学校から出る頃には、既に暗くなりかけていた。
オレンジ色と紺色が混ざった空には既にオリオン座が見えている。
ユキが写真に撮りそうな景色だ。
まだそんな遅い時間じゃないけど、季節に文句は言ってられない。
僕の目的に必要な事をするだけだ。
僕は家には帰らずそのままユキの自宅へと向かった。
ユキの自宅は誰でも知ってる。何故ならユキのお母さんが割とこの町では有名な人だからだ。
僕らは世代じゃないけど母さん世代では名の知れたブロガーだったらしい。ユキのお母さんを知ってる人だったらプチ観光場になるせいで「ほら、あそこ」と個人情報が広まっていた。
それにユキの家はデカくて派手だから「あの辺りの目立つ家」という情報さえ頭に入れておけばすぐにわかる。
その上苗字も変わっているため、表作を確認すれば間違いもない。
……イチゴヤ。
今、僕の目の前の表札には『市小屋』としっかり刻まれている。
遠目から見た事はあったけど、近くで見たらやっぱりデカい。
建築の知識とか分からないけど、ユキの家は派手で目立つし、オシャレな家なんじゃないかな。住みたいかと聞かれたら反応に困るけど。
玄関前の雨宿りスペースには植木鉢の葉っぱがデカい木が何個か置かれていて、スポットライトの光で白い壁に大きな影を作っていた。
ここで僕は何個かの想定外に戸惑った。
一つ、二世帯住宅だった事。
二つ、ユキの家が思ってた以上にオシャレ過ぎた事。
三つ、ユキ以外のこの家の人にアポを取る方法が僕には無かった事。だ。
一つ目、これは困った事と言うより、「え〜、そんな話してなかったよね?」という新情報に対する戸惑いだ。
二つ目と三つ目は普通に困った事だ。
二つ目も三つ目もちょっと僕じゃどうにもできないな。
一旦帰って作戦を練り直そう。対話型AIに相談しても良い。どちらにせよ今日はもうすっかり暗くて、何枚か写真を撮ったがムードのあるオシャレな家の画像にしかならない。
また来るよ、ユキ……。
ため息を吐きユキの家に背を向けると、目の前に男の人がいた。
「う!わぁっ……!」
僕はおもわず叫び声を上げ、バランスを崩す。
「ウワァ!?あっ!」
ほとんど同時に男の人も叫び声を上げたが、バランスを崩した僕の手を掴み抱き寄せた。
「ワアッ!?大丈夫!?」
男の人の柔軟剤の匂いがしたのが気まずくて僕はすぐに男の人から離れた。
「だ、大丈夫です!!」
「…………あっ」
お互い気まずい沈黙に包まれる。
お礼を言って直ぐにこの場から逃げれば良いのに、タイミングを逃してしまった。
僕は恥ずかしくて俯いた顔を上げる事ができない。カバンの紐を握りしめたまま男の人が手に持つビニール袋をじっと見つめた。
僕はいつもこれだ……。咄嗟に人と喋る事ができない。
こんな自分が嫌になる。
数分(もしくは数十秒)続いた僕の内心では自己嫌悪に塗れた沈黙を破ったのは男の人だった。
「……ユキの友達?」
「………………」
口の中の水分が一気に消えていく感覚がした。
予想はしていたけど、この家の人のようだった。
「ご、ごめん。違った?」
違わない。
合ってます。
「大丈夫?俺、怒ってないよ?」
男の人には、僕が怒られてしょんぼりしている子供に見えたのだろうか。声が優しい。
『俺』の声の出し方がユキにそっくりだった。それに喋り方もなんだか似ている。
「もしかして、ユキの事聞いてない?」
「…………!」
「ごめん、ユキね……」
「…………トモダチですだ!」
僕はやっとの事で何個か前の質問の返答をし、その場所から走って逃げ出した。
最悪だ。
後ろから小さく「ですだ?」と言ってる声が聞こえ、僕はその場で蟻に変身し今すぐにあの人の目の前から姿を眩ましてしまい、男の人の頭の後ろの方にレーザーを当ててここ数分の記憶を消してしまう超能力の妄想をした。
気持ち的には車やバイクより早く走っているつもりで走っていた。
何度か道を曲がりくねってくねった後、僕はやっと走るのをやめた。何をやってるんだろう。
呼吸を整える、肺も喉も冷たい空気に痛めつけられてヒリヒリする。
とにかく心を落ち着かせたい。ブレザーの右にある裾ポケットに手を入れる。精神安定にはネットの文章を何も考えずに頭に入れるのが一番良い。
「…………」
左の裾ポケットにも手を入れる。
しかし、僕が求めていたツルツルとした重みのある手応えは得られない。
「…………」
そんなはずはない。スラックスのポケットにも両手を同時に突っ込む。鞄の中身、鞄のポケットも慌てて覗くがどこにもない。
僕はスマホを落としてしまったようだった。
どこで落としたかなんて迷う必要もない。
確実にユキの家の前だ。
そうとしか思えなかったが、そうじゃない可能性だって十分にある。
僕は誰にも見つかってない事を祈りながら来た道を引き返すことにした。
結局あれから何分か歩いて、ユキの家まで戻って来てしまった。
