培養された思い出


・【08 ナツキはいる】


 上体を起こしてベッドに座っている僕は何だか信じられなくて、
「えっと、どういうこと?」
 と聞き返してしまうと、大和は、
「ナツキがずっと泰我のことを待ち伏せしているんだ。ちなみに泰我のお母さんは知らない。誰がナツキか知らないからね」
 お父さんも口を開き、
「ずっと泰我のことを警備したいのはやまやまだが、俺も仕事があるし、勿論お母さんも仕事があるし、大和くんは今、ある意味泰我を研究対象として仕事としても一緒にいてくれているが、それがずっと続けることもできない。お医者さんは医療業務をしなければならない」
 お医者さんは申し訳無さそうに俯きがちに頷いた。
 僕は即座に、
「警察は?」
 と言うと、大和が、
「動いてくれない。この程度のことでは動いてくれないって。全然この程度じゃないのにな。色恋沙汰だとバカにされているみたいだよ」
 何だか僕の唇は震えてきた。
 もうナツキとは顔も見合わせたくない気持ちだからだ。あんな気持ちの悪い人間と対面することも嫌だ。
 お父さんは、
「最終的には話し合いをしないといけないらしい。しかもナツキという人間は俺を見ると暴れるようになってしまい、そのなんだ、そういうことがあった時に俺はガン詰めしてしまい、俺を警戒するようになり、俺がいると対話にならないだろうから、大和くんに任せるしかないんだ」
 と大和のほうを懇願するように見ると、大和は毅然とした態度で、
「泰我のために、お父さんや御両親のためにやることは当然のことです。でも泰我、きっと泰我も顔を見合わせることになるだろうが、俺は、絶対に泰我のことを守る。信じてほしい」
 真っ直ぐな瞳で見てきた大和に僕の震えは止まった。
 僕は強くうんと頷き、
「僕は大和のことを信頼しているよ」
 と答えると、お医者さんがホッと息を漏らした。
 そこから、本当はリハビリで病院の外も歩いたほうがいいんだけども、ナツキがいるから外には出れないので、中庭だけにしておくとか、そういう今後の方針を改めて決めていった。
 ナツキとは結局話し合うしか方法が無く、万が一もあるので、病院内でリハビリを完全にし終えたから、外に出ることになった。
 でもまずは一歩一歩リハビリを、ということで、僕は毎日のようにリハビリを行なっている。
 大和は僕を観察することも研究の一部らしく、最近は毎日来てくれるし、長い時間居てくれる。
 大和は僕と同じ歩調で中庭を歩き、
「一歩二歩三歩四歩五歩六歩七歩八歩」
 僕はすかさず、
「それずっと言っていく気?」
「あんぽになったら、やめようとは思っている」
「安保と発音する時は無いよ、安全保障の略を言う数字は無いよ」
「いや、あんぽ柿のあんぽね、福島の」
「どっちにしてもだよ」
 大和は少し満足げに笑ってから、
「そう言えば泰我はもう何を食べてもいいんだろ? じゃあ、あんぽ柿買ってこようか?」
「僕があんぽ柿に執着を見せた時って無いでしょ」
「柿ほど甘い江戸時代の食べ物って無いよな」
「でもまあ江戸時代じゃないから、今は」
「江戸時代は柿が覇権をとっていたと思う。江戸時代の覇権コンテンツ・柿」
「江戸時代のSNSみたいな言い方しないでよ」
「おっ、SNSとか見てる?」
「見てるよ、リハビリ後の運動しなくても良い時間帯は暇だから」
 と僕が答えると、大和は嬉しそうに、
「SNSって漫画いっぱい流れてきて得だよな」
「それは人それぞれの感覚だけども」
「俺も絵を描けたら本当に、長谷川町子」
「絵が描けたら本当に長谷川町子?」
 僕はオウム返しのツッコミをしてから、
「長谷川町子先生にはならないよ、絵が描けたとしても」
