最近、よく夢を見る。
頭に角がひとつある赤鬼が撫子を俺から奪うという夢。
何かの予兆なのだろうか。
銀食器を磨いていたら、頭の中でバキッと嫌な音がした。
「撫子の結界が破られた」
彼女には言っていないが、万が一のことを考えて結界を張っている。
その結界を破るとなると、かなり上級の妖が現れたらしい。
銀食器を棚に置いて、瞬時に学校に空間移動するが、もう生徒はいない。
近くにいた先生に話を聞くと、今日は午前で授業が終わったと言われた。
「どこへ行った?」
そう呟いて、静かに目を閉じた。
桜のお香の匂いが微かに残っている。
このお香は彼女の血の匂いを消すためのもの。
妖は宗家の血族の血を好むが、彼女は自分を守る術を持たない。
だから、妖から彼女の存在を隠すために着物に桜のお香を焚き染めて、血の匂いを誤魔化していた。
この桜のお香は俺が特別に調合したものだ。
その匂いを辿って彼女を探すと、甘味処に辿り着いた。
だが、様子がおかしい。
店の周囲に赤い結界が張られ、まだ日中なのにこの一帯だけが真っ暗で人もいない。
頬に傷がある猫がその店に向かって突進するが、結界に跳ね返された。
あれは妖。だが、邪悪な気配はしない。
いつも俺がつけているネックレスの石に変化が見られないのがその証拠。
これは父が亡くなる前に俺にくれたもので、普段は虹色に光るのだが、邪悪な妖がそばにいれば黒い光を放つ。
起き上がって十倍の大きさに変身した猫がまた突進しようとしているのを見て止めた。
「無駄だ。怪我をするだけだぞ」
今度は猫は少年の姿に変身し、俺に訴えるように言った。
「でも……姉ちゃんが赤鬼に殺されちゃう」
妖の言葉にスッと目を細め、問い返した。
「姉ちゃん?」
「おいらの怪我を治してくれたんだ。おいら腹ペコでヨタヨタ歩いていたら車に轢かれちゃってさあ」
怪我を治したと聞いてピンときた。
撫子のことか。
「俺が助けるから」
俺がそう言っても彼は信じない。
「でも……紅羅は……すごく強いんだ。おいらも昔あいつに殺されそうになって怪我をした」
自分の頬の傷を指差す彼の頭にポンと手を置いた。
「それでも、必ず俺が助ける」
両手を高くあげ、店に張り巡らされている結界を破壊する。
割れたガラスのようにガシャンと音を立てて結界が壊れるのを見て、少年は目を丸くした。
「兄ちゃん……何者なの?」
「ただの人間だ」
フッと笑って店の中に入ると、撫子が少年に血を啜られていて気を失っている。
その少年の腕には金の腕輪が輝いていて頭に角が二本あった。
撫子!
咄嗟に叫びそうになるも堪えた。
赤鬼はまだ俺に気づいていない。まずは状況を確認しなければ……。
近くには秋の婚約者の春乃や店員、他の客もいるが動きが止まっている。
俺のネックレスの石は、どす黒い光を放っていた。
懐中時計を出して確認すると時計の針が止まっている。
この妖怪、時を操れるのか。
また厄介なのが現れたな。
そう言えば、数日前、風磨家の者が赤鬼を倒し損ねたと撫子の父親が言っていた。
二角の鬼で目が金色と聞いているが、風磨家の当主はその時に深手を負ったらしい。
多分、この妖のことだろう。
目が金色に輝いている。
妖は大きく分けると上級と下級のふたつがあって、人に化けられる者は上級とされている。
その上級の妖の中でも鬼は頂点に立つ存在で赤鬼、青鬼、黒鬼の三種類いて、階級があり、一角はそれぞれの鬼の親分で一匹ずつしかいない。二角はその子分になるのだが、目が金色の二角の鬼は特別で、次の一角になる。次の頭の意味で『次頭』と呼ばれ、一角に次ぐ力を有するそうだ。鬼は古くから特殊な術を使って多くの人間を殺めてきた。
昔、天月家の当主が三匹の一角の鬼を湖と海と山に封印した。
湖には赤鬼、海には青鬼、そして山には黒鬼が封じ込められている。
それ以後、鬼は大人しくなって、人間の世界に現れなくなったのだが、赤鬼……しかも次頭が目の前にいる。
確かあの猫の妖によれば、名前は紅羅といったっけ。
放っておけば多くの人間が殺される。野放しにはできない。
恐らく最近起こっていた神隠しの事件もこの鬼の仕業だろう。
