「やっぱり桜はいいわよね〜。咲いてよし、散ってよし。綺麗〜」
目の前にある桜の木を眺めながら三色団子をパクッと口にすると、横にいる琥珀くんも団子を三本一気に口に入れた。
「うん、うん、綺麗だなあ」
そんな私と琥珀くんを見て尊が呆れ顔で言う。
「ふたりとも単に団子が食べたかっただけですよね」
「花より団子って言いたいんでしょう?」
今日は尊に嫌味を言われても平気。
だって、景色もいいし、団子も美味しいんだもん。
だが、この男はいつでもどこでも冷ややかだ。
「わかってるじゃありませんか。団子を食べるだけなら、水瀬家の別荘まで来る必要はなかったのでは?」家で食べたって新鮮味がないじゃないの。
「最近遠出してなかったしいいじゃない。たまには気分転換も必要よ」
私の返答を聞いて尊はスーッと目を細めた。
「あなたの場合は、毎日気分転換してますが」
「もう、そんな皮肉ばっかり言わないの。せっかくの団子がマズくなるわ」
なんとか尊のご機嫌を取ろうとしても、彼は眉間にシワを寄せる。
「やっぱり団子目的じゃないですか」
「楽しければなんでもいいの。尊は遠出しても執事服よね。別の服だってあるでしょう?旅行する時ぐらい脱いだら?」
車で四時間かけてうちの別荘に私と尊と琥珀くんの三人でやってきたのだが、私の執事は仕事モードを決して崩さない。
普段ずっとむっつり顔の彼にもリラックスしてもらいたいのにな。
「私にとっては旅行ではなく、今も勤務中です」
素っ気なく返され、彼をじっとりと見て言い返した。
「お世話を頼んだ覚えはないけど」
「勝手な行動をしてつい先日鬼に血を吸われたのは誰ですか?」
尊の刺々しい口調にカッとなって、彼の腕を掴んで声を荒らげた。
「この陰険男!それは謝ったじゃないの!」
「淑女はそんな大声を出しませんよ」
「尊がそうさせてるの!」
売り言葉に買い言葉。
旅行に来ても私達のやり取りは相変わらず。
「ホント尊と姉ちゃんは仲良いよな」
私たちを面白そうに眺める琥珀くんの声にハッとして、尊からパッと手を放す。
「全然仲良くないわよ。尊はいつも怒ってばっかりだし」
ムスッとしながらそんなことを言ったら、尊がゆっくりと腰を上げた。
「来たばかりですが、帰りましょうか?」
「あ〜、ごめんなさい。ほらほら、お酒でも飲んで」
おちょこにお酒を注いで尊に差し出すと、彼は訝しげな視線を投げる。
「このお酒はどこから?私は持ってきていませんが」
「私が台所からちょっと拝借してきたの」
ハハッと笑いながら答える私に彼は口煩く注意した。
「そんな泥棒みたいな真似しないでください」
いつもならここでムッとするところだが必死に耐えた。
せっかく来たのに帰るなんて嫌。
ここは我慢よ、撫子。
「うちの物だからいいじゃないの」
ニコニコ顔でそう返したら、彼は腰を下ろしておちょこを受け取った。
「仕方のない人ですね」
ゴクッと酒を口にする尊が妙に色っぽい。
それもやはり大人の魅力というものなのか。
七歳も離れてるものね。
「私も飲んでみよう」
自分でおちょこに酒をついで飲もうとしたら、すかさず尊に取り上げられた。
「未成年は飲んではいけません」
「え〜、ケチ」
口を尖らせて文句を言ったら、彼は重箱の横にあったアルミの水筒を手に取った。
「あなたにはこれです」
彼はおちょこに何かを注ぎ、私に手渡す。
お酒の匂いにまじってほのかに甘い香りがした。
「これは?」
尊の顔を見て尋ねると、「甘酒ですよ」と彼は無表情で答える。
一口口にすると、温かくて優しい味がした。
きっと私のために尊が用意したんだろうな。
「美味しい」
笑顔でそんな感想を口にしたら、彼は「それはよかったです」とクールに返して私が持ってきた酒をゴクッと飲む。
「ねえねえ、おいらも酒飲んでみたい」
琥珀くんが嬉々とした顔で言うので、私のおちょこを差し出した。
「じゃあ、琥珀くんも甘酒飲む?」
「チッチッ。おいらもうすぐ五百歳だよ。尊が飲んでるのと同じのほしい」
人差し指を左右に動かして、普通の酒を飲みたいと主張する彼。
あー、はいはい。
ついついこの少年の見た目に騙されてしまう。
もう大人なのよね。
「いいですが飲み過ぎないように」
尊に釘を刺されながらも琥珀くんは自分でせっせとお酒をお茶が入っていた湯飲みに注いで、ゴクゴクと飲む。
「プハーッ、うめえ〜」
「子供が酒飲んでる風にしか見えないんですけどね」
琥珀くんの飲みっぷりに苦笑いする尊。
「確かに」
彼の言葉に相槌を打ったその時、突風が吹いて桜の枝がバキッと折れ、私の方に飛んできた。
「キャッ!」と声をあげると同時に尊が動いて私に覆い被さる。
「危ない!」
折れた枝は凄いスピードでくるくる円を描いて尊の頬をかすって地面に落ちた。
「大丈夫ですか、撫子お嬢さま?」
尊がすぐに私に目を向け確認すると、笑ってみせた。
「うん。尊のお陰で怪我はないわ。でも、尊の頬から血が」
少しだけ彼の頬から血が出ていて治癒の術を使おうとしたら手を掴まれた。
「撫子お嬢さま、ダメですよ」
