっと待った。俺は親父の命でここに来たんだ。水瀬家で修行して来いって言われてさ。水瀬のおじさんにはもう話がついているらしい」
嘘をついているようにはみえない。
「では、何故本宅に行かずに、ここに来た?」
俺がそう質問すると、彼はペチャクチャ喋り出した。
「水瀬のおじさんと秋さんが赤鬼を倒したって話になってるけど、信じられなくて。赤鬼に襲われたお嬢ちゃんに直接話を聞きにきたわけ。次期当主の俺でも全く歯が立たなかった相手をそう簡単に倒せる訳がない」
見た目や態度は頭が悪そうに見えるが、わざとそう見せているだけなのかもしれない。
たまに今のように鋭く目が光る。
「そうか?是清さまと秋さまはとても強いが」
表情を変えずにそう言い返したら、彼はニヤリとした。
「確かに強いけど、赤鬼を倒す力はない。もし倒せたとしてもそれなりの深傷を負ったはずだが、そんな噂は聞こえてこない。でも、今確信した。君が倒したんだ」
自信に満ちた顔で俺を見つめる彼に冷たく言い放つ。
「お前の戯言に付き合ってられない。琥珀、この男を風磨家にそのまま送り届け……⁉︎」
「ま、待って!俺たち協力すべきだと思うんだ」
叫ぶ風磨家の若造に冷たい視線を向ける。
「話が見えないな」
往生際が悪い……そう思ったのだが、こいつは気になる言葉を口にした。
「赤鬼の次頭が消えたせいなのかわからないが、湖の封印が解けたらしい」
湖に封印されていたのは、確か赤鬼の一角。
「赤鬼の一角が封印を解いたと言うのか?」
天月の当主の封印がそう簡単に解けるとは信じられなかった。
「自分で解いたのか、外からの力によるのかはわからないが、マズい事態になった」
風磨隼人の話に苦く呟いた。
「赤鬼の一角とはまた厄介だな」
俺が見た夢が正夢になるのか。
いや、そんなことは絶対にさせない。
撫子は俺が守る。必ず――。
そう心の中で誓った。
撫子と浴場の前で別れてそばに置いてあった長椅子に腰を下ろすと、琥珀は暇そうに空中回転しながら聞いてきた。
「何かあった時のためですよ」
フッと笑って答えるが、内心花見の時の突風が気になっていた。
あれは自然の風ではない。
妖かそれとも……。
じっと空を見据えて考えていたら、回転するのに飽きたのか琥珀が長椅子にゴロンと寝そべった。
「あ〜、姉ちゃんと一緒にお風呂入りたかったな」
本当に子供なら許してやったかもしれないが、五百歳近い妖との入浴は認められない。
「後で私と入ればいいでしょう?」
相手をするのが面倒で懐中時計を見ながら適当にあしらうが、琥珀は諦めが悪かった。
「尊と入るより、姉ちゃんと入る方が楽しそうだし、姉ちゃんの裸見てみたい」
無邪気に笑って言うが、こっちは笑えない。
「琥珀の中身はスケベじいさんですね。変な想像をしないように」
厳しく注意したが、琥珀は構わず続けた。
「だってさあ、姉ちゃん美人だもん。絶対綺麗な身体してるって」
「だから、想像するなと言っている!」
聞くだけで不愉快になりペシッとその頭を叩けば、彼は呻いた。
「いって〜。尊、本気でやったなあ。でも、尊だって想像くらいするだろ?」
「くだらない」
無表情でそう返すも、そのことは自分でも考えないようにしていた。
兄妹のように育ってきたのだ。
異性としては見ない。
だが、最近彼女の着替えをすることが増え、嫌でも彼女の身体が目に入る。
少女から大人の女性へと変わっていく撫子をどう扱っていいのか戸惑いを感じていた。
「ふーん、尊にしてはムキになってない?普段、姉ちゃんには『こんなんじゃお嫁に行けませんよ』なんて言ってるくせに、姉ちゃんに近づく男をことごとく排除してるのをおいら知ってるんだよね」