気配を消しながら赤鬼に近づくと、ひとつしか目がなかったのに、撫子の血を啜ったからかもうひとつの目がつくられてパチッと開いた。
「ちょっと、勝手に入ってきて邪魔しないでくれる?」
紅羅が俺に気づいて睨みつけると同時に空気が針となって俺に襲いかかってきた。
俺の髪の毛が数本切れて床に散る。
だが、これはまだ警告だろう。
「勝手に人間の世界にやって来たのはお前の方だろう?しかも、俺の大切な者を傷つけてただで済むと思うなよ」
真っ直ぐに紅羅を見据え、お返しとばかりに空気を操ってその頬を切った。
スーッと流れる青い血をペロリと舐め、赤鬼は目の色を変える。
「へえ、やるね。一瞬妖かと思ったけど、違うんだね。人間が僕に勝てると思う?」
不敵に笑う彼に冷ややかに言い返した。
「その人間にお前の親玉は封印されているがな」
「そうらしいね。よっぽど油断していたんだろうね。でも、僕はそんなヘマしない」
「だったら、今再生した目は誰にやられた?」
俺が問うと、彼は顔をしかめた。
多分、風磨家の者にやられたのだろう。
「さあね。忘れたよ」
紅羅はそう言って撫子から離れ、俺と対峙した。
すると、彼の右腕が刃に変化し、「死ね!」と叫びながら襲いかかってきた。
咄嗟に近くにあった椅子で防御するが、椅子は一瞬で粉々になり、腕に痺れが走る。
正直、鬼のような最上級の妖と戦うのは初めてだったが、焦りはしなかった。
俺が負ければ撫子は死ぬ。
床に倒れている彼女にチラリと目を向けた。
絶対に撫子を死なせはしない。
命にかけても守ると十二年前に誓ったのだ。
俺が怒りで全てを破壊しようとした時、彼女は身を挺して助けてくれた。
火に包まれた俺を見ても彼女は怖がらず、真っ直ぐな瞳で俺にやめるよう訴えて……。
水瀬家の人間だが、彼女は水を操る術を使えない。
使えるのは治癒の術と甦りの術だけだが、俺が知ってる中で誰よりも勇敢な女の子だ。
もし、撫子がいなかったら、俺は死んでいただろうし、この世界もどうなっていたかわからない。
だが、その代償として彼女は死にかけ、一年もの間眠ったままだった。
少女にとっての一年は長く、とても大切な時間だ。
命はなんとか助かったが、俺は彼女の貴重な時間を奪ってしまった。
それからは、自分の力は撫子のために使うと決めたし、彼女を一生守ることにした。
撫子の父親に俺を彼女のそばに置いてくれるよう頼んで……。
「人間ってさあ、ホント非力だよね。知能は下級の妖より上だけど、貧弱でちょっと遊んだだけですぐ死んじゃう」
紅羅の刃が炎に包まれ、俺にその刃を振り上げる。
「馬鹿な鬼だ」
ポツリと呟き、近くの机に置いてあったコップを空中に投げた。
すると、零れた水が剣に姿を変え、それを掴んで相手の刃を受け止めた。
ジュッと音がして水の剣と相手の刃の炎が一瞬にして消える。
相手が本気ではないのか、手応えは感じない。
「へえ、お兄さんは水の術が使えるんだね。ひょっとして水瀬家ってとこの人?でも、そんなんで勝てるの?」
フフッと笑う彼は余裕の表情。
だが、俺もまだ本気ではない。
「炎は消えただろう?」
相手を挑発するようにニヤリとする。
「一回消えたってまた燃やせる。次はお兄さんごと燃やそうかな」
くるくる変わるその表情は遊びに興じている子供そのもの。
悪戯っぽく笑って、紅羅は俺に向かって火の球を投げた。
ボッと炎が俺を包み込む。
結界を張っているからすぐには燃えないが、服が溶けそうなほど熱い。
「うっ!」
思わず呻いて跪いた。
息苦しくて胸を押さえる。
「わあ、凄い。僕の炎で燃えなかったのはお兄さんだけだよ」
パチパチと楽しげに手を叩く彼に言い返すが、呼吸が苦しくてうまく言葉にならない。
「こ、この程度の炎で……死ぬか」
結界も解け始め、服がジリッと焼ける音がした。
このままだと本当に焼け死ぬかもしれない。
「口だけは達者だね。おもちゃとしてもすぐに死なないし、お兄さんは面白いと思うよ」
俺が反撃しないのを見て紅羅はせせら笑う。
「俺はお前と遊ぶ気はない」
