嘘つきな天気雨みたいな恋だった

 抜けるような群青の空から、不規則な水滴が落ちてくる。
 光を帯びた雨粒が、アスファルトを黒い斑点に染め上げていく。晴天を切り裂く、不気味なほどの天気雨。

 校門の傍ら。息を切らし、上気した顔で彼が駆け寄ってくる。
 その手には、乱暴に握りしめられた一枚の封筒があった。

「大賞、獲れた。それと――あいつから、OKもらった」

 声が、微かに震えていた。歓喜の熱を孕んだ振動が、空気を震わせて私の鼓膜を打ち据える。瞳孔は開いており、彼の見ている世界が今、どれほど鮮やかに発光しているかが手に取るようにわかった。

「おめでとうございます。これでやっと、私の厳しい添削から解放されますね」

 口角を正確な角度で引き上げ、平坦で軽快な音を吐き出す。完璧に制御された筋肉の動き。

 彼は、無邪気に笑った。

「ああ。お前のおかげだ。お前は最高の軍師だよ」

 じゃあ、と彼が背を向ける。遠ざかっていく、少しだけ広い背中。
 その瞬間、視界の輪郭がぐにゃりと歪んだ。

 喉の奥で、鋭い棘が暴れ回る。呼吸が浅く、細くなる。
 瞬きをした拍子に、熱を持った水滴が頬を滑り落ちていった。

 見上げた天蓋は、酷薄なほどに青い。
 雨音が、世界を白く塗り潰していく。
 ああ、天気雨のせいだ。

 私の心は、あの日からずっと、嘘つきな天気雨のままだ。

 ――

 半年前。
 西日が照りつける放課後の文芸部室。古紙と安物のインクが混ざり合った、淀んだ空気が肺を満たす。
 机の上に放り投げられた原稿用紙が、乾いた音を立てた。

「ゴミですね」

 目の前に座る先輩の肩が、ビクンと跳ねる。

「先輩、恋愛したことないでしょ。解像度が低すぎて、ヒロインが虚無の存在になってます。マイナス一億点」
「ひ、ひどっ。せめて赤点ギリギリくらいはくれよ」

 情けなく眉尻を下げる彼の前で、私はキャップを外した赤ペンを指先で回す。

「点数をつける価値もありません。表層的な綺麗な言葉を並べただけの、空虚な人形遊びです。勝つ気あるんですか?」
「当たり前だ……、俺、絶対にあいつを振り向かせたいんだ。このコンクールで大賞を獲って、胸を張って告白するって決めたから」

 彼の眼差しだけが、ひどく真っ直ぐだった。
 彼が見据えているのは、私ではない。日向の世界で微笑む、あの完璧なマドンナだ。

 みぞおちのあたりで、泥のような冷たさが渦を巻く。
 それを悟られぬよう、私はあごを上げ、唇の端を吊り上げた。

「仕方ないですね。私が先輩の恋の軍師になってあげます。その代わり、執筆中は私の言うことに絶対服従。……いいですね?」

 ――

 それから、埃まみれの部室と深夜のファミレスが、私たちの戦壕となった。
 彼は不格好な文字を叩き出し続け、私はそのすべてを容赦なく赤ペンで切り裂いた。

「ここは視線誘導が甘いです。女の子はね、こういうさりげない優しさに弱いんですよ」

 原稿に赤い線を引きながら、言葉を紡ぐ。
 明るすぎる蛍光灯の下。冷えたグラスの表面を、水滴が滑り落ちていく。

 私が語る『テクニック』。それは他でもない、私が彼にしてほしいこと。彼を想うときに軋む、痛みの形そのものだった。

「なるほど……。お前、口は悪いけど、そういうところはよく見てるよな」

 感心したように頷く彼は、私の言葉を拾い集め、彼自身の理想のヒロインの輪郭を形作っていく。
 彼が真っ赤になった原稿を、キーボードを叩くたび、彼が思い描くマドンナの姿が鮮明になっていく。私の提供した感情の切れ端が、別の誰かを美しく飾るための装飾品へとすり替わっていく。

 胃の腑が鉛のように重い。
 指先が微かに震えるのを、赤ペンのプラスチックの軸を食い込むほど強く握りしめることで誤魔化した。

 ――

 ある日の夕暮れ。
 斜陽が廊下を赤く焼き尽くし、私たちの長い影をひんやりとしたリノリウムの床に落としていた。
 並んで歩く彼の横顔は、原稿に向かっている時と同じように、どこか遠くを見つめていた。

「お前がいてくれて良かった。俺、この作品で絶対に入賞して、あいつに告白する」

 静かな、しかし確かな熱を帯びた声。
 足が止まる。

 心臓が、肋骨の内側を激しく叩き始めた。
 全身の血液が沸騰し、そして一気に凍りつくような感覚。息を吸い込むことすら、刃を飲み込むように痛い。

 彼の才能を研ぎ澄ますこと。それは、彼が私の手から離れていく日を確定させること。

 乾ききった喉を動かし、私は口を開く。

「いいですよ。その時は、最高のフラれ方を私が添削してあげますから」

 軽薄な音が、薄暗い廊下に反響する。
 彼はあきれたように笑い、再び歩き出した。

 ブレザーのポケットに突っ込んだ右手が、赤ペンの硬い感触を握り潰す。
 爪が手のひらに深く食い込み、鈍い痛みが走る。

 私の恋は、自分の手で殺すために、極限まで磨き上げるのだ。