写真屋の自動ドアが開き、退店を告げる無機質な電子音が鳴った。
外に出ると、頬にひんやりとした風が当たった。つい先ほどまで降っていた通り雨は嘘のように上がり、灰色の雲の切れ間から、薄っすらと水色の空が顔を覗かせている。アスファルトの窪みにできた水たまりが、信号機の赤い光を揺らしながら反射していた。
右手に握りしめた紙の封筒が、ひどく重かった。
現像された、7年前のフィルム。あの土砂降りの日、彼が持っていたカメラに残されていた最後の記憶。
私は近くの小さな公園を見つけ、濡れたベンチをハンカチで拭ってから腰を下ろした。
指先が微かに震えている。
これを見るのが怖かった。彼が死の直前に何を見ていたのかを知ってしまえば、「私があの雨の中に彼を一人で突き放したからだ」という罪の意識が、永遠に私を縛り付ける烙印に変わってしまうような気がしたからだ。
けれど、もう逃げるわけにはいかない。あの日から7年間、私はずっと自分の保身という傘の中で、彼への後悔から目を背け続けてきた。
「知らなきゃ、前へ進めない」。
深く深呼吸をして、私はゆっくりと封筒の口を開けた。
微かな現像液の匂いとともに、印画紙の束が手の中に滑り落ちる。
一枚ずつ、ゆっくりと裏返していく。
最初の数枚は、あの放課後に寄り道した時の景色だった。西日に透けるフェンスの蔓草、あくびをする野良猫、川沿いの水面に散らばる無数の光の粒。
彼が「綺麗だから」と言って大切に切り取った世界が、7年の時を超えて鮮やかに蘇る。
しかし、5枚目をめくったところで、私は息を呑んだ。
そこに写っていたのは、私だった。
神社の軒下で、雨を避けるように少し俯いている横顔。
土手でベンチに座り、恐る恐る彼のカメラのファインダーを覗き込んでいる姿。
そして、あの教室の机の中に隠されていた、雨宿りの時に笑っている私。
「……え」
次の一枚も、また次の一枚も。
彼が「綺麗だから撮る」と言っていたレンズの先には、いつも私がいた。
自分では絶対に気づけないような、ふとした瞬間の無防備な表情。レンズ越しに私を見つめる彼の視線が、どれほど温かく、不器用で、確かな愛情に満ちていたかが、痛いほどに伝わってくる。
「傘の中で濡れないようにしてるだけじゃん」と私を突き放した彼は、本当は誰よりも優しい目で、私という存在を丸ごと肯定し、愛してくれていたのだ。
視界が歪み、ポタリと印画紙に透明な雫が落ちた。
そして、いよいよフィルムの最後の一枚。
あの土砂降りの昇降口で、彼が私に背を向けて歩き出した後、事故に遭う直前にシャッターが切られたはずの写真。
私は震える手で、その写真を裏返した。
絶望に満ちた灰色の空が写っていると思っていた。私の拒絶に傷ついた彼が、自暴自棄になって切り取った、暗く冷たい景色だと。
しかし、そこにあったのは。
分厚く重く垂れ込めていた雨雲が裂け、そこから強烈な黄金色の光の柱が、真っ直ぐに地上へと降り注いでいる景色だった。
そして、雨粒を透かして架かる、息を呑むほど鮮やかな七色の虹。
頭の中で、7年前に彼から渡されたカメラに貼られていた、あの不格好な付箋の文字がフラッシュバックした。
『もし俺がいなくなっても、雨上がりには空を見て』
――あぁ、そういうことだったのか。
昇降口で私に背を向けた彼は、私に絶望して死に向かっていったのではなかった。
冷たい雨の中を歩き出し、ふと見上げた空が、ハッとするほど綺麗だったから。
「雨に濡れた後には、こんなに綺麗なものが見えるんだよ」「だから、傘を捨てて濡れることを怖がらないで」と。
彼は最後の最後まで、臆病な私にその景色を見せようとして、シャッターを切っていたのだ。
「っ……、蒼太、くん……」
声に出して彼の名前を呼んだのは、7年ぶりだった。
彼が遺したかった本当のメッセージを受け取った瞬間、私の心を分厚く覆っていた「彼を傷つけたまま終わらせてしまった」という呪縛が、温かい涙となってポロポロと溢れ出し、静かに溶けていった。
私はゆっくりと立ち上がり、今日家を出る時に無意識に開いていた自分の傘のボタンを押し、バサリと閉じた。
そして、顔を上げて、現実の空を見上げた。
雲が切れ、西の空が燃えるようなオレンジ色に染まっている。
雨上がりの澄んだ冷たい空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。7年前のあの日のように、土とアスファルトの匂いがした。
突然私の世界に降ってきて。
私をずぶ濡れにして、あっという間に過ぎ去ってしまった。
でも、他人の目ばかりを気にしてモノクロだった私の世界を、こんなにも鮮やかな極彩色に変えてくれた。
――夕立みたいな、恋だった。
私は頬を濡らす涙を手の甲で乱暴に拭い、カメラと写真の束をしっかりと胸に抱きしめた。
水たまりを避けず、真っ直ぐに踏み出し、私は7年ぶりに、自分の足で前を向いて歩き始めた。
