準決勝の熱狂から一夜明けても、チームを覆う空気は氷のように冷え切っていた。
普段なら田中先輩あたりが馬鹿なことを言って笑いを誘うはずのロッカールームは、湿った汗の匂いと、シューズのスパイクが床を引っ掻く音だけが響く、無機質な空間と化していた。
健二郎は俺と一切目を合わせず、まるで俺がそこに存在しないかのように黙々とプロテインをシェイクしている。他のメンバーも、どう接していいか分からないといった様子で、遠巻きに俺たちの間の深い溝を眺めているだけだ。キャプテンでDFの要である田代先輩が、そんな俺たちを見て深く重いため息をついた。
そんな中、ボランチの野村先輩が、いつもと変わらない穏やかな表情で俺の隣に座った。
「悠人、昨日はナイスゴールだったな。正直、俺には絶対打てないシュートだ。鳥肌が立ったよ」
「……どうも」
俺がぶっきらぼうに返すと、野村先輩は困ったように続けた。
「でも、健二郎の言いたいことも分かるだろ? 俺たちは、お前の才能を信じてる。だからこそ、俺たちのことも信じてほしいんだ。お前がパスを出せば、必ずゴールに繋げてみせるから」
その言葉は、どこまでも正しく、そして俺にとっては息苦しいだけだった。信じる? チーム? そんな不確かなものに、俺の未来を預けられるわけがない。
「俺は、俺のやり方で勝ちに行きます。それだけです」
俺がそう言って席を立つと、野村先輩の笑顔からふっと色が消えた。その横顔を、俺たちの司令塔である三年生、杉浦先輩が何も言わずにじっと見つめていた。
決勝戦までの数日間、練習は地獄のような雰囲気だった。
健二郎は、紅白戦で俺のマークにつくと、まるでボールではなく俺の足を狙っているかのような、殺気立ったタックルを繰り返した。パス回しの練習では、俺へのボールはどこかぎこちなく、俺から出したパスは誰もが取りづらそうにした。
何より俺を苦しめたのは、杉浦先輩からのパスが、ぱったりと来なくなったことだ。
杉浦先輩は、俺の動きのクセ、次に走り出すスペース、その全てを完璧に理解している俺にとって唯一無二のパサーだった。その杉浦先輩が、俺ではなくもう一人のFWである三年生の長谷川先輩や、サイドの岩崎にばかりボールを供給するようになったのだ。まるで、俺という選択肢を、意図的に消去するかのように。俺はチームの中で、完全に浮いた存在になっていた。
だから俺は、全体練習が終わった後も、一人グラウンドに残った。
日が落ち、ナイター照明に自分の影だけが伸びる中、来る日も来る日も、ただひたすらにシュート練習を繰り返した。航が自主的にゴールマウスに立ち、俺のシュートを受けてくれるのが、唯一の救いだった。
「……お前は、何も言わねえんだな」
息を切らしながら俺が言うと、航はボールを投げ返しながら、静かに答えた。
「俺の仕事は、ゴールを守ること。そして、お前の仕事は、ゴールを決めることだ。それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉は、俺を肯定も否定もしていなかった。だが、健二郎の怒声や、杉浦先輩の沈黙よりも、ずっと心地よく感じられた。
その夜、俺は自宅のベッドの上で、次の対戦相手である帝王高校の試合映像を、食い入るように見ていた。部屋の窓を開け放つと、むっとするような夏の夜の空気が流れ込んでくる。
ボールを蹴ることと、試合を分析すること。気づけば、この二つが俺の全てになっていた。
小学生の頃、父さんやじいちゃんと代表戦を見ながら、「ここでサイドチェンジすれば、相手のDFラインが崩れるのに」なんて生意気な解説をしていた。二人は笑いながら聞いてくれていた。
今となっては、遠い話だ。
画面の中の帝王高校は、強い。特に、DFの神谷涼介。あいつの統率するディフェンスラインは、ほとんど隙がない。