急にパッと起き上がって俺をじっと見据える彼に表情を変えずに言い返した。
「それは変な男ばっかり寄ってくるからですよ」
「尊ほどではないにしても、なかなかいい男もいたのになあ。恩人とか言ってるけど、ずっとそばにいるのは姉ちゃんを誰にも渡したくないからじゃないの?」
「……お前、撫子のことずっと前から知ってたのか?」
琥珀の発言に驚き、懐中時計をしまって彼をまじまじと見た。
「妖退治で有名な水瀬家のお嬢さんだし、姉ちゃんはその姿も魂もキラキラ輝いているからね。おいらの話はいいんだよ。尊は姉ちゃん嫁にやる気はないよねって聞いてんの」
「何が言いたいのかわからない」
「おいらも尊がわからないなあ。キスで治療なんて好きじゃないとやらないだろ?好きなら自分のものにしちゃえばいいのに……あっ、尊ひょっとして自分の気持ちに気づいていない?」
矢継ぎ早に話す彼をいつもなら一喝するところだが、今回はある言葉に衝撃を受け固まった。
「俺が……撫子を好き?」
第三者に言われて初めて気づく。
確かに兄なら妹にキスなんかしない。
事実、秋は絶対にしないし、撫子に気安く触れない。
治癒だ……お仕置きだと何かと理由をつけて俺が彼女に触れるのはそうせずにはいられないから。
愛おしいから触れたくなる。
そうだ。俺は……撫子が好きなんだ。
「うっわ〜、尊って意外に鈍感だったんだ」
俺の反応が面白かったのかケラケラ笑う琥珀。
「煩い。このスケベ猫!」
ギロッと琥珀を睨みつけたら、彼はニヤリとした。
「尊、完全に素になってるよ。誰よりも好きなんだよね、姉ちゃんのこと。そんな尊に、おいらからひとつ忠告」
彼の勿体ぶった言い回しが気になり先を促す。
「忠告?」
「妖から見ても姉ちゃんはイケてる。おまけに優しくて心も綺麗だ。姉ちゃんの血は特別って話だけど、血ではなく、姉ちゃん自身を欲しがる妖がそのうち現れるかもね」
人間だけではなく妖にとっても撫子は魅力的な存在とは厄介だ。
赤鬼も現れたし、今後も上級の妖が人間界に来る可能性がある。
「ただでさえ気苦労が多いのに、不吉なことを言うな」
琥珀の話に深い溜め息をつくと、彼は俺の肩をポンと叩いた。
「おいらも気をつけるけどさあ。姉ちゃんにちゃんと好きだって伝えて、しっかり捕まえておけよ。姉ちゃんも尊が好きみたいだけど、尊よりも鈍感なんだからさあ」
撫子も俺が好き……。
彼女が俺に好意を持っているのはなんとなく気付いていた。
最近俺と接する時、彼女は赤面して視線を逸らすことが増えてきたから。
だが、年上に憧れる時期だし、恋愛感情ではないと思っていたのだが、傍から見ていると違うらしい。
それを妖に教えられるとはな。
「なんだろう。お前に言われると無性に腹が立つ」
特に上から目線の言い方が気に食わない。
スーッと目を細めて琥珀を見れば、彼は二パッと笑った。
「事実だからだよ」
その目はとても澄んでいて綺麗だった。
『目はそのものの心を表す』と子供の頃、父が教えてくれた。
だから、彼は心の綺麗な妖。
心から俺と撫子のことを思ってくれているのだろう。
妖すべてが悪ではない。
人間にだって悪いやつはいっぱいいる。
いや、人間の方がより危険なのかもしれない。
昔のことが頭を過ぎったその時、撫子の声が聞こえた。
「尊〜!」
その声にハッとして椅子から立ち上がれば、琥珀が怪訝な顔をする。
「尊、どうかしたのか?」
彼の質問には答えず、浴場に入り、撫子を探す。
琥珀が何も感じていないなら妖ではない。
だが、露天風呂の方から閃光が見えた。
彼女に張った結界が反応している。
撫子に何があった?
