「これは、そうだね。拾ったんだ」
「ビデオカメラを事務所に送ってきたのはあなたですね。
何故そんなことをしたんですか」
握った手のひらにじっとりとした汗を感じる。
目の前の男は大柄で、本気を出されたら佑斗と二人がかりでも敵わないかもしれない。
そんな相手を問い詰めている状況に心臓がうるさく鳴っていた。
「カメラの映像を見ていたら、高橋くんが忍びなくてね。
せめて弔いになればと思ったんだ」
俺たちは高橋の名前を口にしていない。カメラを拾い上げて映像を見たらしい。
「君たちが、代わりに投稿してあげたらどうだ?」
同情しているように見せかけて、揶揄うように言う。
「彼は有名になりたかった。そうだろ?」
自業自得を見下し、傲慢さをあざ笑うような声に、気が付くと奥歯を噛み締めていた。
こいつは、あの場所に何かがいることを知っていて、高橋くんに道を教えた。
俺は許しがたい気持ちを抑え込んで、冷静さを装い質問をする。
「あの骨は一体、何なんですか。石祠の側には何がいるんですか」
「彼女とは何か?君たちの言葉で言うならば、この山の神といったところかな」
「山の神……」
「彼女は捧げられた生贄の魂を喰らう。
肉体を溶かすのは中身を取り出しやすくする為だろう」
指先にこびりついた、黒く粘つく物体の異臭を思い出す。
肉と油の腐った匂い、つまりアレは高橋の……。
身の毛がよだつ想像を振り払い、叫び出したい気持ちを抑え込む。
「俺たちが無事でいられたのは何故なんだ」
「今年は予定外の収穫もあって豊作だったから、さすがに彼女も満腹のようだ。
もう活動期を終えて眠りについたようだね。
だから君たちは助かった」
予定外の収穫というのが高橋くんを指しているのなら、他の犠牲者・隆之さんと斎藤希美は予定調和の存在だったということか。
「そんな、荒唐無稽な話、信じられるわけない」
「信じられないのも無理はない。
神とは超常的で、そもそも普通の人間とは存在の概念が異なる」
もし、その山の神とやらが、存在していたとして、
「神はどうやって生贄を山へ呼び込むんだ」
「生贄は彼女の子が導く」
彼女の子とはなんだ?
俺たちの疑問に答えるように、彼は話し始めた。
「古くは人間の方から神への供物として人を捧げる慣習があったが、年々山から人間がいなくなり、供え物が不足していった。
彼女はこの山から離れられない。
一年の内、神が目覚めるのはごく短い期間だけ。
だから彼女は考えたんだ。
自分の子に生贄を導いてもらえばいいとね。
通常、生贄は魂を喰われたら用済みだが、彼女はそれを再利用することにした。
溶かされた肉体を再構成すると、その場に全く同じ人間が生まれる。
肉体の細胞は原子レベルで同じ個体、記憶も以前のまま保持している。
そうして神の子は生まれるんだ。
普通の人間と唯一違うのは、その子自身が神の声を発信するようになることだ。
人里に戻った子は周囲に神の声を発信する。
不思議なことに神の声は全ての人間に届くわけではなく、影響を受けない人の方が多い。
影響を受けやすい人間は次第に夢を見るようになり、ある基準に達すると自ら神の元へやってくる。
彼女たちはそういう生態なんだよ」
「神の子にされた人間はどうなる。
死ぬまで一生、そのままなのか」
「さあ、何故かはわからないが、神の子たちは次第に神の声を発信しなくなる。
成長によるものなのか、環境によるものかは定かではないが……。
いずれにせよ、また新しい子を産めばいいだけだ」
「つまり、隆之さんたちをここへ導いたのは、神の子たちってことか」
佑斗が俺と同じ結論を出した。
そして俺は気づきたくない真実が、自身の鼓動と連動するように次第に大きく鳴り響いていくのを感じた。
「神の子は常にひとりだ。
今は、確か一年前くらいに、ここへ迷い込んだ女の子だったかな」
一際、鼓動が大きく鳴り響いた。
遥のことだ。
「その子は自ら石祠にやってきたわけじゃない。
あなたが生贄として山の神に捧げた」
「……どうだろうね」
目の前の男はおもむろに、キーホルダーを取り外した。
腕を伸ばして俺に差し出してくる。
俺は無言でそれを奪い取ると、佑斗の腕を引いて小屋から出た。
去り際、佑斗が立ち止まって、男を振り返る。
感情の読めない声で聞いた。
「神の子は、人間なのか」
「脳と心臓は全く同じだよ。
記憶も、肉体を構成する細胞もね」
それからどうやって山を降りたのかは、よく覚えていない。
あんな夜道を闇雲に下山して、よく無事に降りられたと思う。
ただ、俺も佑斗も無言で、ひたすら足を動かしていたことだけ覚えている。
