二次選考突破の歓喜から、わずか数日後。
いつもの放課後の部室で、私は持ち込んだ文庫本のページを静かにめくっていた。
結果発表まで、まだたっぷり一ヶ月はある。
鏡の前で作る「おめでとう」の笑顔も、少しずつ板についてきたところだ。
油断に似た平穏の中で、私は文字を追っていた。
その時、廊下から足音が聞こえてきた。
いつもなら、ドアを乱暴に開け放つような騒がしい足音。しかし今日は違った。何か重いものをズルズルと引きずるような、ひどく鈍く、陰鬱な足音。
軋むような音を立ててドアが開き、先輩が姿を現した。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
血の気が完全に引き、幽霊のように青ざめた顔。魂が抜け落ちてしまったかのような、虚ろな目。
「……どうしたんですか、幽霊みたいな顔して。また原稿のプロットでも詰まったんですか」
努めて平坦な声を作ったつもりだったが、私の声は微かに震えていた。
「雨音……ごめん。落ちた」
掠れた声が、静寂の部室にボトリと落ちた。
「え……?」
思考が停止する。
「だって、結果発表はまだ……来月の、はずじゃ……」
「さっき、公式サイトが更新されたんだ。最終選考へのノミネート作品一覧が、予定より早く発表されて……」
先輩は力なく首を振り、壁に手をついた。
「俺の名前、なかった。……終わったよ」
終わった。
その四文字が、私の鼓膜を冷酷に打ち据える。
予定より早く訪れた「最終選考には届かなかった」という事実。
それはつまり、彼が「あの人」に胸を張って告白するという夢が、この瞬間に完全に絶たれたことを意味していた。
「あいつの隣に立つ資格、なくなっちゃったな……」
先輩は椅子に崩れ落ち、両手で顔を覆った。肩が、小刻みに震えている。
私の頭の中は、真っ白だった。
「受賞、おめでとうございます」という笑顔の練習は、血を吐くほど、指先が痺れるほど繰り返してきた。
けれど。
彼が夢に破れて絶望した時に、どういう顔をすればいいか――なんて。
そんなの、一度も練習していない。
慰めの言葉を探そうと、必死に脳を回転させる。
しかし、その時だった。
どろり、と。
胸の奥底から、信じられないほど甘くて、ひどく温かい感情がじわじわと溢れ出してきたのだ。
(あんなに悲しそうな顔をしているのに。どうして私は、こんなにも『ホッとしている』の?)
彼が夢に敗れた。告白の資格を失った。
それはつまり、彼が「あの人」のところへ行かないということだ。
まだ、私の隣にいてくれるということだ。
歓喜に似た、あまりにも醜い安堵感。
それが、どうしようもないほどの熱を持って私の全身を駆け巡る。
「……先輩」
私は、湧き上がるその醜悪な感情を必死に押し殺し、ひどく上擦った声で口を開いた。
「まだ、次があります。私が、また手伝いますから。一緒に、もっと良い作品を……」
自分で言っていて、吐き気がした。
あまりにも薄っぺらく、そして嘘に塗れた慰めの言葉。
彼の絶望を養分にして、生き延びた私の恋心。それが、ひどく恐ろしいバケモノのように思えた。
(私は最低だ)
先輩の夢が破れたことを、心の底で喜んでいる。
もしかして、私が気付かないうちに、添削の手を緩めていたのだろうか?
心のどこかで「落ちればいい」と願ってしまっていたせいで、彼の夢を壊してしまったのではないか?
鏡の前で何十回も作り上げた完璧な防波堤は、どうしようもなく醜い『安堵』という濁流に呑み込まれ、あっけなく崩れ去っていた。
ただ、顔を覆って震える彼の背中を見つめながら。
私は自分の内側に巣食うバケモノの姿に、絶望的なまでに打ちのめされていた。
いつもの放課後の部室で、私は持ち込んだ文庫本のページを静かにめくっていた。
結果発表まで、まだたっぷり一ヶ月はある。
鏡の前で作る「おめでとう」の笑顔も、少しずつ板についてきたところだ。
油断に似た平穏の中で、私は文字を追っていた。
その時、廊下から足音が聞こえてきた。
いつもなら、ドアを乱暴に開け放つような騒がしい足音。しかし今日は違った。何か重いものをズルズルと引きずるような、ひどく鈍く、陰鬱な足音。
軋むような音を立ててドアが開き、先輩が姿を現した。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
血の気が完全に引き、幽霊のように青ざめた顔。魂が抜け落ちてしまったかのような、虚ろな目。
「……どうしたんですか、幽霊みたいな顔して。また原稿のプロットでも詰まったんですか」
努めて平坦な声を作ったつもりだったが、私の声は微かに震えていた。
「雨音……ごめん。落ちた」
掠れた声が、静寂の部室にボトリと落ちた。
「え……?」
思考が停止する。
「だって、結果発表はまだ……来月の、はずじゃ……」
「さっき、公式サイトが更新されたんだ。最終選考へのノミネート作品一覧が、予定より早く発表されて……」
先輩は力なく首を振り、壁に手をついた。
「俺の名前、なかった。……終わったよ」
終わった。
その四文字が、私の鼓膜を冷酷に打ち据える。
予定より早く訪れた「最終選考には届かなかった」という事実。
それはつまり、彼が「あの人」に胸を張って告白するという夢が、この瞬間に完全に絶たれたことを意味していた。
「あいつの隣に立つ資格、なくなっちゃったな……」
先輩は椅子に崩れ落ち、両手で顔を覆った。肩が、小刻みに震えている。
私の頭の中は、真っ白だった。
「受賞、おめでとうございます」という笑顔の練習は、血を吐くほど、指先が痺れるほど繰り返してきた。
けれど。
彼が夢に破れて絶望した時に、どういう顔をすればいいか――なんて。
そんなの、一度も練習していない。
慰めの言葉を探そうと、必死に脳を回転させる。
しかし、その時だった。
どろり、と。
胸の奥底から、信じられないほど甘くて、ひどく温かい感情がじわじわと溢れ出してきたのだ。
(あんなに悲しそうな顔をしているのに。どうして私は、こんなにも『ホッとしている』の?)
彼が夢に敗れた。告白の資格を失った。
それはつまり、彼が「あの人」のところへ行かないということだ。
まだ、私の隣にいてくれるということだ。
歓喜に似た、あまりにも醜い安堵感。
それが、どうしようもないほどの熱を持って私の全身を駆け巡る。
「……先輩」
私は、湧き上がるその醜悪な感情を必死に押し殺し、ひどく上擦った声で口を開いた。
「まだ、次があります。私が、また手伝いますから。一緒に、もっと良い作品を……」
自分で言っていて、吐き気がした。
あまりにも薄っぺらく、そして嘘に塗れた慰めの言葉。
彼の絶望を養分にして、生き延びた私の恋心。それが、ひどく恐ろしいバケモノのように思えた。
(私は最低だ)
先輩の夢が破れたことを、心の底で喜んでいる。
もしかして、私が気付かないうちに、添削の手を緩めていたのだろうか?
心のどこかで「落ちればいい」と願ってしまっていたせいで、彼の夢を壊してしまったのではないか?
鏡の前で何十回も作り上げた完璧な防波堤は、どうしようもなく醜い『安堵』という濁流に呑み込まれ、あっけなく崩れ去っていた。
ただ、顔を覆って震える彼の背中を見つめながら。
私は自分の内側に巣食うバケモノの姿に、絶望的なまでに打ちのめされていた。

