怪奇!ユキ!マジック!


樋角さんの家から出てまた三十分くらい経った頃、僕たちは山の中にいた。
車中は樋角さんの好きな邦ロックがずっと流れていた。僕が全く興味のないジャンルだったからセンスがいいのか悪いのかよくわからなかった。ただ趣味や方向性は合わなそうだと思った。もしお兄さんか樋角さんとバンドを組むとしたら、僕はお兄さんを選ぶだろう。
樋角さんは道の途中にある野生の駐車場、みたいなただの広いスペースに車を停めた。樋角さんの運転は荒々しくて、僕はお兄さんの運転が上手だったのかと気付かされた。
車から出ると草とか土が混ざった独特な匂いがした。
「で、何するんだよこんなとこ来て」
樋角さんはいつの間にか緑色の手のひらサイズの機械から飛び出たタバコを吸っていた。
「ちょ、樋角くん!子供の前で吸うなよ!」
「子供って、中学生だろ。お前だって子供扱いの方がウザいよな?」
「ウザいです」
「ええええ!?急に二対一!?」
お兄さんの大きな声があたりに反響して、どこかで鳥が飛ぶ音がした。
「ヒッ今の何!?」
お兄さんが顔色を変えて僕にくっつこうとして来たから、僕は素早く避けた。
「どう考えても鳥です」
「鳥〜!?冬眠してねえの!?」
「するわけねーだろ馬鹿か」
樋角さんが鼻で笑うと同時に煙の匂いがこっちまで来る。
「俺の事誰が守ってくれんの!?」
「……?鳥ダメなんですか?」
「アイツらだけはダメ!ムリ!」
急にお兄さんの意外な弱点が判明した。樋角さんは心底興味がなさそうにしている。知っていたみたいだ。
「ダッセー、バカだし情けない」
お兄さんが珍しくムッとした表情を浮かべる。僕の中だけに軽い緊張が走った。喧嘩が始まったらどうしよう、僕の手に負えない。
「バカじゃないし、樋角くん徳川将軍みんな覚えてる?俺言えるよ?」
よかった、お兄さんは表情だけであんまり怒ってなさそうだ。
「へーすごい」
僕が素直に感心するとお兄さんは少し照れたのか、小さくはにかんだ。樋角さんはつまらなさそうにタバコの煙を吐き出した。
「樋角くんも俺の事褒めていいんだよ?」
「じゃあ初代家康の名前は?」
「え!?初代家康の名前!?え、わからん!待って待って思い出す!」
「な?バカだろ?」
「いや初代家康ってなんだよバカ!答え言ってんじゃん!」
「あ、本当だ」
僕はちゃんと勉強をしようと思った。隣で馬鹿みたいにゲラゲラ笑ってる大人二人を見ながら。
10歳以上年上の人間達の会話とは思えない。
「ふざけてないで、お兄さんは写真とか撮らなくていいんですか」
「あっ、ウフフそうだね」
お兄さんがスマホを取り出しパシャパシャ辺りを撮りだした。「記念に撮っとこ」とか言いながら僕にもカメラを向けてきた。
「やめてください」
お兄さんのカメラから逃げるがお兄さんは楽しそうにしつこく僕を写そうとしてくる。
「てかさ、お前らシンプルに何やってんの?」
「えっ?」
僕はびっくりして樋角さんを見た。樋角さんは怪訝そうに僕たちを見た。
お兄さんを見ると、どうでも良さそうにどんどん山道を進みながら周囲の写真を撮っている。
「あ、待って!お兄さん、言ってなかったんですか……?」
急いでお兄さんのそばまで追いつき、なんとなく小声で問い詰めると、心底面倒臭そうな相槌が返ってくる。そうだ、よくよく考えたら樋角さんみたいな人が「偽心霊スポットを作りたいから協力してください」、なんて頼み聞いてくれるわけがない。
しかも頼むのは、こんなフラフラしてるお兄さんと、今日初めて会う怪しい小僧だ。
「おい、待て誠一郎」
「んー……」
