西日がアスファルトを朱色に焦がす放課後。
駅前の古びた郵便ポストの前に、私たちは立っていた。
角形2号の分厚い茶封筒を両手で握りしめたまま、先輩は投函口の数センチ手前で完全にフリーズしている。
「……いつまでそうしているつもりですか。ポストが迷惑そうです」
「だって……これ出したら、もう引き返せないんだぞ。俺の数ヶ月のすべてが、この中に入ってるんだ」
「昨日、深夜のファミレスで『光合成』について熱弁を振るっていた異常な執念はどこへ行ったんですか。さっさと出してください」
ため息をつき、彼の背中をポンと軽く叩く。
ビクッと肩を揺らした彼は、意を決したように深く息を吸い込み、分厚い封筒を赤い口へと押し込んだ。
ゴトン。
重たい紙の束が底に落ちる、くぐもった、けれどひどく決定的な音。
それは私たちの共作であり、そして、彼が「あの人」の元へ向かうための、後戻りできない恋の片道切符が旅立った合図だった。
――
肩の荷が下りたのか、帰り道を歩く先輩の足取りは、ひどく軽かった。
長く伸びた二つの影が、オレンジ色に染まった歩道に並んで滑っていく。
「なあ、雨音。もし、もしもだぞ? これで本当に大賞を獲れたとしたら……」
「調子に乗らないでください。結果が出る前から皮算用ですか。それに、受賞したとしても、まだ改稿作業で下書きに赤ペンを入れる地獄が山ほど待ってるんですからね」
「いや、でもさ」
歩幅を緩め、彼が空を見上げる。
夕陽の強烈な逆光が、彼の横顔を鮮やかに、そして残酷なほど美しく縁取っていた。
「もし夢が叶ったら……俺、あいつに一番に読んでもらうんだ。それで、胸を張って、自分の言葉で、ちゃんと隣に立ちたいって言うんだ」
軽口で返すつもりだった言葉が、喉の奥で硬い塊となってつかえた。
肺の空気が急激に冷えていく。彼の横顔がひどく眩しくて、直視できず、私は咄嗟に視線を足元へ落とした。
「あ、そうだ」
不意に立ち止まった彼は、学生鞄をごそごそと漁り、小さな紙袋を私に差し出した。
「これ、昨日の付き添いの礼。あと、これまでの分。雨音がいなきゃ、絶対書き終わらなかったから」
躊躇いながら受け取った紙袋を覗く。中には、いつかのゲームセンターで見かけた歪なウサギの小さなマスコットと、私が深夜のファミレスでいつも口に放り込んでいたミント味のタブレットが入っていた。
「お前の添削、口は悪いし容赦ないけどさ」
彼は照れくさそうに鼻の頭を掻き、私の目を真っ直ぐに見た。
「世界で一番、俺の作品を信じてくれてるって分かるから。……ありがとな、相棒」
相棒。
その二文字が、ひどく心地よく、甘美な呪いとなって私の鼓膜を縛り付ける。
誰よりも彼の才能に触れ、共に血を流せる特等席。けれどそこは、絶対に「恋人」という枠組みとは交わらない、永遠の平行線だ。
ぽつり、と。
鼻先に、冷たいものが落ちた。
見上げれば、空はまだ痛いほどにオレンジ色に燃え盛っているというのに。どこから迷い込んだのか、透明な雨粒がふわり、ふわりと落ちてくる。
「あ、天気雨だ」
暢気な声を上げる先輩の隣で、私は手のひらを上に向けて、その冷たい雫を受け止めた。
肌に触れた瞬間に滲んで消える、ひどく身勝手で、嘘みたいな雨。
唇の端を吊り上げ、顔の筋肉を完璧な角度に調整する。
「おめでとうございます」という笑顔の練習は、もう始めている。いつか必ず来る、その日のために。
先輩の夢が叶うことは、私の恋が完全に死ぬこと。
――分かっています。そのために、私はここにいるんだから。