うっすら口角を上げて黒いネクタイを外すと、自分に取り巻く炎を吸収してフーッと息を吹きかけ、今度は氷の剣を作った。
「この剣はそう簡単に消えない」
不敵に笑ってそう告げれば、赤鬼は動揺した。
「え?僕の炎が効かない。なんで?」
目を大きく見開いて驚く紅羅に、冷酷に問う。
「選ばせてやる。一瞬で消滅するのと、じわじわとやられるの、どっちがいい?」
「僕はお前なんかにやられない」
酷く狼狽えた様子で紅羅が俺に炎の球をいくつも投げるが、俺はヒョイとかわして氷の剣を彼の胸に突き刺した。
「うわーっ!」
その痛みから彼は声を上げ、その身体はその声と共に凍りついた。
「安らかに眠れ」
剣を抜くと、紅羅の身体は粉々に砕け散った。
周囲に目を凝らすが他には邪悪な妖はいない。
「撫子、大丈夫か?」
彼女の元へ行き、声をかけるが目を開けない。
どれだけ血を吸われたのだろう。
彼女は血色がなくなっていた。
「姉ちゃん死んだの?」
猫の妖の少年が来て、彼女の顔を心配そうに覗き込む。
「生きてる。絶対に死なせない」
少年に答えるというよりは、自分にそう言い聞かせた。
撫子の呼吸は浅く、もう一刻の猶予もない。
手っ取り早く治すには……。
撫子を抱きかかえ、彼女に顔を近づけてそのふっくらした唇に俺の唇を重ね、息を吹き込んだ。
戻ってこい、撫子。戻ってこい。
俺より先に死ぬなんて許さない。
何度も念じる。
すると、血色が戻ってきて、首筋の傷もだいぶ綺麗になった。
「……み……尊?」
彼女が目を開けて俺を見る。
「ええ。私ですよ」
優しく返事をしながらその絹糸のように綺麗な髪を梳いてやると、彼女は俺の腕をギュッと掴んだ。
「尊、あ、妖が……いたの。春乃や他の人は?」
自分よりも人の心配をする彼女の優しさに呆れずにはいられない。
「大丈夫ですよ。妖も倒しました。もっと自分の心配をしてください。あなたは重傷ですよ」
「……そう。みんなが無事でよかった。尊、ありが……とう」
いつも反抗的な態度を取っているのに、今は素直。
それだけ弱っているということだ。
「しばらく寝ててください」
俺が彼女の頭を撫でてそう言うと、彼女は
安心したように小さく頷いて目を閉じた。
俺の腕の中で眠る彼女を見て安堵する。
撫子のそばにいるようになってから、彼女の心配ばかりしているな。
いつも大人しくしてくれなくて、勝手な行動ばかりするからこっちはハラハラしっ放し。
だが、閉じ込めておくわけにはいかない。
その辛さは俺が一番よく知っている。
「姉ちゃん大丈夫なの?」
猫の妖は撫子の寝顔をじっと見ながら俺に問う。
「ああ。今は寝てるだけだ。血を奪われたから身体が弱ってる」
俺の説明に妖は安心した顔で相槌を打った。
「そうなんだ。よかったあ。それにしても兄ちゃん、赤鬼を倒すなんて凄くつえーな。こんなつえー人間初めて見た。本当に人間?」
目をキラキラさせて俺に尊敬の眼差しを向ける彼にゆっくりと頷いた。
「一応ね」
「ふーん。妖だって鬼を倒すのは難しいのに、兄ちゃん結構余裕あったよね」
「余裕……か」
自分にどれほどの力があるのかわからない。
撫子に助けられた十二年前のあの日、俺は覚醒した。
ずっと監禁されていて怒りが爆発。
それで身体中から力が溢れて、止まらなくて……。
それ以後、全開で力は使っていない。
今まで現れたのは下級の妖で、さほど力は必要ではなかった。
今日、鬼が現れてかなり力を使ったが、自分でちゃんと制御できていた。
大丈夫だ。
俺が気をしっかり持っていれば。
力を全開してしまえば、多分あの時の二の舞になる。
この赤鬼よりも強い鬼が現れたら俺はどうなるのだろう。
鬼よりも、自分が怖い。
「……ちゃん、兄ちゃん、どうしたの?」
猫の妖の声でハッと我に返り、小さく頭を振った。
「なんでもない。俺もお前みたいに人懐っこい妖は初めて会った」
「おいら、人間のばーちゃんに育ててもらったんだ。もう死んじゃっていないけど」
ニコニコ顔で話す彼。
「お前に邪悪な気配がないのは人間に育てられたからか」
そんな会話をしていたら、是清さんと秋さんが現れた。
「何があったんですか!」
