ある晴れた日の午後。
病院の中庭で、俺が手すりを使ってゆっくりと屈伸運動を繰り返していると、聞き覚えのある声がした。
「よお。リハビリ、頑張ってんじゃねえか」
振り返ると、そこには練習着姿の健二郎と航が立っていた。
「……お前ら、練習はいいのかよ」
「今日はリカバリーの日だ。それより、江戸屋のたい焼き、買ってきてやったんだよ。好きだったろ?」
健二郎はぶっきらぼうにそう言うと、気まずそうに視線を逸らした。
そして、ぼりぼりと頭を掻きながら、ぼそりと言った。
「……あのさ。悪かったな、あの時は」
「……え?」
「準決勝の後だよ。俺、お前にひでえこと言った。チームのことしか見えてなくて、お前が一人で背負ってたもんに、気づいてやれなかった。……すまん」
健二郎が、頭を下げていた。あの、誰よりもプライドの高い健二郎が。
俺は、言葉を失った。そして、気づけば、俺も頭を下げていた。
「……いや。悪いのは、俺の方だ。俺は、周りが見えてない最低のFWだった」
お互い、顔を上げられないまま、気まずい沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、航だった。
「二人とも、顔を上げろよ。らしくないぜ」
航は、静かに微笑んでいた。
「ユウト。お前がいないゴール前は、やっぱり静かすぎる。健二郎の怒鳴り声も、半分くらい減ったぞ」
「なっ……! 航、てめえ!」
「本当のことだろ」
航の言葉に、健二郎と俺は、思わず吹き出してしまった。そして、久しぶりに、腹の底から笑った。そして、たい焼きを三人で頬張った。
俺たちが笑い合っていると、航が、ふと真面目な顔になって言った。
「新チームが始動した。俺たちの代だ」
「……そうか」
「キャプテンは、アキ。副キャプテンは、健二郎だ」
健二郎は、ふんと鼻を鳴らして、たい焼きを一口齧った。
「……待ってるぞ。お前の穴を埋めるのは、骨が折れる」
航は続けた。
「俺たちは、来年、必ず全国へ行く。だから、お前も……」
航は、俺の、まだ細いままの右足を、じっと見つめた。
「……早く戻ってこい、とは言わない。お前のペースでいい。俺たちは、お前の場所を、空けて待ってるからな」
二人が帰った後、俺は、武藤先生の元へ向かった。
「先生。すみません。午後のメニュー、もうワンセット、追加でお願いできますか」
驚く武藤先生に、俺は心の底から笑って言った。
「あいつらにこれ以上、情けねえ姿、見せられないんで」
できるか分からないが、もう一度、あいつらと同じピッチに立つ。
数日後、武藤先生が病室に来た。
「石川くん、退院の日取りですが、明日でどうですか? あとは外来でリハビリを続けていきます」
「……外来、ですか」
「毎日ここに来てもらいます。サボったら承知しないよ」
武藤先生は、そう言って、少しだけ笑った。
退院の朝。
俺は、病室の隅に立てかけてあった、寄せ書きだらけのギプスを母さんに持ってもらって病室を後にした。
三週間ぶりに、病院の玄関から外の世界へと一歩を踏み出した。
まだ右膝には、物々しい装具がつけられている。松葉杖も、しばらくは手放せない。それでも、久しぶりに浴びる外の空気は、病室の消毒液の匂いとは全く違う、生命力に満ちた匂いがした。
「退院、おめでとう、悠人!」
玄関の前では、里桜が、満面の笑みで俺を迎えてくれた。その隣には、亜矢もいる。
「……まあ、めでたいのかどうかは、分かんねえけどな」
俺がぶっきらぼうに返すと、亜矢がやれやれと肩をすくめた。
「相変わらず、ひねくれてんだから。素直に喜べばいいのに」
「うるせえ」
そんな軽口を叩き合えることが、少しだけ、嬉しかった。
退院した夜、久しぶりに家族四人で食卓を囲んだ。
母さんが、俺の好きなから揚げを作ってくれていた。父さんはいつものように、特に何も言わずに箸を動かしていた。