◇◇◇
下山後、体力の限界が来た。
精神もすり減らしていたので、車の中で気づくと眠りについていた。
翌日、警察に連絡を入れて佑斗と一緒に聞き取りを受けて、探偵事務所に戻ってきたのは夕方だった。
その後山では複数人の白骨化した遺体が発見された。
現在も身元特定に時間がかかっている。
俺は事務所屋上のベンチに腰掛けて、空に向かってタバコの煙を吐き出す。
一瞬、視界が白くなり、すぐに飛散していくのを見ていた。
茜色の空。
頬を撫でる温かい風を感じる。
俺はタバコの火を消した。
そろそろ帰宅したいが、足が動かない。
答えを出さないといけない課題が残っているからだ。
背後で誰かが屋上のドアを開ける音がした。
「どうするの、遥ちゃんのこと」
佑斗が目の前に立って、俺に答えを求めてくる。
警察にはもちろん、旭さんにも山小屋で知った真実を隠している。
「言えるわけないだろ」
「最終判断は映二郎に任せるけど、せめて母親には伝えるべきなんじゃない」
「あなたの娘は死んでいて、目の前の人間は姿形が同じなだけの化け物かもしれませんって?」
「記憶も肉体も元の人間と全く同じだって言ってた。
それは、彼女だって本物の遥ちゃんだってことだろ」
あんな男の言うことを間に受けているのか。
全部、嘘かもしれないのに
「ただ、隆之さんみたいな影響が出るかもしれないから、場合によっては距離を取ることも必要だけど」
「そんな簡単な話じゃないだろ」
あくまで遥は遥だと主張する佑斗に、
相容れない感情が湧いてくる。
奈津美にとって、遥は残された家族だ。
「目の前の娘を疑いながら生きていくのかよ」
『遥が笑っても、
何か違和感を感じるの。
きっと私にしかわからない。
私はあの子の母親だから』
本物の遥が既に死んでいる事実に、あの人は耐えられない。
知ってしまったら元には戻れない。
目の前にいる遥を娘として見れないだろう。
認識が変われば、人の印象は否応となしに変わっていく。
佑斗のことだって、もう最初の印象で見ることはないのと同じように。
「映二郎は遥ちゃんのこと、偽物だと感じた?」
「そんなのわかるわけない」
俺に取って遥はただの姪で、数年ぶりに会っただけ。
以前と違っていても、ただの成長としか思わない。
唐突に真実を突きつけられて、半分は困惑している。
まぶたの裏に遥の泣きそうな顔が浮かぶ。
両親の不和を「自分が悪い」と責めていた、小さな女の子。
そうだ、俺にとっては一人の、かわいそうな女の子でしかない。
━━ でも、
「旭さんが同じ目にあったら?」
佑斗がハッと息を呑むのが気配で伝わる。
俺は続けて佑斗に問う。
「それでも佑斗は変わらずに、本物の旭さんだと思えるのかよ」
あまり感情を表に出さない佑斗が目を見開き、動揺しているのがわかった。
親とはぐれた子供のような、目に不安を一杯に乗せた表情で、泣き出してしまうのかと思った。
それは一瞬のことで、佑斗は考え込むように顔を下げてしまう。
少しの間があり、顔を上げた彼は俺から目線を外して、何かを諦めるような笑みを含んで言った。
「無理かな」
笑いながら泣いているような声だった。
思わず、吐き捨てるような空気が口から漏れる。
この野郎、と背中から蹴りを入れてやりたいような、同時に力一杯抱き締めてやりたいような矛盾する衝動があった。
ハハッと、かろうじて吐き出せた笑い声はどちらが出したものか。
もう答えは出ていた。
拍子抜けするほど簡単に答えが出せた。
肩から背中にかけての緊張が抜けて少し楽になる。
けれど同時に、胸に秘めた真実がひっそりと心の中に沈殿していて、その重荷に苦しくなる。
そんな俺の表情を見て佑斗が言う。
「遥ちゃんのことは二人だけの秘密にしよう」
佑斗がこちらに手を伸ばす。
その手を取ると引っ張り上げられて、俺はベンチから立ち上がった。
「もし、問題が起きたら、その責任は一緒に負うよ」
佑斗はそう言うと、まるで契約成立と言わんばかりに繋いだ手に力を込めた。
手のひらに指輪の感触を感じる。
気づけば自分も彼の手を握り返していた。
目線を上げると、黒い前髪の隙間から佑斗が真っ直ぐにこちらを見ている。
「ありがとう」
問題を一緒に引き受けてくれて
秘密を一緒に背負ってくれて
俺が先に屋上のドアを開けて中に戻っていく時、肩越しに佑斗の姿を確かめる。
佑斗はベンチの傍で立ったまま、空を眺めていた。
オレンジ色に照らされた背中がぽつりと呟く。
「……俺はそれでもいいよ」
佑斗の言葉は夕焼けの空に消えていった。