樋角さんもあっという間に僕たちに追いつく。
「なんか変な事するんじゃないだろうな」
「しないしない」
お兄さんはピコン、と動画まで撮影しだした。
「お前さぁ……」
樋角さんがお兄さんのスマホを取り上げる。
今のは誰がどう見てもお兄さんが悪かった、樋角さんがイラッとするのも当然だ。
「あぁっ!ぼ、僕のせいです!僕がお兄さんにお願いしたんです!い、今やってるブログのネタが欲しくて!」
僕が大声を張り上げたせいで、二人とも黙って僕を見る。お兄さんも、樋角さんも、黙っているとこっちが不安になるくらい無機質な顔の造りだ。
ユキもここにいたらきっとユキにも同じ感想を抱いていただろう。
「……まぁ、メッシくんの頼みなら、いいけど」
「……ありがとうございます。あと僕は目広です」
「メビロォ?」
「俺さっき教えたよね?」
お兄さんがちょっと楽しそうに目を細めた。樋角さんに呆れていると言うより、面白がっているように見えた。
「覚えてただろ『メ』は。ていうかハーフか何か?」
「なんで?この子めっちゃ日本顔じゃない?」
「いやなんか海外のサッカー選手とかにいそうな名前じゃんメビーロ選手みたいな感じで」
「意味わかりません」
「ぜんっぜんわからん、やっぱ新しいわ日角くんって。じゃあ下の名前で呼んだらいいんじゃない?大麻くんって」
「麻勇!」
「お前も間違ってんじゃねーかよ」
樋角先輩のツッコミにお兄さんはしつこいくらいウフウフ笑って誤魔化してる。
「いやいやいや、自分で言ったんだって大麻ですって……」
「言ってない!」
「サイッテーだなお前、こんな奴置いてさっさと行こーぜメッシくん」
僕は『メッシ』で確定なのか……。でも『大麻』よりは何百倍もマシだ。なんならちょっとかっこいいし。
それよりなんとか誤魔化せて良かった。でも少し樋角さんに対して申し訳ない。こうしてわざわざ立ち入り禁止区域まで僕たちを入れてくれたのに……。
お兄さんがわざわざ樋角さんにここを入れて貰ったのは、誰かに場所を特定されないためらしいけど、こんなやり方でいいのだろうか。
お兄さんにスマホを投げて返す樋角さんを見てたら少し不憫に感じたが、僕たちは足場の悪い道を先へ進んだ。
「ま、ここ出るらしいからな。用事済ませたらさっさと出よーぜ」
「えっ!?」
僕が驚いて樋角さんを見ると、樋角さんは意地悪そうに笑って僕を見返した。
「もうちょっと上行ったらなー、昭和中期頃に土地を貸し出してて変電施設として使われてた、とか言う廃墟があんだよ」
「え……えぇ……ほんとに……?」
お兄さんをチラリと見ると、樋角さんと同じく意地悪そうに笑っているお兄さんとばっちり目が合ってしまった。
「ウフフ、あそこはヤッバイよ〜。目広くん大丈夫かな〜?」
「マジでヤッベーよ」
「お兄さん、行ったことあったんですか!?」
「勿論、この前の夏の夜に肝試しでね……怖くてマジで漏らすかと思ったよ」
自分で行っといて馬鹿だろこの人。
夏の夜に森の廃墟で肝試しなんて、この人達ってもしかして僕が思ってるよりガラが悪いんじゃないか?
「優希もいたよなー、アイツが行きたいって駄々捏ねた癖に一番ギャーギャー泣き暴れて……」
樋角さんがそこまで言って黙った。
「悪い」
僕は俯いた。お兄さんの事も、樋角さんの事も見れなかった。
僕は何も言えなくて、この沈黙が苦しくて仕方なかった。
何秒かの間、ほんの短い時間、草と砂と砂利を踏む音だけが僕たちの間を漂った。
ユキ……。ユキだったら、こんな時なんて言う?今すぐこの場で微笑んで僕たちを救ってくれないか?