だが、それでも、勝機はある。
俺はノートに、神谷の僅かなポジショニングの癖や、チーム全体の攻撃から守備への切り替えの遅れをいくつも書き出していった。
(……これを、チームで共有すれば……)
そこまで考えて、俺は、ペンを置いた。
脳裏に、古い記憶が蘇る。
中学二年の、春の試合だ。
敵のDFと一対一の場面。
俺は確信していた。自分で打てば入る、と。
だが、斜め後ろで手を上げていた味方が見えた。信じてみようと思った。
パスを出した。
シュートは、枠を外れた。
試合後、「ナイスアシスト」と言われた。
俺は、何も言えなかった。
そして、同じ年の秋。中学最後の決勝戦。
後半残り一五分。まだ戦えるという俺の意志を無視し、監督は俺をベンチに下げた。「お前は限界だ」と、一方的に。
二つの記憶が、重なった。
チームを信じてパスを出しても、報われるとは限らない。
監督を信じて従っても、裏切られる。
俺は、ノートを、バタン、と音を立てて閉じた。
(意味がない)
どれだけ完璧な分析をしても、どれだけ勝利への道筋が見えていても、最後の最後で、監督というたった一人の人間の「判断」で、全てが覆される。チームなんて、所詮はその程度のものだ。
俺は、タブレットの映像を、あの日の中学決勝の試合に切り替えた。そして、再生を止め、ある一点を拡大する。
ピッチの中央に立つ、主審の姿。
あの日、俺たちの運命を左右した、もう一人の支配者。
選手や監督は、試合の流れや感情でその評価も判断も揺らぐ。だが審判だけが、試合開始から終了まで、たった一人、誰に評価されることもなく、ブレない絶対的な基準としてゲームの全てを司っていた。俺が監督に「限界だ」と決めつけられた、あの理不尽な瞬間でさえも、彼はただ、ルールに則って、交代の手続きを淡々と進めていただけだ。
憎らしいほど、公平で、孤高。
俺は、画面の中の、名前も知らない審判の姿に、畏怖にも似た、奇妙な憧れを抱いている自分に気づいていた。
ただ、ピッチで信じられるのは、誰の判断も介さない、俺自身のゴールだけだ。
俺は、書きかけの分析ノートを、ベッドの脇に放り投げた。
決勝戦前日の放課後。マネージャー室では、里桜が山積みの洗濯物を畳みながら、同じくマネージャーで、親友の亜矢に不満をぶちまけていた。
洗濯物を畳む手を動かしながら、私はなんとなく、去年の春のことを思い出していた。
中学を卒業して、吹奏楽部もやめて、何もなくなった春。
新しい部活を探していた時、サッカー部のマネージャー募集の張り紙を見た。
理由なんて、正直よく分からなかった。ただ、何かに所属していないと、自分がどこにいるのか分からなくなる気がした。だから「恋がしたい」という言葉を、自分への言い訳に使った。
それが本当のことかどうか、その時の私には、確かめる気力もなかった。
「――ほんっと、信じらんないんだけど、石川悠人! 自分勝手で、口が悪くて、デリカシーゼロで……! 私の王子様とは、月とスッポンだよ!」
「はいはい、また始まった。顔も名前も覚えてない、幼稚園の頃の王子様ね」
亜矢がカルテを整理しながら、からかうように言う。「覚えてなくても分かるの! あの日、公園でいじめられてた私を自分より大きな男の子から守ってくれたんだから! 『大丈夫?』って言ってくれた、すっごく優しい人だったの。それに比べて、石川悠人なんて……」
「まあ、正反対なのは認めるけど。でもさ、あんたも大概だよ。口では文句言うくせに、悠人のスパイクだけ一番丁寧に磨いてんじゃん」
「ち、違うし! エースのが汚れてると、チームの士気に関わるからだし!」
図星を突かれ、里桜は顔を真っ赤にして否定した。
その夜。
いつものように、俺が最後のシュート練習を終えてボールを片付けていると、背後から声がした。
