・
・【02 培養された思い出】
・
この培養された思い出はいわゆる明晰夢に近いのかもしれない。
この夢の中で僕は、僕が思った通りに身体が動かせている。軽く声を出そうとすると「あ」と普通に声を出せるようで、リハビリでなんとか指を動かせるようになった僕とは段違いの”操作性”だ。
というかこの感覚を思い出すこと自体、リハビリとして成立しているということなんだろう。大和が作った培養された思い出というものは想像以上にすごいものなのかもしれない。
とは言え、今はいつだろう、何だろうか、夢の中ということもあり、遠くの景色は朧気に揺れている。
周りを見渡すと、バスが何台も止まっている駐車場で、少し先を見ると山の麓っぽい。遠足かハイキングか何だろうか。
するとあの頃の、若いというのも変だけども、中学一年生の時の大和が僕に対して手を振りながら近付いてきて、
「ゴメン、トイレ何か混んでいて! 他クラスの連中、めっちゃトイレ派だったわ!」
と言ってきて、
「トイレを催したからって、トイレ派なわけではないでしょ」
と自然とツッコミのような言葉が出た時に、なんとなくあの頃に戻ったんだという錯覚が脳内で起きた。
いや決して戻ったわけじゃないんだろうけども、本当に当時の大和との空気感というか。
大和がわざとボケて、それを僕がツッコんで。そんな会話を僕と大和はしていた。
あの頃から大和いわく、お笑いは脳を活性化させることにすごく良いと言っていて、だから不必要なほどに大和はボケていたなぁ。
大和は僕に向かって快活に、
「じゃあリンカーン学校で、ハイキングをクリアして、人民の人民による人民のためのカレー作りをしようぜ!」
リンカーン学校、あぁ、これ林間学校か。
やっぱりあの頃に戻ったという言葉は適切じゃない。
確か、林間学校には僕は行っていない……いや行ったっけ? ちょっと記憶が曖昧というか思い出せないような感覚。
まあ夢の中だから完璧に自分を扱えるわけじゃないということかな? とか思っていると、大和が、
「ちょっとぉ、ボケを拾ってくれよ! 落穂拾いのようにさ! カレーの!」
「いやミレーね、林間学校のカレーを楽しみにし過ぎでしょ」
「それそれー!」
と大和は嬉しそうに笑った。
でも、というかこの大和のおかげで、脳内はどんどんクリアになっていくような気がする。
お笑いが脳を活性化させているわけじゃないけども、大和のクイズのようなボケに対して思考することにより、当時の”早さ”に戻っていっているような気がする。
僕と大和は一緒にハイキングをスタートさせた。
緑が萌え始めた五月頃だろうか、吹く風は爽やかで、清々しい気持ちになる。
歩いている最中、ずっと大和がボケている。
「こういう芽吹いてきた葉っぱもさ、全部食べることができたら、どんなに食費が浮くか」
「味と栄養素も重要だよ」
「でも浮いた食費でめっちゃデカい気球が買えるかも」
「浮くという言葉に執念があるの?」
培養された思い出かぁ、中学一年生から始まっているということは僕が経験するはずだった未来の光景が映し出されるのかな。
そうだったら、ちょっと面白そうな半面、眠りから起きた時に『あぁ、培養された思い出だったのか』と虚しくならないかな。
いや虚しくはなりそうだけども、それ以上にこうやって脳を活性化して、自分の身体の操作感覚を取り戻すにはいいのかもしれない。
大和は相変わらずボケる。
「というかカレーのルー、どこのメーカーかな? 聞いたこと無い安いメーカーなら異議申し立てようぜ」
「どこに異議申し立てるの? そんな公式にやるの?」
「いやだって、ハウスじゃなくてハウフルスって名前だったら嫌だろ?」
「タモリ倶楽部とか作っていた制作会社のカレー?」
「お尻振っているパッケージでさぁ」
「完全にタモリ倶楽部じゃないか。確かにカレーとお尻は一緒にしてほしくないけども」
「類似タレントの回だからな」
「タモリ倶楽部の類似タレントを集めた回じゃなくて。カレーとお尻を類似で繋げてほしくないという話なのに」
まるで僕はそのままこの中学一年生の世界を生きているような感覚だ。
大和は本当に僕の目の前にいるように喋ってくる。
「そうそう泰我、カレー作る時はどうやら包丁というものを使うらしいから、ふざけたらダメらしいぞ」
