私の執事には謎が多すぎる ー 其の一 妖の獲物になりました

たまに同じ夢を見る。
まるで実際に経験したかのようにその光景は鮮明で、匂いも、それに肌に熱も感じる。
私は六歳ぐらいで身体も小さくて……。

『あの煙、何だろう?』
庭で遊んでいたら、裏山から黒い煙が見えた。
気になって屋敷を飛び出して裏山まで走るが、焦げ臭い匂いがして顔をしかめた。
山の奥へ進んで行くと、木々がパチパチと音を立てて燃えている。
その赤黒い炎を見て思わず足がすくんだ。
肌に触れる空気が熱くて焼けそう。
引き返して屋敷に帰った方がいいと思ったが、その炎の中心に十二歳くらいのお兄ちゃんがいて気になった。
鋭角的なその顔はまだ子供なのに美しく、腰の長さまである白い髪が炎の中で揺れている。
周りには灰色の着物を着た大人の男性が五〜六人いて、そのお兄ちゃんを取り囲んでいた。
異様な光景に目を大きく見張る。
お兄ちゃんはまるで火の神のようで、火の中にいても全く焼けていない。
『俺に触れるな〜!』
お兄ちゃんが怒りを爆発させるように叫んだその時、火の勢いが強くなった。
金色に光るその双眸に目を奪われる。
その目は力に満ちていた。
周囲にいた大人たちは火に襲われ、『うわあ〜!』と断末魔の叫び声をあげながら消えていく。
目の前で起こったことが信じられなかった。
だが、それで終わりではない。
山が崩れそうなほどドドドッと地鳴りがして……。
『みんな滅びればいい』
抑揚のない声でお兄ちゃんがポツリと呟く。
みんな……ってそんなのダメだよ。
お父さまもお兄さまも死んでしまう。
『お兄ちゃん、やめて!』
大声で叫ぶが、お兄ちゃんは我を忘れているのか私を全く見ない。
このままではみんな死んでしまう。
それに……お兄ちゃんだって苦しそうだ。
だって、彼の目から涙が溢れてる。
自分が焼けるとは考えなかったし、火も怖いとは思わなかった。
ただただお兄ちゃんを救ってあげたくて……。
熱風が凄かったが、一歩一歩炎に包まれているお兄ちゃんに近づき、両手を大きく広げて抱きついた。
『お兄ちゃん……ダメだよ。世界が……壊れちゃう』
その金色に光る目を見て懇願するように言ったら、お兄ちゃんとやっと目が合って……。
ハッと彼が息を呑む音が聞こえた。
ああ、やっと私を見てくれた。
『お兄ちゃん、泣かないで。撫子が一緒にいてあげる』
ニコッと笑ってそんな約束をお兄ちゃんにして、いつも私の夢はそこで終わる。



「……さま、撫子お嬢さま、起きてください」
よく知った青年の声がしたが、その声が聞こえないよう布団を頭から被った。
「う……ん、もうちょっと寝る」
「ダメですよ。学校に遅刻します」
青年の口調が少し厳しくなるが、眠くて起きる気にならない。
このふかふかのお布団が温くて丁度いいし、春だから心地よく眠れるのよね。
春眠暁を覚えずとはよくいったものだ。
「じゃあ……朝食抜きで……いいから」
モゴモゴ言って彼に背を向けて寝るも、布団を思い切り剥がされた。
「朝食はちゃんと食べて貰わなければ困ります」
「ギャッ、何するのよ!」
急に寒くなってブルッと震えながら文句を言ったら、
私の執事が仁王立ちしていた。
彼は本多尊、二十四歳。