その真剣な声にゴクッと息を飲んだ。
「……ごめんなさい」
治せるのに治しちゃいけない。
だったらこんな力ない方がよかったな。
落ち込む私の頬に手を当て彼は優しい目で告げた。
「心配しなくても大丈夫ですよ。こんな傷すぐに治ります」
彼も私のことを思って注意してくれているのはわかっている。
だから、私が心配しないように彼なりに気を使っているのだ。
「後でお薬塗ってあげる」
気を取り直して言うと、「塗りすぎないでくださいね」と彼は小さく微笑んだ。
「それにしてもさっきの風凄かったな。せっかく桜満開で綺麗だったのに」
桜の花びらがたくさん散り、ゴザの上も重箱や団子が転がっているのを見て、琥珀くんが残念そうな顔をする。
「本当。嫌な風ですね」
尊は空を見据えると、散乱したものを片付け始めた。
彼が急に表情を変えたので不思議に思って尋ねた。
「尊、どうしたの?」
「なんでもありません。別荘に戻りましょう」
彼はそう言うが、何か気になる。
ひょっとして今の風は妖の仕業なのだろうか。
それ以上突っ込んでは聞かず、大人しく彼に従い別荘に戻る。
山の中腹にある別荘は本宅と違って数百年前に建てられた数寄屋造りの古い建物。
だが、木の温もりと畳の匂いに癒される。
みんなで二階の窓側の部屋で休んでいたら、夕飯の時間になり、一階の土間に移動。
囲炉裏の中央に鍋があり、その周りには串刺しになった川魚が美味しそうに焼けている。
囲炉裏の前の座布団に座ると、隣りに座った尊が鍋の蓋を開けた。
「今日は猪鍋だそうですよ」
お肉がグツグツ煮えているのを見てグウと軽くお腹が鳴る。
「山は冷えるからいいね。ここで食べる鍋、いつも楽しみなんだあ」
目を輝かせる私の言葉に向かい側に座っている琥珀くんも「うん、うん」と頷いた。
「おいらもこういうの好きだな。お屋敷の食事は豪華で美味しいけど、テーブルマナーとかあるしさあ」
「マナーなんて適当でいいよ」
そうアドバイスするが、尊に否定された。
「そういう訳にはまいりません。人間の世界で生活するなら礼儀作法はちゃんと身につけてください。もちろん撫子お嬢さまもですよ」
「はーい」
琥珀くんと目を合わせてとりあえず返事をするも、もう目の前の料理を食べることしか考えられない。
「あー、この猪鍋のお肉美味しい。身体もあったまる」
ホクホク顔で肉を味わう私を見て、尊が頬を緩めた。
「確かに肉も柔らかくて美味しいですね。撫子お嬢さま、頬にご飯粒がついてますよ」
彼は私のご飯粒を取って、パクッと口にする。
ごく自然にされたが、その親密なやり取りに顔の熱が急上昇する。
お兄さまにだってされたことないのに。
「やだ、尊、恥ずかしいからそんなの口に入れないでよ」
上目遣いに彼を見ると、いつもの澄まし顔で返された。
「食べ物を粗末にしてはいけませんから」
「ふたりともおいらの存在忘れてない?」
私と尊を見て琥珀くんがニヤニヤしながら冷やかしてきて狼狽えた。
「わ、忘れてないわよね、尊」
尊に声をかけるが、彼は意地悪く言った。
「私は忘れていませんが、撫子お嬢さまはどうでしょうねえ。顔が赤いですよ」
彼の指摘にさらに顔が熱くなる。
「これは熱いものを食べたからよ」
声を大にして否定するも信じてくれず、彼らは声を揃えて相槌を打った。
「はいはい」
「本当に熱いものを食べたからよ」
ムキになって再度そう主張する私を見て尊がフッと笑う。
「撫子お嬢さま、早く魚を食べないと、琥珀に全部食べられてしまいますよ」
「あー、それはダメ〜!」
目の前にある竹串に刺さった川魚を手に取りかぶりつく私を見て尊が楽しそうに目を光らせた。
「そういうところ、小さい頃から変わりませんね」
「食い意地がはってると言いたいんでしょう?」
魚を咥えたまま執事に目を向けたら、彼はそんな私をからかった。
「よくわかっているではありませんか。いつ淑女になるのやら」
「そのうちなるわよ」
ムキになって言い返す私に琥珀くんが嬉しい言葉を投げる。
「淑女ってよくわかんないけど、姉ちゃんは綺麗だよ」
「あら、琥珀くんわかってるじゃない」
ちょっと照れながらも喜ぶ私に尊が茶々を入れてきて……。
「本気にしない方がよろしいかと。琥珀は今お酒を飲んでますから」
尊の言葉を聞いて琥珀くんに目を向ければ、頬が赤くなって目が据わっている。
「よ、酔ってるから本音を言ってるのよ」
私の解釈に尊は異議を唱えた。
「自分で言ってて悲しくなりませんか?」
「……真顔で言わないでよ。落ち込むじゃないの」
どうせ私は春乃のような完璧なお嬢さまではありませんよ。
いじける私を彼は口元に笑みを浮かべながら慰める。
「冗談です。私がお育てしたんですから、お嬢さまはそこそこイケてますよ」
「いや、全然褒めてなーい。琥珀くん、私にもお酒ちょうだーい!」
酔っ払っている琥珀くんに頼むが、「姉ちゃんも五百歳になったらな〜」とケラケラ笑うだけ。
五百年も生きられないよ。
「あ〜、私も早く大人になりた〜い」
やさぐれる私に尊は白い湯飲みを手渡す。
「今を楽しんでください」