「包丁は知らない道具じゃないよ、どうやらとか言わないものだよ」
「ヒント、切れる」
「答えだよ、いや正確には切るだけども」
「腰を引くといいらしい」
「それは包丁を使うのが怖い人ね、包丁は引く時に切れる力が最大限になる、が答えだね」
「ジョーカーだけは引くなよ」
「トランプ状じゃないよ、意外とババ抜きのルールの時だけだからね、ジョーカー引いちゃいけないのは」
「もしかすると泰我って、ポーカーに目覚めた? プロ目指す?」
「ポーカーに目覚めたからジョーカー引いて大きな役を作りたいなぁ、じゃなくて」
こういう他愛のない会話が僕も本当に好きだったなぁ、と改めて思う。
大和は楽しそうに、
「そうかぁ、ジジ抜き派なのか、泰我は」
「ジジ抜きにジョーカーのくだりは無いよ」
「でも時事問題も大切だぞ」
「ジジ抜きのジジが時事問題のジジになっちゃった」
「お水、大切に……とか」
「0点の標語?」
「俺の新作だよ、敬っていいぞ」
「なによりも0点の標語過ぎるよ」
そんなこんなで山登りはすぐに終わったように感じられたんだけども、実際すぐ終わったんだと思う。
なんというかちゃんと一歩一歩歩いている感覚はあるけども、道中の進みがどこか早回しというか、いや感覚としては途切れ途切れになっているような感じ。一分送りをした動画のように、気付いたら次の場面になっているような。
山頂には宿泊施設があり、その各部屋に荷物を置いたような気はしているけども、置いた描写というか、置いたという明確な記憶自体は無い。
いつの間にか夕暮れになっていて、どうやらそれぞれの班でカレーを作るらしい。
僕は話の前後というか、どういう班でカレーを作るかどうかは分かっていないはずなのに、分かっている感覚。
大和の他に、同級生の白樺や鶴橋と一緒にカレーを作るみたいだ。
白樺が僕に、
「じゃあ泰我は具材を包丁で切って」
そう言えば、僕と大和は名前呼びで、他の友達は苗字呼びだったなぁ、とかそんなことを思い出す。
確か白樺が『俺や鶴橋は苗字がカッコ良くて、大和や泰我は名前がカッコイイからそうやって呼ぼうぜ』と友達になった初期の頃に言っていたような。
僕は包丁を使って、鶴橋が皮を剥いた野菜をカットしていった。
ちょっと僕が一人だけで作業しているような感覚になった時、別の班の女子なんだろう、でもあんまり記憶に無い女子が話し掛けてきた。
「泰我くん、ほらほら」
この女子、本当に誰だっけ。同じクラスメイトだったような気がするけども、何だか全然思い出せない。
まるで思い出せないようにロックがかかっているくらいの感覚だ。
その女子が「ほらほら」と言ったので、近付いてみると、急にその女子は持っていた包丁をこっちに突いてくるような動きをしたので、僕は、
「わっ」
と驚いてしまうと、その女子はニヤニヤ笑いながら、
「ビビッてやんのぉ~」
とバカにするように言ってきて、さすがに、と思って、
「こんなんやられてビックリしない人なんていないよ」
「うぇ~い」
と言いながら、今度はもっと深く、僕の心臓の手前まで刺すような動作をしてきて、僕はハッキリ言ってかなり不快な気持ちになった。
そもそも会話が成立していない。自分のやりたいことをやっているだけみたいな、かなり身勝手な女子だ。一体何なんだ。
包丁を肘の高さよりも高く持つのもアレだし、常識が無さ過ぎる。
まあもう無視しようと思って、踵を返して、自分の机に戻ろうとすると、
「ホント、ゴメン。こっち見て」
と言ってきたので、まあ見るだけ見てあげるかと思って振り返ると、なんと、その振り返った顔の先に包丁を突っ立てていて、
「ヤダぁ~、危なぁ~い」
と言ってケタケタ大笑いした女子。
なんて危険なイタズラをするんだ、さすがに度が越えている。
僕はイライラしながら、もう完全に無視を決め込んで、自分の机に戻って作業を再開した。
そこから何回かその女子から声を掛けられたけども、ずっと無視していた。
というか培養された思い出なんだよね、これ。
こんな思い出をわざわざ作らなきゃいいのに。
でも大親友の大和がこんな思い出をいちいち作り出すとは到底思えなくて。
何か、ちょっとミスったのかな? まあ培養された思い出なんて新技術だろうし、脳科学の研究をずっとしている大和と言っても、まだ大和も十八歳だし。