スラリとした長身に、夜の闇のような魅惑的な瞳。少し癖のある長い黒髪を後ろでひとつに束ね、黒い執事服を身につけている彼は、間違いなく私が出会った中で一番美しい青年。
だが、性格が最悪で私に過保護で口煩さく、ドS。
かく言う私は、水瀬撫子、十八歳。
ぱっちりした目に、日本人形のように真っ直ぐ腰まで伸びた黒髪は、私が小さい頃に亡くなった母譲り。
女子高等師範学校に通っていて、まだ結婚はしていないし、恋人もいない。
「いい加減起きてください。朝の稽古の時間です」
冷ややかに告げる尊に眉間にシワを寄せて言い返す。
「水瀬家の当主の娘にこの扱いはないんじゃない!もっと敬いなさいよ」
「お嬢さまは【敬う】という言葉の意味をわかっていますか?相手を尊んで礼をつくすという意味です。あなたのようなじゃじゃ馬は尊敬に値しませんよ」
フッと鼻で笑うこの執事が憎らしい。
「あなたねえ、それでも私の執事なの!」
ベッドから出てキッと尊をひと睨みするが、彼は歯牙にもかけず、さっと濡れタオルで私の顔を拭くと、私の薄紫の夜着に手をかけた。
「ち、ちょっと!このエロじじい!淑女に何するのよ!」
顔を真っ赤にしながら猛抗議するが、彼は涼しげな顔で返しながら私の夜着を脱がす。
「淑女などこの部屋にはいませんが。恥ずかしいのであれば、明日からはちゃんと起きて自分で着替えてください」
紫の矢絣模様の着物と紺の袴を着せ、袴帯を手際よく結ぶ彼。
その衣からは、尊が焚き染めておいた桜のお香の匂いがした。
「私、朝は弱いのよ」
そう言い訳する私に彼は冷淡に言う。
「では、克服するようご自分でも工夫されてはいかがですか?脳味噌を使わないとボケますよ」
彼の嫌味の応酬に閉口した。
何か言えば必ず彼は倍返ししてくる。
ホント、意地悪な性格だわ。
「次は髪ですよ」
尊は私の背後に周りテキパキと自分の仕事をする。
「もっと優しくしてよね」
憎まれ口を叩く私の髪を結いながら、彼は妖艶に微笑んだ。
「それは夜のベッドの中でということでしょうか?」
その目を見てゾクッとするも、彼の方に向き直ってその胸板をドンと叩いた。
「み、尊を私のベッドに入れるわけないでしょう!冗談はやめてよ!」
狼狽えながら半歩退く私をじっと見て彼は澄まし顔で言った。
「ええ。冗談です」
「みーこーとー!人をおちょくるのもいい加減にしなさいよ!」
「お嬢さま、早くしないと本当に朝食抜きになりますよ。いつもより十分遅れています」
ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認し、彼は私の腕を掴んでスタスタ歩き出す。
だが、急に引っ張られ、身体が前のめりになった。
「キャッ!」
声を上げて転びそうになる私をすかさず尊が支える。
「ボーッとしてるから転びそうになるんです」
彼に注意され、カッとなって声を荒らげた。
「尊が急に歩き出すからでしょう!丁重に扱いなさいよね!」
「だったら、撫子お嬢さまも淑女らしく振る舞ってください。そんなんだから十八になっても縁談の話が来ないのですよ」
チクリと嫌味を言って、今度は私の手をしっかりと握って歩き出す。
さっきよりも歩調はゆっくり。
どうやら彼なりにちょびっと配慮してくれたようだ。
だが、なぜ手を繋ぐ?