「うわあ!」いう男の叫び声がして急いで露天風呂に向かえば、彼女は手拭いを身体に当て風呂の中央に呆然とした様子で突っ立っていた。
そのそばで若い男が仰向けの状態で痙攣を起こし、風呂に沈んでいる。
男の顔には見覚えがあった。
是清さんについて宗家会議に出席した時に見た顔だ。
確か風磨家の当主の息子。
恐らく撫子の結界に弾かれて吹き飛んだのだろう。
「撫子お嬢さま、大丈夫ですか?」
駆け寄ってその華奢な身体を抱きしめると、彼女は気が動転した様子で俺の胸に手を当てた。
「大丈夫。でも、侵入者がいて……私の身体が光って……何なの?」
撫子には結界のことは秘密にしていた。
言えば、「そんなの必要ない」とか文句を言うに決まっているから。
しかし、もうこの状況では隠せない。
「この男は風磨家当主の次男の風磨隼人です。あなたの身体が光ったのは結界のせいですよ。あなたが襲われそうになったら発動するようになってます」
正直に打ち明けると、彼女は顔を上げて俺を見た。
「……いつの間に結界なんて」
「撫子お嬢さまが雀を助けた時からですよ。それから面倒な輩を呼び寄せるようになったので」
是清さんの話では彼女が治癒の術を使えるようになったのは五歳の頃だったらしい。
元気なのに突然原因不明の病で寝込むことがあって、彼が調べたら治癒の術が原因だった。
おまけに蘇りの術まで使えることがわかり、撫子に術を使うのを禁止にしたのだが、彼女は言うことを聞かなかった。
『かわいそうだから助けたい』
自分の命が削られると知っていても、彼女はそう言って使用をやめなかった。
おまけに雀を蘇らせた時から彼女の術を知って妖も寄ってきて……。
「ち、ちょっと、面倒な輩って失礼なこと言わないでくれる?」
お風呂に沈んでいた風磨家の若造が起き上がって、俺に突っかかる。
「失礼なのはあなたでしょう?入浴中の女の子を襲うなんて最低な男ですね」
スーッと目を細めて冷ややかにかえすと、彼はヘラヘラ笑いながら言い訳した。
「だって、君がいつも彼女にくっついてるんだもん。水瀬家の執事って聞いてるけど、何者?結界張るなんて只者じゃないよね」
チャラい男に見えるが、その目は鋭い。
そう言えば、風磨家の息子は長男ではなく、次男のこの男が家督を継ぐらしい。
それだけ有能ということなのだろうが、撫子に近づいた時点で気に食わない。
琥珀の言ったことを認める。
彼女は俺の大事な女だ。
手を出す奴は許さない。
「あなたに答える義理はありません。それに私は撫子お嬢さまだけの執事です。琥珀〜!」
刺々しい口調で告げて琥珀を呼ぶと、「へーい」と元気のいい声が聞こえた。
瞬間移動で俺のそばに現れた琥珀に命じる。
「この不埒な男を表の松の木にでも縛りつけておいてくれますか?」
とりあえず撫子の前からこの男を遠ざけたかった。
カラスの餌にでもなればいいんだがな。
「がってん承知」
瞬時にこの状況を理解したのか、琥珀は悪戯っぽく目を光らせ、大きな猫に変身した。
「え?ちょっと妖飼ってんの〜!」
琥珀を見て風磨家の若造が激しく動揺するのを見て少し溜飲が下がった。
「大丈夫です。彼は妖ですが、殺しはしません」
ニヤリとしてそう伝えると同時に琥珀が奴を口にガブッと咥えた。
「妖飼うなんて反則〜!」
風磨の若造が顔面蒼白になりながら叫ぶが、琥珀は構わず囲いを飛び越えてこの場から消えた。
まあ妖を飼っているなんて宗家でも水瀬家くらいだろう。
風磨家の若造が驚くのも無理はない。
「次に撫子お嬢さまに触れたら、八つ裂きにしてやりますよ」
フッと笑みを浮かべこの場にいない風磨隼人に告げた。
これで不届き者はいなくなった。
次は撫子にお灸を据えなければ。
露天風呂には入るなと注意していたのに、守らないからこういう事態になる。
「さあて、邪魔者はいなくなりました。お仕置きタイムといきますか?」