「お兄ちゃん、足、まだ痛い?」
向かいに座った遥が、少し心配そうに俺を見た。高校一年の妹は、俺が入院している間、一度だけ見舞いに来て、そのくせ病室では緊張しすぎてほとんど何も喋れなかった。
「もう大丈夫」
「ほんとに?」
「うるさいなぁ」
「……退院、おめでとう」
遥とのやり取りを黙って聞いていた父さんが、食事が終わりかけた頃、ぽつりと言った。
「ありがとう」
俺も、それだけ返した。
短い、それだけの会話だった。
だがなぜか、その夜は、父さんへの苛立ちが湧いてこなかった。
それから数日後の朝のことだった。
学校へ行く前、玄関で松葉杖の調整をしていると、スーツ姿の父さんが、仕事の鞄を手に降りてきた。
先に遥が「行ってきます」と飛び出していった後の、二人きりの玄関だった。
俺が松葉杖を使っているのを見て、父さんは一瞬立ち止まった。
「……肩、痛くないか」
「別に」
「そうか」
それだけ言って、父さんは先に玄関を出ていった。
たったそれだけだ。
なのに俺は、靴を履きながら、妙に胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「肩、痛くないか」。
父さんが俺に直接声をかけたのは、病院での出来事以来、久しぶりだったかもしれない。怒鳴ることも、諭すことも、アドバイスすることもなく、ただ一言だけ、俺の身体を気遣って、去っていった。
それが、父さんのやり方なんだ。
そう気づいたのは、父さんの背中が見えなくなってからだった。
週末の昼下がり。
リハビリから帰ってくると、居間で父さんが一人、古いサッカーのビデオテープを棚から引っ張り出していた。遥は友達の家に遊びに行っているらしく、家は静かだった。
「なんだ、それ」
「ああ、悠人。お前が小学校の頃の試合のやつだ。ビデオデッキが壊れる前に、DVDに焼いておこうと思って」
父さんは少し照れくさそうに言った。
「捨ててよ、そんなもん」
「ダメだ。お父さんの宝物なんだから」
俺は思わず、拍子抜けした。
宝物。
あの、無口で、地味で、俺が長い間「弱い人間」だと思っていた父さんが、そんな言葉を、何の照れもなく使うのか。
「……見るの?」
「せっかくだしな。一緒に見るか」
「……別に」
俺は松葉杖を置いて、父さんの隣のソファに腰を下ろした。
画面の中に、小さな悠人が映し出された。まだ身体も細くて、ドリブルもぎこちない。それでも、ボールを追いかけながら、俺は画面の中で笑っていた。
あんな顔で笑っていたのか、昔の俺は。
「この試合、後半に逆転したんだよな」
父さんが、懐かしそうに言った。
「覚えてないよ、そんな昔のこと」
「お父さんは覚えてる。あの時のお前の顔、最高だったから」
父さんは、画面を見つめたまま、静かに笑った。
俺は、何も言えなかった。
怒鳴りたかったわけでも、諭したかったわけでもない。ただ、ずっと俺のことを見ていたのか、この人は。
その事実が、俺の胸の、どこかかたい場所に、ゆっくりと刺さっていった。
ビデオが終わった後も、俺たちはしばらく、同じソファに座っていた。
テレビ画面は、砂嵐になっていた。父さんがリモコンを取って、電源を落とした。
「……父さん」
気づいたら、俺の口から言葉が出ていた。
「俺が中学の時、監督に交代させられたこと、覚えてるか」
父さんは、少しだけ間を置いてから、頷いた。
「覚えてるよ」
「あの時、俺は、自分の意志を無視された、って思った。だから、チームなんか信じない、自分の力だけで全部決める、って決めたんだ」
父さんは、何も言わなかった。
「……今考えたら、父さんのことも、同じだったんだと思う」
気づいたら、そう言っていた。
「大事な場面で、自分の意志を貫けない人間だと思ってた。だから、ずっと反発してた」