俺の腕の中にいる撫子を見て、是清さんが俺に問う。
「赤鬼が現れて、撫子に襲いかかりました。なんとか倒しましたが、一連の神隠し事件も、赤鬼の仕業でしょう。赤鬼を追ってここへ?」
俺が是清さんに尋ねたら、隣にいた秋さんが答えた。
「春乃が僕の式神を使ってここにいると知らせてきたんです。それに、神隠しの調査をさせていた式神も赤鬼が現れたと報告してきて、それで父と来たんですよ」
なるほどね。
ふたりが来てくれてよかった。
「撫子をすぐに連れて帰りたいので、後始末をお願いします」
なるべく水以外の術は使わないようにした。
訳あって俺の存在が他の妖や四大宗家に知られてはいけないから。
俺の言葉に是清さんと秋さんは背筋を正して返事をする。
「仰せのままに」
「あのう、えーと、姉ちゃん大丈夫みたいだし、おいらは行くね」
猫の妖が俺に遠慮がちに声をかけくる。
本当に人間みたいな妖だな。
「待て」
猫の妖に首根っこを掴むと、妖は呆気に取られた顔をした。
「え?」
「是清さん、この妖、水瀬家に置いてやってくれませんか?撫子の治癒を受けたので放っておくわけにもいかないのです」
撫子の治癒能力が妖にバレるのはマズい。
特に蘇りの術が使えると知られたら、いろんな妖に狙われる。
是清さんに猫の妖のことをお願いすると、彼は特に反対せず、俺に一任した。
「はい。その妖の処遇は、尊さまにお任せします」
「え?あの……ちょっと……勝手に決めないでくれよ!」
俺たちのやり取りにその妖はおろおろする。
「どうせ行くとこもないんだろう?」
優しく問えば、彼は少し元気がない様子で答えた。
「……うん。まあ」
「決まりだ。お前、名前はあるのか?」
人間に化けることが出来るなら、彼にも名前があるはず。
「琥珀」
彼が俺の目を見て答えた時、撫子の友人の春乃さんや店にいた客や店員が動き出した。
赤鬼が消滅して時の流れが戻ったのだろう。
「え?撫子どうしたの?」
春乃さんが撫子を見て慌てた。
「妖が現れてちょっと怪我をしただけです。心配には及びません。明日もちゃんと登校させますから」
安心させるように微笑めば、彼女はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。あの……妖は?」
「是清さまと秋さまが倒しましたのでご安心ください」
俺の言葉に是清さんと秋さんは苦笑いし、琥珀は怪訝な顔をする。
「では、私はこれで失礼します。琥珀、お前も来い」
春乃さんにそう告げると、撫子を抱き上げ、猫の妖に目を向けた。
「……うん」
戸惑いながら返事をする琥珀を連れて店を出ると、歩かずに空間移動で水瀬家の屋敷に戻る。
立派な洋館を見て、琥珀は「うわー、でっけ〜」と声を上げた。
「今日からお前の家だ」
フッと笑みを浮かべ、屋敷に入ると、撫子の部屋に向かい彼女をベッドに寝かせた。
「なあ、ひとつ聞いていい?なんでさっき兄ちゃんが赤鬼倒したって言わなかったの?」
琥珀が不思議そうに俺に聞いてきて、空を見据えながら答えた。
「俺が倒したことを人に知られると厄介なんだよ。まあ、妖に知られるのもマズいがな」
「なんか……兄ちゃん、顔が怖い。ところで、兄ちゃんと姉ちゃんってどういう関係?」
「撫子は俺の命の恩人だ。だから、今度は俺が彼女を守ってる」
撫子は十二年前に俺を助けた記憶がすっぽり抜けている。
記憶をなくすくらいのダメージを受けたのだろう。
だから、どうして俺が彼女のそばにいるのかも知らない。
「なんだ。キスしてたしてっきり恋人かと思った」
琥珀はどこかつまらなそうに言う。
「あれは治療だが、撫子にしか使わない」
彼女の頬を撫でながらフッと笑みを浮かべる。
恋人とかいう言葉では表せない。
彼女は俺の全て。
治癒の術は、術者の命を削る。
だから撫子にもキツく使わないように言っている。
だが、撫子は俺にとって誰よりも大切な存在。
彼女のためなら自分の命も惜しくない。喜んで差し出す。
「要するに兄ちゃんにとって特別ってことか」
彼はクスッと笑いながら俺に誓った。
「おいらも姉ちゃんを守るよ」