「ねえ、もうちゃんと歩けるから手を離してくれない?」
「ダメです。お嬢さまは何もないところでよくコケますからね」
あのね、私はもう子供じゃないのよ……と反論しようと思ったが、彼にまたやり込められると思ってグッと堪えた。
ギュッと握った拳がブルブルと震える。
あー、ここで尊の頭を叩いたらどんなにスッキリするだろう。
そんな想像をしてストレスを発散しながら、一階に降りて、突き当たりにある茶室に向かった。
うちの屋敷で畳なのはこの部屋だけ。
私の朝は朝食からではなく茶道から始まる。
「今日はあなたに亭主をやってもらいます」
そう言って尊が四畳半の茶室に入り、私も続いた。
まあ、茶室に入る作法や和菓子を頂く作法などは省略。
要は精神を鍛えるためらしい。
茶釜の横に尊が座り、私は茶釜の前に座った。
まず茶碗と茶筅を温め、お湯を捨てて茶碗を拭くと、茶とお湯を入れて茶筅で茶を立てる。
だが、尊の厳しい視線を感じて身体が硬くなった。
あー、各項目毎に点数がつけられていそう。
出来上がったお茶はダマが出来ていて、一目で失敗しているのがわかった。
だが、そのまま茶碗の正面を尊に向けて出したら、彼はすぐに怒らずに綺麗な所作でお茶を飲み、手を懐紙で拭いて茶碗を私の方に戻した。
「はっきり言ってマズいです。もう時間がないから終わりにしますが、もっと集中するように。雑念だらけですよ」
尊の批評を素直に受け止める。
「はい、すみません」
尊が立てるお茶はまろやかで美味しい。
それに立て方もとても美しくて本人には絶対に言わないが見惚れてしまう。
私も彼のようにうまく立てられるようになりたい。
「では、朝食を食べに行きましょう」
尊と一緒に食堂に向かうと、六人掛けのテーブルの一番奥に父が、左側には兄が座っていて何やら深刻そうな顔で話をしていた。
灰色の背広姿の父が、私に気づいて頬を緩める。
「おはよう、撫子」
今年五十で白髪も増えてきた父は水瀬是清という。柔和な面差しで、性格も優しいが、日本でも有名な貿易商。
だが、それは表向きの家業。うちは古の時代から妖を退治してきた家系だ。
妖は人を殺め、人の血を啜って力を得る。
水瀬家は妖を退治する四大宗家のひとつで、水の術を使ってそんな妖を倒してきた。
妖の存在を知るのは、四大宗家などの一部の人間だけ。
父も兄も水を自由に操れるが、残念なことに私にはその才能はない。
四大宗家は水瀬家の他に、火の不知火家、風の風磨家、土の土森家があって、月に一度それぞれの当主が集まって話をするらしい。
昔はその四大宗家が神のように崇めていた一族……天月家があったそうなのだけど、今は存在しない。
噂では、家督を継げる能力者がいなくて十数年前に滅びたと聞いている。なんでも天月家の当主は神のような力を使えたとか。
私に言わせれば、そんな強大な力を手にしてる人って善の心を持っていなければとても怖い存在だと思う。
「撫子、今日は眠そうだね」
紺色の背広を着てふわりと微笑む兄……水瀬秋は、私より十歳年上の二十ハ歳で、髪は短く癖っ毛。
顔は父に似ていて鼻筋も通っているし、身内の私が言うのもなんだけどハンサムだ。
とても落ち着いていて、優しい性格の兄は私の親友と婚約している。
「おはよう。昨日の春乃に借りた本が面白くてつい……」
本当は夜の十時に就寝したのだが、それでも眠いとは言えない。
ハハッと苦笑いしながら兄の対面に座ると、尊が私の影のように背後に立った。
私の家族は父と兄と私の三人だったけど、尊を合わせると今は四人だ。
母は私が小さい時に妖に襲われて亡くなった。
それから家族三人仲良く力を合わせてやってきたのだけど、気づいたら尊も加わっていた。気づいたらというのは、本当に私が知らない間にうちにいたから。
