・
・【07 現実の世界】
・
「大和?」
目を開けるよりも先に声を出していた。
僕はいつの間にか病室のベッドの上で寝ていたみたいだ。
まぶたをこじ開けると、窓から光が差し込まれていた。
今までいた病室とはちょっと違う。
何故ならここは個室だったから。六人部屋のカーテンに囲まれた間の部屋ではなかった。
身体は最初の頃のように一切動かなくなっている。
指先も動かせず、あの時と違うところは何だか痛覚すらもないみたいで。
でも徐々に腰が痛くなっていき、結構というか、かなり腰やそれ以外にも脚や腕がズキズキしてきた。結局今は全身痛い。
「だれかー」
と、か細い声が出たような気がするけども、出ていなかったような気もする。
最初の”大和?”はしっかり出せたのに、今の”誰か”は間違いなく漢字にはなっていなかった。
何で今まで動けていた身体が全てリセットされたのか、理由が分からない。
なんとか首を動かそうと努力すると、枕元にシャーレのようなモノが見えた。
培養菌の色を確認すると、赤黒い一色になっていて、背筋がゾッとした。
というか赤黒い色って何だか地獄の血の池みたいな印象を受ける。
何であれが”正しい”と思っていたのか。こんなん絶対悪いヤツの色じゃないか。僕は何であんな勘違いをしていたのだろうか。
やっぱりナツキは悪い人間だったのでは、と思うものの、まだナツキという人間の全体像を掴めない気持ちではいる。
でもそれは決して恋仲だったんじゃ? とは思わず、ぼんやりと不安の塊、いいや不安の鉛といった感覚だ。
とにかくこの身体がまた動かなくなったことの説明をしたいし、受けたいし。
早く看護師さんは来ないかな。
そんなことを思っていると、ドアが開き、看護師さんがやって来たわけだけども、見たこと無い男性の看護師さんだった。
いつもの看護師さんのルーティンの中にはこんな人はいなかった。
僕はその人が来たところで、
「あ、あのー」
と声を出したら、その男性の看護師さんは目を丸くして、なんとそのまま腰から砕け落ちたのだ。
いや厳密には最後まで目で追えてはいないけども、尻もちをつくような音が鳴ったので、多分そうなんだと思う。
「起きたんですね!」
と言いながら立ち上がると、その男性の看護師さんはすぐに僕の横にきた。
「ナースコール押したんで、すぐに別の看護師さん来るんで、僕はお医者さん呼びに行きます」
と言うと、小走りで部屋から出て行った。
すると入れ替わりで別の男性の看護師さんと女性の看護師さんがやって来て、すぐに女性の看護師さんが、
「どこか痛いところ無いですか?」
と聞き、男性の看護師さんは首を横に振ってから、
「まずいつも通り体勢を変えてあげなきゃ」
と言うと、男性の看護師さんが優しく僕の身体を掴んで、
「では少し横にしますね」
と言って、体勢を変えてくださった。どうやらいつも定期的にこうしてくださっているみたいな感じがした。
僕は仰向けからドア側に顔を向けられて、シャーレとは背になり、そのまま寝ている。幾分身体の痛みが収まった気がする。いやそんな即効性、本来は無いと思うから気分の問題だと思うけども。
女性の看護師さんは何だかずっと慌てながら「あぁ良かった」「やっとだ」「本当にこうなるんだ」「嬉しい」と言っているだけで、何もしていないわけだけども、何だか嬉しい。
とは言え、今まで僕は動けていたはずなのに、何でこんな感じなんだろうとは思う。女性の看護師さんのリアクションから察するに、まるで初めて動き出したみたいな感じだ。
「おーい、泰我くーん」
知らない、結構年寄りそうな人の声だ。
走って僕に駆け付けたのは多分お医者さんだった。威厳がありそうな白いひげを蓄えている。
男性の看護師さんが僕の顔側にイスを置き、そこにお医者さんが座ると、
「泰我くん、よく起きたねー。大丈夫だよ、貴方はちゃんと生きています」
と言いながら、僕の手首に手を当てて、多分脈の確認をしているみたいだ。
「それではちょっと、横になった状態で。上半身をめくって、聴診器当てますよ。かなり冷たく感じるかもですが、耐えてくださいね。本来普通の温度ですから」
そう言うと、男性の看護師さんが僕の上体を軽く起こすように手で支えて、女性の看護師さんが僕の患者着をめくった。