頭に角がひとつある赤鬼が撫子を俺から奪うという夢。
何かの予兆なのだろうか。
銀食器を磨いていたら、頭の中でバキッと嫌な音がした。
「撫子の結界が破られた」
彼女には言っていないが、万が一のことを考えて結界を張っている。
その結界を破るとなると、かなり上級の妖が現れたらしい。
銀食器を棚に置いて、瞬時に学校に空間移動するが、もう生徒はいない。
近くにいた先生に話を聞くと、今日は午前で授業が終わったと言われた。
「どこへ行った?」
そう呟いて、静かに目を閉じた。
桜のお香の匂いが微かに残っている。
このお香は彼女の血の匂いを消すためのもの。
妖は宗家の血族の血を好むが、彼女は自分を守る術を持たない。
だから、妖から彼女の存在を隠すために着物に桜のお香を焚き染めて、血の匂いを誤魔化していた。
この桜のお香は俺が特別に調合したものだ。
その匂いを辿って彼女を探すと、甘味処に辿り着いた。
だが、様子がおかしい。
店の周囲に赤い結界が張られ、まだ日中なのにこの一帯だけが真っ暗で人もいない。
頬に傷がある猫がその店に向かって突進するが、結界に跳ね返された。
あれは妖。だが、邪悪な気配はしない。
いつも俺がつけているネックレスの石に変化が見られないのがその証拠。
これは父が亡くなる前に俺にくれたもので、普段は虹色に光るのだが、邪悪な妖がそばにいれば黒い光を放つ。
起き上がって十倍の大きさに変身した猫がまた突進しようとしているのを見て止めた。
「無駄だ。怪我をするだけだぞ」
今度は猫は少年の姿に変身し、俺に訴えるように言った。
「でも……姉ちゃんが赤鬼に殺されちゃう」
妖の言葉にスッと目を細め、問い返した。
「姉ちゃん?」
「おいらの怪我を治してくれたんだ。おいら腹ペコでヨタヨタ歩いていたら車に轢かれちゃってさあ」
怪我を治したと聞いてピンときた。
撫子のことか。
「俺が助けるから」
俺がそう言っても彼は信じない。
「でも……紅羅は……すごく強いんだ。おいらも昔あいつに殺されそうになって怪我をした」
自分の頬の傷を指差す彼の頭にポンと手を置いた。
「それでも、必ず俺が助ける」
両手を高くあげ、店に張り巡らされている結界を破壊する。
割れたガラスのようにガシャンと音を立てて結界が壊れるのを見て、少年は目を丸くした。
「兄ちゃん……何者なの?」
「ただの人間だ」
フッと笑って店の中に入ると、撫子が少年に血を啜られていて気を失っている。
その少年の腕には金の腕輪が輝いていて頭に角が二本あった。
撫子!
咄嗟に叫びそうになるも堪えた。
赤鬼はまだ俺に気づいていない。まずは状況を確認しなければ……。
近くには秋の婚約者の春乃や店員、他の客もいるが動きが止まっている。
俺のネックレスの石は、どす黒い光を放っていた。
懐中時計を出して確認すると時計の針が止まっている。
この妖怪、時を操れるのか。
また厄介なのが現れたな。
そう言えば、数日前、風磨家の者が赤鬼を倒し損ねたと撫子の父親が言っていた。
二角の鬼で目が金色と聞いているが、風磨家の当主はその時に深手を負ったらしい。
多分、この妖のことだろう。
目が金色に輝いている。
妖は大きく分けると上級と下級のふたつがあって、人に化けられる者は上級とされている。
その上級の妖の中でも鬼は頂点に立つ存在で赤鬼、青鬼、黒鬼の三種類いて、階級があり、一角はそれぞれの鬼の親分で一匹ずつしかいない。二角はその子分になるのだが、目が金色の二角の鬼は特別で、次の一角になる。次の頭の意味で『次頭』と呼ばれ、一角に次ぐ力を有するそうだ。鬼は古くから特殊な術を使って多くの人間を殺めてきた。
昔、天月家の当主が三匹の一角の鬼を湖と海と山に封印した。
湖には赤鬼、海には青鬼、そして山には黒鬼が封じ込められている。
それ以後、鬼は大人しくなって、人間の世界に現れなくなったのだが、赤鬼……しかも次頭が目の前にいる。
確かあの猫の妖によれば、名前は紅羅といったっけ。
放っておけば多くの人間が殺される。野放しにはできない。
恐らく最近起こっていた神隠しの事件もこの鬼の仕業だろう。