私は六歳の頃に生死を彷徨ったことがあって、一年間ずっと昏睡状態だったらしい。
それで、ある日目覚めたら彼がいたのだ。
うちの他の使用人とは違う準家族的な扱いで、尊が十代の頃は彼も一緒にこのテーブルで食事をしていた。
だが、成人すると急に自分で執事服を用意して、私専属の執事にーー。
まあ、彼が十代の時も何かと私の世話をしてきたから、やってることはあまり変わらない。
いつも尊にかわいくない態度を取ってはいるがそれは甘えであって、私にとって尊は使用人ではなく家族。
いただきますをして食べ始めるも、さっきの父と兄の話が気になった。
「ねえ、何の話をしていたの?」
父と兄に尋ねると、父が持っていた箸を止めて答えた。
「ああ。実は最近この近くに住んでいる学生が神隠しにあっているんだ。お前も気をつけなさい」
神隠し……とは物騒ね。
「それって……妖が原因なの?」
父に聞いたら、今度は兄が静かな口調で返す。
「今、僕の式神に調べさせているところだよ」
式神というのは、紙や草、髪などを使って生み出し、雑用をさせる鬼神のことだ。人の形や動物の形をしているものがあって用途によって使い分けている。
父や兄は使えるが、私は使えない。
「そう。いなくなった学生も生きているといいのだけど。私も調べてみようかしら?」
うちの学生に聞けば何か情報が得られるかもしれない。
「いえ、お嬢さまは学業に励んでください」
背後から尊が突っ込んできて、彼の方を振り返った。
「私も水瀬家の人間よ。何か役に立ちた……!」
「でしたら、撫子お嬢さまは何もしないでください。一ヶ月前も妖に襲われそうになったのを忘れましたか?」
彼の厳しい言葉に声が尻すぼみになる。
「それは人間に化けてて弱った振りをしていたから……」
そう。
一ヶ月前に道端で胸を押さえていたお婆さんがいて、介抱しようとしたら、急に大きな狼に変身し、私に飛びかかってきたことがあった。
すぐに尊が助けてくれたからことなきを得たが、妖はどこにでも潜んでいる。
「力の強い妖ほど人間に化けるのが上手いのです。ただでさえあなたは水瀬家の人間というだけで妖に目をつけられやすいのですから、くれぐれも軽はずみな行動はしないように」
くどくどと尊は説教する。
彼は父や兄以上に厳しい。
水瀬家の血を引いていないけれど、尊も妖を倒す術を使える。でも、どうやって使えるようになったかは教えてくれない。
多分水瀬家の奥義書でも見たのだろう。
彼は頭がよくて有能で、何でも器用にこなす。
「……はい」
小声で返事をして、黙々とご飯を食べると、尊と車に乗り学校へーー。
門の前で車が停まるとまず尊が先に降りたのだが、彼は何かを思い切り踏んづけて睨みつけた。
「邪魔だ」
低い声で彼が呟くと同時に「ぎゃあ〜」と不協和音のような声が微かにした。
足元には何かの影。
その周辺には枯れ葉が落ちている。
きっと今の一瞬で尊は植物型の妖を倒したのだろう。
彼は何事もなかったかのように私に手を差し出す。
「さあ、撫子お嬢さま」
ハーッと溜め息をつき、彼の手を取って車を降りると、周りに女子学生が集まってきていた。
毎朝のことなのだけれど、この目立つ登校の仕方は好きではない。
もうちょっと手前で降ろしてくれるように頼んでも彼は「危ないですから」と言って聞いてくれないのだ。
「では、行ってらっしゃいませ、撫子お嬢さま」
尊が私の手に恭しく口付けると、「キャ〜!」と女子学生の黄色い声がした。
ああ、もう勘弁して。
この口付けも必要ないのに、尊は「悪い虫がつかないようにしているんですよ」と訳の分からない言い訳をする。
単に自分が騒がれたいだけでしょう?