撫子に目を向け、にっこりと微笑む。
今、彼女は手拭いで前を隠してはいるが、ほとんど裸だ。
その姿を風磨家の若造に見られらのだ。
ドス黒い感情が腹の底から沸き上がってくる。
しかも、結界が発動したということは、あいつが撫子に触れたということ。
……許せない。
風磨隼人のお仕置きは後でやるが、まずは撫子に言い聞かせなくてはいけない。
自分の無鉄砲な行動であいつに襲われそうになっていたことを。
「み、み、尊……お仕置きって何?私は被害者だよ」
俺の怒りが伝わったのか、彼女は強張った顔で反論した。
「私はちゃん注意しましたよね。露天風呂には入らないでくださいと」
怒りからかついついキツい言い方になる。
だが、俺の忠告を破った彼女がいけない。
「でも……それは風が強いからって……あっ、風⁉︎」
俺に言い返そうとして彼女は声を上げた。
「その顔、やっと自分が間抜けだと気がついたようですね」
彼女の辞書には恐らく【用心】という文字はない。
俺もそばで守っていても、それで充分ではない。
彼女にも危険を認識してもらわなければ困る。
冷ややかに言えば、彼女は狼狽えながら謝った。
「あの……その……ごめん……」
いつもならそのくらいで許しただろうが、赤鬼の事件があったすぐ後でまたこれだ。
全然懲りていない。
「赤鬼の件で反省したかと思えば。どうしたらあなたは言うことを聞くのでしょうね」
何度言っても俺の忠告は無視。
優しくしてもこの無鉄砲なお嬢さんは余計自由に動き回るだけ。
いつもどれだけ俺がハラハラしているか彼女は知らない。
どうすれば大人しくしてくれる?
自分の感情が激しく乱れているのがわかる。
だが、怒りを抑えられない。
撫子も俺が本気で怒っているのがわかっているからか、何も言葉を返さない。
その綺麗な瞳は震えていた。
水に濡れて、裸の彼女。
その姿がどんなに男を欲情させるのか、彼女は気づいていない。
知らないというのも罪だ。
「私が結界を張っていなければ、あなたは襲われていましたよ」
手拭い越しに彼女の胸に触れる。
その鼓動が手に伝わって来て、ドキッとした。
直接素肌に触れていないが、その柔らかな感触にオスの本能が目覚める。
今、凄くこの女が欲しい。
「尊……冗談はやめ……んん⁉︎」
撫子が俺の目を見てそう訴えるが、「黙って」という代わりに、彼女の口を俺の唇で塞いだ。
柔らかくて温かくて……その唇の感触に身体が熱くなる。
過去に二回、彼女を治癒するために口付けたことがあったが、いずれの時もその唇は冷たかった。
だが、今彼女はしっかりと目覚め、俺のキスに反応している。
彼女は俺の腕をギュッと掴んで、キスに応えていたが急に息苦しくなったのか、俺の胸に手を当てて止めた。
「……なんで?」
酷く困惑した顔で撫子は俺を見つめる。その顔を見て我に返った。
しまった。
いつもは彼女に触れても、自分をコントロールできていたのに、今は完全に我を忘れていた。
キスの刺激が強すぎたのか、それとも風磨家の若造の件でかなりショックを受けたのか、彼女の身体から力が抜け俺の胸に倒れ込んだ。
「撫子?」
その名を呼ぶが、彼女は応えない。
「……やり過ぎた」
彼女を抱き抱えポツリと呟く。
しかも、この状態で気を失うなんて最悪だ。
頼むから裸で気を失わないでほしい。
撫子を抱いたまま脱衣所に行き、浴衣を着せる。
シミひとつない透き通るような白い肌。
白桃のように瑞々しい胸。
露天風呂ではそんなに視覚的な刺激はなかったが、脱衣所には灯りがついていて見ないようにしても彼女の裸が目に映るし、見なければ着替えさせることができない。
おまけに彼女への気持ちを自覚したばかり。
俺にとってこれは拷問だ。
必要以上に触れないようにして着替えを終えると、二階の寝所に彼女を運ぶ。
和室に敷かれている布団に撫子を寝かし、そっと布団をかける。
