バイトを終えて一人暮らしのマンションに辿り着いたのは23時を過ぎた頃だった。
疲れた体を引きずるように部屋に入り、そのままベッドに倒れこむ。
シャワーも食事も、面倒くさい。もうこのまま眠りたい。
そのまま意識を手放しかけた時、鞄の中に入れていたスマホが唸る音が聞こえた。
反射的に起き上がり、鞄の中のスマホを取り出す。
画面に表示されていた名前は、予想通りの人物だった。
「真帆(まほ)?」
「………湊(みなと)……」
耳元で聞こえてきたのは、弱々しく掠れた声。
「どうしたんだよ」
「…私…やっぱりもう漣(れん)とは無理かも…」
「―え?」
その一言で一気に眠気が吹き飛んだ。
無理って…別れるってことか?
「真帆、今どこにいる?」
「…自分の部屋…」
「わかった。今から行くから待ってて」
さっきまでの疲れと眠気がウソのように、気づけば僕は真帆が暮らすマンションへと車を走らせていた。
今度は何があったんだろう。
今まで幾度となくこんな風に電話がかかってきては相談に乗ってきた。
その度に“もしかしたら”なんて淡い期待を抱いては、打ち砕かれてしまうのに。
それでもこうして夜だろうとバイト帰りでクタクタになっていようと、君のもとへ駆けつけてしまう。
彼氏と会えなくて寂しい時に慰めてくれる都合のいい男だと思われていたとしても。
ただ友達という立場を利用されているだけだとしても。
―僕は、ただ君のことがどうしようもなく好きなんだ。
「私の誕生日、急に仕事入ってキャンセルされちゃって。それでケンカになっちゃったの」
そう言いながら、真帆が自嘲気味に笑った。
その笑顔は痛々しくて、無理してるのがわかりすぎて、僕の方が苦しくなった。
「私がいけなかったんだ。“本当に仕事なの?”なんて言っちゃったから」
確かに、そんな言い方をしたら、誰だって信用されてないって思うだろう。
「離れても私達は大丈夫って思ってたのにな…」
ぽつりと真帆がつぶやいた言葉は、カーステレオから流れるラジオDJの陽気な声にかき消された。
東京と大阪。
新幹線ならたった2時間半だし、会おうと思えば会える距離。
だけど、互いの仕事の都合もあって、ふたりが会えるのは数ヶ月に一度らしい。
「会いたい時に会えないのは辛いよ」
切なそうなその涙声が。
悲しそうに揺れるその瞳が。
憂いを帯びたその横顔が。
僕の理性を強く揺さぶる。
僕なら、そんな苦しそうな顔なんてさせない。
君に寂しい想いなんてさせない。
君が呼んだら、こうしてすぐに会いに行くから。
もうアイツなんてやめろよ―
喉元まで出かかった言葉を、必死に押しとどめる。
だけど、溢れてくる気持ちは止められず、思わず凪沙の右手に自分の左手を重ねていた。
「…湊…?」
少し驚いたように凪沙が僕の名前を呼ぶ。
心が揺らいでいる、今なら。
いっそのこと、この想いを全部ぶつければ。
このまま君を奪おうと思えば、奪えるのかもしれない。
一瞬、もうひとりの自分が囁く。
だけど、ふっと脳裏を過ったのは彼のとなりで幸せそうに微笑む真帆の姿。
あんな風に真帆のことを笑顔に出来るのは、悔しいけどあの人だけなんだ。
会えない寂しさも、苦しさも、悲しみも、癒せるのは“彼”だけなんだ。
だから…
「――…信じてあげなよ、漣のこと」
そう言って、重ねていた手を離す。
やっぱり僕では彼のかわりにはなれないと、痛いほどわかっているから。
しばらくお互い無言のまま車を走らせて、真帆が暮らすマンションの前に着いた時。
「湊、ありがとね」
真帆がそう言って微笑んだ。
最初に合った時とは違って、何かが吹っ切れたような笑顔。
「おやすみ」
真帆が車から降りて、僕はまたそのまま自宅へと車を走らせる。
……これで、良かったんだよな。
自分に言い聞かせる。
その時、カーステレオから流れてきた曲の歌詞があまりにも今の自分と重なって胸がしめつけられた。
“見守る恋もある”
明日からも僕はきっと
この想いを抱えたまま
君の恋を見守っていく
♪イメージソング
『Route5 BayshoreLine』/GLAY
『君が呼ぶのなら』/藤田麻衣子