「……まだやってたの」
中村里桜だった。その手には、マネージャー日誌と救急箱が抱えられている。隣には、呆れた顔の亜矢もいた。
「何しに来たんだよ。また説教か?」
「別に。忘れ物取りに来ただけ」
里桜はそう言いながら、グラウンドに転がっていたボールを俺の方へちょこん、と右足で蹴った。
ボールは、俺の足元へ、きれいに転がってきた。
「……お前、蹴れるのか」
「マネージャーだもん。それくらい」
澄ました顔で言う。だが、その耳が、かすかに赤かった。
里桜はそう言って俺の横を通り過ぎようとしたが、ふと足を止め、俺に向き直った。その目は、いつもの俺を射抜くような鋭さではなく、どこか揺らいで見えた。
「……これ」
彼女が差し出したのは、青と白の糸で編まれた、手作りのミサンガだった。
「いらねえよ、そんなもん。願掛けなんて、自分の力を信じられないヤツがすることだ」
「だから、これはあんたのためじゃないって言ってるでしょ!」
里桜は声を荒らげ、俺の左手首を乱暴に掴んだ。そして、震える指で、ミサンガを固く結びつけていく。
「これは、チームのため。あんたが勝手に暴走して、チームが負けたら迷惑なの。だから、これはその『お目付け役』! ……勘違いしないでよね」
顔を真っ赤にして、早口でまくし立てる里桜。その横で、亜矢がわざとらしく空を見上げて口笛を吹いている。
手首に伝わる、彼女の指先の温かさ。いつも憎まれ口ばかり叩くこいつの、見たこともない真剣な横顔。俺はなぜか、何も言い返すことができなかった。
「……好きにしろよ」
俺がそう呟くのが、精一杯だった。里桜はミサンガを結び終えると、「じゃあ!」とだけ言って、亜矢の手を引いて逃げるように去っていった。一人残されたグラウンドで、俺は左手首のミサンガをじっと見つめる。不格好で、少し歪んだ編み目。だがそれは、俺が失くしかけていた何かを、思い出させてくれるような気がした。
普段なら田中先輩あたりが馬鹿なことを言って笑いを誘うはずのロッカールームは、湿った汗の匂いと、シューズのスパイクが床を引っ掻く音だけが響く、無機質な空間と化していた。
健二郎は俺と一切目を合わせず、まるで俺がそこに存在しないかのように黙々とプロテインをシェイクしている。他のメンバーも、どう接していいか分からないといった様子で、遠巻きに俺たちの間の深い溝を眺めているだけだ。キャプテンでDFの要である田代先輩が、そんな俺たちを見て深く重いため息をついた。
そんな中、ボランチの野村先輩が、いつもと変わらない穏やかな表情で俺の隣に座った。
「悠人、昨日はナイスゴールだったな。正直、俺には絶対打てないシュートだ。鳥肌が立ったよ」
「……どうも」
俺がぶっきらぼうに返すと、野村先輩は困ったように続けた。
「でも、健二郎の言いたいことも分かるだろ? 俺たちは、お前の才能を信じてる。だからこそ、俺たちのことも信じてほしいんだ。お前がパスを出せば、必ずゴールに繋げてみせるから」
その言葉は、どこまでも正しく、そして俺にとっては息苦しいだけだった。信じる? チーム? そんな不確かなものに、俺の未来を預けられるわけがない。
「俺は、俺のやり方で勝ちに行きます。それだけです」
俺がそう言って席を立つと、野村先輩の笑顔からふっと色が消えた。その横顔を、俺たちの司令塔である三年生、杉浦先輩が何も言わずにじっと見つめていた。
決勝戦までの数日間、練習は地獄のような雰囲気だった。
健二郎は、紅白戦で俺のマークにつくと、まるでボールではなく俺の足を狙っているかのような、殺気立ったタックルを繰り返した。パス回しの練習では、俺へのボールはどこかぎこちなく、俺から出したパスは誰もが取りづらそうにした。
何より俺を苦しめたのは、杉浦先輩からのパスが、ぱったりと来なくなったことだ。
