培養された思い出


・【04 大和のお見舞い】


 朝の、手をグーパーするリハビリを終えたところで大和がやって来た。
 やって来るなり大和が、
「早くいろんな食べ物食べられるといいな。そうしたら最高のフルーツをお見舞いに持ってくるよ」
 と快活に笑った。
 やっぱり大和の顔を見ると落ち着く。ずっと見たかった顔なんだから当たり前か。
 僕はとりあえず今日の夜に見た、培養された思い出の話をした。
 二人三脚のくだりは二人で笑い合っていたんだけども、医務室のくだりになったら、急に不快感を露わにした大和が、
「そんな女子いないって言ってるだろ」
 僕は矢継ぎ早に、
「でもナツキって、呼ばれていたし」
「そんなヤツはいないんだよ!」
 と急に激昂したので、僕はおののいた。
 大和は続ける。
「いいか! そんなヤツはいない! そんな存在しないヤツのことは忘れろ! 楽しい培養された思い出だけ見ていればいいんだ!」
 でも、と思ってまたシャーレの赤黒い斑点の話をすると、大和は苦虫を噛み潰したような顔で、
「これは何か、上手く、作用しなかったところもあるんだろう、でも大体大丈夫だ」
 と言いながらシャーレは即座にバッグに片付けて、新しいシャーレをまた二個出した。
「これがお昼寝用」
 と言って見せてくれたシャーレは白色と濃い目の灰色の培養菌があり、
「これが夜用」
 そっちのシャーレは木目のマーブル模様みたいな培養菌だった。
 やっぱり赤黒い斑点はまだ無い。一体あれも何なんだろうか。
 大和はまだ少し不機嫌な感じが残っている声で、
「もしかしたら夕方にももう一回来れるかも」
 と言ったので、僕はこんな感じなら来てくれなくても、と思っていると、大和が柔和な顔つきになり、
「俺、やっぱり泰我のことが心配だからさ」
 と言ってくれて、何だか心が温まった。
 やっぱりそうだ、大和は僕の親友の”はず”だ。
 大和とはそのあと他愛も無い会話をして楽しんでから、いなくなったわけだけども、いなくなった直後にとあることを思った。
 何で僕は大和のことを親友の”はず”と思ったのだろうか。
 まさかと思うけども、僕に大和なんて親友、実はいないのか?
 何だか大和そのものが夢のようにふわふわしているように感じる時がちょっとだけあって。
 これは僕の記憶がまだ曖昧なのか、それとも……いやでも両親も公認みたいな感じだったし、でも洗脳されていたら?
 いやいやそんな非科学的な、でも、そもそも培養された思い出というのも非科学的なのでは? 何だかおかしくないか? 本当にいろいろ、と。
 何だか分からなくなってきた。僕は本当に大和と親友関係だったのだろうか?
 同時にあのナツキという子が自分と近しい存在だったような気もしてくる。
 本当は大和が部外者で、ナツキが僕と親しい存在だったのでは? でもじゃあそれならナツキが僕に会いに来るはずでは? 大和がナツキを邪魔している? いやもう訳が分からない。
 だって大和の表情を見ると、本当に僕と親しかった感じがして、本当に僕のことを心配してくれているような気がして。
 でもそれはストーカーのような存在もそうなる(そうする)んじゃないか?
 大和は僕のストーカー? 両親も公認の? 両親は騙されている? 大和と過去に仲良かったことは事実だけども、両親は本当の今の関係を知らない、みたいな?
 何だか自分の脳が分からなくなる。大和が分からないのか? ナツキが分からないのか?