甘酒かと思って湯飲みを見たら違った。
綺麗な桜の花びらが湯飲みに浮かんでいる。
「これ……」
じっと湯飲みを見つめる私に尊は穏やかな声で説明する。
「桜茶ですよ。綺麗でしょう?お酒が飲めなくても、楽しむものはいっぱいあります」
お茶を飲むと、ほのかに甘い香りがした。
これも彼が私のために用意したんだろうな。
「美味しい。尊、ありがと」
ハニカミながら礼を言うと、彼は目を細めて微笑んだ。
「どういたしまして」
その後、夕食を終えると、屋敷の一階の奥にある浴場に向かう。
内風呂と露天風呂のふたつがあり、お湯は温泉。
浴場の前まで尊と琥珀くんがついてきた。
「では、撫子お嬢さま、私と琥珀はここで控えておりますので」
尊が私に浴衣を手渡しながらそう言うと、琥珀くんが私の腕を掴んで駄々をこねる。
「え〜、おいらも姉ちゃんと一緒に入りたい」
この少年の見た目に騙されてはいけない。
「もうすぐ五百歳の妖が何言ってんだか。ダメよ」
ニコッと笑う私に尊も同調して琥珀くんの首根っこを掴んで私から引き剥がした。
「許可できません。後で入りなさい」
「ちぇっ、つまんない。猫の姿でもダメ?」
手を合わせて琥珀くんは尊に頼むが、許してもらえなかった。
「ダメに決まってます」
ふたりが揉めている間に入ってこよう。
「じゃあ、入ってくるわね」
小声で言って浴場の扉に手をかけたら、尊が私に目を向けた。
「撫子お嬢さま、今日は風が強いですから露天風呂には入らないでください」
「はーい」
何も考えず明るく返事をして浴場の扉をガラガラっと開け、脱衣所で着物を脱ぐ。
「夕飯食べ過ぎて帯がキツかったのよね」
自分の身体を見ると、お腹が膨れていた。
こんな姿、誰にも見せられないわ。
手拭いを持って浴室に入ると、六畳くらいの大きな檜のお風呂がある。
身体を洗うと内風呂に入った。
お湯は乳白色で、微かに桃の香りがして気持ちがいい。
「ああ〜、いい気持ち」
本宅にも温泉があったらいいんだけど。
でも、毎日温泉だったら有り難みがなくなるか。
しばらく湯に浸かっていたが、露天風呂にも入りたくなった。
尊に釘を刺されたけど、今は風の音はしないし大丈夫だろう。
内風呂を出て、隣にある露天風呂に向かう。
露天風呂風呂は岩風呂で周囲は木で囲いがしてあり、足元にはランプがいくつか置かれていた。
満天の星空に心が和む。
田舎ではないとこんなに多くの星は見えない。
「空から星が降ってきそう」
フッと笑みを浮かべ、岩風呂に入ると、身体が気泡に包まれた。
ここのお湯は青く、炭酸泉で、飲むと少ししょっぱい。
「濁り湯もいいけど、私は透明のお湯の方が好きだな」
お湯を身体にかけながら、星を眺める。
ふと首筋に触れたが、もうそこには赤鬼に噛まれた傷はない。
尊のお陰で綺麗に治っている。
私と違って尊は治癒の術を使ってもダメージは少ない。
彼は四大宗家の当主になれる器を持っている。
父や兄よりも彼は強いんじゃないだろうか。
最近、夢に出てくる白髪の少年が尊に思える時がある。
顔の輪郭とか目が似てるのよね。
ただの夢だとは思うんだけど、何かが引っかかる。
どうしてあの夢だけ何度も見てしまうのだろう。
それに、あの夢とは別にふとした瞬間に声が聞こえるの。
『お願いだから目を覚まして。お願いだから』
それは夢に出てきた少年の声。
必死に私に呼びかけていて……。
私は一年間ずっと昏睡状態だったみたいだから、ひょっとしてご先祖さまが枕元に立って呼びかけてくれたのかも。
そう結論付けて風呂から上がろうとしたら、強い風が吹いてランプが倒れた。
周囲が暗くなり、思わず自分の肩を抱いて叫んだ。
「みこ…⁉︎」
「静かに!」
尊と叫ぼうとしたのに誰か男性に背後から口を押さえられ、ビクッとする。
「ちょっと聞きたいんだけど、赤鬼倒したのって誰?」
声は若いが聞いたことがない。
背後にいるのは誰?
いずれにしても入浴中の女の子を襲うなんて許せない。
相手の手を思い切りガブッと噛めば、「いてっ!」と呻き声がした。
すかさずその男から離れようとするも、腕を掴まれる。
「こらこら逃げないの」
ニヤリと笑うその男は髪は肩まであり、金と黒の市松模様の腰丈の着物を着ていて、背は尊くらい。
細身だがその肉体は鍛え上げられていて動きは俊敏だ。
「いや!離して!」
手拭いで胸元を押さえながら抵抗するが、振り解けない。
「入浴中の婦女子を襲うなんて卑怯よ!」
キッと睨みつけたら、男は口角を上げた。
「いいね。その目。水瀬家のお嬢ちゃんは美人だって聞いてたけど、噂通りだな」
私が水瀬家の者と知っている。
この男は一体何者なのだろう。
「あなた誰!」
「そんなことより、俺の質問に答えてくれない?赤鬼は誰が倒したのかな?」
男の目がキラリと光り、身体がブルッと震えた。
「し、知らないわよ」
動揺しながら答えたが、男は府に落ちない様子でじっと私を見据える。
「水瀬家の奴が倒せる訳がないんだよね。あの鬼は次頭だしさあ」
どうやら男は鬼に詳しいようだ。
妖なのだろうか?