気付いたらカレーは完成していて、僕と大和と白樺と鶴橋で美味しくカレーを食べていた。
ずっと白樺が「ご飯のほうは結構焦げちゃったなぁ……」と反省していたけども、白樺がドジするのも何か懐かしくて、すごく楽しかった。
朝目覚め、すぐに僕は心持ちだけでも背中を伸ばしたくて、
「う~~~~ん」
と言った時に気付いた。僕、声を発せているって。
「えっと、本当に、あの、出てる……」
まだ喋ることに慣れていなくて、途切れ途切れになってしまったり、ちょっと吃音気味だったりするけども、確かに喋れるようになっていた。
この培養された思い出って、効果が本当にすごい。大和って本当に天才にそのまま成長したんだ、と感心した。
試しに仰向けから横になれるかどうか試してみると、なんとゴロリと横になることもできて、僕は自分でやって自分で驚いた。
その時にシャーレが目に入ったわけだけども、なんと昨日までは緑と茶色しかなかったはずなのに、何だか赤黒い斑点が出現していて、ちょっとゾッとしてしまった。
確かこんな斑点無かったはず……まあ培養された思い出、と言っているから、これの中身って何らかの培養菌みたいなことで、時間が経って変容したのかな、って。
さて、そのことはいいとして、じゃあ上体は起こせるかな、と思ったんだけども、上体を動かすことはまだ出来なかった。でもこれは相当な進歩だ。
僕は看護師さんが見回りに来るまで静かにしていた。
看護師さんが来て、僕の身体を起こしてくれて、今日から朝ご飯を食べることになった。
最初はお粥というか、おも湯というか、米を液体状にしてお湯で煮た食べ物だった。ちょっとだけ塩味がついている感じ。
久しぶりに口から食べ物を摂取したという事実に感動ばかりして、あんまり味の深みというものは分からなかった。香りも覚えていない。まあたいした香りも深みも無かったんだろうけども。
朝九時頃になり、また大和が来てくれた。
僕は即座に、
「大和、高校、いいの?」
と話し掛けると、大和は目を丸くしてから、
「喋られるようになったのか!」
「多分、培養、された、思い出の、おかげで、喋る、感覚、思い出した、かも」
「そっかそっか! でもまだ動きたてだから、あんまり喋んないほうがいいらしいぞ! 喉の負担になるし!」
「それは、聞いて、いる」
「で、そうだな! 俺の学業の話だな! 俺は今、大学生でまあなんというか、これも仕事というか勉強の一環として教授が認めてくれているから俺の心配は全然しなくて大丈夫だぜ!」
そうサムアップした大和。
そっか、大学生なら確かにその辺、柔軟なのかもしれない。まあ僕は大学生について何も知らない中学生の頭脳しかないから、実際のところは分からないけども。
とにかく大和が大丈夫と言えば大丈夫なんだろう。大和は同じ中学時代から、頭脳レベルが全然違ったし。
そうだ、あまり喋らないほうがいいと言われても、このことだけは僕は喋りたいので、
「培養、された、思い出に、何か、おかっぱの、女子が、出てきたけど、あれは、誰だっけ?」
さっきまで快活な笑顔だった大和の面持ちが一気に曇った。
一体何なんだろうか、と思っていると、大和はだいぶ低い声で、
「そんな女子はいない。俺と白樺と鶴橋だけだっただろ、登場人物は」
「うん、基本は、そうだけども、おかっぱの、女子も、いたよ、何か、包丁で」
とまで僕が言ったところで、大和は強引に割って入ってきて、
「いない。そんな女子はいない。俺はそんなモノ培養していない」
あまりにも語気を強めて断言するので、内心ビビってしまい、話を少し変えようと思って、
「シャーレの、中、赤黒い、斑点が、できて、いる、けども」
大和はまるで盗み取るように素早くシャーレを持って、自分のバッグに入れると、
「ちょっと不具合が出たかも。まあ気にする必要は無いさ」
と、やや柔和な声でそう言ったので、それはまあ良かったんだけども、やっぱり、
「でも、その、おかっぱの」
「いない! そんな女子はいない!」
まるで僕を睨むような面持ちの大和。
僕は生唾を飲み込み、黙っていると、大和が、
「悪い。大きな声を出して。でも本当にそんな女子はいないんだ、泰我も強く、いなかったと念じてほしい」
いなかったと念じてほしいということは、本当はいるということなんじゃないかな?