気配を消しながら赤鬼に近づくと、ひとつしか目がなかったのに、撫子の血を啜ったからかもうひとつの目がつくられてパチッと開いた。
「ちょっと、勝手に入ってきて邪魔しないでくれる?」
紅羅が俺に気づいて睨みつけると同時に空気が針となって俺に襲いかかってきた。
俺の髪の毛が数本切れて床に散る。
だが、これはまだ警告だろう。
「勝手に人間の世界にやって来たのはお前の方だろう?しかも、俺の大切な者を傷つけてただで済むと思うなよ」
真っ直ぐに紅羅を見据え、お返しとばかりに空気を操ってその頬を切った。
スーッと流れる青い血をペロリと舐め、赤鬼は目の色を変える。
「へえ、やるね。一瞬妖かと思ったけど、違うんだね。人間が僕に勝てると思う?」
不敵に笑う彼に冷ややかに言い返した。
「その人間にお前の親玉は封印されているがな」
「そうらしいね。よっぽど油断していたんだろうね。でも、僕はそんなヘマしない」
「だったら、今再生した目は誰にやられた?」
俺が問うと、彼は顔をしかめた。
多分、風磨家の者にやられたのだろう。
「さあね。忘れたよ」
紅羅はそう言って撫子から離れ、俺と対峙した。
すると、彼の右腕が刃に変化し、「死ね!」と叫びながら襲いかかってきた。
咄嗟に近くにあった椅子で防御するが、椅子は一瞬で粉々になり、腕に痺れが走る。
正直、鬼のような最上級の妖と戦うのは初めてだったが、焦りはしなかった。
俺が負ければ撫子は死ぬ。
床に倒れている彼女にチラリと目を向けた。
絶対に撫子を死なせはしない。
命にかけても守ると十二年前に誓ったのだ。
俺が怒りで全てを破壊しようとした時、彼女は身を挺して助けてくれた。
火に包まれた俺を見ても彼女は怖がらず、真っ直ぐな瞳で俺にやめるよう訴えて……。
水瀬家の人間だが、彼女は水を操る術を使えない。
使えるのは治癒の術と甦りの術だけだが、俺が知ってる中で誰よりも勇敢な女の子だ。
もし、撫子がいなかったら、俺は死んでいただろうし、この世界もどうなっていたかわからない。
だが、その代償として彼女は死にかけ、一年もの間眠ったままだった。
少女にとっての一年は長く、とても大切な時間だ。
命はなんとか助かったが、俺は彼女の貴重な時間を奪ってしまった。
それからは、自分の力は撫子のために使うと決めたし、彼女を一生守ることにした。
撫子の父親に俺を彼女のそばに置いてくれるよう頼んで……。
「人間ってさあ、ホント非力だよね。知能は下級の妖より上だけど、貧弱でちょっと遊んだだけですぐ死んじゃう」
紅羅の刃が炎に包まれ、俺にその刃を振り上げる。
「馬鹿な鬼だ」
ポツリと呟き、近くの机に置いてあったコップを空中に投げた。
すると、零れた水が剣に姿を変え、それを掴んで相手の刃を受け止めた。
ジュッと音がして水の剣と相手の刃の炎が一瞬にして消える。
相手が本気ではないのか、手応えは感じない。
「へえ、お兄さんは水の術が使えるんだね。ひょっとして水瀬家ってとこの人?でも、そんなんで勝てるの?」
フフッと笑う彼は余裕の表情。
だが、俺もまだ本気ではない。
「炎は消えただろう?」
相手を挑発するようにニヤリとする。
「一回消えたってまた燃やせる。次はお兄さんごと燃やそうかな」
くるくる変わるその表情は遊びに興じている子供そのもの。
悪戯っぽく笑って、紅羅は俺に向かって火の球を投げた。
ボッと炎が俺を包み込む。
結界を張っているからすぐには燃えないが、服が溶けそうなほど熱い。
「うっ!」
思わず呻いて跪いた。
息苦しくて胸を押さえる。
「わあ、凄い。僕の炎で燃えなかったのはお兄さんだけだよ」
パチパチと楽しげに手を叩く彼に言い返すが、呼吸が苦しくてうまく言葉にならない。
「こ、この程度の炎で……死ぬか」
結界も解け始め、服がジリッと焼ける音がした。
このままだと本当に焼け死ぬかもしれない。
「口だけは達者だね。おもちゃとしてもすぐに死なないし、お兄さんは面白いと思うよ」
俺が反撃しないのを見て紅羅はせせら笑う。
「俺はお前と遊ぶ気はない」