「次頭って何なのよ!」
男を睨みながら問えば、彼はフッと笑った。
「次の鬼の頭になる鬼のことだ。それに、あいつは時を操れたんだ。宗家の者では太刀打ち出来ないはず」
「私は気を失ってたからわからないの!いい加減離しなさい!」
男の股間を蹴り上げようとするも、後ろから羽交い締めにされた。
「このスケベ!」
悔しくて大声で叫ぶ私の耳元で彼は囁くように言う。
「元気がいいお嬢ちゃんだな。知らないなら仕方ない。俺とここで楽しもうか?」
男が私の胸を鷲掴みしてきて、思わず叫んだ。
「尊〜!」
すると、私の身体から閃光が放たれて、男が「うわあ!」と悲鳴を上げながら風呂にザブンと沈んだ。
訳がわからずキョトンとしていたら、尊が目の前にいて私を抱きしめた。
「撫子お嬢さま、大丈夫ですか?」
「大丈夫。でも、侵入者がいて……私の身体が光って……何なの?」
頭が混乱していてうまく説明出来なかったのだけれど、尊はちゃんと理解したようで淡々と私の疑問に答えた。
「この男は風磨家当主の次男の風磨隼人です。あなたの身体が光ったのは結界のせいですよ。あなたが襲われそうになったら発動するようになってます」
全然知らなかった。
尊……結界も使えるのか。
赤鬼の時、尊が駆けつけたのも彼の結界のせいなのかもしれない。
「……いつの間に結界なんて」
驚きを隠せない私に彼は溜め息をつきながら言った。
「撫子お嬢さまが雀を助けた時からですよ。それから面倒な輩を呼び寄せるようになったので」
雀を助けたのは私が十三歳の時。
五年も前から結界を張っていたなんて……。
「ち、ちょっと、面倒な輩って失礼なこと言わないでくれる?」
お湯の中に沈んでいた風磨家の者がプハーッと水を吐きながら立ち上がり、尊に突っかかった。
「失礼なのはあなたでしょう?入浴中の女の子を襲うなんて最低な男ですね」
尊が軽蔑の眼差しを向けるが、風磨隼人は構わず軽い調子で返した。
「だって、君がいつも彼女にくっついてるんだもん。水瀬家の執事って聞いてるけど、何者?結界張るなんて只者じゃないよね」
「あなたに答える義理はありません。それに私は撫子お嬢さまだけの執事です。琥珀〜!」
尊が冷たく言い放って琥珀くんを呼ぶ。
「へーい」
返事と共にパッと現れた琥珀くんに尊は命じた。
「この不埒な男を表の松の木にでも縛りつけておいてくれますか?」
「がってん承知」
ニヤリと笑うと、琥珀くんは大猫に化けて風磨隼人の服を噛む。
「え?ちょっと妖飼ってんの〜!」
琥珀くんを見て目を丸くする風磨隼人を見て尊は楽しげに目を光らせた。
「大丈夫です。彼は妖ですが、人を殺しはしません」
琥珀くんが風磨隼人を口に咥えて囲いを飛び越える。
「妖飼うなんて反則〜!」
風磨隼人が叫び声だけが響き、彼らはこの場からいなくなった。
その姿が見えなくなると、尊は不敵に笑った。
「次に撫子お嬢さまに触れたら、八つ裂きにしてやりますよ」
その殺気に満ちた声にゾクッと寒気がして縮こまった。
うわー、尊怖い。
本当にやりそう。
風磨さん、自分の命のためにも私の前に現れない方がいいですよ……と他人の心配をしていたら、尊の視線を強く感じた。
これは怒っている時の視線だ。
彼を見てはいけない。
そう脳が警鐘を鳴らしているのに、何かの力が働いて顔を上げると、彼が私をじっと見ていた。
妖しく光るその双眸に捕らえられ、瞬きもできない。
「さあて、邪魔者はいなくなりました。お仕置きタイムといきますか?」
「み、み、尊……お仕置きって何?私は被害者だよ」
「私はちゃん注意しましたよね。露天風呂には入らないでくださいと」
「でも……それは風が強いからって……あっ、風⁉︎」
尊が風と言ったのはたとえで風磨隼人のことだったのか。
きっと花見の時からその存在に気づいていたのだろう。
「その顔、やっと自分が間抜けだと気がついたようですね」
その不機嫌そうな声を聞いて身体が震え上がった。
「あの……その……ごめん……」
あたふたしながら謝るが、周囲の空気が張り詰めてうまく声にならなかった。
「赤鬼の件で反省したかと思えば。どうしたらあなたは言うことを聞くのでしょうね」
いつもの呆れた言い方ではなかった。
怒気を含んだその声に身体が固まる。
まるで金縛りにあったかのようだ。
「私が結界を張っていなければ、あなたは襲われていましたよ」
尊が私の胸に触れてきて目を大きく見開いた。
心臓がバクバクしている。
私……今裸だ。
手拭い越しに彼の手が胸に触れている。
「尊……冗談はやめ……んん⁉︎」
彼が私の口を塞いで心臓が飛び出そうなほど気が動転していた。
尊が私に……キスしてる。
キスがお仕置き……?