でも大和が相当嫌がっているようなので、この話はもうしないことにした。
「というか、大和、大和の、現実の、話も、して、ほしい。もう僕、黙って、いる、から」
「そっか! 昨日泰我の両親の話ばかりで俺の話を全然しなかったもんな」
そこから僕は大和の話をたっぷり聞いた。
その後、泰我はお昼寝用のシャーレと夜用のシャーレを二つ置いていった。
看護師さんとも泰我は話して「お昼寝の時間帯にはこっち」と、黄緑と灰色のシャーレを見せて、もう片方の赤と白のシャーレは夜用っぽい。
色以外にも中身の量が違って、お昼用は培養菌が少なくて、夜用は多かった。情報量の差なんだろうか。
大和が帰ってから、僕は昼にお昼寝用のシャーレを看護師さんから耳元に置いてもらい、また寝ることにした。
ちょっと、あのおかっぱの女子が気になるというか怖いけども、そんなのはいないって語気を強められたし、何よりも培養された思い出を見たあとは劇的に自分の肉体の状態が良くなっているので、楽しみな気持ちで寝ることにができた。
・【02 培養された思い出】
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この培養された思い出はいわゆる明晰夢に近いのかもしれない。
この夢の中で僕は、僕が思った通りに身体が動かせている。軽く声を出そうとすると「あ」と普通に声を出せるようで、リハビリでなんとか指を動かせるようになった僕とは段違いの”操作性”だ。
というかこの感覚を思い出すこと自体、リハビリとして成立しているということなんだろう。大和が作った培養された思い出というものは想像以上にすごいものなのかもしれない。
とは言え、今はいつだろう、何だろうか、夢の中ということもあり、遠くの景色は朧気に揺れている。
周りを見渡すと、バスが何台も止まっている駐車場で、少し先を見ると山の麓っぽい。遠足かハイキングか何だろうか。
するとあの頃の、若いというのも変だけども、中学一年生の時の大和が僕に対して手を振りながら近付いてきて、
「ゴメン、トイレ何か混んでいて! 他クラスの連中、めっちゃトイレ派だったわ!」
と言ってきて、
「トイレを催したからって、トイレ派なわけではないでしょ」
と自然とツッコミのような言葉が出た時に、なんとなくあの頃に戻ったんだという錯覚が脳内で起きた。
いや決して戻ったわけじゃないんだろうけども、本当に当時の大和との空気感というか。
大和がわざとボケて、それを僕がツッコんで。そんな会話を僕と大和はしていた。
あの頃から大和いわく、お笑いは脳を活性化させることにすごく良いと言っていて、だから不必要なほどに大和はボケていたなぁ。
大和は僕に向かって快活に、
「じゃあリンカーン学校で、ハイキングをクリアして、人民の人民による人民のためのカレー作りをしようぜ!」
リンカーン学校、あぁ、これ林間学校か。
やっぱりあの頃に戻ったという言葉は適切じゃない。
確か、林間学校には僕は行っていない……いや行ったっけ? ちょっと記憶が曖昧というか思い出せないような感覚。
まあ夢の中だから完璧に自分を扱えるわけじゃないということかな? とか思っていると、大和が、
「ちょっとぉ、ボケを拾ってくれよ! 落穂拾いのようにさ! カレーの!」
「いやミレーね、林間学校のカレーを楽しみにし過ぎでしょ」
「それそれー!」
と大和は嬉しそうに笑った。
でも、というかこの大和のおかげで、脳内はどんどんクリアになっていくような気がする。
お笑いが脳を活性化させているわけじゃないけども、大和のクイズのようなボケに対して思考することにより、当時の”早さ”に戻っていっているような気がする。
僕と大和は一緒にハイキングをスタートさせた。