言ってしまってから、俺は、少しだけ後悔した。
だが、取り消す言葉も出てこなかった。
父さんは、しばらくの間、黙って、自分の膝を見ていた。
そして、ゆっくりと、口を開いた。
「父さんにも、昔、似たようなことがあった」
「…………え」
「大学の時、建築を専攻してた。設計士になりたかったんだ」
俺は、初めて聞く話に、思わず父さんの顔を見た。
「でも、就職活動の時に、父さんの父親、お前のじいちゃんに反対された。『安定した会社に入れ』って。じいちゃんは、自分で商売をやってて、苦労したから、サラリーマンになれって言い続けたんだ」
「……それで、今の会社に?」
「ああ」
父さんは、静かに頷いた。
「最初は、悔しかった。自分の夢を諦めた、って思ってた。でも、今は違う」
父さんは、少しだけ俺の方を向いた。
「悠人が生まれて、遥が生まれて、お前たちが育つのを見てたら、俺が守りたいのはこの家族だって分かった。設計士になりたかったのは本当だ。でも、この家族を守れたことの方が、俺にはずっと大事だった」
俺は、返す言葉が見つからなかった。
「俺は弱い人間だと思ってたか?」
父さんが、静かに聞いた。
「…………昔は、そう思ってた」
「そうか」
父さんは、怒らなかった。ただ、少しだけ、寂しそうに笑った。
「でも、弱くても、守れるものがある。悠人が言う『強さ』とは違うかもしれないけどな」
俺は、何も言えなかった。
父さんは、立ち上がって、キッチンへ向かった。
「何か、飲むか」
「…………うん」
しばらくして、父さんが湯呑みを二つ持って戻ってきた。
俺たちは、また並んで座った。
お茶を飲みながら、今度は何も話さなかった。
だがその沈黙は、これまでとは、少しだけ、違う色をしていた。
強さの形は、一つじゃない。
(……支える側)
その言葉が頭の中で、別の何かとかすかに共鳴した。
まだ、形にならない。でも、何かが、俺の中で、動き始めていた。
病院の中庭で、俺が手すりを使ってゆっくりと屈伸運動を繰り返していると、聞き覚えのある声がした。
「よお。リハビリ、頑張ってんじゃねえか」
振り返ると、そこには練習着姿の健二郎と航が立っていた。
「……お前ら、練習はいいのかよ」
「今日はリカバリーの日だ。それより、江戸屋のたい焼き、買ってきてやったんだよ。好きだったろ?」
健二郎はぶっきらぼうにそう言うと、気まずそうに視線を逸らした。
そして、ぼりぼりと頭を掻きながら、ぼそりと言った。
「……あのさ。悪かったな、あの時は」
「……え?」
「準決勝の後だよ。俺、お前にひでえこと言った。チームのことしか見えてなくて、お前が一人で背負ってたもんに、気づいてやれなかった。……すまん」
健二郎が、頭を下げていた。あの、誰よりもプライドの高い健二郎が。
俺は、言葉を失った。そして、気づけば、俺も頭を下げていた。
「……いや。悪いのは、俺の方だ。俺は、周りが見えてない最低のFWだった」
お互い、顔を上げられないまま、気まずい沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、航だった。
「二人とも、顔を上げろよ。らしくないぜ」
航は、静かに微笑んでいた。
「ユウト。お前がいないゴール前は、やっぱり静かすぎる。健二郎の怒鳴り声も、半分くらい減ったぞ」
「なっ……! 航、てめえ!」
「本当のことだろ」
航の言葉に、健二郎と俺は、思わず吹き出してしまった。そして、久しぶりに、腹の底から笑った。そして、たい焼きを三人で頬張った。
俺たちが笑い合っていると、航が、ふと真面目な顔になって言った。
「新チームが始動した。俺たちの代だ」
「……そうか」
「キャプテンは、アキ。副キャプテンは、健二郎だ」
健二郎は、ふんと鼻を鳴らして、たい焼きを一口齧った。
「……待ってるぞ。お前の穴を埋めるのは、骨が折れる」