フッと笑みを浮かべて手を振る尊を冷ややかな目で見て門をくぐると、親友の春乃に声をかけられた。
「撫子、おはよう。今日も尊さん素敵だね」
春の日差しのように優しく微笑む春乃……伊集院春乃は男爵家の令嬢で、私の兄の婚約者。彼女は小学校からずっと一緒で私の無二の親友。
襟足までの長さの髪は少しカールがかっていてかわいく、目はパッチリ二重で西洋人形のよう。背は私よりも少し低く、おっとりとしていて優しくて、兄とふたり並ぶと似合いのカップルだ。
彼女は水瀬家が四大宗家のひとつで妖を倒していることも知っている。
「無駄に顔だけいいの。私は歩いてのんびり登校したいのに」
ムスッとしながら尊の文句を言うと、彼女に突っ込まれた。
「それだと撫子は寄り道しちゃっていつ学校に着くかわからないよ」
クスッと笑う春乃の言葉に自分でも納得してしまう。
「確かに毎日遅刻かもね」
「それに尊さんは撫子が心配なのよ。危険なところに自分から飛び込んでいくから」
「え〜、そんなことないよ」
全力で否定する私を見て、彼女はハーッと息を吐いた。
「自覚がないから尊さんも苦労してるの。学校の裏庭に現れた妖に竹ぼうき持って立ち向かった人は誰?」
「あの時は、みんなを守ろうと必死だったの」
私は式神が使えないし、うちに戻って父や兄を呼びに行く余裕なんてなかった。
「術も使えないのに?尊さんが来てくれなかったら、撫子は死んでたかもしれないよ。もう無茶はしないでね」
春乃は優しいけど、自分の意見ははっきりと言う。
彼女に諭すように言われるが、素直に頷けなかった。
「私も父や兄のように術が使えたらよかったのに」
水瀬家の場合、水を使う力は直系の男子にしか使えない。
どんなに修行しても父や兄のように水を使う術は使えないのだ。
だが、尊はもともと能力があったのか、うちに住むようになってからすぐに水の術を会得したらしい。
「そしたら益々尊さんの気苦労が絶えないと思うわ」
春乃の手厳しい言葉に沈黙する。
これ以上言うと、尊じゃないけどお説教されそう。
教室に着くが、今日はチラホラ空席があった。
「あら、今日は陸奥さんと神無月さんがお休み?」
教科書を出して、隣の席の子に尋ねると、彼女は声を潜めた。
「陸奥さんは昨日呉服屋に行くと言って、そのまま家に戻って来なかったらしいわよ。神無月さんも学校から帰ってないんですって」
その話を聞いて今朝の父たちとの会話を思い出す。
「……神隠し」
妖だとしたらかなり調子に乗っていないだろうか。
このままでは街の人が全員いなくなるかも。
キンコーンと鐘が鳴って先生が教室にやってくると、私たちに告げた。
「生徒が何人か行方不明になっていますから、しばらく授業は午前中までとします。皆さんなるべくひとりで帰らぬよう。おうちの方か友達と一緒に帰るようにしてください」
その先生の指示に教室はざわついた。
まあ、良家の子女が多いし、みんな怖がるのは当然よね。
明日は自主的に学校を休む子もいるかもしれない。
午前の授業が終わり、木綿かばんに教科書を入れて帰る準備をする。
普通なら尊が門の前にいるが、今日は下校時間が変わったからまだいないはず。
やはり、自分でも神隠しの件を調べてみよう。
尊がいない今がチャンスだわ。
ニヤリとする私を見て、私のところにきた春乃が少し引き気味に言った。
「撫子、その顔なんか怖いよ。悪巧みしてない?」
「いいえ。ちょっと甘味処に寄って帰ろうかなって思っただけ」
笑ってそう誤魔化したら、彼女は目を微かに見開いて驚いた。
「充分悪巧みだよ。真っ直ぐ帰らないの?」
「こんな機会滅多にないわ。尊に監視されず、羽根を伸ばせるのよ」
どうせ今日も帰ったら、華道や日舞の習い事がある。
神隠しのことを調べるついでに息抜きしよう。
この時期桜だって綺麗なのに、満足に花見もしてないんだもの。