外に出ると、頬にひんやりとした風が当たった。つい先ほどまで降っていた通り雨は嘘のように上がり、灰色の雲の切れ間から、薄っすらと水色の空が顔を覗かせている。アスファルトの窪みにできた水たまりが、信号機の赤い光を揺らしながら反射していた。
右手に握りしめた紙の封筒が、ひどく重かった。
現像された、7年前のフィルム。あの土砂降りの日、彼が持っていたカメラに残されていた最後の記憶。
私は近くの小さな公園を見つけ、濡れたベンチをハンカチで拭ってから腰を下ろした。
指先が微かに震えている。
これを見るのが怖かった。彼が死の直前に何を見ていたのかを知ってしまえば、「私があの雨の中に彼を一人で突き放したからだ」という罪の意識が、永遠に私を縛り付ける烙印に変わってしまうような気がしたからだ。
けれど、もう逃げるわけにはいかない。あの日から7年間、私はずっと自分の保身という傘の中で、彼への後悔から目を背け続けてきた。
「知らなきゃ、前へ進めない」。
深く深呼吸をして、私はゆっくりと封筒の口を開けた。
微かな現像液の匂いとともに、印画紙の束が手の中に滑り落ちる。
一枚ずつ、ゆっくりと裏返していく。
最初の数枚は、あの放課後に寄り道した時の景色だった。西日に透けるフェンスの蔓草、あくびをする野良猫、川沿いの水面に散らばる無数の光の粒。
彼が「綺麗だから」と言って大切に切り取った世界が、7年の時を超えて鮮やかに蘇る。
しかし、5枚目をめくったところで、私は息を呑んだ。
そこに写っていたのは、私だった。
神社の軒下で、雨を避けるように少し俯いている横顔。
土手でベンチに座り、恐る恐る彼のカメラのファインダーを覗き込んでいる姿。
そして、あの教室の机の中に隠されていた、雨宿りの時に笑っている私。
「……え」
次の一枚も、また次の一枚も。
彼が「綺麗だから撮る」と言っていたレンズの先には、いつも私がいた。
自分では絶対に気づけないような、ふとした瞬間の無防備な表情。レンズ越しに私を見つめる彼の視線が、どれほど温かく、不器用で、確かな愛情に満ちていたかが、痛いほどに伝わってくる。
「傘の中で濡れないようにしてるだけじゃん」と私を突き放した彼は、本当は誰よりも優しい目で、私という存在を丸ごと肯定し、愛してくれていたのだ。
視界が歪み、ポタリと印画紙に透明な雫が落ちた。
そして、いよいよフィルムの最後の一枚。
あの土砂降りの昇降口で、彼が私に背を向けて歩き出した後、事故に遭う直前にシャッターが切られたはずの写真。
私は震える手で、その写真を裏返した。
絶望に満ちた灰色の空が写っていると思っていた。私の拒絶に傷ついた彼が、自暴自棄になって切り取った、暗く冷たい景色だと。
しかし、そこにあったのは。
分厚く重く垂れ込めていた雨雲が裂け、そこから強烈な黄金色の光の柱が、真っ直ぐに地上へと降り注いでいる景色だった。
そして、雨粒を透かして架かる、息を呑むほど鮮やかな七色の虹。
頭の中で、7年前に彼から渡されたカメラに貼られていた、あの不格好な付箋の文字がフラッシュバックした。
『もし俺がいなくなっても、雨上がりには空を見て』
――あぁ、そういうことだったのか。
昇降口で私に背を向けた彼は、私に絶望して死に向かっていったのではなかった。
冷たい雨の中を歩き出し、ふと見上げた空が、ハッとするほど綺麗だったから。
「雨に濡れた後には、こんなに綺麗なものが見えるんだよ」「だから、傘を捨てて濡れることを怖がらないで」と。
彼は最後の最後まで、臆病な私にその景色を見せようとして、シャッターを切っていたのだ。
「っ……、蒼太、くん……」
声に出して彼の名前を呼んだのは、7年ぶりだった。
彼が遺したかった本当のメッセージを受け取った瞬間、私の心を分厚く覆っていた「彼を傷つけたまま終わらせてしまった」という呪縛が、温かい涙となってポロポロと溢れ出し、静かに溶けていった。
私はゆっくりと立ち上がり、今日家を出る時に無意識に開いていた自分の傘のボタンを押し、バサリと閉じた。
そして、顔を上げて、現実の空を見上げた。
雲が切れ、西の空が燃えるようなオレンジ色に染まっている。
雨上がりの澄んだ冷たい空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。7年前のあの日のように、土とアスファルトの匂いがした。
突然私の世界に降ってきて。
私をずぶ濡れにして、あっという間に過ぎ去ってしまった。
でも、他人の目ばかりを気にしてモノクロだった私の世界を、こんなにも鮮やかな極彩色に変えてくれた。
――夕立みたいな、恋だった。
私は頬を濡らす涙を手の甲で乱暴に拭い、カメラと写真の束をしっかりと胸に抱きしめた。
水たまりを避けず、真っ直ぐに踏み出し、私は7年ぶりに、自分の足で前を向いて歩き始めた。