 一体何がどうなのか、この病室から動くことのできない僕は全然分からない。
 お昼寝の時間になり、看護師さんからお昼寝用のシャーレを耳元に置いてもらった。
 まず第一に、長らく寝ていてやっと起きたばかりなので、身体に一旦寝て起きるということを慣れさせるため、お昼寝はしたほうがいいという話だ。勿論、急に身体を動かし続けるのは負担なので、どこかでしっかり休んだほうがいいという意味合いもあり、また人間は寝ている時に記憶や技術の定着が行なわれるらしいので、リハビリ内容をしっかり身体に定着させるためにも必要らしい。
 シャーレは拒まなかった。培養された思い出を見ると身体の操作性が上がるし、何よりもこれを見ないと、僕と大和とナツキの本当の関係性が分からないからだ。虎穴に入らずんば虎子を得ずというヤツだ。
 お昼寝をすると、すぐに別の空間になり、つまりそれが培養された思い出の中で、僕は中学二年生になっていた。その感覚はしっかりする。
 同じサッカー部である大和と一緒に後輩の世話をしているみたいだ。
 そう言えば、大和も僕もサッカー部だったなぁ、と思い出をしがむ。
 大和は研究ばかりするほうではなくて、ちゃんと部活に入っていた。
 それは確か、僕がサッカー部に入ると言ったから、というのも確かあって、それがたまらなく嬉しかった記憶がある。
 そうだ、やっぱり僕と大和は親友だよ、違うのならこの記憶はなんなんだという話だから。
 でもそれさえも作られた記憶なら……そんなん言い出したら何でもそうで、何でもありなことは考えても仕方ないので、まずはこの現状に集中することにした。
「というわけで次はラダーの準備の仕方だけども」
 と後輩にゴム製のラダーを綺麗に敷くやり方を大和が教えていて、それを僕が横で見ている。
 そう言えば僕って人見知りというか、引っ込み思案なところがあるんだった。
 後輩の世話とかは大和がやってくれるんだなぁ、やっぱり面倒見が良くて良い人だ。
 すると僕は後ろから女子に話し掛けられて、一瞬ドキッと強張ってしまうと、その女子はナツキじゃなくて、どうやら先輩の女子っぽい。
「泰我くん、ちょっと暇そうだから用具室の片付けするの手伝って。別のラダーも持ってきたいし」
 どうやら女子マネージャーっぽい。
 僕は大和に断りを入れてから、その女子マネージャーの先輩と一緒に、体育用具室に入っていき、用具の入れ替えをし始めた。
 僕は用具を持っているという感覚はあるけども、それが何の用具かはイマイチ分からない。用具がボヤけているように見える。
 やっぱり夢の中というか、不確かな世界なんだなということを実感する。
 女子マネージャーと一緒に用具を持ったり置いたりしている感覚はあるけども、それが何なのかは分からない。サッカーボールではなさそうだけども。
「それはそっち置いといて!」
 と言われて、身体が勝手に動くかのように、何だか分からないモノを僕は言われた通りに移動させた。
 女子マネージャーの子もせめて物の名前を言ってくれればいいのに。
 もしかしたら現実の僕が知らないモノなのかもしれない。あくまで僕の記憶の中にあるモノしか表示されていない、みたいな。
「じゃ戻ろうかっ、わたしはついでに部活関係無い担任の先生のところへ行くから、泰我くんはこのラダーを持ってそのままグラウンドに戻って」
 そう言われて僕の前をつかつかと歩いて行ったその時だった。
「泰我くん、その女なぁに?」
 ねっとりとした、まとわりつくような嫌な声、振り返るとそこには案の定、ナツキがいた。
「あの女ホント何?」
 そう言いながら僕に近付いてきて、なんとノータイムで僕の足を蹴ってきた。女子の蹴りとは思えないほどの攻撃力の高い蹴りだ。じんじんと痛みが響く。
「ねぇ、ねぇ、ホントなに? あんなアバズレと一緒にいないでよ」
「女子マネージャーの先輩だってば」
 と僕が答えても足を踏んだり蹴ったり。
 一体何なんだ、この嫉妬の強さは……と思った時に目覚めていた。
 すぐにシャーレを確認すると、また無かったはずの赤黒い斑点が出ていた。
 でも何だろう、段々あのナツキという子のことが気になってきた。
 同時にやっぱり何だか見覚えがあるというか、まるで本当にその女子と付き合っていたような感覚がする。
 じゃあ同級生ではあるんじゃないか。最低でも毎日顔を合わせていたんじゃないか。そんな気がする。
 夕方頃に、もう一度来た大和にナツキという同級生がいたよね、というような話をすると、またしても怖い表情で、
「そんなヤツはいない」
 と断言してきた。
 でもさすがにそれはありえないと思う。
 僕は食い下がるように、
「大和とは仲が悪かったかもだけども、同じ学校にはいたんだよね?」
「いいやいない! ナツキなんて女子はいない!」
「ホント? おかっぱの黒髪で、背は女子にしては高めでさ」
「いないって! そんなヤツ! 忘れてくれ! 泰我! 今まだ泰我は脳が混乱しているんだ! そんな女子はいない!」
 ……もし、僕の脳が混乱しているのなら、大和、本当に僕の親友なのか?
 そんな頭ごなしに否定しているけども、それが僕の親友なのか? 一緒に考えてみようとか、そういう風にはならないのか?
