◇◇◇
同日、約二時間後
目的地に到着した俺たちは登山道の入り口駐車場に黒のワゴン車を停めた。
空全体が灰色の雲で覆われて、まだ日暮れ前だというのに周囲は既に薄暗かった。
午後から雨が降り始めたのも相まって、淀んだ空気が一帯を覆っている。
警察車はもう見当たらない。規制用のテープも撤去されていた。
悪天候での登山なので、準備に時間がかかってしまった。
俺たちは各々の荷物を点検したり、地図で道順を再確認している所だ。
ここまでの運転は佑斗が行い、助手席には旭さんが座っている。
なんとなく先ほどから旭さんの口数が少ないのが気になった。
ここに到着するまでは皆が終始無言だったが、それは緊張感によるもので、武者震いのようなものだ。
いざ、山に入るというタイミングで、いつもならば率先して場の空気を盛り上げようとしそうなのに、先ほどからずっと無言だ。
「旭さん?」
俺はつい気になって声をかけると、
「……スマン、ちょっと、あかんかも」
後ろの座席から覗き込むと、旭さんの顔色は真っ青で、大量の冷や汗をかいていた。
「めちゃくちゃ体調悪いじゃないですか!」
俺は急いで後部座席のシートを倒して横になれるスペースを確保した。
旭さんを助手席から移動させると、仰向けに寝させた。
彼の体が小刻みに震えている。
口を手で覆っていて、吐き気を我慢しているみたいだった。
ワゴン車に常備されていた毛布を上から掛けてあげたが、そんなことでは体の震えは治らない。
突然、佑斗が自身のリュックをひっくり返す。
中身を全て外に出すと、あの占いの館で購入した霊除け用のお守りと護符が大量に出てきた。
その全てを毛布の上から、旭さんを覆うように並べ置いていく。
続けて、佑斗が両腕に着けていたパワーストーンのブレスレットを外して、全て旭さんに着けさせる。
首から翡翠のネックレスも外して、直接旭さんに握らせた。
「アホ、全部はいらん。佑斗が着けないと……」
「俺はこの指輪があれば大丈夫」
佑斗はほとんど身につけていたものを旭さんに渡したが、存在感のあるシルバーの指輪だけは変わらず身につけている。
何か特別な指輪なのだろうか。
しばらく旭さんの様子を見守っていると、先ほどより震えが治った気がする。
それでもまだ顔色の悪い旭さんが俺たちに
「佑斗、映二郎……ほんまゴメン」と謝ってくる。
「いいよ。このまま横になってて。
体調が回復したら、できるだけここから離れた方がいい」
「でも俺、」
「近くにあるコンビニでもファミレスでもなんでもいいから車ごと移動して、俺たちが下山したら連絡だけ取れるようにしてほしい」
佑斗が旭さんの言葉を遮るように、この場所から離れる指示をする。
「ゴメン、ほんまゴメンな」
旭さんは見るからに限界で、弱々しく謝罪を繰り返している。
「もう喋らない方がいいです。水、ここに置いておきます」
俺は500mlのミネラルウォーターを彼の側に置いた。
「行こう。早くしないと完全に日が暮れる」
俺たちはレインウェアを羽織り、ビニール傘を挿した。
雨天の為、既に辺りは薄暗かった。
ライトもひとつずつ携帯して、二人で登山道に進んだ。
事前に下調べした道を進み、遥に聞いた目印を探す。
佑斗は高橋くんのカメラの映像を都度見直して、映像の中の場所と周囲を見比べようとしたが、高橋くんが入山したのは真夜中だったせいか、映像の山林は真っ暗で、場所の様子はわからなかった。
結果的に、地図を持っている俺が先導して、斜め後ろに佑斗が付いて登っていく。
雨のせいか足元がぬかるんでいて、油断すると滑って転んでしまいそうになる。
山に入ると周りの木々が屋根の代わりになるのか、雨の量が減った気がした。
逆に薄暗さは増していて、傘を閉じてライトをつけた。
しばらく登った所で立ち止まり、地図を開いて現在位置を確認する。
「この先に山小屋があるはずだ」
「わかった」
目的地は近い。
ゴールが近づいて、少し安堵すると旭さんのことが気になってきた。
「旭さん、大丈夫かな。あんな具合悪そうなのに」
「レイコさんの護符があるから大丈夫だと思う。