でも、兄妹のように育ってきたのよ。
「……なんで?」
頭の中で渦が巻いている。
理由を考えれば考えるほど訳が分からなくなって頭がボーッとして、そのまま意識を手放した。
目の前にある桜の木を眺めながら三色団子をパクッと口にすると、横にいる琥珀くんも団子を三本一気に口に入れた。
「うん、うん、綺麗だなあ」
そんな私と琥珀くんを見て尊が呆れ顔で言う。
「ふたりとも単に団子が食べたかっただけですよね」
「花より団子って言いたいんでしょう?」
今日は尊に嫌味を言われても平気。
だって、景色もいいし、団子も美味しいんだもん。
だが、この男はいつでもどこでも冷ややかだ。
「わかってるじゃありませんか。団子を食べるだけなら、水瀬家の別荘まで来る必要はなかったのでは?」家で食べたって新鮮味がないじゃないの。
「最近遠出してなかったしいいじゃない。たまには気分転換も必要よ」
私の返答を聞いて尊はスーッと目を細めた。
「あなたの場合は、毎日気分転換してますが」
「もう、そんな皮肉ばっかり言わないの。せっかくの団子がマズくなるわ」
なんとか尊のご機嫌を取ろうとしても、彼は眉間にシワを寄せる。
「やっぱり団子目的じゃないですか」
「楽しければなんでもいいの。尊は遠出しても執事服よね。別の服だってあるでしょう?旅行する時ぐらい脱いだら?」
車で四時間かけてうちの別荘に私と尊と琥珀くんの三人でやってきたのだが、私の執事は仕事モードを決して崩さない。
普段ずっとむっつり顔の彼にもリラックスしてもらいたいのにな。
「私にとっては旅行ではなく、今も勤務中です」
素っ気なく返され、彼をじっとりと見て言い返した。
「お世話を頼んだ覚えはないけど」
「勝手な行動をしてつい先日鬼に血を吸われたのは誰ですか?」
尊の刺々しい口調にカッとなって、彼の腕を掴んで声を荒らげた。
「この陰険男!それは謝ったじゃないの!」
「淑女はそんな大声を出しませんよ」
「尊がそうさせてるの!」
売り言葉に買い言葉。
旅行に来ても私達のやり取りは相変わらず。
「ホント尊と姉ちゃんは仲良いよな」
私たちを面白そうに眺める琥珀くんの声にハッとして、尊からパッと手を放す。
「全然仲良くないわよ。尊はいつも怒ってばっかりだし」
ムスッとしながらそんなことを言ったら、尊がゆっくりと腰を上げた。
「来たばかりですが、帰りましょうか?」
「あ〜、ごめんなさい。ほらほら、お酒でも飲んで」
おちょこにお酒を注いで尊に差し出すと、彼は訝しげな視線を投げる。
「このお酒はどこから?私は持ってきていませんが」
「私が台所からちょっと拝借してきたの」
ハハッと笑いながら答える私に彼は口煩く注意した。
「そんな泥棒みたいな真似しないでください」
いつもならここでムッとするところだが必死に耐えた。
せっかく来たのに帰るなんて嫌。
ここは我慢よ、撫子。
「うちの物だからいいじゃないの」
ニコニコ顔でそう返したら、彼は腰を下ろしておちょこを受け取った。
「仕方のない人ですね」
ゴクッと酒を口にする尊が妙に色っぽい。
それもやはり大人の魅力というものなのか。
七歳も離れてるものね。
「私も飲んでみよう」
自分でおちょこに酒をついで飲もうとしたら、すかさず尊に取り上げられた。
「未成年は飲んではいけません」
「え〜、ケチ」
口を尖らせて文句を言ったら、彼は重箱の横にあったアルミの水筒を手に取った。
「あなたにはこれです」
彼はおちょこに何かを注ぎ、私に手渡す。
お酒の匂いにまじってほのかに甘い香りがした。
「これは?」
尊の顔を見て尋ねると、「甘酒ですよ」と彼は無表情で答える。
一口口にすると、温かくて優しい味がした。
きっと私のために尊が用意したんだろうな。
「美味しい」
笑顔でそんな感想を口にしたら、彼は「それはよかったです」とクールに返して私が持ってきた酒をゴクッと飲む。
「ねえねえ、おいらも酒飲んでみたい」
琥珀くんが嬉々とした顔で言うので、私のおちょこを差し出した。
「じゃあ、琥珀くんも甘酒飲む?」
「チッチッ。おいらもうすぐ五百歳だよ。尊が飲んでるのと同じのほしい」
人差し指を左右に動かして、普通の酒を飲みたいと主張する彼。
あー、はいはい。
ついついこの少年の見た目に騙されてしまう。
もう大人なのよね。
「いいですが飲み過ぎないように」
尊に釘を刺されながらも琥珀くんは自分でせっせとお酒をお茶が入っていた湯飲みに注いで、ゴクゴクと飲む。
「プハーッ、うめえ〜」
「子供が酒飲んでる風にしか見えないんですけどね」
琥珀くんの飲みっぷりに苦笑いする尊。
「確かに」
彼の言葉に相槌を打ったその時、突風が吹いて桜の枝がバキッと折れ、私の方に飛んできた。
「キャッ!」と声をあげると同時に尊が動いて私に覆い被さる。
「危ない!」
折れた枝は凄いスピードでくるくる円を描いて尊の頬をかすって地面に落ちた。
「大丈夫ですか、撫子お嬢さま?」
尊がすぐに私に目を向け確認すると、笑ってみせた。
「うん。尊のお陰で怪我はないわ。でも、尊の頬から血が」
少しだけ彼の頬から血が出ていて治癒の術を使おうとしたら手を掴まれた。