うっすら口角を上げて黒いネクタイを外すと、自分に取り巻く炎を吸収してフーッと息を吹きかけ、今度は氷の剣を作った。
「この剣はそう簡単に消えない」
不敵に笑ってそう告げれば、赤鬼は動揺した。
「え?僕の炎が効かない。なんで?」
目を大きく見開いて驚く紅羅に、冷酷に問う。
「選ばせてやる。一瞬で消滅するのと、じわじわとやられるの、どっちがいい?」
「僕はお前なんかにやられない」
酷く狼狽えた様子で紅羅が俺に炎の球をいくつも投げるが、俺はヒョイとかわして氷の剣を彼の胸に突き刺した。
「うわーっ!」
その痛みから彼は声を上げ、その身体はその声と共に凍りついた。
「安らかに眠れ」
剣を抜くと、紅羅の身体は粉々に砕け散った。
周囲に目を凝らすが他には邪悪な妖はいない。
「撫子、大丈夫か?」
彼女の元へ行き、声をかけるが目を開けない。
どれだけ血を吸われたのだろう。
彼女は血色がなくなっていた。
「姉ちゃん死んだの?」
猫の妖の少年が来て、彼女の顔を心配そうに覗き込む。
「生きてる。絶対に死なせない」
少年に答えるというよりは、自分にそう言い聞かせた。
撫子の呼吸は浅く、もう一刻の猶予もない。
手っ取り早く治すには……。
撫子を抱きかかえ、彼女に顔を近づけてそのふっくらした唇に俺の唇を重ね、息を吹き込んだ。
戻ってこい、撫子。戻ってこい。
俺より先に死ぬなんて許さない。
何度も念じる。
すると、血色が戻ってきて、首筋の傷もだいぶ綺麗になった。
「……み……尊?」
彼女が目を開けて俺を見る。
「ええ。私ですよ」
優しく返事をしながらその絹糸のように綺麗な髪を梳いてやると、彼女は俺の腕をギュッと掴んだ。
「尊、あ、妖が……いたの。春乃や他の人は?」
自分よりも人の心配をする彼女の優しさに呆れずにはいられない。
「大丈夫ですよ。妖も倒しました。もっと自分の心配をしてください。あなたは重傷ですよ」
「……そう。みんなが無事でよかった。尊、ありが……とう」
いつも反抗的な態度を取っているのに、今は素直。
それだけ弱っているということだ。
「しばらく寝ててください」
俺が彼女の頭を撫でてそう言うと、彼女は
安心したように小さく頷いて目を閉じた。
俺の腕の中で眠る彼女を見て安堵する。
撫子のそばにいるようになってから、彼女の心配ばかりしているな。
いつも大人しくしてくれなくて、勝手な行動ばかりするからこっちはハラハラしっ放し。
だが、閉じ込めておくわけにはいかない。
その辛さは俺が一番よく知っている。
「姉ちゃん大丈夫なの?」
猫の妖は撫子の寝顔をじっと見ながら俺に問う。
「ああ。今は寝てるだけだ。血を奪われたから身体が弱ってる」
俺の説明に妖は安心した顔で相槌を打った。
「そうなんだ。よかったあ。それにしても兄ちゃん、赤鬼を倒すなんて凄くつえーな。こんなつえー人間初めて見た。本当に人間?」
目をキラキラさせて俺に尊敬の眼差しを向ける彼にゆっくりと頷いた。
「一応ね」
「ふーん。妖だって鬼を倒すのは難しいのに、兄ちゃん結構余裕あったよね」
「余裕……か」
自分にどれほどの力があるのかわからない。
撫子に助けられた十二年前のあの日、俺は覚醒した。
ずっと監禁されていて怒りが爆発。
それで身体中から力が溢れて、止まらなくて……。
それ以後、全開で力は使っていない。
今まで現れたのは下級の妖で、さほど力は必要ではなかった。
今日、鬼が現れてかなり力を使ったが、自分でちゃんと制御できていた。
大丈夫だ。
俺が気をしっかり持っていれば。
力を全開してしまえば、多分あの時の二の舞になる。
この赤鬼よりも強い鬼が現れたら俺はどうなるのだろう。
鬼よりも、自分が怖い。
「……ちゃん、兄ちゃん、どうしたの?」
猫の妖の声でハッと我に返り、小さく頭を振った。
「なんでもない。俺もお前みたいに人懐っこい妖は初めて会った」
「おいら、人間のばーちゃんに育ててもらったんだ。もう死んじゃっていないけど」
ニコニコ顔で話す彼。
「お前に邪悪な気配がないのは人間に育てられたからか」
そんな会話をしていたら、是清さんと秋さんが現れた。
「何があったんですか!」