お医者さんが聴診器を取り出して、僕の身体に当てると、確かにキンキンに冷たくて、ビックリしてしまった。
お医者さんはうんうん頷いてから、
「反応も普通ですねー、これはじゃあ段取り通りに」
と言うと、女性の看護師さんが首から下げていたスマホを操作し始めた。
この時にふと思ったことがある。
最初の頃ってこんな細かく僕のことを見ていたか? ということ。
何か、よくよく思い出そうとするんだけども、こんないちいち何かをやっていた記憶は無い。というか記憶も朧気。
お医者さんは優しい声で、
「体調を今一度確認してから、CTスキャンを行ないますので。いやそれはまあ親御さんの許可あってからですが」
と言ったところで、男性の看護師さんが多分僕の枕元のシャーレを手に取って、机のほうに置いたと思う。それかポケットに入れたのか。
お医者さんがゆっくりした言いっぷりで、
「何か喋れますか?」
「大和は、どこですか?」
と、大和という言葉だけはハッキリ発音出来たような気がする。
するとお医者さんが、
「おっ、大和くんのことも覚えていますね。記憶も良好そうですね。あぁ、大和くんはまた午後からお見舞いに来ると思いますよ」
僕は心底ホッと一息つけた。もしかしたら僕が大和を現実でも殺してしまっているかもと思っていたから。
大和は死んでいないし、普通に外で生活をしているみたいだ。良かった、本当に良かった。
女性の看護師さんが急に大きな声で、
「親御さん! 来ます!」
と叫ぶと、男性の看護師さんが「ちょっと声のボリュームっ」とツッコむように言った。
お医者さんは男性の看護師さんに、
「チェックシート、ゴメン、わたし焦っちゃって持ってこなかった。持ってきてくれるかな」
と言うと、男性の看護師さんは「引き出しの三段目ですよね」と言うと、お医者さんが「うん、そう」と答えた。
男性の看護師さんはドタドタと慌てるようにドアから出て行き、女性の看護師さんは部屋の隅にあったのか、お医者さんが座っているような丸椅子を三つ並べると、お医者さんが、
「大和くんも来るかもだから、もう一つ。あっ、別部屋から持ってきてくれるかな」
と言い、女性の看護師さんは「はいっ」と返事して、部屋から出て行った。
お医者さんはずっとニコニコしている。でもそれは患者を不安にさせないようにといった感じではなくて、心底嬉しそうな感じだった。
男性の看護師さんがすぐに戻ってきて「これですよね」と言いながら、お医者さんに渡すと「これこれー」と何だかウキウキといった感じに言って、少し可笑しかった。
そこから僕はお医者さんから質問を何個かされた。
でも全部当たり前のことで、両親の名前とか、大和のフルネームとか、そんなことで終わってしまった。
「ではゆっくりしていてください」
と言ったお医者さんは部屋から去っていき、イスを持ってきていた女性の看護師さんが、
「私、付きっ切りでいたほうがよろしいでしょうか?」
と僕に問うてきたんだけども、
「たぶん、だい、だじょうぶ、です」
と答えると、
「それでは」
と言って女性の看護師さんもいなくなった。男性の看護師さんもいつの間にかいなくなっていた。
何で僕は動けないんだろう、そんな簡単な疑問も何だか言うことが怖くて、聞けなかった。喋りも上手く出来ないし。
もしかしたら僕はまた寝たきりになってしまったのかもしれない。
でもそれだと、看護師さんやお医者さんが喜び過ぎなような気がする。また寝たきりになるかもとは思っていないような面持ちだ。
それとも科学的にもう僕が寝ることはありえないのだろうか。二回目は無いみたいな。
すると、何だかうとうとしてきて、いやこれ寝てもいいのかな? と思えてきた。
また目が覚めなくなって、寝たきりになって、身体が操作出来なくなるんじゃって。
でも何だか眠いたいし、身体も勝手にといった感じで目を瞑ると、遠くから声がしてきた。
「泰我、寝たの?」
大和の声だったので飛び起きるつもりで起きたけども、上体を起こすことは叶わなかった。
でも目を開けることは出来て、目を開けると、目の前の四つのイスに両親と大和とお医者さんが座っていて、お医者さんの横にさっきの女性の看護師さんが立っていた。