大きくてオシャレな家だ。[r]不満はないけど僕が住んでる古いマンションとは大違いだ。
名前のわからない植物に、よくよく見たら、何を表しているかわからない黒い鉄で出来た謎の飾り?も置かれている。
小さい階段の先にある格子状の玄関扉の前から覗くと奥の車庫らしき場所に大きな車も停まっていた。車に詳しかったらあの車がいくらくらいするかすぐわかっただろう。
あの男の人の車なのかな。
車があるって事は今家にいるのかな、ここから覗いた限りは家に明かりは付いていない。
でもさっき買い物した後って感じだったけどな……。もしかして僕のスマホ交番に持って行っちゃったのかなぁ。
一旦交番に寄れば良かったかも……、でもなんか警察って怖いし……。
「あ、戻って来た」
後ろから突然肩を掴まれ僕は盛大にその場で叫んでしまった。
「ちょちょちょ!通報される通報される!」
「あっ、す、すみません!」
振り向くと、さっきの男の人だった。さっきと違って買い物袋は持っていない。
「スマホでしょ?中にあるから一旦入ろ入ろ」
「あっ、ハイ」
男の人に肩を押されながら、格子状の扉を開き、そのままどんどん家の玄関へと歩いていく。
「あっ、えっと、えっと……!僕、僕は……!」
「ユキの友達でしょ?」
「そ、そうですけど、いや……」
「寒いから中で聞かせて?さっき家の写真撮ってた理由とかも」
「……!」
やっぱり見られていた。
なんでそんな怪しい中学生のスマホを、交番に預けるでも学校に苦情を入れるでもなく、わざわざ僕を家に入れ込むために取っておいたんだろう。
そこで僕はやっと男の人の顔をしっかりと見上げた。
男の人は、ユキと同じ色白な肌に、目元まで伸びた前髪の下は、ユキと同じカールしたまつ毛に、そしてまたユキそっくりのピンク色に膨らんだ唇、ユキがそのまま成長してイケメンに加工されたみたいな顔だった。
大人ユキは僕の背中を押したまま玄関の扉を開けた。不用心にも鍵はかけていなかったらしい。
僕は初めて入るユキの家に少し緊張していた。
中に入ると自動で付いた電気のお陰で、広い玄関に散らばった様々な靴が目についた。何かの花みたいな甘い匂いがする。
「おじゃま、します……」
「いらっしゃ〜い、ちょっと散らかってるけど……」
大人ユキは楽しそうにウフウフ笑っていたが、急に黙り込んだ。
「えっと……、ちょっとここで待ってて」
「あっハイ」
僕の返事はほとんど聞かず大人ユキは靴を脱ぎ捨てるとパタパタ壁の向こうに曲がって消えて行った。
微かに電気が付く音や何かゴトゴト動かしてる音、ビニールが擦れる音が聞こえてくる。
しばらくの間動かずに大人しく待っていたら電気が勝手に消えた。僕はその場でウロウロしてみる。
広い玄関だ。散らばってる靴はほとんど男物だった。奥の開けっ放しの靴棚には少し小さい男物の靴がたくさん並んでいて僕の心がざわつく。すぐに目を逸らした。
そんなに靴は沢山いるのだろうか。僕なんてすっかり汚れたアディダスと新品同然のローファー、偽物のクロックスしか持ってない。
ユキはオシャレが好きだった。この靴の量から見て大人ユキ……、いやユキの「お兄さん」もきっとオシャレが好きなんだろう。
ユキは以前一度家に父さんは居ないって言っていた。母さんもほとんど居ないとも言っていた。
家族に関する話題は、「兄貴」についてが多かった。
「兄貴は背が高い」「兄貴が買ってくれた」「兄貴に借りた」「兄貴とは仲良し」……。
「兄貴」なんて硬派な呼び方してるから、勝手に日焼けしてゴリゴリに鍛えてるマッチョな強面を想像していた。
まさかこんなユキがそのまま大人になったみたいな姿とは思いもよらない。僕はユキみたいに整った顔の人間を身近に見た事が無かったが、ユキの側には普通にいたんだ。
前に「今から兄貴と焼肉行く」なんてメッセージを受け取った事があったが、こんな綺麗な顔の人間二人で焼肉なんかに行って良かったのだろうか?
そんな事をまた電気が消えてしまわないようウロウロしながら考えた。
玄関の奥からは相変わらず忙しない足音とバタンバタンといまいち何をしているのかわからない物音も聞こえてくる。何かデカい板をひっくり返してる……?謎だ。
「………………」
僕は何をしているんだろう。……あぁ、そうかスマホを落としてお兄さんが持っていそうな事を仄めかしたからここまで来てしまったんだった。
一旦呼び寄せてスマホだけ先に返して貰えないかな。部屋が片付くまで別に僕は待っているから。
「スミマセン」のスの字まで喉から出かかった時、お兄さんが戻って来た。
「あっ」
「ゴメンネ、待たせて」
お兄さんはまたウフウフ笑っていた。なんだか人として不安になる感じがするのに、顔は白くて光りそうなくらい綺麗だ。
「いえ……僕は別に……」
「イヤ〜ゴメン、やっぱ上げらんない。あのさ、これから焼肉行かない?」
「えっ」