 大和とはその後ちょっとした雑談をして、バイバイした。
 どこか大和に対して疑心が芽生えてきた。
 実際見ている僕を否定するような、金切り声でさ。
 僕のことをあそこまで執着しているナツキがいない存在? そんなはずないでしょ。
 雑談中は柔和な笑顔で大和は接してくれるけども、何だか奥底の感情と勘定が見えないよ。
 もしかするとこのシャーレで、培養された思い出で僕を洗脳しようとしている? 赤黒い斑点は僕の心からの反旗なのかもしれない。
 培養された思い出をこれからも見続けるか、それとももう拒否するか、いやでも見る。
 それはあの時に自分で決めた結論から変わっていない。
 ”培養された思い出を見ると身体の操作性が上がるし、何よりもこれを見ないと、僕と大和とナツキの本当の関係性が分からない。虎穴に入らずんば虎子を得ずというヤツだ”ということ。
 僕は改めて自分に強い意志を持って、培養された思い出に挑むことにした。
 夜に看護師さんからセットされた培養された思い出をまた見ている。
 大和や白樺、鶴橋と一緒に教室で他愛も無い会話をしている。
 大和がいつもの感じで、
「本当、久保庭選手ってすごいよな、ついにバルサのエースだってさ」
 白樺が同調するように、
「そうだなぁ、子供の頃からすごいと言われていた選手がそのまま大成するって珍しいよな」
 大和は眉毛を上げて、これから冗談言いまっせみたいな顔すると、
「俺なんてバルサミコ酢のエースにしかなれないからなぁ」
 僕は即座に、
「カルパッチョの鯛?」
 と何か無意識に口から出ていた。
 いや自分が思い浮かんで言った感じはするけども、どこか仕組まれているような気持ちだ。
 大和はチッチッチと舌を鳴らしてから、
「水菜」
 と言うと、僕より先に鶴橋が、
「全然エースじゃねぇわぁっ!」
 と身体を少し反りながら言った。
 僕はちょい足しするように、
「海外のカルパッチョに水菜無いでしょっ」
 白樺は少し自分の声を強調するように、
「おれはクルトン」
 僕はすかさず、
「邪道のカルパッチョだよ、クルトン入れるのは」
 とツッコんだ時に思った。
 やっぱりこの四人でいることって楽しいって。
 でも楽しいと思いこまされているのかもしれない、いいや、それでも楽しい、芯から楽しい。
 悪意が一切無い仲良し四人組って感じがする。それなのにどうしてもナツキのことが気になってしまう。
 こんな平和な世界だからこそ、僕にあんな悪態をついてくる子の気持ちを知りたくなってしまう。
 いや、そうだ、今こそ話題に出してみよう、大和が次のボケを繰り出す前に。
「そう言えばさ、同級生にナツキっているじゃない」
 大和は明らかに不快そうな顔をして、白樺はそんな話いいじゃんみたいな顔で、鶴橋は「まあ」と頷いた。
 やっぱりそうだ、同級生にナツキがいないわけじゃない。少なくてもこの培養された思い出の中にはいるんだ。
 そしてこの培養された思い出を作り上げているのは大和だ。じゃあ大和だってナツキという同級生がいることは分かっているんじゃないか?
 大和は”培養された思い出”と言っている。つまり培養するための元ネタがあるはずだ。その元ネタはやっぱり大和の思い出から抽出していると仮定することが普通だろう。
 つまり最悪僕とナツキは同級生じゃなくても、大和とナツキは同級生のはずだ。だから大和がナツキを知らないなんてありえない。僕は実は大和ともナツキとも違う中学校の可能性はあるけども、大和とナツキは絶対一緒の中学校で同級生のはずだ。
 いやいや脳内で反芻していないで話を続けよう。
「ナツキのこと、みんなどう思う?」
 大和は矢継ぎ早に、
「俺は嫌いに決まってるよ、泰我も実際そうじゃないのか?」 
 白樺は面倒クサそうに、
「その話、今必要? おれのバルサミコ酢トーク遮ってまですることぉ?」
 鶴橋は溜息をつくだけで何も言わなかった。
 でもみんな本当に嫌いっぽかった。
 僕はその事実に何だか不快だ。何でそんな毛嫌いするんだと思ってしまう。
 僕はナツキの抉るようなイタズラも何だか心地良く感じる時もあって。懐かしいという思いが一番なのかもしれない。 
 すると鶴橋が、
「そだ、次移動教室じゃない?」
 と言うと、白樺が「そうじゃん!」とデカい声を出してから、みんなそれぞれの席に戻って、教科書とノートと筆箱を持つ。