航は続けた。
「俺たちは、来年、必ず全国へ行く。だから、お前も……」
航は、俺の、まだ細いままの右足を、じっと見つめた。
「……早く戻ってこい、とは言わない。お前のペースでいい。俺たちは、お前の場所を、空けて待ってるからな」
二人が帰った後、俺は、武藤先生の元へ向かった。
「先生。すみません。午後のメニュー、もうワンセット、追加でお願いできますか」
驚く武藤先生に、俺は心の底から笑って言った。
「あいつらにこれ以上、情けねえ姿、見せられないんで」
できるか分からないが、もう一度、あいつらと同じピッチに立つ。
数日後、武藤先生が病室に来た。
「石川くん、退院の日取りですが、明日でどうですか? あとは外来でリハビリを続けていきます」
「……外来、ですか」
「毎日ここに来てもらいます。サボったら承知しないよ」
武藤先生は、そう言って、少しだけ笑った。
退院の朝。
俺は、病室の隅に立てかけてあった、寄せ書きだらけのギプスを母さんに持ってもらって病室を後にした。
三週間ぶりに、病院の玄関から外の世界へと一歩を踏み出した。
まだ右膝には、物々しい装具がつけられている。松葉杖も、しばらくは手放せない。それでも、久しぶりに浴びる外の空気は、病室の消毒液の匂いとは全く違う、生命力に満ちた匂いがした。
「退院、おめでとう、悠人!」
玄関の前では、里桜が、満面の笑みで俺を迎えてくれた。その隣には、亜矢もいる。
「……まあ、めでたいのかどうかは、分かんねえけどな」
俺がぶっきらぼうに返すと、亜矢がやれやれと肩をすくめた。
「相変わらず、ひねくれてんだから。素直に喜べばいいのに」
「うるせえ」
そんな軽口を叩き合えることが、少しだけ、嬉しかった。
退院した夜、久しぶりに家族四人で食卓を囲んだ。
母さんが、俺の好きなから揚げを作ってくれていた。父さんはいつものように、特に何も言わずに箸を動かしていた。
「お兄ちゃん、足、まだ痛い?」
向かいに座った遥が、少し心配そうに俺を見た。高校一年の妹は、俺が入院している間、一度だけ見舞いに来て、そのくせ病室では緊張しすぎてほとんど何も喋れなかった。
「もう大丈夫」
「ほんとに?」
「うるさいなぁ」
「……退院、おめでとう」
遥とのやり取りを黙って聞いていた父さんが、食事が終わりかけた頃、ぽつりと言った。
「ありがとう」
俺も、それだけ返した。
短い、それだけの会話だった。
だがなぜか、その夜は、父さんへの苛立ちが湧いてこなかった。
それから数日後の朝のことだった。
学校へ行く前、玄関で松葉杖の調整をしていると、スーツ姿の父さんが、仕事の鞄を手に降りてきた。
先に遥が「行ってきます」と飛び出していった後の、二人きりの玄関だった。
俺が松葉杖を使っているのを見て、父さんは一瞬立ち止まった。
「……肩、痛くないか」
「別に」
「そうか」
それだけ言って、父さんは先に玄関を出ていった。
たったそれだけだ。
なのに俺は、靴を履きながら、妙に胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「肩、痛くないか」。
父さんが俺に直接声をかけたのは、病院での出来事以来、久しぶりだったかもしれない。怒鳴ることも、諭すことも、アドバイスすることもなく、ただ一言だけ、俺の身体を気遣って、去っていった。
それが、父さんのやり方なんだ。
そう気づいたのは、父さんの背中が見えなくなってからだった。
週末の昼下がり。
リハビリから帰ってくると、居間で父さんが一人、古いサッカーのビデオテープを棚から引っ張り出していた。遥は友達の家に遊びに行っているらしく、家は静かだった。
「なんだ、それ」
「ああ、悠人。お前が小学校の頃の試合のやつだ。ビデオデッキが壊れる前に、DVDに焼いておこうと思って」