緑が萌え始めた五月頃だろうか、吹く風は爽やかで、清々しい気持ちになる。
歩いている最中、ずっと大和がボケている。
「こういう芽吹いてきた葉っぱもさ、全部食べることができたら、どんなに食費が浮くか」
「味と栄養素も重要だよ」
「でも浮いた食費でめっちゃデカい気球が買えるかも」
「浮くという言葉に執念があるの?」
培養された思い出かぁ、中学一年生から始まっているということは僕が経験するはずだった未来の光景が映し出されるのかな。
そうだったら、ちょっと面白そうな半面、眠りから起きた時に『あぁ、培養された思い出だったのか』と虚しくならないかな。
いや虚しくはなりそうだけども、それ以上にこうやって脳を活性化して、自分の身体の操作感覚を取り戻すにはいいのかもしれない。
大和は相変わらずボケる。
「というかカレーのルー、どこのメーカーかな? 聞いたこと無い安いメーカーなら異議申し立てようぜ」
「どこに異議申し立てるの? そんな公式にやるの?」
「いやだって、ハウスじゃなくてハウフルスって名前だったら嫌だろ?」
「タモリ倶楽部とか作っていた制作会社のカレー?」
「お尻振っているパッケージでさぁ」
「完全にタモリ倶楽部じゃないか。確かにカレーとお尻は一緒にしてほしくないけども」
「類似タレントの回だからな」
「タモリ倶楽部の類似タレントを集めた回じゃなくて。カレーとお尻を類似で繋げてほしくないという話なのに」
まるで僕はそのままこの中学一年生の世界を生きているような感覚だ。
大和は本当に僕の目の前にいるように喋ってくる。
「そうそう泰我、カレー作る時はどうやら包丁というものを使うらしいから、ふざけたらダメらしいぞ」
「包丁は知らない道具じゃないよ、どうやらとか言わないものだよ」
「ヒント、切れる」
「答えだよ、いや正確には切るだけども」
「腰を引くといいらしい」
「それは包丁を使うのが怖い人ね、包丁は引く時に切れる力が最大限になる、が答えだね」
「ジョーカーだけは引くなよ」
「トランプ状じゃないよ、意外とババ抜きのルールの時だけだからね、ジョーカー引いちゃいけないのは」
「もしかすると泰我って、ポーカーに目覚めた? プロ目指す?」
「ポーカーに目覚めたからジョーカー引いて大きな役を作りたいなぁ、じゃなくて」
こういう他愛のない会話が僕も本当に好きだったなぁ、と改めて思う。
大和は楽しそうに、
「そうかぁ、ジジ抜き派なのか、泰我は」
「ジジ抜きにジョーカーのくだりは無いよ」
「でも時事問題も大切だぞ」
「ジジ抜きのジジが時事問題のジジになっちゃった」
「お水、大切に……とか」
「0点の標語?」
「俺の新作だよ、敬っていいぞ」
「なによりも0点の標語過ぎるよ」
そんなこんなで山登りはすぐに終わったように感じられたんだけども、実際すぐ終わったんだと思う。
なんというかちゃんと一歩一歩歩いている感覚はあるけども、道中の進みがどこか早回しというか、いや感覚としては途切れ途切れになっているような感じ。一分送りをした動画のように、気付いたら次の場面になっているような。
山頂には宿泊施設があり、その各部屋に荷物を置いたような気はしているけども、置いた描写というか、置いたという明確な記憶自体は無い。
いつの間にか夕暮れになっていて、どうやらそれぞれの班でカレーを作るらしい。
僕は話の前後というか、どういう班でカレーを作るかどうかは分かっていないはずなのに、分かっている感覚。
大和の他に、同級生の白樺や鶴橋と一緒にカレーを作るみたいだ。
白樺が僕に、
「じゃあ泰我は具材を包丁で切って」
そう言えば、僕と大和は名前呼びで、他の友達は苗字呼びだったなぁ、とかそんなことを思い出す。
確か白樺が『俺や鶴橋は苗字がカッコ良くて、大和や泰我は名前がカッコイイからそうやって呼ぼうぜ』と友達になった初期の頃に言っていたような。