「泰我ぁぁああ!」
という声は両親と大和でユニゾンしていた。
僕は反射で「はい」と返事してしまうと、お母さんが「喋った!」とバンザイした。
お父さんが「ついに目覚めたんだ! ついに目覚めたんだ!」と言っていて、僕は内心小首を傾げていた。
だって僕、一回起きていたじゃん、二度目の目覚めじゃないのか? まるで最初に目覚めたみたいな。
僕のことをじっと見ている四人、これは何か喋ったほうがいいと思い、
「僕、にどめ、じゃない?」
と言うと両親は疑問符を頭上に浮かべるような顔をして、大和とお医者さんが顔を見合わせて頷き、大和が喋り出した。
「もしかしたら培養された思い出を見ていたんじゃないか? そのなんだ、これ、説明いるなぁ」
お医者さんも同調するように、
「そりゃ最先端の技術だから説明がいりますよ」
そこから培養された思い出について説明をされた。シャーレを枕元に置くと、培養された思い出が見れるという話。
というか、
「そのせつめいは、されたし、僕、いっぱい、なんども、なんども、みてきたよ。大和とも、かいわしたし」
大和とお医者さんは目を丸くして、両親は大和とお医者さんのほうを見ている。
大和が深呼吸してから喋り出した。
「つまり、泰我は培養された思い出内で培養された思い出を見ていたんだ。泰我、その思い出は全部夢で、今こそ現実で、泰我は今日、初めて目覚めたんだよ」
今度は僕が目を丸くしたと思う。
そうか、何か最後のほう、全てを夢みたいに感じていたけども、あの日々は夢だったのか。培養された思い出というか。
じゃあ僕が目覚めたのは、これが本当の一回目……!
お医者さんは頷きながら、
「このあたりのことも擦り合わせていきましょう。それではお父さん、お母さん、CTスキャンなどの検査の話ですが……」
そこから僕を目の前に、検査や経過観察の方向性の話をし始めた。
僕も「嫌だったら言ってください」と言われたけども、普通の手順だと思うし、別に専門知識も無いし、全てを受け入れることにした。
お医者さんや大和が専門的なことを交えて話していくうちに大体のことが分かってきた。
僕は植物人間になっていて、培養された思い出をシャーレが完成する度に見せていたという話だ。
話の終盤っぽいところで、ふと僕は、
「シャーレ、赤黒く、なっていた?」
と聞くと、お医者さんが天井まで飛び跳ねそうなくらい驚いた顔をして、大和も神妙な面持ちになった。
大和がゆっくりと口を開き、
「そう、シャーレは赤黒く変色していたよ。毎回ね。こんな培養菌を入れた覚えは無いのに」
「向こうの、せかいでは、ナツキのゆめを、見るたびに、たぶん、赤黒く、なっていたんだ」
と僕が言うと、大和は勿論、両親の顔も豹変して、怖い顔つきになった。
お医者さんは小声で、
「ナツキさん、というのは、あの……」
と大和に耳打ちすると、大和は小さく頷いた。
するとお母さんが、
「そんなヤツも、覚えてしまっているのか……」
お父さんがフォローを入れるように、
「でも脳が正しく動いている、証拠では、あの、あるじゃないかっ」
と、どもりながら言った。
でも、
「僕、くわしくは、ナツキのこと、覚えて、いないんだ、これ、誰、なのかな……?」
重苦しい空気が流れて、みんな沈黙している。
大和は目配せして、両親も頷いたところで、大和が喋り出した。
「ナツキを、培養された思い出内で、見たのか」
低い声で、何だか僕を怒っているわけじゃないだろうに、叱られているような気持ちになる。
僕は「うん」と頷くと、大和は溜息交じりに、
「ナツキのことも見てしまうなんて。酷いことされたんじゃないか?」
僕はまた「うん」と相槌を打ち、生唾を飲み込んで、次の言葉を待っていると、大和は深刻そうな声で、
「オマエはソイツをかばって生死を彷徨ったわけだが、ソイツはオマエの自尊心を傷つけ、自己肯定感をゼロにして、自分に依存させるように仕向けさせた、最悪な元彼女だ。元彼女と言ってもいいのかどうか分からないけどな」
と言われた瞬間に脳内に今までの現実のナツキとの光景がフラッシュバックしてきて、多分だけども全て思い出したと思う。
