地獄からバイバイ

 俺は、通学途中に事故に遭って、3日間意識不明だったらしい。
 親戚まで呼ばれるほど危ない状態で、後遺症もなく退院できたのは奇跡だといわれた。



 それから俺は、鬱屈としていた日々が嘘のように、様々なことを学ぶようになった。
 学問だけでなく、武道や、怪しげなオカルトまで。
 積極的に進路を模索し、休みの日も勉強し、精力的に体を鍛えた。

 16歳の知識があれば、イコを救えたかもしれないという後悔が、ずっとあったからだ。
 いや、再びあの場所へ行った時、イコを救えるかもしれない。
 それは希望でもあった。

 そのために学び、体を鍛えた。
 いつか再び死んで、地獄へ迷い込んだ時のために。





 大学卒業後は、ある民俗学者に弟子入りした。
 2度死にかけ、主要な臓器を喪いながらも、移植で奇跡的に生き延びている人だった。

 彼は、地獄を知っていた。
 そして、イコのことも知っていた。

 イコに様々なことを教えてくれた、『迷い込みなれた人』――その人俺は現世で見つけて、弟子入りしたのだ。

 彼は俺の目的を知ると、惜しむことなく、全ての知識を託してくれた。














 ――数十年後。
 老人となった俺は、病院で寿命を終えようとしていた。

 民俗学博士として精力的に活動しつつも、私財を投げうって多くの慈善活動を行った俺に対して、誰もが「あなたは天国に行けますね」と言う。

 でも、すぐに行くつもりはない。
 寄り道すべき場所がある。

 俺は地獄へ行くための御札なんかをたくさん用意して、ベッドの下に隠してあった。
 天国行きの護符は、その倍以上。
 1人分では、ないから。

 いつか見た天井に似た風景を見上げながら、考えるのは一人の男のこと。

「――やっと、迎えに行ける」

 それが俺の最期の言葉だった。



 ――これは、鈴木散月が死ぬまでの物語。






「来ちゃだめってゆったのに」

 困ったように笑いながら、彼は言う。
 舌っ足らずな口調は、最後に会った時と何も変わっていなかった。

 俺は手を伸ばし、男の体を抱きしめる。
 肩を震わせる俺に、君は「変わらないねえ」と言って笑った。




【地獄からバイバイ】 完