「撫子お嬢さま、ダメですよ」
その真剣な声にゴクッと息を飲んだ。
「……ごめんなさい」
治せるのに治しちゃいけない。
だったらこんな力ない方がよかったな。
落ち込む私の頬に手を当て彼は優しい目で告げた。
「心配しなくても大丈夫ですよ。こんな傷すぐに治ります」
彼も私のことを思って注意してくれているのはわかっている。
だから、私が心配しないように彼なりに気を使っているのだ。
「後でお薬塗ってあげる」
気を取り直して言うと、「塗りすぎないでくださいね」と彼は小さく微笑んだ。
「それにしてもさっきの風凄かったな。せっかく桜満開で綺麗だったのに」
桜の花びらがたくさん散り、ゴザの上も重箱や団子が転がっているのを見て、琥珀くんが残念そうな顔をする。
「本当。嫌な風ですね」
尊は空を見据えると、散乱したものを片付け始めた。
彼が急に表情を変えたので不思議に思って尋ねた。
「尊、どうしたの?」
「なんでもありません。別荘に戻りましょう」
彼はそう言うが、何か気になる。
ひょっとして今の風は妖の仕業なのだろうか。
それ以上突っ込んでは聞かず、大人しく彼に従い別荘に戻る。
山の中腹にある別荘は本宅と違って数百年前に建てられた数寄屋造りの古い建物。
だが、木の温もりと畳の匂いに癒される。
みんなで二階の窓側の部屋で休んでいたら、夕飯の時間になり、一階の土間に移動。
囲炉裏の中央に鍋があり、その周りには串刺しになった川魚が美味しそうに焼けている。
囲炉裏の前の座布団に座ると、隣りに座った尊が鍋の蓋を開けた。
「今日は猪鍋だそうですよ」
お肉がグツグツ煮えているのを見てグウと軽くお腹が鳴る。
「山は冷えるからいいね。ここで食べる鍋、いつも楽しみなんだあ」
目を輝かせる私の言葉に向かい側に座っている琥珀くんも「うん、うん」と頷いた。
「おいらもこういうの好きだな。お屋敷の食事は豪華で美味しいけど、テーブルマナーとかあるしさあ」
「マナーなんて適当でいいよ」
そうアドバイスするが、尊に否定された。
「そういう訳にはまいりません。人間の世界で生活するなら礼儀作法はちゃんと身につけてください。もちろん撫子お嬢さまもですよ」
「はーい」
琥珀くんと目を合わせてとりあえず返事をするも、もう目の前の料理を食べることしか考えられない。
「あー、この猪鍋のお肉美味しい。身体もあったまる」
ホクホク顔で肉を味わう私を見て、尊が頬を緩めた。
「確かに肉も柔らかくて美味しいですね。撫子お嬢さま、頬にご飯粒がついてますよ」
彼は私のご飯粒を取って、パクッと口にする。
ごく自然にされたが、その親密なやり取りに顔の熱が急上昇する。
お兄さまにだってされたことないのに。
「やだ、尊、恥ずかしいからそんなの口に入れないでよ」
上目遣いに彼を見ると、いつもの澄まし顔で返された。
「食べ物を粗末にしてはいけませんから」
「ふたりともおいらの存在忘れてない?」
私と尊を見て琥珀くんがニヤニヤしながら冷やかしてきて狼狽えた。
「わ、忘れてないわよね、尊」
尊に声をかけるが、彼は意地悪く言った。
「私は忘れていませんが、撫子お嬢さまはどうでしょうねえ。顔が赤いですよ」
彼の指摘にさらに顔が熱くなる。
「これは熱いものを食べたからよ」
声を大にして否定するも信じてくれず、彼らは声を揃えて相槌を打った。
「はいはい」
「本当に熱いものを食べたからよ」
ムキになって再度そう主張する私を見て尊がフッと笑う。
「撫子お嬢さま、早く魚を食べないと、琥珀に全部食べられてしまいますよ」
「あー、それはダメ〜!」
目の前にある竹串に刺さった川魚を手に取りかぶりつく私を見て尊が楽しそうに目を光らせた。
「そういうところ、小さい頃から変わりませんね」
「食い意地がはってると言いたいんでしょう?」
魚を咥えたまま執事に目を向けたら、彼はそんな私をからかった。
「よくわかっているではありませんか。いつ淑女になるのやら」
「そのうちなるわよ」
ムキになって言い返す私に琥珀くんが嬉しい言葉を投げる。
「淑女ってよくわかんないけど、姉ちゃんは綺麗だよ」
「あら、琥珀くんわかってるじゃない」
ちょっと照れながらも喜ぶ私に尊が茶々を入れてきて……。
「本気にしない方がよろしいかと。琥珀は今お酒を飲んでますから」
尊の言葉を聞いて琥珀くんに目を向ければ、頬が赤くなって目が据わっている。
「よ、酔ってるから本音を言ってるのよ」
私の解釈に尊は異議を唱えた。
「自分で言ってて悲しくなりませんか?」
「……真顔で言わないでよ。落ち込むじゃないの」
どうせ私は春乃のような完璧なお嬢さまではありませんよ。
いじける私を彼は口元に笑みを浮かべながら慰める。
「冗談です。私がお育てしたんですから、お嬢さまはそこそこイケてますよ」
「いや、全然褒めてなーい。琥珀くん、私にもお酒ちょうだーい!」
酔っ払っている琥珀くんに頼むが、「姉ちゃんも五百歳になったらな〜」とケラケラ笑うだけ。
五百年も生きられないよ。
「あ〜、私も早く大人になりた〜い」
やさぐれる私に尊は白い湯飲みを手渡す。