「サザエさんの時代にSNSあったら、長谷川町子のサザエさんはSNSで万バズ連発だっただろうなぁ」
「そりゃまあそうだろうけどもさ。日常系の面白だからね」
「まんぽ柿、万バズしているあんぽ柿のこと」
「場合によってはするかもだろうけど、いややっぱりそんな言い方はしないよ」
「まんぽ柿、いつか一緒に食べに行きたいな。チラッ、チラッ」
 と言いながら、チラチラこちらを見てきた大和。
 いや、
「そんなチラ見の小ボケしなくてもいいよ、福島旅行とか行けたらいいね、で、いいよ」
「猪苗代湖の真ん中にデカい塔を作ってさ」
「何で日本で四番目に大きい湖の真ん中に塔を作るの? 旅行先で?」
「あの、ポケモンの世界にある、魂を鎮静化させる塔ね」
「ゴーストポケモンが出てくる定番の場所じゃなくてさ」
「俺、その塔でエスパーポケモンを出すトレーナーをやりたいんだ」
「確かにエスパーポケモンも出てくるけども、何かゴーストと近い感じで出てくるけども」
 大和は好き勝手ボケてくる。
 それをツッコむことも、大和のボケ自体も僕は好きで。
 ずっとこんな意味の無い会話をしているわけだけども、それが本当に心地良くて。
 そうだよね、そりゃそうだよね、こっちが僕の親友だよね、ナツキなんて存在、恋仲のはずがないじゃん。あんな加害ばっかりしてきてさ。
 とか思ってしまったら、ちょっと暗い顔になってしまったのかもしれない。即座に大和が、
「どうした? ちょっと何か、不安な気持ちが出てきたのか?」
「わ、分かるの?」
 と僕はドギマギしながら答えると、
「分かるよ。俺は泰我の親友だから全部分かるよ」
 と真面目な面持ちで真っ直ぐ言ってきて、何だかドキッとしてしまう。
 大和は続ける。
「というかあれだからな、別に白樺も鶴橋もちゃんと親友だからな。アイツらは遠くの大学行ったから、なかなかお見舞いに来れないだけで。俺は近くの大学で脳科学を研究しているから、あの、培養された思い出の件もあるし。なんつーか、親友だけどもこれも研究みたいな感じでいるわけで。いや何か言いたいこと言えてないな、これ。俺の脳、どうなってんだ」
 何だかあわあわしてきた大和に吹き出して笑ってしまうと、
「俺の真剣を笑うなよ! とにかくみんな親友でみんな泰我の味方だ! 不安になることなんてない! 不安なことは一つだけ! 俺の脳だけだ!」
「いや脳科学の研究をしているひとが脳不安なのダメでしょっ」
 と言って、僕と大和は笑い合った。
 こんな時間が僕に戻ってきて、いや舞い戻ってきて、本当に楽しい。
 夜になり、大和も帰って、安静にしている時、スマホでSNSをなんとなく眺めている。
 僕は人より、六年間くらい人生が遅れている。果たしてこのままでいいのだろうか。漠然とした、ちゃんとした不安も勿論ある。
 でも何をどうすればと思っていると、その答えは大和が次の日に出してくれた。
「SNSもいいけどさ、頭を使うことは出来るんだから、通信制の高校へ通ったらどうだ? 今はリモートで何でも出来るし、いつでも入校出来て独自のカリキュラムで勉強出来る高校も今あるよ」
 僕は大和から詳しく話を聞いて、ついに通信制の高校に通うことになった。
 本当は月二回くらいの登校が必要なんだけども、リモート面談で事情を話したら、そこは今のところは免除となった。
 その分、高校二年生とか高校三年生になったら、多めに通学する日が設けられるらしいけども。
 そんなある週の土曜日、大和は勿論、ついに白樺と鶴橋もお見舞いにやって来てくれた。
 でも白樺は入って来るなり不機嫌で、わざわざ来てくれたけどもお疲れなんだろうなと思っていると、白樺が、
「ガチでナツキいんじゃん、クソがっ」
 鶴橋が即座に、
「あんまその名前出すのもなんかさっ」
 白樺がハッとしてから、