大和は続ける。
「オマエのこと、救いたかったんだ。培養された楽しい思い出を見せれば生きたいと思って目覚めてくれる、と。でもまさかその培養した思い出にアイツが入り込むくらい傷ついていたんだな。でも大丈夫。これから俺と本当に楽しい日々を過ごしていこう」
気付いたら僕はボロボロと涙を流していた。
安堵なのか、それともナツキへの恐怖なのか、多分両方だと思う。
お母さんが寝ている僕のことを抱き締めるように近付いてくれて、何だか心が休まった。
その後は、お医者さんから最後に口頭での確認をしてもらって、大和だけ帰っていき、両親が僕の検査を見届けた。
その時にずっと両親から
「大和くんは本当に良い子だから」
「大和くんと一緒に頑張っていこう、俺も何かあればすぐに駆け付けるし、お母さんも二日に一回は来るようにするって」
「幼馴染に大和くんがいてくれて本当に良かったぁ」
「培養された思い出があったからこそ目覚めることができたという話なんだ。最新の技術はすごいよな」
みたいな話をしてくれたので、大和が親友ということは勿論本当で、そしてナツキという人間は本当に最低で最悪だったことが確定した。
そこから僕は日々、リハビリに邁進することになった。
目覚めて以降、培養された思い出を使うことはなかった。あれは少し過剰に出来ているので、目覚めたらもういらないという話だ。強い刺激で起こそうとした、みたいなところらしい。詳しいところは分からないけども。
またその時にも話したけども、本来培養菌の色が変わることは無いのにシャーレが赤黒くなっていたことは本当で、現実とリンクしていた部分もあって、本当に不思議な経験だったと思うが、もう見たいとはこれも不思議と思わない。
大和もお母さんも二日に一回くらい来てくれて、大和はリハビリを手伝ってくれて、お母さんは最近の話をずっとしてくれる。
僕はどんどん良くなっていき、ヨタヨタといった感じだけども一人で歩けるようになった時に、お医者さんとお父さんと大和の三人が部屋にやって来て、話し合いが行なわれた。
お父さんいわく「お母さんがいるとヒステリックになるかもだからな」と。何だか雰囲気も鉛のように重い。一体何なんだろうと思っていると、大和が口を開いた。
「泰我、落ち着いて聞いてほしい。実はあれから、泰我が目覚めなくなってからずっと、ナツキが病院の前に毎日立っているんだ」
・【07 現実の世界】
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「大和?」
目を開けるよりも先に声を出していた。
僕はいつの間にか病室のベッドの上で寝ていたみたいだ。
まぶたをこじ開けると、窓から光が差し込まれていた。
今までいた病室とはちょっと違う。
何故ならここは個室だったから。六人部屋のカーテンに囲まれた間の部屋ではなかった。
身体は最初の頃のように一切動かなくなっている。
指先も動かせず、あの時と違うところは何だか痛覚すらもないみたいで。
でも徐々に腰が痛くなっていき、結構というか、かなり腰やそれ以外にも脚や腕がズキズキしてきた。結局今は全身痛い。
「だれかー」
と、か細い声が出たような気がするけども、出ていなかったような気もする。
最初の”大和?”はしっかり出せたのに、今の”誰か”は間違いなく漢字にはなっていなかった。
何で今まで動けていた身体が全てリセットされたのか、理由が分からない。
なんとか首を動かそうと努力すると、枕元にシャーレのようなモノが見えた。
培養菌の色を確認すると、赤黒い一色になっていて、背筋がゾッとした。
というか赤黒い色って何だか地獄の血の池みたいな印象を受ける。
何であれが”正しい”と思っていたのか。こんなん絶対悪いヤツの色じゃないか。僕は何であんな勘違いをしていたのだろうか。
やっぱりナツキは悪い人間だったのでは、と思うものの、まだナツキという人間の全体像を掴めない気持ちではいる。
でもそれは決して恋仲だったんじゃ? とは思わず、ぼんやりと不安の塊、いいや不安の鉛といった感覚だ。
とにかくこの身体がまた動かなくなったことの説明をしたいし、受けたいし。
早く看護師さんは来ないかな。