杉浦先輩は、俺の動きのクセ、次に走り出すスペース、その全てを完璧に理解している俺にとって唯一無二のパサーだった。その杉浦先輩が、俺ではなくもう一人のFWである三年生の長谷川先輩や、サイドの岩崎にばかりボールを供給するようになったのだ。まるで、俺という選択肢を、意図的に消去するかのように。俺はチームの中で、完全に浮いた存在になっていた。
だから俺は、全体練習が終わった後も、一人グラウンドに残った。
日が落ち、ナイター照明に自分の影だけが伸びる中、来る日も来る日も、ただひたすらにシュート練習を繰り返した。航が自主的にゴールマウスに立ち、俺のシュートを受けてくれるのが、唯一の救いだった。
「……お前は、何も言わねえんだな」
息を切らしながら俺が言うと、航はボールを投げ返しながら、静かに答えた。
「俺の仕事は、ゴールを守ること。そして、お前の仕事は、ゴールを決めることだ。それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉は、俺を肯定も否定もしていなかった。だが、健二郎の怒声や、杉浦先輩の沈黙よりも、ずっと心地よく感じられた。
その夜、俺は自宅のベッドの上で、次の対戦相手である帝王高校の試合映像を、食い入るように見ていた。部屋の窓を開け放つと、むっとするような夏の夜の空気が流れ込んでくる。
ボールを蹴ることと、試合を分析すること。気づけば、この二つが俺の全てになっていた。
小学生の頃、父さんやじいちゃんと代表戦を見ながら、「ここでサイドチェンジすれば、相手のDFラインが崩れるのに」なんて生意気な解説をしていた。二人は笑いながら聞いてくれていた。
今となっては、遠い話だ。
画面の中の帝王高校は、強い。特に、DFの神谷涼介。あいつの統率するディフェンスラインは、ほとんど隙がない。
だが、それでも、勝機はある。
俺はノートに、神谷の僅かなポジショニングの癖や、チーム全体の攻撃から守備への切り替えの遅れをいくつも書き出していった。
(……これを、チームで共有すれば……)
そこまで考えて、俺は、ペンを置いた。
脳裏に、古い記憶が蘇る。
中学二年の、春の試合だ。
敵のDFと一対一の場面。
俺は確信していた。自分で打てば入る、と。
だが、斜め後ろで手を上げていた味方が見えた。信じてみようと思った。
パスを出した。
シュートは、枠を外れた。
試合後、「ナイスアシスト」と言われた。
俺は、何も言えなかった。
そして、同じ年の秋。中学最後の決勝戦。
後半残り一五分。まだ戦えるという俺の意志を無視し、監督は俺をベンチに下げた。「お前は限界だ」と、一方的に。
二つの記憶が、重なった。
チームを信じてパスを出しても、報われるとは限らない。
監督を信じて従っても、裏切られる。
俺は、ノートを、バタン、と音を立てて閉じた。
(意味がない)
どれだけ完璧な分析をしても、どれだけ勝利への道筋が見えていても、最後の最後で、監督というたった一人の人間の「判断」で、全てが覆される。チームなんて、所詮はその程度のものだ。
俺は、タブレットの映像を、あの日の中学決勝の試合に切り替えた。そして、再生を止め、ある一点を拡大する。
ピッチの中央に立つ、主審の姿。
あの日、俺たちの運命を左右した、もう一人の支配者。
選手や監督は、試合の流れや感情でその評価も判断も揺らぐ。だが審判だけが、試合開始から終了まで、たった一人、誰に評価されることもなく、ブレない絶対的な基準としてゲームの全てを司っていた。俺が監督に「限界だ」と決めつけられた、あの理不尽な瞬間でさえも、彼はただ、ルールに則って、交代の手続きを淡々と進めていただけだ。
憎らしいほど、公平で、孤高。