「いやデリカシー無くてゴメン。そうだよな、思い出したくないよな、泰我は」
 と反省した顔をして、そうか、ナツキがいたから不機嫌な面持ちだっただけか、僕に対してじゃなくてと、ホッとした。
 でも、僕は、
「ナツキのことはいつかちゃんとしないといけないからさ、言っちゃいけない言葉とかじゃないよ」
 と白樺に言うと、白樺が優しく笑いながら、
「優し過ぎ。だからつけこまれるんだよ」
 鶴橋が即座に、
「だからって開口一番に言っていいとはならんだろ」
 と言ったところで大和が、
「まあまあそれよりも近況報告しようぜ、一番近かったヤツが優勝な」
 僕はすぐさま、
「近況って近さを競う大会じゃないよ、最終的にはホールインワンを目指すとかじゃないよ」
 すると白樺が吹き出してから、
「それだよなーっ、やっぱ泰我のツッコミはおれの中で一番だよ」
 鶴橋も何だか楽しそうに、
「なー。ぼく、ずっと泰我が元気だったら泰我のツッコミ目当てで同じ大学選んだかもだし」
 すると大和がムッとしながら、
「いいや、俺が一番にツッコんでもらうからっ」
 白樺が大笑いしながら、
「何の嫉妬っ?」
 みたいな会話をして、めっちゃ盛り上がって楽しかった。
 やっぱりこの四人こそ僕の友達、いいや親友なんだ。これこそ正史なんだと心が躍った。
 大和は白樺と鶴橋を見送って、僕と病室で二人っきりになった。
 ふと僕は、
「大和も一緒に帰って、三人でファミレスとかで喋ればいいのに」
 と言うと、大和が、
「いや自分以外、その泰我以外の三人で集まって喋ったら泰我が疎外感抱くでしょ」
「大丈夫だよ、そんな嫉妬深くないよ」
「ゴメン、嘘ついた」
 と言ってから咳払いした大和は照れ笑いを浮かべながら、
「いや俺、一番泰我と一緒にいたいから」
 何だか僕も恥ずかしくなってきて、
「いやいやいっつも一緒にいるじゃん」
「でも今日は勝ちたくて!」
 と拳をグッと握った大和。
 僕も照れ笑いをしながら、
「いっつも勝ってるから大丈夫だよっ」
「馬券買ったし」
「長くいたダービーしていないでしょ」
 こういう、冗談の方向性に持っていったけども、本気で言ってくれているなら、すごく嬉しいと思った。
 僕なんかが、何も大和に返せていない僕なんかが、こんな最高に良いひとの大和から好かれているなんて、自己肯定感が上がる。
 一時間くらい会話したのち、大和ともバイバイした。
 一人になって震えることもある。
 リハビリが順調だからだ。
 順調だといつかナツキに会わないといけなくなる。改めて思う。ナツキが怖いって。
 本当にナツキが気持ち悪いんだ。何で僕なんかに執着するのだろうか。ナツキが大和のような優しい人間だったら、まだ怖さが和らぐのに。
 僕は最近、培養された思い出のような夢を見る。
 ナツキが出てきて、ずっと僕のことを罵倒してくるんだ。夢の中の僕は何も言えず、なんならヘラヘラと受け入れている。
 でもそれこそ現実の僕だったんだと実感する。自分のことを好きな人だからと許容してしまっている。いつか自分も好きになるかもとか思っている。
 僕の自己肯定感の低さ、やっぱり小学生時代のイジメのせいだと思う。
 教室で孤立していて、唯一会話してくれるのがナツキだけで。だから僕はナツキのことを拒絶出来ないというか。
 その後、クラス替えと共に大和と白樺と鶴橋と仲良くなって……待てよ、もしかしたら、あの教室で孤立していたのってナツキが裏で手を引いていたとか?
 僕は別にウンコを漏らしたわけでもないし、給食の時にゲロを吐いたわけでもない。でも急に孤立するような目に遭って、イジメって突然だよねと思ったけども、もしかしたらあれってナツキが仕組んだことだったのでは……?