僕は包丁を使って、鶴橋が皮を剥いた野菜をカットしていった。
ちょっと僕が一人だけで作業しているような感覚になった時、別の班の女子なんだろう、でもあんまり記憶に無い女子が話し掛けてきた。
「泰我くん、ほらほら」
この女子、本当に誰だっけ。同じクラスメイトだったような気がするけども、何だか全然思い出せない。
まるで思い出せないようにロックがかかっているくらいの感覚だ。
その女子が「ほらほら」と言ったので、近付いてみると、急にその女子は持っていた包丁をこっちに突いてくるような動きをしたので、僕は、
「わっ」
と驚いてしまうと、その女子はニヤニヤ笑いながら、
「ビビッてやんのぉ~」
とバカにするように言ってきて、さすがに、と思って、
「こんなんやられてビックリしない人なんていないよ」
「うぇ~い」
と言いながら、今度はもっと深く、僕の心臓の手前まで刺すような動作をしてきて、僕はハッキリ言ってかなり不快な気持ちになった。
そもそも会話が成立していない。自分のやりたいことをやっているだけみたいな、かなり身勝手な女子だ。一体何なんだ。
包丁を肘の高さよりも高く持つのもアレだし、常識が無さ過ぎる。
まあもう無視しようと思って、踵を返して、自分の机に戻ろうとすると、
「ホント、ゴメン。こっち見て」
と言ってきたので、まあ見るだけ見てあげるかと思って振り返ると、なんと、その振り返った顔の先に包丁を突っ立てていて、
「ヤダぁ~、危なぁ~い」
と言ってケタケタ大笑いした女子。
なんて危険なイタズラをするんだ、さすがに度が越えている。
僕はイライラしながら、もう完全に無視を決め込んで、自分の机に戻って作業を再開した。
そこから何回かその女子から声を掛けられたけども、ずっと無視していた。
というか培養された思い出なんだよね、これ。
こんな思い出をわざわざ作らなきゃいいのに。
でも大親友の大和がこんな思い出をいちいち作り出すとは到底思えなくて。
何か、ちょっとミスったのかな? まあ培養された思い出なんて新技術だろうし、脳科学の研究をずっとしている大和と言っても、まだ大和も十八歳だし。
気付いたらカレーは完成していて、僕と大和と白樺と鶴橋で美味しくカレーを食べていた。
ずっと白樺が「ご飯のほうは結構焦げちゃったなぁ……」と反省していたけども、白樺がドジするのも何か懐かしくて、すごく楽しかった。
朝目覚め、すぐに僕は心持ちだけでも背中を伸ばしたくて、
「う~~~~ん」
と言った時に気付いた。僕、声を発せているって。
「えっと、本当に、あの、出てる……」
まだ喋ることに慣れていなくて、途切れ途切れになってしまったり、ちょっと吃音気味だったりするけども、確かに喋れるようになっていた。
この培養された思い出って、効果が本当にすごい。大和って本当に天才にそのまま成長したんだ、と感心した。
試しに仰向けから横になれるかどうか試してみると、なんとゴロリと横になることもできて、僕は自分でやって自分で驚いた。
その時にシャーレが目に入ったわけだけども、なんと昨日までは緑と茶色しかなかったはずなのに、何だか赤黒い斑点が出現していて、ちょっとゾッとしてしまった。
確かこんな斑点無かったはず……まあ培養された思い出、と言っているから、これの中身って何らかの培養菌みたいなことで、時間が経って変容したのかな、って。
さて、そのことはいいとして、じゃあ上体は起こせるかな、と思ったんだけども、上体を動かすことはまだ出来なかった。でもこれは相当な進歩だ。
僕は看護師さんが見回りに来るまで静かにしていた。
看護師さんが来て、僕の身体を起こしてくれて、今日から朝ご飯を食べることになった。