「今を楽しんでください」
甘酒かと思って湯飲みを見たら違った。
綺麗な桜の花びらが湯飲みに浮かんでいる。
「これ……」
じっと湯飲みを見つめる私に尊は穏やかな声で説明する。
「桜茶ですよ。綺麗でしょう?お酒が飲めなくても、楽しむものはいっぱいあります」
お茶を飲むと、ほのかに甘い香りがした。
これも彼が私のために用意したんだろうな。
「美味しい。尊、ありがと」
ハニカミながら礼を言うと、彼は目を細めて微笑んだ。
「どういたしまして」
その後、夕食を終えると、屋敷の一階の奥にある浴場に向かう。
内風呂と露天風呂のふたつがあり、お湯は温泉。
浴場の前まで尊と琥珀くんがついてきた。
「では、撫子お嬢さま、私と琥珀はここで控えておりますので」
尊が私に浴衣を手渡しながらそう言うと、琥珀くんが私の腕を掴んで駄々をこねる。
「え〜、おいらも姉ちゃんと一緒に入りたい」
この少年の見た目に騙されてはいけない。
「もうすぐ五百歳の妖が何言ってんだか。ダメよ」
ニコッと笑う私に尊も同調して琥珀くんの首根っこを掴んで私から引き剥がした。
「許可できません。後で入りなさい」
「ちぇっ、つまんない。猫の姿でもダメ?」
手を合わせて琥珀くんは尊に頼むが、許してもらえなかった。
「ダメに決まってます」
ふたりが揉めている間に入ってこよう。
「じゃあ、入ってくるわね」
小声で言って浴場の扉に手をかけたら、尊が私に目を向けた。
「撫子お嬢さま、今日は風が強いですから露天風呂には入らないでください」
「はーい」
何も考えず明るく返事をして浴場の扉をガラガラっと開け、脱衣所で着物を脱ぐ。
「夕飯食べ過ぎて帯がキツかったのよね」
自分の身体を見ると、お腹が膨れていた。
こんな姿、誰にも見せられないわ。
手拭いを持って浴室に入ると、六畳くらいの大きな檜のお風呂がある。
身体を洗うと内風呂に入った。
お湯は乳白色で、微かに桃の香りがして気持ちがいい。
「ああ〜、いい気持ち」
本宅にも温泉があったらいいんだけど。
でも、毎日温泉だったら有り難みがなくなるか。
しばらく湯に浸かっていたが、露天風呂にも入りたくなった。
尊に釘を刺されたけど、今は風の音はしないし大丈夫だろう。
内風呂を出て、隣にある露天風呂に向かう。
露天風呂風呂は岩風呂で周囲は木で囲いがしてあり、足元にはランプがいくつか置かれていた。
満天の星空に心が和む。
田舎ではないとこんなに多くの星は見えない。
「空から星が降ってきそう」
フッと笑みを浮かべ、岩風呂に入ると、身体が気泡に包まれた。
ここのお湯は青く、炭酸泉で、飲むと少ししょっぱい。
「濁り湯もいいけど、私は透明のお湯の方が好きだな」
お湯を身体にかけながら、星を眺める。
ふと首筋に触れたが、もうそこには赤鬼に噛まれた傷はない。
尊のお陰で綺麗に治っている。
私と違って尊は治癒の術を使ってもダメージは少ない。
彼は四大宗家の当主になれる器を持っている。
父や兄よりも彼は強いんじゃないだろうか。
最近、夢に出てくる白髪の少年が尊に思える時がある。
顔の輪郭とか目が似てるのよね。
ただの夢だとは思うんだけど、何かが引っかかる。
どうしてあの夢だけ何度も見てしまうのだろう。
それに、あの夢とは別にふとした瞬間に声が聞こえるの。
『お願いだから目を覚まして。お願いだから』
それは夢に出てきた少年の声。
必死に私に呼びかけていて……。
私は一年間ずっと昏睡状態だったみたいだから、ひょっとしてご先祖さまが枕元に立って呼びかけてくれたのかも。
そう結論付けて風呂から上がろうとしたら、強い風が吹いてランプが倒れた。
周囲が暗くなり、思わず自分の肩を抱いて叫んだ。
「みこ…⁉︎」
「静かに!」
尊と叫ぼうとしたのに誰か男性に背後から口を押さえられ、ビクッとする。
「ちょっと聞きたいんだけど、赤鬼倒したのって誰?」
声は若いが聞いたことがない。
背後にいるのは誰?
いずれにしても入浴中の女の子を襲うなんて許せない。
相手の手を思い切りガブッと噛めば、「いてっ!」と呻き声がした。
すかさずその男から離れようとするも、腕を掴まれる。
「こらこら逃げないの」
ニヤリと笑うその男は髪は肩まであり、金と黒の市松模様の腰丈の着物を着ていて、背は尊くらい。
細身だがその肉体は鍛え上げられていて動きは俊敏だ。
「いや!離して!」
手拭いで胸元を押さえながら抵抗するが、振り解けない。
「入浴中の婦女子を襲うなんて卑怯よ!」
キッと睨みつけたら、男は口角を上げた。
「いいね。その目。水瀬家のお嬢ちゃんは美人だって聞いてたけど、噂通りだな」
私が水瀬家の者と知っている。
この男は一体何者なのだろう。
「あなた誰!」
「そんなことより、俺の質問に答えてくれない?赤鬼は誰が倒したのかな?」
男の目がキラリと光り、身体がブルッと震えた。
「し、知らないわよ」
動揺しながら答えたが、男は府に落ちない様子でじっと私を見据える。
「水瀬家の奴が倒せる訳がないんだよね。あの鬼は次頭だしさあ」
どうやら男は鬼に詳しいようだ。
妖なのだろうか?