そんなことを思っていると、ドアが開き、看護師さんがやって来たわけだけども、見たこと無い男性の看護師さんだった。
いつもの看護師さんのルーティンの中にはこんな人はいなかった。
僕はその人が来たところで、
「あ、あのー」
と声を出したら、その男性の看護師さんは目を丸くして、なんとそのまま腰から砕け落ちたのだ。
いや厳密には最後まで目で追えてはいないけども、尻もちをつくような音が鳴ったので、多分そうなんだと思う。
「起きたんですね!」
と言いながら立ち上がると、その男性の看護師さんはすぐに僕の横にきた。
「ナースコール押したんで、すぐに別の看護師さん来るんで、僕はお医者さん呼びに行きます」
と言うと、小走りで部屋から出て行った。
すると入れ替わりで別の男性の看護師さんと女性の看護師さんがやって来て、すぐに女性の看護師さんが、
「どこか痛いところ無いですか?」
と聞き、男性の看護師さんは首を横に振ってから、
「まずいつも通り体勢を変えてあげなきゃ」
と言うと、男性の看護師さんが優しく僕の身体を掴んで、
「では少し横にしますね」
と言って、体勢を変えてくださった。どうやらいつも定期的にこうしてくださっているみたいな感じがした。
僕は仰向けからドア側に顔を向けられて、シャーレとは背になり、そのまま寝ている。幾分身体の痛みが収まった気がする。いやそんな即効性、本来は無いと思うから気分の問題だと思うけども。
女性の看護師さんは何だかずっと慌てながら「あぁ良かった」「やっとだ」「本当にこうなるんだ」「嬉しい」と言っているだけで、何もしていないわけだけども、何だか嬉しい。
とは言え、今まで僕は動けていたはずなのに、何でこんな感じなんだろうとは思う。女性の看護師さんのリアクションから察するに、まるで初めて動き出したみたいな感じだ。
「おーい、泰我くーん」
知らない、結構年寄りそうな人の声だ。
走って僕に駆け付けたのは多分お医者さんだった。威厳がありそうな白いひげを蓄えている。
男性の看護師さんが僕の顔側にイスを置き、そこにお医者さんが座ると、
「泰我くん、よく起きたねー。大丈夫だよ、貴方はちゃんと生きています」
と言いながら、僕の手首に手を当てて、多分脈の確認をしているみたいだ。
「それではちょっと、横になった状態で。上半身をめくって、聴診器当てますよ。かなり冷たく感じるかもですが、耐えてくださいね。本来普通の温度ですから」
そう言うと、男性の看護師さんが僕の上体を軽く起こすように手で支えて、女性の看護師さんが僕の患者着をめくった。
お医者さんが聴診器を取り出して、僕の身体に当てると、確かにキンキンに冷たくて、ビックリしてしまった。
お医者さんはうんうん頷いてから、
「反応も普通ですねー、これはじゃあ段取り通りに」
と言うと、女性の看護師さんが首から下げていたスマホを操作し始めた。
この時にふと思ったことがある。
最初の頃ってこんな細かく僕のことを見ていたか? ということ。
何か、よくよく思い出そうとするんだけども、こんないちいち何かをやっていた記憶は無い。というか記憶も朧気。
お医者さんは優しい声で、
「体調を今一度確認してから、CTスキャンを行ないますので。いやそれはまあ親御さんの許可あってからですが」
と言ったところで、男性の看護師さんが多分僕の枕元のシャーレを手に取って、机のほうに置いたと思う。それかポケットに入れたのか。
お医者さんがゆっくりした言いっぷりで、
「何か喋れますか?」
「大和は、どこですか?」
と、大和という言葉だけはハッキリ発音出来たような気がする。
するとお医者さんが、
「おっ、大和くんのことも覚えていますね。記憶も良好そうですね。あぁ、大和くんはまた午後からお見舞いに来ると思いますよ」
僕は心底ホッと一息つけた。もしかしたら僕が大和を現実でも殺してしまっているかもと思っていたから。
大和は死んでいないし、普通に外で生活をしているみたいだ。良かった、本当に良かった。
女性の看護師さんが急に大きな声で、
「親御さん! 来ます!」
と叫ぶと、男性の看護師さんが「ちょっと声のボリュームっ」とツッコむように言った。
お医者さんは男性の看護師さんに、
