天気予報にない通り雨みたいな恋だった

 アスファルトを濡らす雨の音が、やけに大きく鼓膜を打つ。
 彼の手から引き抜かれた私の右手に残る、ぞっとするほどの冷たさが、体温を少しずつ奪っていくようだった。

 駅へ続く歩道の軒下。拾い上げた黒い傘を握る彼の横顔は、彫刻のように硬く、押し黙っている。

「灰谷さん……さっきの」

 喉の奥から絞り出した声は、ひどく掠れていた。

「本当は、目が見えてないんじゃ……」

 その言葉が空気に触れた瞬間だった。彼の横顔から、それまで微かに残っていた柔和な気配が、音を立てて剥がれ落ちた。
 振り返った彼の顔には、鉄の仮面のような冷徹さが張り付いていた。色の濃いサングラスの奥で、感情を殺した瞳が私を射抜く。

「……君、何か勘違いしてないか?」

 低く、氷のように冷たい声だった。

「ここはただの雨宿りの場所であって、君が薄っぺらいカウンセラーごっこをする場所じゃないんだ」
「そんなつもりじゃ……! 私はただ、灰谷さんのことが心配で、助けたいって……」
「『助けたい』?」

 彼は、腹の底から吐き捨てるように嘲笑した。

「随分と傲慢だね。自分一人の進路すら決められず、親の顔色を窺って、才能がない現実から逃げ出して。挙句の果てに、雨の中に逃げ込んでいるだけの君が、いったい誰を助けるって?」

 息が止まった。
 鋭い言葉の刃が、私の最も柔らかい急所を正確に抉り取る。

「君が今、「助けたい」だなんて言って俺に執着したのは、単に俺が『自分より可哀想な人間』に見えたからだろう。自分が優位に立てる、壊れかけの哀れな欠陥品を慰めて、いい気分になりたかっただけだ」
「違います! 私は、そんなふうに思ったことなんて……!」
「なら、これ以上俺の世界に踏み込むな」

 彼の拒絶は、私が縋っていた「雨の日だけの優しい彼」という脆い虚像を、粉々に叩き割った。
 雨足がにわかに強まる。彼は黒い長傘を開き、その下に広がる彼だけの暗闇へと身を隠した。

「もう、ここには来るな」

 冷酷な宣告だった。

「雨が降っても、もう会わない。君の安っぽい同情を浴びて慰められるくらいなら、俺は独りで暗闇を歩く方がマシだ」

 カツン、と傘の石突きがアスファルトを打つ。彼は一度も振り返ることなく、白く煙る豪雨の中へと歩き出した。

「待って……っ、灰谷さん!」

 伸ばしかけた手は、虚空を掻いた。
 彼の背中が、雨のカーテンに遮られて見えなくなる。私は彼を追うことができなかった。一歩でも踏み出せば、二度と戻れないほど彼を傷つけてしまうような気がしたからだ。

 鞄の中には、昨日徹夜して描いた、彼に見せるための新しいスケッチの構図が入っていた。見せることも叶わなくなったそれは、ただの紙切れよりも重く、私の腕を引いた。
 心地よい逃避場所だったはずの雨が、ひどく冷たく、鋭い針のように私の肌を刺している。

 豪雨の中、立ち尽くす。
 足元で跳ねる泥水がローファーを汚していくのを見つめながら、私は唇を噛み締めた。

 彼は、私の弱さを知っている。
 そして私は、彼の隠しきれない孤独を知ってしまった。

 ……だから。
 私にはもう、親の期待に従って、晴れの日だけを笑って過ごすことはできないのだ。