コンクール締め切り当日の夕方。
西日が長く伸びる部室で、私は原稿の最後のページに目を通していた。
最後の一行にチェックを入れ、丸で囲もうとした瞬間。
カリッ、と乾いた音がして、赤い線が途切れた。
何度か紙の端に擦り付けてみたけれど、かすれた跡が残るだけで、もう二度と鮮やかな赤が引かれることはなかった。ずっと酷使し続けてきた「赤ペン」のインクが、完全に空になったのだ。
「……終わりました。完璧です」
私の宣言を聞いた瞬間、先輩は深く、ひどく長く息を吐き出し、そのまま机の上に突っ伏した。
データが送信され、数週間に及んだ狂気的な「戦場」は、ただの静かで埃っぽい部室へと戻った。
空っぽになった透明なペンの軸を見つめる。
インクが尽きたこのペンと同じように、私の中の「彼への感情」も、そして私の命も、すべてこの原稿に注ぎ尽くして空っぽになってしまったような、ひどい虚脱感が全身を覆っていた。
――原稿を提出してから、結果発表までの数ヶ月間。
「添削」という大義名分を失った私たちは、放課後に部室で顔を合わせても、どう会話していいか分からなくなっていた。
原稿がないと、私たちはただの「先輩と後輩」でしかない。
先輩は時折、「結果が出るまで一緒にいてくれ」と言いたげな、すがるような視線を送ってきた。
けれど、私は「軍師の仕事はもう終わりましたから」と冷たく突き放し、意図的に彼との距離を置いた。これ以上彼の体温の近くにいたら、必死に固めた決心が、あっけなくドロドロに溶けてしまいそうだったから。
そして迎えた、コンクールの最終結果発表日。
放課後の部室で、私たちは二人並んで、ひとつのスマートフォンの画面を食い入るように見つめていた。
前回の、予定より早く突きつけられた落選のトラウマがある。だからこそ、今回は二人とも、息をするのすら忘れるほどの緊張感に包まれていた。
午後五時ちょうど。
更新ボタンを押す。画面が切り替わる。
一番上。【大賞】の欄。
そこには、燦然と輝く先輩のペンネームと、私たちの作品名が、確かに刻まれていた。
「……嘘だろ」
呆然と呟く先輩。やがてそれが現実なのだと脳が理解したのか、彼は震える両手で顔を深く覆った。
あぁ、勝ったのだ。
彼が、彼自身の力と、私の血の滲むような指導で。ついに「あの人の隣に立つ資格」を手に入れた瞬間だった。
「雨音、俺……!」
弾かれたように顔を上げた先輩が、真っ直ぐに私を見る。
その瞬間だった。
私の顔の筋肉が、あの夜、薄暗い部屋の鏡の前で何百回と練習した通りに、一切の狂いなく「完璧な軌道」で動いていくのを感じた。
「大賞受賞、おめでとうございます、先輩。私の言った通りになったでしょう?」
声の震えは一切ない。目元の引きつりも、ミリ単位で存在しない。
心の底から彼の成功を喜ぶ、世界で一番誇り高き「相棒」の顔。
先輩は、私のその完璧な笑顔を見て、一切の疑いもなく、本当に嬉しそうに笑い返した。
(成功だ)
防波堤は、完璧に作動した。
彼は少しも気づいていない。目の前で最高のお祝いの言葉を口にしている軍師が、今、致死量の絶望で息絶えようとしていることに。
私は胸の奥で、静かに、そして決定的に崩れ落ちていく自分の世界を見つめながら、心の中でそっと呟いた。
さあ、いってらっしゃい、私の主人公。
――あなたを縛っていた檻の鍵は、今、私が開けてあげますから。
西日が長く伸びる部室で、私は原稿の最後のページに目を通していた。
最後の一行にチェックを入れ、丸で囲もうとした瞬間。
カリッ、と乾いた音がして、赤い線が途切れた。
何度か紙の端に擦り付けてみたけれど、かすれた跡が残るだけで、もう二度と鮮やかな赤が引かれることはなかった。ずっと酷使し続けてきた「赤ペン」のインクが、完全に空になったのだ。
「……終わりました。完璧です」
私の宣言を聞いた瞬間、先輩は深く、ひどく長く息を吐き出し、そのまま机の上に突っ伏した。
データが送信され、数週間に及んだ狂気的な「戦場」は、ただの静かで埃っぽい部室へと戻った。
空っぽになった透明なペンの軸を見つめる。
インクが尽きたこのペンと同じように、私の中の「彼への感情」も、そして私の命も、すべてこの原稿に注ぎ尽くして空っぽになってしまったような、ひどい虚脱感が全身を覆っていた。
――原稿を提出してから、結果発表までの数ヶ月間。
「添削」という大義名分を失った私たちは、放課後に部室で顔を合わせても、どう会話していいか分からなくなっていた。
原稿がないと、私たちはただの「先輩と後輩」でしかない。
先輩は時折、「結果が出るまで一緒にいてくれ」と言いたげな、すがるような視線を送ってきた。
けれど、私は「軍師の仕事はもう終わりましたから」と冷たく突き放し、意図的に彼との距離を置いた。これ以上彼の体温の近くにいたら、必死に固めた決心が、あっけなくドロドロに溶けてしまいそうだったから。
そして迎えた、コンクールの最終結果発表日。
放課後の部室で、私たちは二人並んで、ひとつのスマートフォンの画面を食い入るように見つめていた。
前回の、予定より早く突きつけられた落選のトラウマがある。だからこそ、今回は二人とも、息をするのすら忘れるほどの緊張感に包まれていた。
午後五時ちょうど。
更新ボタンを押す。画面が切り替わる。
一番上。【大賞】の欄。
そこには、燦然と輝く先輩のペンネームと、私たちの作品名が、確かに刻まれていた。
「……嘘だろ」
呆然と呟く先輩。やがてそれが現実なのだと脳が理解したのか、彼は震える両手で顔を深く覆った。
あぁ、勝ったのだ。
彼が、彼自身の力と、私の血の滲むような指導で。ついに「あの人の隣に立つ資格」を手に入れた瞬間だった。
「雨音、俺……!」
弾かれたように顔を上げた先輩が、真っ直ぐに私を見る。
その瞬間だった。
私の顔の筋肉が、あの夜、薄暗い部屋の鏡の前で何百回と練習した通りに、一切の狂いなく「完璧な軌道」で動いていくのを感じた。
「大賞受賞、おめでとうございます、先輩。私の言った通りになったでしょう?」
声の震えは一切ない。目元の引きつりも、ミリ単位で存在しない。
心の底から彼の成功を喜ぶ、世界で一番誇り高き「相棒」の顔。
先輩は、私のその完璧な笑顔を見て、一切の疑いもなく、本当に嬉しそうに笑い返した。
(成功だ)
防波堤は、完璧に作動した。
彼は少しも気づいていない。目の前で最高のお祝いの言葉を口にしている軍師が、今、致死量の絶望で息絶えようとしていることに。
私は胸の奥で、静かに、そして決定的に崩れ落ちていく自分の世界を見つめながら、心の中でそっと呟いた。
さあ、いってらっしゃい、私の主人公。
――あなたを縛っていた檻の鍵は、今、私が開けてあげますから。