「チェックシート、ゴメン、わたし焦っちゃって持ってこなかった。持ってきてくれるかな」
と言うと、男性の看護師さんは「引き出しの三段目ですよね」と言うと、お医者さんが「うん、そう」と答えた。
男性の看護師さんはドタドタと慌てるようにドアから出て行き、女性の看護師さんは部屋の隅にあったのか、お医者さんが座っているような丸椅子を三つ並べると、お医者さんが、
「大和くんも来るかもだから、もう一つ。あっ、別部屋から持ってきてくれるかな」
と言い、女性の看護師さんは「はいっ」と返事して、部屋から出て行った。
お医者さんはずっとニコニコしている。でもそれは患者を不安にさせないようにといった感じではなくて、心底嬉しそうな感じだった。
男性の看護師さんがすぐに戻ってきて「これですよね」と言いながら、お医者さんに渡すと「これこれー」と何だかウキウキといった感じに言って、少し可笑しかった。
そこから僕はお医者さんから質問を何個かされた。
でも全部当たり前のことで、両親の名前とか、大和のフルネームとか、そんなことで終わってしまった。
「ではゆっくりしていてください」
と言ったお医者さんは部屋から去っていき、イスを持ってきていた女性の看護師さんが、
「私、付きっ切りでいたほうがよろしいでしょうか?」
と僕に問うてきたんだけども、
「たぶん、だい、だじょうぶ、です」
と答えると、
「それでは」
と言って女性の看護師さんもいなくなった。男性の看護師さんもいつの間にかいなくなっていた。
何で僕は動けないんだろう、そんな簡単な疑問も何だか言うことが怖くて、聞けなかった。喋りも上手く出来ないし。
もしかしたら僕はまた寝たきりになってしまったのかもしれない。
でもそれだと、看護師さんやお医者さんが喜び過ぎなような気がする。また寝たきりになるかもとは思っていないような面持ちだ。
それとも科学的にもう僕が寝ることはありえないのだろうか。二回目は無いみたいな。
すると、何だかうとうとしてきて、いやこれ寝てもいいのかな? と思えてきた。
また目が覚めなくなって、寝たきりになって、身体が操作出来なくなるんじゃって。
でも何だか眠いたいし、身体も勝手にといった感じで目を瞑ると、遠くから声がしてきた。
「泰我、寝たの?」
大和の声だったので飛び起きるつもりで起きたけども、上体を起こすことは叶わなかった。
でも目を開けることは出来て、目を開けると、目の前の四つのイスに両親と大和とお医者さんが座っていて、お医者さんの横にさっきの女性の看護師さんが立っていた。
「泰我ぁぁああ!」
という声は両親と大和でユニゾンしていた。
僕は反射で「はい」と返事してしまうと、お母さんが「喋った!」とバンザイした。
お父さんが「ついに目覚めたんだ! ついに目覚めたんだ!」と言っていて、僕は内心小首を傾げていた。
だって僕、一回起きていたじゃん、二度目の目覚めじゃないのか? まるで最初に目覚めたみたいな。
僕のことをじっと見ている四人、これは何か喋ったほうがいいと思い、
「僕、にどめ、じゃない?」
と言うと両親は疑問符を頭上に浮かべるような顔をして、大和とお医者さんが顔を見合わせて頷き、大和が喋り出した。
「もしかしたら培養された思い出を見ていたんじゃないか? そのなんだ、これ、説明いるなぁ」
お医者さんも同調するように、
「そりゃ最先端の技術だから説明がいりますよ」
そこから培養された思い出について説明をされた。シャーレを枕元に置くと、培養された思い出が見れるという話。
というか、
「そのせつめいは、されたし、僕、いっぱい、なんども、なんども、みてきたよ。大和とも、かいわしたし」
大和とお医者さんは目を丸くして、両親は大和とお医者さんのほうを見ている。
大和が深呼吸してから喋り出した。
「つまり、泰我は培養された思い出内で培養された思い出を見ていたんだ。泰我、その思い出は全部夢で、今こそ現実で、泰我は今日、初めて目覚めたんだよ」
今度は僕が目を丸くしたと思う。
そうか、何か最後のほう、全てを夢みたいに感じていたけども、あの日々は夢だったのか。培養された思い出というか。
じゃあ僕が目覚めたのは、これが本当の一回目……!