それに、今回が初めてじゃないし」
俺は驚いた。
「そうなのか」
「うん、過去の撮影でもヤバイ場所があって、撮影後とか翌日とかに旭は体調崩してたよ」
佑斗がなんてことのないように言う。
俺が旭さんの容態にうろたえている隣で、妙に慣れた様子だったのはそういうことか。
「俺がバラしたこと、旭に内緒ね」
「ああ、うん。いいだろ、別に」
確かに、旭さんが霊障の影響を受けやすい体質なのは意外だった。
世間のイメージ的には真逆だし、本人に霊感はなさそうに見えるのに実際は違うのだろうか。
「なんか、映二郎は知っておいた方がいい気がするから言うけど」
思わせぶりな言い方だ。
「旭のあれは、そんなに深刻に捉えなくていいから」
どういう意味なのかよくわからなかった。
「どういう意味だ」
「あれは、イップスみたいなものだから」
(イップスって、スポーツ選手がなるやつだろ)
俺は無言で佑斗に話の続きを促した。
「さっきも言った通り、過去に霊障をもろに受けて体調を崩したのは本当。
でも、ガチのスポットってさ、実際は滅多に存在しない。
旭は予期不安が強くなり過ぎて、すぐに体調を悪くするようになった。
“また、ヤバイ場所かもしれない”って……」
「それは」
一体、いつからそうなったのだろう。
あの状態から配信や動画撮影をするのは難しい。
チャンネルの更新がストップしたのはそれが理由なのかもしれない。
「多分、あの動画を見てから、旭の中でスイッチが入ったんだと思う。
どんどん自分の中で不安が強くなって、本当に具合が悪くなっちゃう。
そういう時は、これでもかってくらい大量のお守りと護符でバリアを張ってやる」
毛布の上から、旭さんを守るように置かれたお守りと護符を思い出す。
「悪いものは、そういう人の弱い所を狙ってくるから」
病は気から。
怖い話に怯えていると本当に霊が寄ってくるとか、そういう話は本当らしい。
だから佑斗は、いつ旭さんがそうなっても大丈夫なように、お守りや護符を切らさないようにしている。
しばらく小石や木の根が多い狭い道が続いたので、俺は足元に注意を向けながら無言で歩き続けた。
いつの間にか、沈黙が少しも嫌ではなくなっていた。
「じゃあ、佑斗はあの動画はヤラセだと思ってる?」
歩き続けていたら、さっきの話の続きが気になった。
「わからない、そもそもほとんど何も映ってなかったし、気持ち悪い映像としか思わなかった。
でも立て続けに人が消えてる状況を考えると、やっぱり、この山には何かがいるんじゃないかな」
去年、遥がこの山から何かを連れて来た。
そう考えれば辻褄が合う。
だが同時に、どこまでも冷静な自分が考えすぎだと否定してくる。
「それこそ映二郎の得意分野じゃないの?
昔から山には怖い話が多いってのは、民俗学でよく言われてることでしょ」
山人
山男
山女
古くからの伝承には、山に棲む得体の知れない存在をこのような呼称で記されることが多い。
山に迷った人を助け、山人と人が交流するような記述がある一方で、山男に囚われた女性が子供を産まされ続けているという伝承もある。
怪異なのか生きている人間なのか、どちらとも解釈ができる。
神隠しとはそういった存在から、人がさらわれたとする説が濃厚である。
「何らかの理由で迫害された人々が山に棲みついて、麓や平地に住む人々から恐れられていたのが山人の始まりだと思うけど、ある時代からは絶滅して伝承のみが残っているってのが通説だからな」
現代で誘拐や不法投棄や自殺をしたい人たちが山にやってくるのは
『外界から見つかりにくい場所』を求めた結果に過ぎない。
別に、場所自体に何かが存在しているわけではないのだ。
『この山には同じ夢を見た人を誘い込む何かがいると思いませんか』
山へ誘いこむ とは何なのだろう
『外界から見つかりにくい場所』で
怖いことをしたい がいる
そんなわけがない
馬鹿馬鹿しい
現実にあるかもしれない、本当か嘘かわからない。
おもしろおかしく読んできたそれらの話が、いつまでも自分の中でぐるぐると回り続けていた。