最初はお粥というか、おも湯というか、米を液体状にしてお湯で煮た食べ物だった。ちょっとだけ塩味がついている感じ。
久しぶりに口から食べ物を摂取したという事実に感動ばかりして、あんまり味の深みというものは分からなかった。香りも覚えていない。まあたいした香りも深みも無かったんだろうけども。
朝九時頃になり、また大和が来てくれた。
僕は即座に、
「大和、高校、いいの?」
と話し掛けると、大和は目を丸くしてから、
「喋られるようになったのか!」
「多分、培養、された、思い出の、おかげで、喋る、感覚、思い出した、かも」
「そっかそっか! でもまだ動きたてだから、あんまり喋んないほうがいいらしいぞ! 喉の負担になるし!」
「それは、聞いて、いる」
「で、そうだな! 俺の学業の話だな! 俺は今、大学生でまあなんというか、これも仕事というか勉強の一環として教授が認めてくれているから俺の心配は全然しなくて大丈夫だぜ!」
そうサムアップした大和。
そっか、大学生なら確かにその辺、柔軟なのかもしれない。まあ僕は大学生について何も知らない中学生の頭脳しかないから、実際のところは分からないけども。
とにかく大和が大丈夫と言えば大丈夫なんだろう。大和は同じ中学時代から、頭脳レベルが全然違ったし。
そうだ、あまり喋らないほうがいいと言われても、このことだけは僕は喋りたいので、
「培養、された、思い出に、何か、おかっぱの、女子が、出てきたけど、あれは、誰だっけ?」
さっきまで快活な笑顔だった大和の面持ちが一気に曇った。
一体何なんだろうか、と思っていると、大和はだいぶ低い声で、
「そんな女子はいない。俺と白樺と鶴橋だけだっただろ、登場人物は」
「うん、基本は、そうだけども、おかっぱの、女子も、いたよ、何か、包丁で」
とまで僕が言ったところで、大和は強引に割って入ってきて、
「いない。そんな女子はいない。俺はそんなモノ培養していない」
あまりにも語気を強めて断言するので、内心ビビってしまい、話を少し変えようと思って、
「シャーレの、中、赤黒い、斑点が、できて、いる、けども」
大和はまるで盗み取るように素早くシャーレを持って、自分のバッグに入れると、
「ちょっと不具合が出たかも。まあ気にする必要は無いさ」
と、やや柔和な声でそう言ったので、それはまあ良かったんだけども、やっぱり、
「でも、その、おかっぱの」
「いない! そんな女子はいない!」
まるで僕を睨むような面持ちの大和。
僕は生唾を飲み込み、黙っていると、大和が、
「悪い。大きな声を出して。でも本当にそんな女子はいないんだ、泰我も強く、いなかったと念じてほしい」
いなかったと念じてほしいということは、本当はいるということなんじゃないかな?
でも大和が相当嫌がっているようなので、この話はもうしないことにした。
「というか、大和、大和の、現実の、話も、して、ほしい。もう僕、黙って、いる、から」
「そっか! 昨日泰我の両親の話ばかりで俺の話を全然しなかったもんな」
そこから僕は大和の話をたっぷり聞いた。
その後、泰我はお昼寝用のシャーレと夜用のシャーレを二つ置いていった。
看護師さんとも泰我は話して「お昼寝の時間帯にはこっち」と、黄緑と灰色のシャーレを見せて、もう片方の赤と白のシャーレは夜用っぽい。
色以外にも中身の量が違って、お昼用は培養菌が少なくて、夜用は多かった。情報量の差なんだろうか。
大和が帰ってから、僕は昼にお昼寝用のシャーレを看護師さんから耳元に置いてもらい、また寝ることにした。
ちょっと、あのおかっぱの女子が気になるというか怖いけども、そんなのはいないって語気を強められたし、何よりも培養された思い出を見たあとは劇的に自分の肉体の状態が良くなっているので、楽しみな気持ちで寝ることにができた。