 どうしよう、そう思ったら、そう思えてくるような周りの言動ばかりだ……当時は唯一の味方として、何でも受け入れていたけども、もしかすると、もしかすると……おぇっ。
 胃の中にたいした食事が入っていなかったから、大事故にはならなかったけども、ちょっとだけ吐いてしまった。急いで、床に身体を向けて助かった。
 これくらいなら自分で掃除が出来る。この個室は洗面台もあるし、トイレもお風呂もあるから、好きにどうにか出来る。
 全部掃除を終えたところで、寝るのが怖いという感情になる。
 いや寝ないといけないんだけども、またナツキの夢を見ることが嫌だ。
 でも寝ないと、と思って寝たら案の定、またナツキの夢を見た。
 ずっとナツキから意地悪されて、それを大和がかばってくれているのに、相変わらず僕は何も言えず、ナツキには強く出れずに、なあなあにしてしまう。
 すると大和が、
「知ってるんだぞ! 押しのけられた時、骨折したと言っているが、本当は骨折していなかったって! 泰我、あれはコイツの嘘だったんだよ!」
 そこで飛び上がるように起きて、全身汗がだらだら。
 もう朝になっていてくれていることは本当に有難い。起きている間は楽しいだけだから。
 でもいつか僕はナツキと対面しないといけない。怖過ぎる。語彙が無いけども、それは学力が中学一年生で止まっているからか、それとも思考停止してしまうからか。
 今日も朝から録画授業を受けて、プリントに記入していく。書き終えたプリントは看護師さんに渡して、提出してもらうわけだけども、今日から封筒に入れるところは自分ですることにした。
 いや逆に手間なのかもだけども、こういうことも自分でちゃんとやりたいから。
 大和がやって来て、そのプリントの話をすると、
「じゃあ俺が切手とか封筒買い込んでおくよ、そうしたら看護師さんもいちいち持って来なくていいだろう」
 と言ってくれて、本当に大和には感謝しきりだ。
 ふと、歩いて窓のほうまで行き、外を見た時、僕はゾッとした。
 なんと、あの、夢の通りのナツキが外から、僕の部屋をじっと見ていたのだ。
 膝から震えだし、目も泳いでしまうと、大和が僕の異変に気付いたのか、すぐに窓の外を見ると、ナツキを見つけたみたいで、
「帰れぇぇえええええええ! 邪魔だぁああああああああ!」
 と、めっちゃデカい声を出した。
 大和は次は小声で、
「いなくなった」
 と教えてくれた。
 するとすぐに女性の看護師さんが入って来て、
「大和くんですよね! さすがに大きな声過ぎです!」
 と大和が叱られてしまったわけだけども、大和は全て僕のためにやってくれただけなのに。
 大和は少し居づらくなったのか、すぐに帰ってしまった。でも午後も来てくれるらしい。
 一人きりの部屋で僕はボーッとしていると、リハビリの時間になり、その女性の看護師さんに連れられて、リハビリする場所へ行った。
 その時に女性の看護師さんから、
「ゴメンなさい、見ていたんですね」
 とナツキという言葉を使わずに謝られて、
「いやぁ、はい。あの、大丈夫です」
 と質疑応答が合っているかどうか分からない言葉を言ってしまった。
 今日のリハビリは何だか疲れてしまい、いつの間にかベッドで昼寝をしてしまっていたらしい。
 またナツキの夢を見た。
 一緒に歩道を歩いているわけだけども、ずっとナツキは後ろ歩きをして僕に顔の正面を向けて、ネチネチと嫌なことを言ってくる。
 ナツキの息は本当に掃除機の排気口の風みたいにクサくて生暖かくて気持ちが悪い。
 すると目の前から蛇行しながらも猛スピードで歩道を進んでくる自転車が正面からやって来て、僕は咄嗟にナツキをかばうと、僕はその自転車に轢かれて吹っ飛んで、どうやら後頭部をぶつけたみたいだ。急に眠くなっていく。
 意識を失う直前に『こんなヤツのこと助けなきゃ良かったのに』と思っている。
 目が覚めて、こんな夢を見るなんて最悪だし、そんなことを思っていた自分のことも嫌だ。
 午後にやって来た大和についその話をすると、大和が、
「そう思うことは何もおかしいことじゃない」
 と言ってくれて、少し安堵する。
 大和は溜息交じりに、
「でもそうか、その時のことも思い出したのか」
 と小声で言って、この夢は夢じゃなくて本当にあったことなんだと分かった。
 一応そのことは大和に聞き返して、それこそが僕が寝たきりになった真実だと大和は答えてくれた。