父さんは少し照れくさそうに言った。
「捨ててよ、そんなもん」
「ダメだ。お父さんの宝物なんだから」
俺は思わず、拍子抜けした。
宝物。
あの、無口で、地味で、俺が長い間「弱い人間」だと思っていた父さんが、そんな言葉を、何の照れもなく使うのか。
「……見るの?」
「せっかくだしな。一緒に見るか」
「……別に」
俺は松葉杖を置いて、父さんの隣のソファに腰を下ろした。
画面の中に、小さな悠人が映し出された。まだ身体も細くて、ドリブルもぎこちない。それでも、ボールを追いかけながら、俺は画面の中で笑っていた。
あんな顔で笑っていたのか、昔の俺は。
「この試合、後半に逆転したんだよな」
父さんが、懐かしそうに言った。
「覚えてないよ、そんな昔のこと」
「お父さんは覚えてる。あの時のお前の顔、最高だったから」
父さんは、画面を見つめたまま、静かに笑った。
俺は、何も言えなかった。
怒鳴りたかったわけでも、諭したかったわけでもない。ただ、ずっと俺のことを見ていたのか、この人は。
その事実が、俺の胸の、どこかかたい場所に、ゆっくりと刺さっていった。
ビデオが終わった後も、俺たちはしばらく、同じソファに座っていた。
テレビ画面は、砂嵐になっていた。父さんがリモコンを取って、電源を落とした。
「……父さん」
気づいたら、俺の口から言葉が出ていた。
「俺が中学の時、監督に交代させられたこと、覚えてるか」
父さんは、少しだけ間を置いてから、頷いた。
「覚えてるよ」
「あの時、俺は、自分の意志を無視された、って思った。だから、チームなんか信じない、自分の力だけで全部決める、って決めたんだ」
父さんは、何も言わなかった。
「……今考えたら、父さんのことも、同じだったんだと思う」
気づいたら、そう言っていた。
「大事な場面で、自分の意志を貫けない人間だと思ってた。だから、ずっと反発してた」
言ってしまってから、俺は、少しだけ後悔した。
だが、取り消す言葉も出てこなかった。
父さんは、しばらくの間、黙って、自分の膝を見ていた。
そして、ゆっくりと、口を開いた。
「父さんにも、昔、似たようなことがあった」
「…………え」
「大学の時、建築を専攻してた。設計士になりたかったんだ」
俺は、初めて聞く話に、思わず父さんの顔を見た。
「でも、就職活動の時に、父さんの父親、お前のじいちゃんに反対された。『安定した会社に入れ』って。じいちゃんは、自分で商売をやってて、苦労したから、サラリーマンになれって言い続けたんだ」
「……それで、今の会社に?」
「ああ」
父さんは、静かに頷いた。
「最初は、悔しかった。自分の夢を諦めた、って思ってた。でも、今は違う」
父さんは、少しだけ俺の方を向いた。
「悠人が生まれて、遥が生まれて、お前たちが育つのを見てたら、俺が守りたいのはこの家族だって分かった。設計士になりたかったのは本当だ。でも、この家族を守れたことの方が、俺にはずっと大事だった」
俺は、返す言葉が見つからなかった。
「俺は弱い人間だと思ってたか?」
父さんが、静かに聞いた。
「…………昔は、そう思ってた」
「そうか」
父さんは、怒らなかった。ただ、少しだけ、寂しそうに笑った。
「でも、弱くても、守れるものがある。悠人が言う『強さ』とは違うかもしれないけどな」
俺は、何も言えなかった。
父さんは、立ち上がって、キッチンへ向かった。
「何か、飲むか」
「…………うん」
しばらくして、父さんが湯呑みを二つ持って戻ってきた。
俺たちは、また並んで座った。
お茶を飲みながら、今度は何も話さなかった。
だがその沈黙は、これまでとは、少しだけ、違う色をしていた。
強さの形は、一つじゃない。
(……支える側)
その言葉が頭の中で、別の何かとかすかに共鳴した。
まだ、形にならない。でも、何かが、俺の中で、動き始めていた。