 僕もそれにならってというか、勝手に身体がなんとなく動いて、自分の席だと思われるところから道具一式を持つ。 
 そうだ、僕ってこんな簡素な筆箱使っていたわ、と思い出す。筆箱に個性出すことはカッコ悪いとか思っていたかも。人が個性ある分は全然気にならないんだけどもね。
 移動しなきゃと思って廊下に出た瞬間に、僕は誰かに腕を引っ張られて、それがナツキで、
「今日はもういいじゃんね」
 と言われて、あれよあれよと誰もいない教室に連れていかれて、僕はそこで思い切りキスをされた。
 前の時は鼻息が掃除機の排気口みたいに思ったけども、今は少しだけ嫌過ぎはせず、古い暖房の吹き出し口のような生暖かさといった感じだ。
 ヨダレの匂いも前ほど不快じゃない、ねちゃねちょ音がするけども、水分が跳ねる音と思えばそこまで変な感じがしない。
 だからって気持ち良いとか、嬉しいとか、そういう感情は出ないけども、きっとだけども、ナツキが僕のことを好きだということは分かった。
 それが何だか心が躍るというか、本当に僕のことを思ってくれていて嬉しいというか。
 ナツキは僕の学ランのボタンを外し、Yシャツのボタンも乱暴に取り、露わになった僕の胸板を甘噛みするように唇を這わせてきた。
 小学校の頃、サッカーでだいぶ筋肉痛になった時に、吸う機械でマッサージされたけども、あれに似ている。
 吸われて肉が集約されたところで甘噛みされて、痛いけども、勿論痛いけども、同時に本当に好きなんだなと伝わってくる。
 だってお風呂に入ってもいない男子の身体にこんなことをするなんて好きじゃないと出来ないでしょ?
 こんなに愛されているなんて幸せだ、と、うっとりしていたその時だった。
「やめろ! こんなこと! もう授業始まってるぞ!」
 怒鳴り声を上げた人物は大和だった。
 大和が顔を真っ赤にして、僕からナツキを力いっぱい引き剥がし、ナツキは尻もちをついた。
 ナツキは舌打ちしながらすぐにその場を去り、大和はポケットからタオルハンカチを出して、中腰になって僕の身体をごしごしと拭きながら、
「やらされるままになるなって! 嫌だったら嫌って言ったほうがいいに決まっているんだからな!」
 と心配そうな面持ちで、僕を見上げた大和。
 一生懸命、腰を入れて身体を拭いてくれていたから、上目遣いになっている。ちょっとだけ瞳が潤んでいるようにも見える。
 この時に僕はもっと自己主張すれば良かったと後悔した。
 そうだ、するにしてもこんな授業を抜け出してじゃないし、そもそもやっぱり結構痛くて嫌だったかもしれない。跡も残りそうだし。
「ゴメンなさい……」
 と先細りの声で僕が応えると、
「とにかくなし崩しは良くないからな! 泰我は優し過ぎるんだ! もっと自分の意志を強く持ったほうがいい!」
 大和の心配そうな顔を見て、やっぱり親友は親友なのかもしれないと思い直した。
 というか意志を持って培養された思い出を見ると意気込んでいたのに、培養された思い出の中の大和から意志を強く持ったほうがいいなんて言われて滑稽だ。
 僕は身体を拭かれながらいろいろ反省していると、気付いたら朝になっていた。
 上体を起こして、大きく伸びをした時に気付いた。
 伸びの動作が出来るようになっているって。
 試しに膝を立てて体育座りをしようとすると、それも出来て、じゃあと思って、ベッドから足を出して、地面に足の裏をつけて、立とうとしたら……立てた!
 これ! まさしくあれだ! 吸う機械のマッサージをしてもらったら、なんとか立って動けるようになって家に帰ったヤツだ!
 ただまだ歩けるイメージは湧かなくて、そこは違う感じがして、すぐにベッドに座ったけども、本当にどんどん良くなっていっている。
 ふとシャーレを見ると、また赤黒い斑点が出ていたけども、今までよりも少なめだった。
 朝にやって来た看護師さんに『立てるようになった』と示すと、大喜びしてくれた。
 朝の九時頃にまた大和がやって来た時に、僕はもう一度しっかり、出来るだけ冷静に問うことにした。
「ナツキという同級生はいたんだよね? 培養された思い出の中に設定したつもりは無いんだろうけども、培養された思い出に出てくるんだ。多分だけど、その赤黒い斑点が出た証だと思うんだ。昨晩のヤツは割かしナツキの存在感が弱くて、むしろ大和の良いところが詰まっていて。だから赤黒い斑点が少なくて、と思うんだ」
 今まで大和は頭ごなしに否定してばかりだったけども、今日は熟考しているようだった。