撫子へお仕置きするつもりが自分を苦しめることになろうとは。
裸の自分に俺が浴衣を着せたと知ったらまた彼女は失神しそうだ。
「ホント、俺を困らせないでくれ」
懇願するように言うと、彼女の額に口付けた。
唇にしなかったのは、撫子にもっと触れたくなるから。
まだ俺にはやることが残っている。
彼女から離れて寝所を出ると、表玄関に行って外へ出た。
目の前の松の大木に風磨家の若造が縛り付けられていて奴と目が合った。
「ねえ、俺を下ろすようそこの妖に頼んでくれよ」
彼はチラリと少年の姿で松の木の枝の上で寝そべって呑気に寝ている琥珀に目をやる。
「何故俺が頼む?お前に腹を立てているのに」
冷淡に言うと、彼は俺に向かって訴えるように言った。
「ごめんってば。なんかさっきとキャラが変わってない?余計に怖いんですけど。謝るから許して!」
その謝り方が気に入らない。
まだおちゃらけているような感じがする。
「全然反省しているように見えないな。二度と俺たちの前に現れないと誓うなら、この松の木のごと風磨家に戻してやってもいい。きっと一族の笑い者になるだろうな」
悪魔のように意地悪く微笑んだら、彼はハハッと苦笑いした。
「なかなかいい性格してるね。あんた……確か本多尊って言ったっけ?得体の知れないオーラを感じるんだけど、赤鬼倒したのは君なの?」
さすが次期当主。隠していても俺の力がわかるのだろう。
「さあ、俺は何も知らない。さっきの話に戻ろうか。二度と現れないと誓うか?」
こいつの質問を軽く聞き流して、話を戻した。
「それは無理」
今度は間髪おかずに答えた彼の言葉にイラッとする。
「へえ、そうか。では、どうしようか。お前の力を消して、あと今日の記憶を奪おうか。これでも凄く譲歩しているんだが」
悪意を込めて告げると、彼は少し青ざめた。
「……冗談?そんなことできるわけが……」
「やってみれば冗談かどうかわかる」
風磨家の若造を見据え、念を込めようとしたら奴は慌てた。
「ちょ……ちょっと待った。俺は親父の命でここに来たんだ。水瀬家で修行して来いって言われてさ。水瀬のおじさんにはもう話がついているらしい」
嘘をついているようにはみえない。
「では、何故本宅に行かずに、ここに来た?」
俺がそう質問すると、彼はペチャクチャ喋り出した。
「水瀬のおじさんと秋さんが赤鬼を倒したって話になってるけど、信じられなくて。赤鬼に襲われたお嬢ちゃんに直接話を聞きにきたわけ。次期当主の俺でも全く歯が立たなかった相手をそう簡単に倒せる訳がない」
見た目や態度は頭が悪そうに見えるが、わざとそう見せているだけなのかもしれない。
たまに今のように鋭く目が光る。
「そうか?是清さまと秋さまはとても強いが」
表情を変えずにそう言い返したら、彼はニヤリとした。
「確かに強いけど、赤鬼を倒す力はない。もし倒せたとしてもそれなりの深傷を負ったはずだが、そんな噂は聞こえてこない。でも、今確信した。君が倒したんだ」
自信に満ちた顔で俺を見つめる彼に冷たく言い放つ。
「お前の戯言に付き合ってられない。琥珀、この男を風磨家にそのまま送り届け……⁉︎」
「ま、待って!俺たち協力すべきだと思うんだ」
叫ぶ風磨家の若造に冷たい視線を向ける。
「話が見えないな」
往生際が悪い……そう思ったのだが、こいつは気になる言葉を口にした。
「赤鬼の次頭が消えたせいなのかわからないが、湖の封印が解けたらしい」
湖に封印されていたのは、確か赤鬼の一角。
「赤鬼の一角が封印を解いたと言うのか?」
天月の当主の封印がそう簡単に解けるとは信じられなかった。
「自分で解いたのか、外からの力によるのかはわからないが、マズい事態になった」
風磨隼人の話に苦く呟いた。
「赤鬼の一角とはまた厄介だな」
俺が見た夢が正夢になるのか。
いや、そんなことは絶対にさせない。
撫子は俺が守る。必ず――。
そう心の中で誓った。