俺の腕の中にいる撫子を見て、是清さんが俺に問う。
「赤鬼が現れて、撫子に襲いかかりました。なんとか倒しましたが、一連の神隠し事件も、赤鬼の仕業でしょう。赤鬼を追ってここへ?」
俺が是清さんに尋ねたら、隣にいた秋さんが答えた。
「春乃が僕の式神を使ってここにいると知らせてきたんです。それに、神隠しの調査をさせていた式神も赤鬼が現れたと報告してきて、それで父と来たんですよ」
なるほどね。
ふたりが来てくれてよかった。
「撫子をすぐに連れて帰りたいので、後始末をお願いします」
なるべく水以外の術は使わないようにした。
訳あって俺の存在が他の妖や四大宗家に知られてはいけないから。
俺の言葉に是清さんと秋さんは背筋を正して返事をする。
「仰せのままに」
「あのう、えーと、姉ちゃん大丈夫みたいだし、おいらは行くね」
猫の妖が俺に遠慮がちに声をかけくる。
本当に人間みたいな妖だな。
「待て」
猫の妖に首根っこを掴むと、妖は呆気に取られた顔をした。
「え?」
「是清さん、この妖、水瀬家に置いてやってくれませんか?撫子の治癒を受けたので放っておくわけにもいかないのです」
撫子の治癒能力が妖にバレるのはマズい。
特に蘇りの術が使えると知られたら、いろんな妖に狙われる。
是清さんに猫の妖のことをお願いすると、彼は特に反対せず、俺に一任した。
「はい。その妖の処遇は、尊さまにお任せします」
「え?あの……ちょっと……勝手に決めないでくれよ!」
俺たちのやり取りにその妖はおろおろする。
「どうせ行くとこもないんだろう?」
優しく問えば、彼は少し元気がない様子で答えた。
「……うん。まあ」
「決まりだ。お前、名前はあるのか?」
人間に化けることが出来るなら、彼にも名前があるはず。
「琥珀」
彼が俺の目を見て答えた時、撫子の友人の春乃さんや店にいた客や店員が動き出した。
赤鬼が消滅して時の流れが戻ったのだろう。
「え?撫子どうしたの?」
春乃さんが撫子を見て慌てた。
「妖が現れてちょっと怪我をしただけです。心配には及びません。明日もちゃんと登校させますから」
安心させるように微笑めば、彼女はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。あの……妖は?」
「是清さまと秋さまが倒しましたのでご安心ください」
俺の言葉に是清さんと秋さんは苦笑いし、琥珀は怪訝な顔をする。
「では、私はこれで失礼します。琥珀、お前も来い」
春乃さんにそう告げると、撫子を抱き上げ、猫の妖に目を向けた。
「……うん」
戸惑いながら返事をする琥珀を連れて店を出ると、歩かずに空間移動で水瀬家の屋敷に戻る。
立派な洋館を見て、琥珀は「うわー、でっけ〜」と声を上げた。
「今日からお前の家だ」
フッと笑みを浮かべ、屋敷に入ると、撫子の部屋に向かい彼女をベッドに寝かせた。
「なあ、ひとつ聞いていい?なんでさっき兄ちゃんが赤鬼倒したって言わなかったの?」
琥珀が不思議そうに俺に聞いてきて、空を見据えながら答えた。
「俺が倒したことを人に知られると厄介なんだよ。まあ、妖に知られるのもマズいがな」
「なんか……兄ちゃん、顔が怖い。ところで、兄ちゃんと姉ちゃんってどういう関係?」
「撫子は俺の命の恩人だ。だから、今度は俺が彼女を守ってる」
撫子は十二年前に俺を助けた記憶がすっぽり抜けている。
記憶をなくすくらいのダメージを受けたのだろう。
だから、どうして俺が彼女のそばにいるのかも知らない。
「なんだ。キスしてたしてっきり恋人かと思った」
琥珀はどこかつまらなそうに言う。
「あれは治療だが、撫子にしか使わない」
彼女の頬を撫でながらフッと笑みを浮かべる。
恋人とかいう言葉では表せない。
彼女は俺の全て。
治癒の術は、術者の命を削る。
だから撫子にもキツく使わないように言っている。
だが、撫子は俺にとって誰よりも大切な存在。
彼女のためなら自分の命も惜しくない。喜んで差し出す。
「要するに兄ちゃんにとって特別ってことか」
彼はクスッと笑いながら俺に誓った。
「おいらも姉ちゃんを守るよ」