少しくらいいいわよね。
「うーん、撫子は尊さんに監視されていた方がいいと思うけど。それに今日は家に帰った方がいいんじゃないかな」
ちょっと心配性な彼女に明るく微笑んだ。
「大丈夫。あんみつでも食べたらすぐに帰るわよ」
あとちょっと聞き込みをしたらね。
「じゃあ、私も付き合う」
春乃の主張に驚いた。
彼女は真面目な性格で、私のように授業中に寝ることはないし、毎日寄り道もせず帰宅する。
「え?春乃は家に帰った方が……」
「撫子が真っ直ぐ帰るなら私も帰るわ」
天使のようににっこり微笑む彼女を見て苦笑いした。
さすが兄の選んだ婚約者。
普通の人間だけど、なかなかいい性格をしている。
春乃は見た目に反して頑固で肝も据わっているのだ。学校を出ると、ふたりで歩いて近くの甘味処に向かう。
ここは大通りでいつもならもっと人出が多いはずなのに、今日はまばら。
やはり神隠し事件の影響だろうか。
そんなことを考えていたら、目の前で猫が車に跳ねられた。
春乃は「キャッ!」と叫んで目を瞑るが、私はその猫近づいた。
体長は一尺くらい。
頬に古い傷があり、茶色い毛並みで、腹部から出血している。
「ひどい……」
そう呟きながら、その猫に触れた。
目を閉じて苦しそうに息をしている。
このままにしておけば確実に死んでしまうだろう。
人間のせいで死ぬなんて可哀想だ。
「痛いよね。私が治してあげる」
手をかざして強く念じる。
治れ。傷よ、治れ。
すると、傷が綺麗に塞がり、その猫はパチッと目を開けて私を見た。
「もう大丈夫。元気に動けるよ」
優しく笑いかけると、その猫は立ち上がって、私の手をペロペロ舐めた。
かわいい。多分、猫なりにお礼を言っているのだろう。
「もう車に引かれちゃダメよ」
そう注意したら、猫はニャア〜と返事をしてどこかへ消えた。
実は私には治癒の能力がある。
自分には使えないが、人や動物、植物を治癒することが出来るし、人には試したことがないが死んだ動物を生き返らせることもできる。
但し、その分私はダメージを受ける。
このことはうちの家族と尊しか知らない。
「あれ?猫は?」
春乃が目を開け、猫がいないのに気づいた。
「どこかに行っちゃったよ」
しれっとした顔で言えば、彼女はホッと安堵の溜め息をつく。
「じゃあ、無事だったんだね。よかった……って、撫子、鼻から血が出てるよ」
「あっ……。ちょっと貧血気味かな。でも甘い物食べたら治るよ」
春乃の指摘に、ハンカチを出してすぐに血を拭う。
多分、さっき猫を治癒したからだろう。
少し身体がふらつく。
「大丈夫なの?」
「うん。平気。慣れてるから」
ヘラヘラ笑ってみせると、ふたりで甘味処へ行った。
席に着き、壁に貼られているお品書きを見ながら店員に「あんみつください」と注文する。すると、前の席に座っている春乃も弾んだ声で言った。
「私もあんみつください」
「春乃もあんみつにしたんだ。でも、学校帰りにこうしてふたりで寄り道するの初めてだね。おうちの迎えとか大丈夫?」
うちはいいが彼女のことが気になった。
男爵家の令嬢がいないと騒ぎにならないか心配だ。
「うん。秋さんにもらった式神に言伝を頼んだから」
春乃は着物の懐から人型の和紙を出して私に見せた。
恐らくその和紙に兄の念が込められているのだろう。
「あー、それいいなあ。私もほしいんだけど、お父さまも秋兄さまもくれないのよね」
羨ましそうにその和紙を見る私を見て彼女はいささか呆れ顔で返した。
「撫子はくだらないことに使うからよ。式神に限定五十個の和菓子を買いに行かせたりしてて、尊さんに怒られたじゃない」
あの時は『式神は便利屋ではありませんよ』と一時間ほどネチネチと説教された。
でも、治癒の術を使うと尊はもっと怒る。
過去に庭で死にかけていた雀を治したら、『もう絶対に使うな!』と雷が落ちた。