駅前の古びた郵便ポストの前に、私たちは立っていた。
角形2号の分厚い茶封筒を両手で握りしめたまま、先輩は投函口の数センチ手前で完全にフリーズしている。
「……いつまでそうしているつもりですか。ポストが迷惑そうです」
「だって……これ出したら、もう引き返せないんだぞ。俺の数ヶ月のすべてが、この中に入ってるんだ」
「昨日、深夜のファミレスで『光合成』について熱弁を振るっていた異常な執念はどこへ行ったんですか。さっさと出してください」
ため息をつき、彼の背中をポンと軽く叩く。
ビクッと肩を揺らした彼は、意を決したように深く息を吸い込み、分厚い封筒を赤い口へと押し込んだ。
ゴトン。
重たい紙の束が底に落ちる、くぐもった、けれどひどく決定的な音。
それは私たちの共作であり、そして、彼が「あの人」の元へ向かうための、後戻りできない恋の片道切符が旅立った合図だった。
――
肩の荷が下りたのか、帰り道を歩く先輩の足取りは、ひどく軽かった。
長く伸びた二つの影が、オレンジ色に染まった歩道に並んで滑っていく。
「なあ、雨音。もし、もしもだぞ? これで本当に大賞を獲れたとしたら……」
「調子に乗らないでください。結果が出る前から皮算用ですか。それに、受賞したとしても、まだ改稿作業で下書きに赤ペンを入れる地獄が山ほど待ってるんですからね」
「いや、でもさ」
歩幅を緩め、彼が空を見上げる。
夕陽の強烈な逆光が、彼の横顔を鮮やかに、そして残酷なほど美しく縁取っていた。
「もし夢が叶ったら……俺、あいつに一番に読んでもらうんだ。それで、胸を張って、自分の言葉で、ちゃんと隣に立ちたいって言うんだ」
軽口で返すつもりだった言葉が、喉の奥で硬い塊となってつかえた。
肺の空気が急激に冷えていく。彼の横顔がひどく眩しくて、直視できず、私は咄嗟に視線を足元へ落とした。
「あ、そうだ」
不意に立ち止まった彼は、学生鞄をごそごそと漁り、小さな紙袋を私に差し出した。
「これ、昨日の付き添いの礼。あと、これまでの分。雨音がいなきゃ、絶対書き終わらなかったから」
躊躇いながら受け取った紙袋を覗く。中には、いつかのゲームセンターで見かけた歪なウサギの小さなマスコットと、私が深夜のファミレスでいつも口に放り込んでいたミント味のタブレットが入っていた。
「お前の添削、口は悪いし容赦ないけどさ」
彼は照れくさそうに鼻の頭を掻き、私の目を真っ直ぐに見た。
「世界で一番、俺の作品を信じてくれてるって分かるから。……ありがとな、相棒」
相棒。
その二文字が、ひどく心地よく、甘美な呪いとなって私の鼓膜を縛り付ける。
誰よりも彼の才能に触れ、共に血を流せる特等席。けれどそこは、絶対に「恋人」という枠組みとは交わらない、永遠の平行線だ。
ぽつり、と。
鼻先に、冷たいものが落ちた。
見上げれば、空はまだ痛いほどにオレンジ色に燃え盛っているというのに。どこから迷い込んだのか、透明な雨粒がふわり、ふわりと落ちてくる。
「あ、天気雨だ」
暢気な声を上げる先輩の隣で、私は手のひらを上に向けて、その冷たい雫を受け止めた。
肌に触れた瞬間に滲んで消える、ひどく身勝手で、嘘みたいな雨。
唇の端を吊り上げ、顔の筋肉を完璧な角度に調整する。
「おめでとうございます」という笑顔の練習は、もう始めている。いつか必ず来る、その日のために。
先輩の夢が叶うことは、私の恋が完全に死ぬこと。
――分かっています。そのために、私はここにいるんだから。