「次頭って何なのよ!」
男を睨みながら問えば、彼はフッと笑った。
「次の鬼の頭になる鬼のことだ。それに、あいつは時を操れたんだ。宗家の者では太刀打ち出来ないはず」
「私は気を失ってたからわからないの!いい加減離しなさい!」
男の股間を蹴り上げようとするも、後ろから羽交い締めにされた。
「このスケベ!」
悔しくて大声で叫ぶ私の耳元で彼は囁くように言う。
「元気がいいお嬢ちゃんだな。知らないなら仕方ない。俺とここで楽しもうか?」
男が私の胸を鷲掴みしてきて、思わず叫んだ。
「尊〜!」
すると、私の身体から閃光が放たれて、男が「うわあ!」と悲鳴を上げながら風呂にザブンと沈んだ。
訳がわからずキョトンとしていたら、尊が目の前にいて私を抱きしめた。
「撫子お嬢さま、大丈夫ですか?」
「大丈夫。でも、侵入者がいて……私の身体が光って……何なの?」
頭が混乱していてうまく説明出来なかったのだけれど、尊はちゃんと理解したようで淡々と私の疑問に答えた。
「この男は風磨家当主の次男の風磨隼人です。あなたの身体が光ったのは結界のせいですよ。あなたが襲われそうになったら発動するようになってます」
全然知らなかった。
尊……結界も使えるのか。
赤鬼の時、尊が駆けつけたのも彼の結界のせいなのかもしれない。
「……いつの間に結界なんて」
驚きを隠せない私に彼は溜め息をつきながら言った。
「撫子お嬢さまが雀を助けた時からですよ。それから面倒な輩を呼び寄せるようになったので」
雀を助けたのは私が十三歳の時。
五年も前から結界を張っていたなんて……。
「ち、ちょっと、面倒な輩って失礼なこと言わないでくれる?」
お湯の中に沈んでいた風磨家の者がプハーッと水を吐きながら立ち上がり、尊に突っかかった。
「失礼なのはあなたでしょう?入浴中の女の子を襲うなんて最低な男ですね」
尊が軽蔑の眼差しを向けるが、風磨隼人は構わず軽い調子で返した。
「だって、君がいつも彼女にくっついてるんだもん。水瀬家の執事って聞いてるけど、何者?結界張るなんて只者じゃないよね」
「あなたに答える義理はありません。それに私は撫子お嬢さまだけの執事です。琥珀〜!」
尊が冷たく言い放って琥珀くんを呼ぶ。
「へーい」
返事と共にパッと現れた琥珀くんに尊は命じた。
「この不埒な男を表の松の木にでも縛りつけておいてくれますか?」
「がってん承知」
ニヤリと笑うと、琥珀くんは大猫に化けて風磨隼人の服を噛む。
「え?ちょっと妖飼ってんの〜!」
琥珀くんを見て目を丸くする風磨隼人を見て尊は楽しげに目を光らせた。
「大丈夫です。彼は妖ですが、人を殺しはしません」
琥珀くんが風磨隼人を口に咥えて囲いを飛び越える。
「妖飼うなんて反則〜!」
風磨隼人が叫び声だけが響き、彼らはこの場からいなくなった。
その姿が見えなくなると、尊は不敵に笑った。
「次に撫子お嬢さまに触れたら、八つ裂きにしてやりますよ」
その殺気に満ちた声にゾクッと寒気がして縮こまった。
うわー、尊怖い。
本当にやりそう。
風磨さん、自分の命のためにも私の前に現れない方がいいですよ……と他人の心配をしていたら、尊の視線を強く感じた。
これは怒っている時の視線だ。
彼を見てはいけない。
そう脳が警鐘を鳴らしているのに、何かの力が働いて顔を上げると、彼が私をじっと見ていた。
妖しく光るその双眸に捕らえられ、瞬きもできない。
「さあて、邪魔者はいなくなりました。お仕置きタイムといきますか?」
「み、み、尊……お仕置きって何?私は被害者だよ」
「私はちゃん注意しましたよね。露天風呂には入らないでくださいと」
「でも……それは風が強いからって……あっ、風⁉︎」
尊が風と言ったのはたとえで風磨隼人のことだったのか。
きっと花見の時からその存在に気づいていたのだろう。
「その顔、やっと自分が間抜けだと気がついたようですね」
その不機嫌そうな声を聞いて身体が震え上がった。
「あの……その……ごめん……」
あたふたしながら謝るが、周囲の空気が張り詰めてうまく声にならなかった。
「赤鬼の件で反省したかと思えば。どうしたらあなたは言うことを聞くのでしょうね」
いつもの呆れた言い方ではなかった。
怒気を含んだその声に身体が固まる。
まるで金縛りにあったかのようだ。
「私が結界を張っていなければ、あなたは襲われていましたよ」
尊が私の胸に触れてきて目を大きく見開いた。
心臓がバクバクしている。
私……今裸だ。
手拭い越しに彼の手が胸に触れている。
「尊……冗談はやめ……んん⁉︎」
彼が私の口を塞いで心臓が飛び出そうなほど気が動転していた。
尊が私に……キスしてる。
キスがお仕置き……?
でも、兄妹のように育ってきたのよ。
「……なんで?」
頭の中で渦が巻いている。
理由を考えれば考えるほど訳が分からなくなって頭がボーッとして、そのまま意識を手放した。