お医者さんは頷きながら、
「このあたりのことも擦り合わせていきましょう。それではお父さん、お母さん、CTスキャンなどの検査の話ですが……」
そこから僕を目の前に、検査や経過観察の方向性の話をし始めた。
僕も「嫌だったら言ってください」と言われたけども、普通の手順だと思うし、別に専門知識も無いし、全てを受け入れることにした。
お医者さんや大和が専門的なことを交えて話していくうちに大体のことが分かってきた。
僕は植物人間になっていて、培養された思い出をシャーレが完成する度に見せていたという話だ。
話の終盤っぽいところで、ふと僕は、
「シャーレ、赤黒く、なっていた?」
と聞くと、お医者さんが天井まで飛び跳ねそうなくらい驚いた顔をして、大和も神妙な面持ちになった。
大和がゆっくりと口を開き、
「そう、シャーレは赤黒く変色していたよ。毎回ね。こんな培養菌を入れた覚えは無いのに」
「向こうの、せかいでは、ナツキのゆめを、見るたびに、たぶん、赤黒く、なっていたんだ」
と僕が言うと、大和は勿論、両親の顔も豹変して、怖い顔つきになった。
お医者さんは小声で、
「ナツキさん、というのは、あの……」
と大和に耳打ちすると、大和は小さく頷いた。
するとお母さんが、
「そんなヤツも、覚えてしまっているのか……」
お父さんがフォローを入れるように、
「でも脳が正しく動いている、証拠では、あの、あるじゃないかっ」
と、どもりながら言った。
でも、
「僕、くわしくは、ナツキのこと、覚えて、いないんだ、これ、誰、なのかな……?」
重苦しい空気が流れて、みんな沈黙している。
大和は目配せして、両親も頷いたところで、大和が喋り出した。
「ナツキを、培養された思い出内で、見たのか」
低い声で、何だか僕を怒っているわけじゃないだろうに、叱られているような気持ちになる。
僕は「うん」と頷くと、大和は溜息交じりに、
「ナツキのことも見てしまうなんて。酷いことされたんじゃないか?」
僕はまた「うん」と相槌を打ち、生唾を飲み込んで、次の言葉を待っていると、大和は深刻そうな声で、
「オマエはソイツをかばって生死を彷徨ったわけだが、ソイツはオマエの自尊心を傷つけ、自己肯定感をゼロにして、自分に依存させるように仕向けさせた、最悪な元彼女だ。元彼女と言ってもいいのかどうか分からないけどな」
と言われた瞬間に脳内に今までの現実のナツキとの光景がフラッシュバックしてきて、多分だけども全て思い出したと思う。
大和は続ける。
「オマエのこと、救いたかったんだ。培養された楽しい思い出を見せれば生きたいと思って目覚めてくれる、と。でもまさかその培養した思い出にアイツが入り込むくらい傷ついていたんだな。でも大丈夫。これから俺と本当に楽しい日々を過ごしていこう」
気付いたら僕はボロボロと涙を流していた。
安堵なのか、それともナツキへの恐怖なのか、多分両方だと思う。
お母さんが寝ている僕のことを抱き締めるように近付いてくれて、何だか心が休まった。
その後は、お医者さんから最後に口頭での確認をしてもらって、大和だけ帰っていき、両親が僕の検査を見届けた。
その時にずっと両親から
「大和くんは本当に良い子だから」
「大和くんと一緒に頑張っていこう、俺も何かあればすぐに駆け付けるし、お母さんも二日に一回は来るようにするって」
「幼馴染に大和くんがいてくれて本当に良かったぁ」
「培養された思い出があったからこそ目覚めることができたという話なんだ。最新の技術はすごいよな」
みたいな話をしてくれたので、大和が親友ということは勿論本当で、そしてナツキという人間は本当に最低で最悪だったことが確定した。
そこから僕は日々、リハビリに邁進することになった。
目覚めて以降、培養された思い出を使うことはなかった。あれは少し過剰に出来ているので、目覚めたらもういらないという話だ。強い刺激で起こそうとした、みたいなところらしい。詳しいところは分からないけども。
またその時にも話したけども、本来培養菌の色が変わることは無いのにシャーレが赤黒くなっていたことは本当で、現実とリンクしていた部分もあって、本当に不思議な経験だったと思うが、もう見たいとはこれも不思議と思わない。
大和もお母さんも二日に一回くらい来てくれて、大和はリハビリを手伝ってくれて、お母さんは最近の話をずっとしてくれる。
僕はどんどん良くなっていき、ヨタヨタといった感じだけども一人で歩けるようになった時に、お医者さんとお父さんと大和の三人が部屋にやって来て、話し合いが行なわれた。
お父さんいわく「お母さんがいるとヒステリックになるかもだからな」と。何だか雰囲気も鉛のように重い。一体何なんだろうと思っていると、大和が口を開いた。
「泰我、落ち着いて聞いてほしい。実はあれから、泰我が目覚めなくなってからずっと、ナツキが病院の前に毎日立っているんだ」