「って謝んないでくださいよ、調子狂うじゃん。目広くんなんてずーっと優希の話してんだよ?マジでストーカーかよってくらい……」
お兄さんがウフウフ笑いながらさりげなく僕をディスる。
「ストーカーはしてません」
「『は』って何、『は』って……」
お兄さんはウフウフ笑って、僕を揶揄う事をやめない。
僕は俯き続けた。視界には枯れた草と石ころ、元々道だったかもしれない、今はほとんど獣道。
「特に他意はありません」
お兄さんのウフウフ笑う声が、今はただ痛々しくて……。誰かこの人を救ってあげてください。余裕があればついでに僕も救ってください。
だけどどんなに祈っても僕とお兄さんが救われる事なんてなく、ユキを都市伝説にしようとしている。
僕達はまた沈黙の中歩き続けた。
樋角さんはずっと黙っていて、この人は賢くて意地悪だなと思った。だからこんなに強い生命力の圧のようなものが僕までビンビンに伝わってくるんだろう。



僕達が黙って歩き出してもう10分は経っただろうかという頃、こぢんまりとした壊れそうな建物が見えてきた。
「目広くん、あそこだよ」
「見るからにですね」
「焦って転けんなよー」
「んなドジじゃないよ」
僕とお兄さんと樋角さんが普通に会話した事に少しほっとする。
お兄さんは「昼来ても不気味だねー」と言いながらカシャカシャ写真を撮っている。
僕のブログのためと言ってしまったため、一応僕も撮影に夢中なせいで変なポーズになってるお兄さんが映り込むようにして一枚だけ写真を撮る。
こうしておけば後で見返しても雰囲気の不気味さが中和されるだろう。
「中も入ろうよ」
「えぇ……」
「ビビってんのかメッシくん」
「まぁ嫌なら外で俺と一緒に待っとこ」
お兄さんを見るとにこにこ優しい笑顔で俺を見てる。
「なんでオレが一人で行くんだよ、意味わかんねーよ」
結局僕達は樋角さんの両脇に首を抱えられながら引き摺られていった。

中は薄暗くてそこまで踏み荒らされている感じはしないが、清潔とは言い難かった。
古そうな木の机や椅子が隅にまとめられ、床は変色した紙や鉛筆が転がっている。
「中はそこまで怖くないですね」
樋角さんから解放された僕達は、各々施設の中を(と言っても部屋数はそこまでない)うろついた。
「片付いてるからだろ、こういうとこってフツー散らかってるもんだしな」
「なるほど……」
確かに、樋角さんの言う通り綺麗な部屋より汚い部屋の方が不気味だし、何かよくないものとかが出そうだ。
「なぁに目広くん、今俺のこと見た?」
「いえ……」
「お前の家になんか出そうってさ」
折角濁した僕の返答を樋角さんが無駄にする。お兄さんは大して堪えた様子はない。
お兄さんがパシャパシャ撮る音が、広いとは言えない室内でもわんもわん反響する。
「……気になったんだけどさ樋角くん」
「うん」
「なんか、前来た時より綺麗になってない?」
「気のせいだろ、誰も来てねーよ」
「でも前来た時はもっと狭くてごちゃついてたような気がしたんだけど」
「夜来たからそう感じたんじゃね」
「フゥン……?」
お兄さんは納得いかないのか、撮影を辞めスマホを弄り出した。僕はふたりのその様子を黙って見ていた。
僕を怖がらせるつもりで言ってるのだろうか。だとしたらお掃除してくれる幽霊なんて怖くもなんともない。お兄さんの家に連れて行ったら掃除してくれるのだろうか。
「幽霊が掃除すんなら、こんな所掃除しても意味ねーから誠一郎の家行きゃいいのに」
樋角さんも同じ事を考えていたみたいで少し親近感が湧く。それに、お兄さんの家が汚い事も知っていたみたいだ。
「あー、確かに俺ん家来てくんねえかな。女の子だったら嬉しいし」
