天気予報にない通り雨みたいな恋だった

 学校の門を飛び出した私の背中を、夏の気配を孕んだ強い西日が焼け付くように照らしていた。

 息が切れる。肺が熱い。ローファーがアスファルトを乱暴に叩く音が、早鐘を打つ自分の心臓の音と同じくらい、うるさく耳に響いていた。
 世界は今、すべてを燃やし尽くすようなオレンジ色のマジックアワーに染まっている。光が強ければ強いほど、彼にとっては暴力的な時間だ。

 向かう先は一つだけ。
 公園の木陰にある、あの薄暗いベンチ。

 祈るような気持ちで公園に飛び込むと、長く伸びた木々の影に溶け込むようにして、彼はそこにいた。
 強い西日を少しでも避けるように深く帽子を被り、濃いサングラスをかけて、じっと俯いている。まるで、世界から身を隠すようにして。

 ざっ、と乱暴な足音を立てて私が近づくと、彼はゆっくりと顔を上げた。
 「……君、足音まで騒々しくなったね。どうしたの、そんなに息を切らして。親と喧嘩でもして家出してきたわけ?」
 呆れたような、いつもの憎まれ口。
 けれど、今の私にはもう、その棘を恐れる気持ちなんて微塵もなかった。
 「……っ、はぁっ、はぁ……」
 私は彼の正面に立ち止まると、荒い息を整える間も惜しんで、真っ直ぐに彼を見下ろした。
 私が太陽を背にして立つことで、彼を射抜こうとしていた強い西日が遮られ、彼の上にすっぽりと私の影が落ちる。
 「美大に行くって、親に言ってきました」
 「……」
 「反対されましたけど、絶対に行くって宣言してきました。もう、迷いません」
 私がきっぱりと言うと、彼は少しだけ口を半開きにして私を見上げ、やがて興味なさそうにそっぽを向いた。
 「……あっそ。よかったね、偉大な芸術家の誕生だ。じゃあ、俺みたいな素人の被写体はもうお払い箱だな」
 逃げようとする彼のワイシャツの袖を、私は両手でぎゅっと、力一杯掴んだ。
 「写真が撮れないなら、私が代わりに描きます」
 「……は?」
 「あなたの目から色が消えてしまう前に、この世界の綺麗なものを、全部私がキャンバスに残すから」
 私の突然の宣言に、彼は言葉を失い、サングラスの奥で目を丸くしているのがわかった。
 胸の奥から、熱い感情が次々と溢れ出して止まらない。
 「私の絵を『綺麗だ』って言ってくれた。私の青色を、鮮やかだって言ってくれた。……だから、私をあなたの『専属の目』にしてください」
 袖を掴む手に、さらに力を込める。彼を絶対に逃がさないように。
 「あなたの隣にいる理由、これで文句ないですよね」

 あまりにも無謀で、真っ直ぐで、エゴにまみれた告白。
 押し付けるような私の言葉に、彼はしばらく呆然としていたが……やがて、小さく肩を震わせ、ひどく優しく、どこか諦めたように笑い出した。
 「……ほんと、君には敵わないな」
 彼は深い溜息をつき、空いている方の手で、ゆっくりとサングラスを外した。
 夕暮れの薄暗がりの中、少しだけ焦点の合わない、けれど酷く澄んだ彼の瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
 「ただでさえ暗い俺の世界に、そんな眩しい光を持ち込んで、どうする気だよ」
 彼はそう呟くと、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
 そして、熱を持った私の頬に、その大きな手のひらでそっと触れた。
 「あ……」
 出会ったばかりの頃、土砂降りの雨の中で私の肩を掴んだあの手は、氷のように冷たかった。
 でも、今の彼の指先は、私が走ってきた熱を吸い取ったかのように、ひどく温かく、優しかった。火傷しそうなほどのその熱に、私の目からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちる。
 親指で私の涙を拭いながら、彼は小さく笑った。
 「専属画家なんて、給料払えないよ」
 いつもの意地悪な響き。でも、その直後に紡がれた言葉は、甘く溶けるような本音だった。
 「……でも、君の描く青色は、好きだ」
 それは、ずっと私の好意を躱し、壁を作り続けてきた彼なりの、最大限の降伏宣言だった。

 頬に添えられた彼の手を、私の両手でそっと包み込む。
 彼がこれ以上光を恐れなくて済むように、私は彼を覆い隠すようにして、その温もりに身を寄せた。

 夕暮れの公園で、長く伸びた二人の影が、静かに一つに重なる。

 ずっと、雨上がりを待っていた。
 暗く冷たい雨の中で、誰かが傘を差し出してくれるのを待っていた。
 でも、彼の温かい手に触れた瞬間、わかったのだ。
 雨なんて降らなくても、空が晴れなくても、私の心はこれ以上ないほど、鮮やかな色彩で満たされていたのだと。