俺は、画面の中の、名前も知らない審判の姿に、畏怖にも似た、奇妙な憧れを抱いている自分に気づいていた。
ただ、ピッチで信じられるのは、誰の判断も介さない、俺自身のゴールだけだ。
俺は、書きかけの分析ノートを、ベッドの脇に放り投げた。
決勝戦前日の放課後。マネージャー室では、里桜が山積みの洗濯物を畳みながら、同じくマネージャーで、親友の亜矢に不満をぶちまけていた。
洗濯物を畳む手を動かしながら、私はなんとなく、去年の春のことを思い出していた。
中学を卒業して、吹奏楽部もやめて、何もなくなった春。
新しい部活を探していた時、サッカー部のマネージャー募集の張り紙を見た。
理由なんて、正直よく分からなかった。ただ、何かに所属していないと、自分がどこにいるのか分からなくなる気がした。だから「恋がしたい」という言葉を、自分への言い訳に使った。
それが本当のことかどうか、その時の私には、確かめる気力もなかった。
「――ほんっと、信じらんないんだけど、石川悠人! 自分勝手で、口が悪くて、デリカシーゼロで……! 私の王子様とは、月とスッポンだよ!」
「はいはい、また始まった。顔も名前も覚えてない、幼稚園の頃の王子様ね」
亜矢がカルテを整理しながら、からかうように言う。「覚えてなくても分かるの! あの日、公園でいじめられてた私を自分より大きな男の子から守ってくれたんだから! 『大丈夫?』って言ってくれた、すっごく優しい人だったの。それに比べて、石川悠人なんて……」
「まあ、正反対なのは認めるけど。でもさ、あんたも大概だよ。口では文句言うくせに、悠人のスパイクだけ一番丁寧に磨いてんじゃん」
「ち、違うし! エースのが汚れてると、チームの士気に関わるからだし!」
図星を突かれ、里桜は顔を真っ赤にして否定した。
その夜。
いつものように、俺が最後のシュート練習を終えてボールを片付けていると、背後から声がした。
「……まだやってたの」
中村里桜だった。その手には、マネージャー日誌と救急箱が抱えられている。隣には、呆れた顔の亜矢もいた。
「何しに来たんだよ。また説教か?」
「別に。忘れ物取りに来ただけ」
里桜はそう言いながら、グラウンドに転がっていたボールを俺の方へちょこん、と右足で蹴った。
ボールは、俺の足元へ、きれいに転がってきた。
「……お前、蹴れるのか」
「マネージャーだもん。それくらい」
澄ました顔で言う。だが、その耳が、かすかに赤かった。
里桜はそう言って俺の横を通り過ぎようとしたが、ふと足を止め、俺に向き直った。その目は、いつもの俺を射抜くような鋭さではなく、どこか揺らいで見えた。
「……これ」
彼女が差し出したのは、青と白の糸で編まれた、手作りのミサンガだった。
「いらねえよ、そんなもん。願掛けなんて、自分の力を信じられないヤツがすることだ」
「だから、これはあんたのためじゃないって言ってるでしょ!」
里桜は声を荒らげ、俺の左手首を乱暴に掴んだ。そして、震える指で、ミサンガを固く結びつけていく。
「これは、チームのため。あんたが勝手に暴走して、チームが負けたら迷惑なの。だから、これはその『お目付け役』! ……勘違いしないでよね」
顔を真っ赤にして、早口でまくし立てる里桜。その横で、亜矢がわざとらしく空を見上げて口笛を吹いている。
手首に伝わる、彼女の指先の温かさ。いつも憎まれ口ばかり叩くこいつの、見たこともない真剣な横顔。俺はなぜか、何も言い返すことができなかった。
「……好きにしろよ」
俺がそう呟くのが、精一杯だった。里桜はミサンガを結び終えると、「じゃあ!」とだけ言って、亜矢の手を引いて逃げるように去っていった。一人残されたグラウンドで、俺は左手首のミサンガをじっと見つめる。不格好で、少し歪んだ編み目。だがそれは、俺が失くしかけていた何かを、思い出させてくれるような気がした。