「お前の言う女の子は女の子じゃなくてババアだろ」
「そういうこと言うなよー!」
僕は女の子よりユキが家に来て欲しい。掃除ができなくてもいいから幽霊のユキが僕の家に来て、僕に取り憑いて僕の事を不幸にしてくれたら嬉しい。
お兄さんと樋角さんは、ギャーギャー僕の知らない共通話題でじゃれ合いだしたため、僕はそっと一人で別の部屋に行った。


別の部屋に行っても、二人の声はもわんもわんと聞こえてくる。ユキもこんな風に一人でこの部屋に来たりしたのだろうか。
ユキはあの二人と居て孤独は感じただろうか。それとも一緒に騒いでいたのだろうか、今ユキがこの場に居たら僕と一緒にこの部屋に来てくれたのだろうか。
さっきまで居た部屋と違い、この部屋は棚等が複数あり、一部中身が散乱してる箇所や、椅子も転がっていた。
さっきお兄さんはこの部屋の事を言っていたのかもしれない。片付いたあの部屋より随分不気味に感じた。
僕は部屋を意味もなく歩く。汚れたガラス窓から入ってくる日差しはぼやけたような光で地面を照らしていた。
ほとんどの棚の中身は触る気が起きないほど汚れた書類が詰まっていたが、一箇所だけ不自然なものが視線に引っ掛かる。
その棚は貴重品用の棚だったのか、他の棚と違いガラスの扉付きの棚だった。
棚に入っている書類は閉じた背表紙を見せるように縦に置かれているが、その棚は書類を平積みする形で収められており、書類は棚のスペースの五分の一にも満たない。そしてその書類の一番上にはこの寂れた景観には明らかにそぐわない、原色の真新しさを感じる色の何かが置かれていた。
「……?」
僕は取手が錆びた引き戸の扉を開く。
開けると同時に、カビ臭い匂いの空気がうっすらと鼻に届くが、そんな事は全く気にならなかった。
書類の真ん中に置かれていたのは、ピンク色の髪ゴムだったからだ。
手に取ると、冷たくも温かくもない。
どうしてこれがこんな所に……。
これはきっとユキの髪ゴムだ。ユキはピンクやオレンジのカラフルな髪ゴムをよく使っていた。
時々落としているのを僕が拾ったこともあった。
ユキが肝試しの時に落としたのだろうか。樋角さんは途中でやめてしまったけど、ユキは確か「一番泣き暴れていた」と揶揄うように話していた。
だけど一体誰がこんな所に閉まったのだろう。
背筋がゾワゾワと誰かに触られたかのような気持ち悪さを感じた。ささやかな気味悪さを自覚した途端、こんなところに一人でいるのが怖くなった。
すると急に樋角さんのもわんもわん反響した声が耳に入ってくる。まだ二人はふざけているみたいだ。よかった。僕は一人じゃない。
そう安心した時だった、樋角さんに反論するユキの声がもわんもわん反響しながら聞こえた。
間違いなくユキの声だった。ユキが樋角をふざけた調子で非難している。樋角さんが反論する。お兄さんの声が聞こえる。樋角さんの声が聞こえる。ユキの声が聞こえる。樋角さんとお兄さんの声が重なって何かを笑っている。
全てがもわんもわん反響して気持ち悪く混ざり合って僕の耳に届いていた。
あっちの部屋には確実に3人いる。僕には3人の話し声が聞こえるんだ。
そのうちユキの声が「目広くんいなくない?」と声を上げる。樋角さんとお兄さんが「メッシくん!」「目広くん!」と声を上げる。
足音が、がさがさとコンクリートと砂利の擦れる音をまたぼわぼわと反響させて、この部屋に近付いていている。その足音も、確実に三つあった。
反響してぼやけた足音は、近付くにつれどんどんクリアになっていく。
僕はゴムを握りしめ、その場にしゃがみ込み、耳を塞いだ。
ユキがこっちに来ている。僕にとってそれ以上に嬉しい事はない。
しかし僕は、ユキを否定するように小さく小さくなって、目も固く瞑った。