オリフィス



 二人並んで脱衣所で着替え、髪を乾かして外へ出るとすぐそこに小さなゲームコーナーがあった。子ども用のメダルゲーム、色褪せた子供向けキャラクターの乗り物。プールや温泉の片隅にある、古い昭和の名残みたいな場所だった。照明は白く、機械の表面は少し黄ばんでいて、誰もいないせいで流れている電子音だけが大きく聞こえた。
 俺はメダル引換所に百円を入れて、出てきた二十枚を祈本と半分に分けた。魚を釣るメダルゲームでは、大物ほど当たれば大きい。俺は当然、八枚とか十枚の魚ばかり狙って、たった十枚のメダルなどすぐに無くなった。
 祈本のほうを見ると、奴は一枚や二枚の魚ばかり真面目に狙っていた。

「しょっぺえなー。もっとデカいの狙ってけー」
「一か二を狙っていけば、長く楽しめる」
「百円のゲームなんだから、楽しんだもん勝ちだろ。ほら、八きた。八!」
「ちょっ…!」

 俺が横から勝手にボタンを押すと、祈本は珍しく慌てて連打した。結局、取れなかった。祈本は少しだけ不満そうに俺を見たから、とびきりの笑顔で返してやった。たったそれだけのことなのに、学校をサボっているという事実のせいか、やけに楽しい。

 しばらく遊んでから、曰く付きのプール施設を後にした。
 外へ出ると、太陽はずいぶん高いところまで上がっていた。来たときより暑く、青空もはっきりしている。森の緑もさっきより明るく見えた。朝には鬱蒼として、湿っぽくて、古くて、何かが潜んでいそうに見えた場所が、今はただ大自然の山の中。ここには何もいない。それがわかっただけで、世界の色はこんなにも変わるらしい。

 朝も早かったし、もう十一時を過ぎている。腹が減っていた。セブンティーンアイスの自販機が目につく。

「腹減ったからアイス買お。お前は?」
「……いらない」
「そ」

 百二十円を入れて、ソーダフロートの丸いボタンを押した。ガタン、と音がして、下からアイスが落ちてくる。白いプラスチックの持ち手をつまみ、上の紙を外し、周りの包みをくるくる剥がして、汚れた据え置きのゴミ箱に捨てた。
 水色のソーダ味と、クリーム色のバニラ味。セブンティーンアイスの中で、俺はこれが一番好きだった。昔は親にねだって、だめだと言われたらひっくり返って泣いた。それが今は、こんな遠い場所まで来て、自分の金で好きなアイスを買っている。
 学校では、まだ四時間目の授業中だ。
 俺はいま自由だ、と思った。

 アイスを食べながらバス停まで歩いた。ソーダフロートのさっぱりした味が夏だった。知らない町の知らない道。バス停のコンクリートの重しに俺は腰を下ろし、祈本はその横に立った。
 空を見上げると青かった。目を閉じるとまぶたの裏が赤く透けた。初夏の田んぼでは、鮮やかな緑の苗が風に揺れ、青々とした絨毯のようだ。森の音が遠くで鳴っている。どこかで、アカショウビンがキョロロロ……と鳴いた。



 山形駅に着き、乗り換えのついでに構内のコンビニへ寄った。俺はチキンとおにぎりを二つ買い、ビニール袋を下げて祈本に聞く。

「買わねーの?」
「うん」
「今から帰ったら、休み時間ないから食う暇ないよ。買っときな」
「いい」
「なんで?」
「……腹減ってない」

 そんなことはないだろう、と思った。俺は朝五時起きで軽く食パンを食べてきたが、十二時近くになれば普通に腹が減る。六時間目が始まる前に学校へ着いたとして、それまで何も食べられないのはさすがにきついはずだ。

「……金ねえの?」
「違う」

 ──二番線に列車が到着します。
 アナウンスが流れ、俺たちはホームへ向かった。電車に乗り、ボックス席で向かい合って座る。列車が動き出すと、祈本はまた窓の外を見た。俺はおにぎりとチキンを食べ、水筒のお茶を飲んだ。

「……食う?」

 鮭おにぎりを一つ差し出す。けれど祈本は首を振り、また窓の外へ視線を戻した。
 仕方なく全部食べ終えて、ポテトチップスの期間限定オマール海老味を開けた。味は可もなく不可もなく、コンソメのほうが圧倒的にうまい。スマホを開くと、友達から通知がいくつも来ていた。

『どーしたんだよ? 熱?』
『大丈夫? 週末の東京、中止?』

 俺はクイズ仲間こそ少ないが、友達は意外といるほうだった。今週末の日曜は東京でクイズ大会があり、友達は推しているアイドルグループのイベントがあるとかで、一緒に東京へ行く約束をしている。

『大丈夫、サボりだから』
『六時間目から行く』

 そう返信して顔を上げると、祈本は目を閉じ、首を窓のほうへ傾けて眠っていた。白い頬に、車窓の光が薄くかかっている。電車はあと一時間ほど走る。俺は少し不思議な心地でその横顔を見たあと、スマホの作問メモを開いた。プールの適切な塩素濃度、セブンティーンアイス、東北地方に流れる川。今日見たもの、気になったものを短くメモしていく。どんな一日にも、クイズの問題はそこかしこに落ちているものだ。



 六時間目が始まる少し前、三年四組の教室へ入ると、友達がすぐに俺を囲んだ。

「サボりだ、サボり!」
「誰とどこ行ってきたん?」
「ひみつ」
「言い方ヤラシイな! どうせ男だろ?」

 羽交締めにされて、俺は「ギブギブ!」と笑いながら友達の手を叩いた。我が桐葉中高は元男子校で、二年前に共学になってからも男子生徒が九割を占める。くだらないことで大騒ぎする、いつもの教室に戻ってきた。
 すぐに先生が入ってきて、日本史の授業が始まる。
 窓の外を見ると、いつもの景色が広がっている。ここは森に囲まれた校舎だ。今日は、その緑たちも少しだけ生き生きとして見えた。