その日は電車で帰った。駅から数分歩いて家の敷地に入り、庭の隅にある小さなプレハブ小屋の扉を開ける。鍵なんかかかっていない横引きの扉は、いつものようにガタガタガタッと頼りない音を立てた。
ここは一年前まで、季節家電やタイヤ、アウトドア用品、父親のDIY工具なんかが詰め込まれたただの倉庫だった。けれど去年、俺がDIYにハマった時期に中を片づけて、机や棚を作り、型落ちのデスクトップパソコンを置き、照明や小物まで自分好みに揃えたのだ。母屋にも自室はあるけれど、隣の部屋の妹の声はうるさいし、母親が急に部屋を開けてくるから落ち着かない。だから今はこの離れが実質、俺の自室である。
木材で作った棚には、参考書や問題集、大会の優勝賞品でもらった用途不明の記念品がぎっしり並んでいる。他にも、世界遺産カレンダー、おしゃれな時計、観葉植物、バルタン星人のフィギュアなんかも置かれている。
整ってはいない。むしろ、ごちゃごちゃしている。けれど、そのごちゃごちゃが自分らしかった。ここは俺だけの城だ。
ソファーベッドに倒れ込むと、朝脱いだ服が床に落ちたままなのが見えた。片づける気にはならない。淡いオレンジ色の電球をつけ、スマホで『VOZ』というアプリを開いた。
VOZは、声でつながるSNSだ。喋った内容がそのまま録音され、同時にAIによって文字起こしもしてくれる。日記、商品レビュー、質問、朗読、勉強のための音声などが日々投稿されていた。よくできた文章というものは飽和状態にあり、最近はAIが書いたような豊富な語彙ときれいに整えた文章よりも、人の話し声からそのまま生まれたようなゆるくて素朴な言葉のほうが流行っている。
俺はいつも通り、日記を「書く」のではなく「言う」ことにした。
「VOZ、日記」
ピコン、と録音開始の音が鳴る。
「……今日は、同じ部活の奴と二人で『川獺の夢』に行った。幽霊が出るって噂だったけど、結局、排水溝の音だった。やっぱ幽霊なんかいるわけないんだよな。行き帰りの川が綺麗だった。一緒に行った奴は……変なやつ。春にクイ研に入ってきた四年の先輩だけど、半日一緒にいても中身はよくわからない。それに……」
そこで、少し黙った。
「昼過ぎになっても、なにも食べてなかった。今思えば飲み物も、たぶん……」
思い返すと、ぞっとした。朝からずっと一緒にいたのに、祈本が何かを口にした記憶がない。アイスもおにぎりも断った。水さえ飲んでいなかった気がする。
「……土曜は東京の大会に行く。現地の友達に会えるのが楽しみ。送信」
シュッ、と音がして、俺の声がネットの海へ飛んでいった。
VOZでよく聴くのは、「教えてください」と「今日初めて知ったこと」のタグだった。誰かが、曲名のわからない歌を鼻歌で投稿したり、見た虫の特徴を曖昧に喋ったりする。AI検索でも拾えない疑問に、暇な物知りたちが答えていく。俺はそこでよく正解を出していた。つまり、かなりのヘビーユーザーだった。
クイズプレイヤーの間では、自作問題の読み上げも人気があった。言えば問読みの練習になるし、聞けば早押しの練習になる。寝る前に再生すると、映画の感想、今日覚えた言葉、誰にも言えない愚痴、意味のない独り言が、滝みたいに流れてくる。
他人の一日の発見を、少しだけ分けてもらっている気がした。
やがて俺は、友達が投稿した映画レビューを聞きながらいつのまにか眠っていた。