彼が敬語を使わないのはよほど怒っているということで、空気も静電気が起きてバチバチいっていた。
あの時は熱が出て一日寝込んだんだよね。
さっきの猫を助けたのを見たら、今度は空気が爆発しそうなくらい尊は激怒するだろう。
「尊は私に厳しすぎるのよ」
ハーッと溜め息交じりに言う私に彼女はニコッと微笑んだ。
「大事にされてる証拠だよ」
「大事にというか、水瀬家に恩があるから私の面倒を見てるだけ」
父の話によれば、尊の両親は彼が小さい時にすでに亡くなっていてうちで引き取ることにしたらしい。
うちに来た時から尊は私の面倒を見ていて、家庭教師のように勉強も教えてくれた。
「義務感であそこまでお世話はできないよ。あっ、あんみつきたよ」
店員があんみつを運んできて顔が綻んだ。
「やっぱり甘いものっていいね。幸せな気分になる。さくらんぼは私いつも最後に食べるの」
私がスプーンでさくらんぼを脇によけるのを見て春乃はクスクス笑った。
「撫子は好きなものをずっと取っておくよね」
「うん」
黒蜜がかかった寒天を口にしながら頷く。
そういえば、あんみつ食べる時はいつも尊が私の食べてるスプーンを奪って味見だけするのよね。
『甘過ぎ』って顔を歪めて……。
でも、一度とっておいたさくらんぼを彼に食べられて、怒ったことがあったっけ。
『とっておいたのに』って尊を責めたら、彼は平然と言い返した。
『失礼。さくらんぼが嫌いなのかと思いました』
尊の顔が浮かんだその時、キーンと耳鳴りがした。
何かおかしいと思って春乃に目を向けると、彼女が止まっている。
え? どうして?
「春乃?」
声をかけても、彼女に触れても反応しない。
彼女だけではない。
他の客も店員も止まっていた。
「これは一体何?」
治癒の術を使ったから疲れてしまったのだろうか?
何度も瞬きをするが状況は変わらない。
私は自由に動けるのになぜ?
何か嫌な感じがする。
「君、治癒の術が使えるんだね。僕も治してよ」
男の子の声がしたと思ったら、目の前に十二歳くらいの少年の姿をした妖が現れた。
頭にふたつ角があって、大怪我をしたのか片目がなく、見ていて痛々しい。
肌は赤く、右手に金の腕ををしていて黒い衣を身に纏っている。
「風を操る人間に目をくり抜かれちゃってさあ。人間の血をいくら啜っても治らないんだ」
本当の子供のように無邪気に笑うが、人に化けられる妖は他の妖よりも強くて頭もいい。
人間の血を啜った……?
「最近人間をさらってるのは……あなたなのね?」
妖に聞けば、素直に認めた。
「ああ。そうだよ。でも、血もたいして美味しくなかったなあ」
ハハッと笑うその目は残虐な光を宿していて背筋がゾクッとした。
「みんな殺したの?」
「人間を殺さない妖がいる?それにね、僕は人間に目を奪われて怒ってるんだ。ねえ、早く治してよ」
妖の少年が私に近づき、頬に触れた。
彼の言葉に怒りが込み上げてくる。
「嫌よ!人に害をなす者を治療なんかしないわ!」
少年の手を思い切り振り払うと、彼はフフッと不気味に微笑んだ。
「そう。だったら、お姉さんの血をもらおうかな。匂いはしないけど、お姉さんの血は極上だって僕の本能が言ってる。きっとお姉さんの血を飲んだら、僕の目も治るはず」
「い……や」
そう口にするのがやっとだった。
少年が何か術をかけたのか身体を動かせない。
彼の爪が急に伸びて私の首に向けられた。
このままだと殺される!私だけじゃない。
ここにいる人たちだってみんな彼に殺されるだろう。
私がみんなを守らなきゃ。
しかし、もう声は出ない。
私は……非力だ。
こんな時、水の力を使えたらと思う。
頭に浮かぶのはいつも口煩い青年の顔。
でも、私が誰よりも信頼している人。
尊〜!
お願い、助けて!
恐怖に怯えながら心の中で私の執事の名を叫んだ。